子どもになる~自然観~

子どもと共に遊んでいると子どもになっていきます。

子どもはどんなことにも興味を持ち、私たち大人が当たり前と思っていることにも大きな驚きと感動を示します。そして地球の中で自分たちが夢見る現在に生きています。子どもたちがあんなに楽しそうにしているのは、そこに自分の生きる現在を持つからです。

大人になれば、先々のことを心配したり、過去を悔いたり、心配事はいつもこの現在の中にはありません。そうしているうちに、この現在の中にある一瞬の驚きや感動に生きることを忘れてしまうのです。

昨日、死生観についてのブログを書きましたが生きるというものはそもそも現在そのものでいることであり、死もまた現在そのものでいることであろうと私は定義するのです。

一生懸命に現在を生きるというのは、子どもになるということでしょう。

私の子どもは、この現在の中に棲んでいます。

私は子ども第一主義というものの本質には、この子ども心を失わないでいるということであると思っているのです。子どもの中にある、すべての感動や感性を失わないままで私たち大人たちが現在に生きればこの世は一体どうなっていくのかを死ぬまで見届けたいのです。

子どもに学んでいくことは、忘れてしまうような当たり前のことに気づき直していくことです。

生涯かけて、子どもになることを学び続けていこうと想います。
これが私の自然観であり、子どもの姿です。

  1. コメント

    今を受け入れたり、乗り越えることではなく、忘れてしまうような当たり前のことに気づき直していくこと、そのことが現在を表しているのだと感じさせて頂いています。社内でも子どもから学んでいるように感じるのは、周囲にいるクルーが感動や素直さを表現しているからのように感じています。これまで気づかなかったことに目が向くようになった日々を、より注意深く学んでいきたいと思います。

  2. コメント

    夢中になるという事を子どもの姿から学んでいます。今を今に生きると言うことの大切さを子ども達の涙し、笑い、また涙するほどに日々の中で繰り返して行く姿に改めて教えて貰っていると感じます。どこまでも夢中になれる事が身の回りにある事も教えて貰っています。学びを体験に昇華して行きたいと思います。

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