日々練習道場

人は今から離れていくと信じる力が弱ってくるものです。

今というものは、全て必然ということを自覚しているならば今、何をすべきかに集中することができるものです。しかし、今に集中せずに色々と考えを張り巡らしたり迷ってしまうと次第に信じることができなくなり気合ばかりで空回りしていくものです。

気合が空回りしだせば、不自然になるからそこから体調を崩したり、怪我をしたり、もしくは一時的な感情に流されてしまったりなど色々な事件が起きるものです。

そもそも気合が空回りというのは、普段のことをどうしているかというものにつながります。

何かの時だけ力を入れようとしても、それでは肩に力が入り力んでしまいます。そうならないためには、日頃や普段を練習の場にしていなければリラックスして本番に取り組むことができません。

よく本番が練習で練習こそが本番という言葉がありますが同じ意味になるのでしょう。

そもそも本番や練習のどちらが本当かといえば、人生が本当のことなのです。

一度しかない人生道場の中では本番も練習もなく、その一度きりの人生をどれだけ遣り切っているか、日々を無駄にしないようにどれだけ真摯に努力挑戦精進したいかという毎日の実践が大切になっていくのです。

特に今、問題があるのならば自分では気づかないこともあります。そういう時、向き合う機会をいただくことができそこから改善し学び直すチャンスにしていくのです。

学び直しというものは、自分では気づかないものを気づくことに似ています。もちろん自問自答できても気づけるほどに素直になれるのならいいのですが、それを人に尋ねていくのが最も効果が高いように思います。それがコーチングなのです。

コーチングには、その直し方に技術がありその技術の中にその人の哲学、生き方、そして真心があります。どうしたら直せるか、そこにはその人の救済思想があるからです。

人は直そうとするとき、何を治すことが最も重要なのかを自覚することがなかなかできません。だからこそ具体的な方法や実践、いわゆる練習の繰り返しの中で体験をして尊い技術を身に着けていくのです。

技術とは一朝一夕に身に着くものではなく、何度も何度も試行錯誤していく中で培っていくものです。だからこその場数といった日々の研鑽と錬磨が必要になっていくのでしょう。

もちろん技術に芯が入っていなければ凶器になりますが、技術がなければだれ一人として救うことはできません。信じる力を入れるということは、その真心と技術の両輪が常に必要ということでしょう。

どこを練習の要とするかでその人の人生観が出てきます。

大切なのは人生道場の練習の機会を自らが探し求めていくことでしょう。
人生を向上させるものは、常に日々の鍛練にこそあり。

心技体、つまり真心、技術、姿勢、を省みてさらなる良知を引き出していきたいと思います。

  1. コメント

    自分の「対話」を振り返ると自我がよく見えます。ちょっとした「対話」にも、自分の感情や人生態度が現れますから、「日々是道場」でもあります。先生病が出てしまうと、この大切な機会を、自己顕示欲や自己自慢、誘導や裁き心といった自己満足の道具に使ってしまいます。この傲慢さは、「コーチング」の見守りとは真逆の世界です。自我力を振りまわすことをやめて一体となる機会として、日々の「対話」を道場としたいと思います。

  2. コメント

    体調を崩したことを理由に練習が休みがちになっていることがあります。自己都合をいくらでも出来、それをしないためのはずの仕組みのはずが例外をつくるとどんどん深みにはまっていくことを感じています。何で例外をつくる自分がいて、どんな感情なのかここでしっかり学び次に活かしていきたいと思います。

  3. コメント

    私はここ数年間、技術職であるが故に「技術」を優先させたバランスの悪い稽古を続けてきてしまっていたようです。頭では大切だとわかっていた「真心」と「姿勢」が、いつの間にか疎かになっていたのだということを、まざまざと実感しました。居つけば練習の質が低下していることにも気付かなくなります。常に求めていく姿勢を大切にしたいと思います。

  4. コメント

    学問ではなく、道と自覚して歩めているだろうか、今を道として歩んでいるだろうかと自分自身に問うと、お役に立てているか、有難い機会と日々を自覚しているかという問いに変わります。道の上で技術を磨いて行きたいと強く思います。

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