完全体~人生のモノサシ~

人は物事を判断するとき、加点法か減点法かをその人の考え方で決めてしまっているものです。簡単に言えば、物事を省察するときに肯定的に物事を捉えているか、それとも否定的に物事を捉えるかということです。

これはどちらかが良くてどちらかが悪いという意味ではなく、不足を見るか足るを見るかという考え方の違いになります。そこには、完璧を目指すか、完全を目指すかという違いがあるように私には思うのです。

完璧というものはこの世には存在しません、もしも完璧があるとするならばそれはこの世のものではありません。以前、あるテレビ番組の企画でパソコンを使って世界中の美人のパーツを全部合わせて完璧な美人を創ってみようという企画がありました。実際の結果は散々なもので、とても見るに堪えない恐ろしい姿になりました。何をもって完璧であるかとするのは、人間の中の平均の中でもっとも高いものを組み合わせているものを完璧であると考えているのです。

それに対し完全という考え方があります。人間は産まれながらに完全な存在であるというものの視方です。不足しているものがあるのではなく、今の自分のままがもっとも完全だということです。言い換えれば「私は私であればいい、あなたはあなたであればいい」ということです。完全な存在なのだから何かを無理に足す必要もなく、ないからそれを嘆くこともありません。今の自分がもっとも完全だと考えれば、ないもの探しではなくあるもの探しをすればいいということになります。

別に人生は100点でなければならない理由があるわけではないのだから完璧である必要はありません、それよりも自己実現ができることの方が愉しいですし、思いやりを盡して誰かのお役に立つことの方が仕合せです。今の自分でできることにいのちを燃焼させていく方が今の自分を信じ愛することもでき、周りの人と活かしあう豊かさを実感できるのです。

人間は欠けているからそれを補うのですが、それをもし一人で全部やったらどうなるでしょうか。みんな同じコピーを作ることに躍起になってしまうかもしれません。先ほどの完璧な美女がいればそれを目指せば全員それをコピーすることを目標にするはずです。これは学校教育の評価による刷り込みをもっているということではないかと私は思います。

今の自分のままでそれをどう伸ばしていくか、それを磨くかというのが本来の加点法、肯定的な物事の視方、そして楽しくなる生き方ではないかと私は思います。コピーで苦しんでいる人が沢山いる今の社會に、あなたのままでいいと言ってくれる社會があることでその人がどれだけ救われるかわかりません。評価のモノサシではなく、人生のモノサシをその人の中に持てるようにしていくのが私たちの願う見守り合う社會です。

自分たちの生き方を通して、一人でも多くの子ども達に完全である仕合せ、周りと一緒になる喜びを伝えていきたいと思います。

 

 

  1. コメント

    完全と完璧の考え方は、見守る保育としての考えとしては理解した気でいましたが、それをそのまま大人に延長して考えると途中から辻褄が合わなくなる日々に対する大きな気付きとなりました。ありがとうございます。自分の人に対する眼差し、発言、それがなぜ偏る時があるのか。そう振り返ると、こうやって気付き学ぶ事が必ず出来るのだ、そもそも不足していないのだと、自信が少しずつつくことを感じました。曇らぬよう大切に磨いて行きたいと思います。

  2. コメント

    これまで、「完璧」を目指して足りないところばかりを見つめ、「その不足を少しでも埋めることが努力である」と思ってきました。そのせいか、いつも「100点満点で何点?」という発想で、いろいろなものを「減点評価」してきました。「学ぶ」「身につける」といった「加えていくこと」ばかりに注目し、「天分として与えられているものを生かす、磨く」という視点が後回しになっていたようです。「成長」というものの概念が違っていたようです。ここには、ほんとうの意味での充実感はありません。「完璧観」から「完全観」に切り替え、ほんとうの自分を「仕上げて」いきたいものです。

  3. コメント

    一日を振り返った時、どれもかけがえのない濃くて充実した一日でした。そう思おうと思っている訳ではありませんが、不足を見るよりも遥かに豊かです。意識次第で満ち足りるものになると思うと、これまでどれたけ求めていたのだろうと思います。今日も一日ありがとうございました。【○】

  4. コメント

    昨日のブログのコメントにも書かせていただきましたが、自分を観ている眼差しが、そのまま相手への眼差しになるのだと思うと、子に対する親の眼差し、生徒に対する先生の眼差し、もっと大きく観れば、人は誰もが何かしらで相手の育ちの支えになるのだと考えれば、誰もが自身の眼差しの影響を自覚する必要があるように思えます。自他を分けず、厳しさでも甘やかしでもなく、ただただそのものの成長したいという思い・願いに対して素直に応えていきたいと思います。

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