自然体の本質

世界において日本人であるということの重要性は昨日も書きました。なぜ日本人でなければならないか、そこには私たちの世界における存在意義にも関係します。そしてそれは単に世界の中での日本民族というだけにとどまらず、結局は自己を活かすということの本質に深く関わっているからです。

そもそも人は自分という存在をどのように理解しているかで観えている世界が変わっていきます。例えば、単に自己という自分が今までの過去のことや身近な存在から理解する狭い範囲の自分というものと、民族の一人として先祖代々からつながっている自分であると理解するのでは自己認識が変わっていきます。前者は私的なものですが、後者は歴史全体的なものです。言い換えればこれらの歴史全体的な民族的使命を持つことによってはじめて本来の意味での個性というものに出会うということです。これを三木清が分かりやすく例えています。

「すべての理念的なものは運命的なものを通じて実現される。個人の任務は民族を通じ民族のうちにおいて世界的なものを実現することである。個人は自己の民族を世界的意義あるものに高めねばならず、そのためには個人はどこまでも自主的に民族と結び付くことが必要である、個人が自発的でないところでは人類的価値を有する文化は作られないから。」(論文 全体と個人より)

はじまりの初心をもって誕生した先祖たちの道をその後の私たちが受け継ぎ歩んでいるのですからその道を高めそれを民族の目指した姿として顕現させていることが今の文化とも言えます。文化があるというのは、かつての祖親の真心をカタチにした個人があったということです。人類的価値とは、その初心という理念においてそれをどのような道筋と道程を実践して文化にしたかということです。だからこそ三木清も「すべての人は、自らの民族が持つ文化を世界史的意義を有するものへ磨き上げそして高めていかなければならない」と言います。

「個人は抽象的な人類や世界ではなく却って民族というが如き具体的な全体と結びついて具体的な存在であるのである。個人は民族を媒介するのでなければ具体的に人類的或いは世界的になることができない。単に人類的と考えられるような個人は抽象的なものに過ぎぬ。単なる世界人は根差しなきものである。」(論文 全体と個人より)

個人というものの定義をどのように捉えるか、自分らしさというものをどの価値で定めるか、そこが肝心だと私は思います。自分自身とは何か、それを正しく理解できてこそはじめて真の個性を活かし発揮することができるのです。単に個性の発揮とは、自分の好きなことをやればいのではなく真に自分らしさ、自然体であるのです。自分らしさが自然体とも言いますが、では自然体とは本当は何かということなのです。

私の自然体の定義はもっとも日本人であるということです。

言い換えれば今まで脈々と受け継がれてきた私たちの道統の存在そのままになっているということです。それがあってはじめて自分らしさであり、それが本当の個性なのです。私が日本人を目指し文化を学び直すのも自分の中にあるその個性を磨きたいからです。日本の精神とは何か、その精神を磨くのもまたそれは民族としての心を高めてはじめて日本精神を磨くといえます。そして三木清はこうも言います、「国家・民族という精神的バックボーンがあってこそ「個人」が真に活きる 」と。

私も同感で、まず「国」とは何を指すのか、そして「民」とは何を指すか、真に「国民」であるということはどういうことか。自分が国民の一人として自分を発揮していくには、まず本来の国民に回帰する必要があるのです。その回帰した姿において如何に文化を世界に発信していくか、そこに民族的使命がありそこに個々の天命があるように思います。

運命というものは天命のことで、天命は運命と自然体になればなるほど同化していきますから自分が民族の文化そのものであるということを忘れてはならないと私は思います。

そのために何を実践していくか、どんな手本を示して子ども達に道を譲っていくのか、自分の使命とはそういう民族から受け継がれてきた使命のことですからその道を譲り渡す時、真の幸福もまた受け渡していくことができるように思います。最後に三木清の言葉で締めくくります。

行動の哲学は歴史の理性の哲学でなければならぬ。歴史の理性はもとより抽象的なものでなく、一定の時期において、一定の民族を通じて現れ、一定の民族のうちに具体化されるものである。そして一つの民族は民族である故をもって偉大であるのではなく、その世界史的使命に従って偉大であるのである。

歴史に顕れる日本の先人たちの中には、全てその民族の偉大さが顕現します。私の尊敬する方々もみな、その自然体の本質を持っています。吉田松陰然り、高杉晋作然り、源義経然り、私たちの民族には「徳」と「義」が脈々と受け継がれています。

本当の意味で世界が滅びるというのは、世界史的使命が失われるということです。民族多様性を如何に遺すか、それはそれぞれの民が文化を重んじて生きていくということです。時代がいくら激変しても道は変わらずそこにありますから道を継ぎ道を弘め、道を繋いでいけるよう自然体に近づいていきたいと思います。

  1. コメント

    エルトゥールル号の映画が上映され、知らなかった事実を知り同じ日本人として嬉しくなります。昨年の新潟や島根での体験も体感することで豊かさや道具の有り難みを感じました。受け継がれてきたものが自分の中にもきっと流れており、触れたことで自信が湧いてくるような何かを感じます。時代を逆行するような生活をするということではなく、本来あったものに触れることは安心感に繋がります。変に焦って海外を目指すよりも、日本人としての生活や文化を実践していくことを大事にしていきたいと思います。

  2. コメント

    これまでも「真の日本人でありたい」と思っていましたが、それは、「民族のひとりとして、先祖代々から繋がっている自分として、その道統のなかで日本人の精神を顕現するという使命に生きることである」とわかりました。先人の求めた道を具体的に実践して文化にしていくという、その生き方のなかにこそ真の個性が発揮できるということを実証していきたいと思います。

  3. コメント

    京都を訪れると、日本らしいと感じられるものに多々触れることが出来ますが、本来は目に映るものではなくその背景にあったものが受け継がれていることが必要だと感じます。伝統や文化を失った民族は滅びると言われますが、組織にしても個人にしてもそう感じられるのは、全てに繋がりがあるからなのだと思います。子ども達の自分らしさという芯を守れるよう、自分自身がまたそうでありたいと思います。

  4. コメント

    日本人の歴史や文化を学んだことはあっても、それを実践していない事ばかりですが、ただ真似をしていれば日本人になれるのかというと難しさを感じていましたが、それは主体的という言葉にあるのではないかと感じました。如何に自分を世に役立てていくのか、その為にご先祖様の知恵や文化をお借りする。その姿勢で感じるものはなにか。実践から学んで行きたいと思います。

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