姿勢

先日、姿勢について考える機会がありました。姿勢というものは、全ての基本であり、その基本姿勢を知っている人は変化が早く、体験を素直に吸収していくことができます。

そこで姿勢の善さとは何かということを書いてみます。

姿勢という言葉は、姿勢よく座る、姿勢が美しいという単に見た目の姿かたちだけでで使われるのではなく、心の姿として、姿勢が問われる、どのような姿勢で臨んだのだろうかというような使われ方をします。

からだでいえば、姿勢が善い人は健康であるし、こころでいえば、姿勢が善い人は素直で正直ということになります。これとは別に身体が歪むと不健康になり、心が斜に構えると不正直になります。

結局は、からだも心も自分の姿勢次第であるということがその人の姿勢の善さで自覚できるのです。姿勢を正すという言葉は、その元になっている基本の姿勢をまず直してからすべてははじまるということを示す言葉です。

何を学ぶにしても、姿勢が悪ければ何をやっても中心が身につかずフラフラしてしまうように思います。では姿勢が正しいという姿勢とは何かということになりますが、これはまず基本の姿勢が何かを知っているかということになります。

からだでいえば、姿勢が善いと言われるためには姿勢の善いモデルを知っていなければなりません。美しい姿勢で立つと言われても、そもそも美しい姿勢を知らない人では姿勢を正すことはできません。同じように心も、姿勢を直せと言われても心の姿勢として素直で正直というものが何かを知らなければ美しい心の姿勢にすることが分からないからです。

姿勢というものは、基本のことです。

何を基本にするか、その考え方や意識から変えることで姿勢ははじめて正すことができるように私は思います。何が自然であったかを知る人は不自然が分かりますが、何が自然かを知らない人では不自然も自然も分からないのです。

姿勢が善い人とは、自然体を知る者です。

自然体を知る者は、原理原則を自覚できる人です。刷り込みや強い自我欲によってつくりあげてきた自分の歪みはそう簡単には直りません。しかし、周囲にそれを指導し直してくださる人がいたり、もしくは自分が憧れ私淑する生き方のモデルになる人を見習いながら直していくことができる人は仕合せです。

素直や謙虚、そして健康を学ぶには周囲の仲間たちの実践から身に着けていくことが学問の歓びでもあります。道を共に歩み、その基本の姿勢を知る沢山の仲間に恵まれている機会に深く感謝し、常に自ら自立する基本を自然に学び直していきたいと思います。

  1. コメント

    それぞれのクルーが持つそれぞれの姿勢も、お互いに響き合い学び合い高め合っていく日々が今、あるということに有難さを感じます。一円観が会社のベースになったからこその出来事だと感じます。響き合い高め合う文化作りには福になる眼差しと体験が必要だと感じますが、お客様にもより味わって頂けるように挑戦を続けていきたいと思います

  2. コメント

    「自分らしくいる。自分でいる。自分を静かに保つ。自分を隠さない。自分でいることに力まない。自分をやたらに誇りもしない。同時に自分だけが被害者のように憐みも貶めもしない。自分だけが大事と思わない。自分を人と比べない。これらはすべて精神の姿勢のいい人の特徴である」(曽野綾子)とあります。「今日は力まずに、ありのままの自分でいられたか?!」を確認し、自分の姿勢の歪みを矯正したいと思います。

  3. コメント

    やっていることは違ってもクルーの向かう姿勢に勇気づけられ、驚かされることも多くあり、その姿を目の当たりにすると自分もと奮い立つ思いです。この循環そのものが実践だと思うと、これまでしてきて頂いたことを今度は自分が誰かに少しでもお返ししていきたいと思うようになりました。できるようになったと思っても、まだまだ教えることができないことでまた新たな発見を得ました。正しさよりも寄り添うことを大事にしていきたいと思います。【〇】

  4. コメント

    指導し直してくださる人、生き方のモデルになる人、そのような人が身の周りに沢山いると感じられていることが幸せに思います。一人の実践がどれだけ多くの人に影響を与えているかを考えた時、実践とは「挑戦力の循環」であり、どれだけ素直にそれを感じて自ら行うことが出来るかが大切なのだと実感しました。それは目の前の相手から子ども達へ、そして更には次代へと繋がっていくものなのだと思います。いただいた真心のバトンをしっかりと握りしめ今を走り切り、次のランナーへ渡していきたいと思います。

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