夜祭の原点

先日の秩父夜祭の際に、御旅所にて玉串奉奠をしたあと宮司様にお話をお伺いするご縁がありました。そこで夜祭の起源、そもそも神事は夜に行われていることの意味などをお話いただきました。かつて神代から神事は夜に行われ、次第に人間の都合で昼になってきたということも分かってきました。

以前、鹿児島の上野遺跡にお伺いした時にお祭りの原型のような遺跡を見たことがあります。そこには、ずっと昔の先祖たちが桜島を正面にして少し小高い場所の真ん中で火を熾しその周囲には様々な供物を捧げる土器や壷、その周りでみんなで一緒に火を囲み食事をして楽しく踊っている様子が遺っていました。

これは私の想像ですが、火山の噴火する火を観ながらその大地の地熱によって作物が育てられ、水が天から降ってくることに由って生き物たちが潤い、月や星々、その暗闇によっていのちが育まれていることを知っていたその当時の人々は、自然に今の大地があることは祖先の人々の丹精によってあることを自覚し、感謝してきたことから祭りがはじまっているのではないかと思うのです。

あらゆる自然の御蔭様、そして祖先の人々の御蔭様、そういうものに対してみんなで一緒に祝おうという真心から神事とお祭りが実践されてきたように思います。

今は、西洋から個人主義の価値観が入り込み教育によって歪んだ個人主義が広がっていてあまり神事の意味もお祭りの価値も伝わらなくなっていきますが神事や御祭りを体験すると日本人の心にはその原点、故郷が息づいていますから原点を思い出すのです。

何の御蔭様によって私たちがあるか、闇夜の中で瞑想しつつ火を灯し、心中に平和をつくり、自分自身の精神や魂を見つめ、対話し、その原点に回帰するならば私たちは先祖からの真心や生き方と結ばれ穢れを祓い清め浄化していくことができるように思います。

日々に昼の明々としているところ、夜にも電気がついて明々とした中で生活していたら次第に穢れが増していくものです。夜の静けさ、闇のぬくもりの中でこそ祓いができますからいつまでも神事は子どもたちの心を守るために存在させていかなければならないと感じます。

囲炉裏の火を囲み、円になって闇のぬくもりを感じながら心の声を聴く。ここに私の聴福人の極意もあります。

引き続き、温故知新して今の時代の祭りを復古創新したいと思います。

神代の真心

昨日、秩父夜祭の神事に参加するご縁をいただきました。この秩父夜祭は、御田植祭秩父市中町の秩父今宮神社境内にある武甲山から湧き出た水を、その年の収穫を祝うと同時に武甲山に還すお祭とも伝えられています。

先日、ユネスコの無形文化遺産に登録され今年は一層の盛り上がりがありました。その推薦理由のひとつには『秩父の人々は年間を通じて秩父夜祭の準備や練習に取り組んでおり、祭りが「地域において世代を超えた多くの人々の間の対話と交流を促進し、コミュニティを結びつける重要な役割を果たしている」』ということがあったそうです。

実際に神事に参加していると、氏子の皆様をはじめ神社を奉る皆様が真摯に真心で神様や地域への感謝報恩に取り組む姿に心打たれます。みんな武甲山をはじめ、伏流水、その豊かな風土を与えてくださっている神恩に対して敬虔な気持ちで取り組んでいるのです。つまり自分を度外視、損得を度外視して、経済活動を優先せずに常に神様や伝統の方に自分たちを常に合わせていくという謙虚な実践を行っているということです。

その逸話の中にはこういうものがあります。

かつて秩父夜祭の人出は開催曜日によって大きな差があり、週末に当たると20万人を超す人出になっていたといいます。そこで経済効果を念頭に置いて、週末開催を求める声が出ていたそうです。お祭りに参加する市民も仕事を休んで祭りに参加すること も難しくなってきていたのもあり2004年に秩父夜祭の日程を週末に変更する委員会の設置が検討されたといいます。しかし秩父神社側が、「神事と切り離せないものであり、別の日に譲ることはできない」と反対したといいます。

そのことを権宮司さまにお伺いすると、「人間の都合で神事を動かさない、すべての神事の日には確かな意味があり二千数百年神代の昔から変わらず神職たちによって守られてきたからです」と仰っていました。

今の時代、すぐに自分たちの都合、人間の都合、そういうものを優先しては大切なものや変えてはならないものまで平気で動かそうとするものです。個人主義が蔓延し、子孫の代のことや先祖の代を慮るよりも、自分自身の代のことだけしか考えずに自己中心的な生き方ばかりをしてコミュニティも消失してきています。しかし本来、誰のための神事か、何のための神事かの本質を考えてみればそれが如何におかしなことをしているのかはすぐに自明します。

自分にとっての善し悪しではなく、かつてから連綿と続いている理念や初心を守り続けること、そして実践を已まずに継承し続けていることにこそ神事の真価があるのです。

御旅所で、神職の方々が舞う神代神楽を観ていたら本来の日本の神事とは何か、そういうものを復古創新し磨きなおすようにという天啓をいただいたような気がしました。

子どもたちに何を譲り遺していくのか、まだ試行錯誤ははじまったばかりです。引き続き今回の御縁を活かしていけるように、真摯に深めて機縁からすべてを学び直し、日本のために祈り続けて自分自身を変化させていこうと思います。

ありがとうございました。

 

妙見

先日からお祭りことから秩父神社とご神縁をいただき、改めて妙見信仰のことを深めています。妙見信仰の妙見は、「妙見大菩薩」を指し妙見大菩薩とは真言密教の仏様であり北斗七星を象徴とした天空の中心をつかさどる神様とされてきました。その北極星を崇める信仰の奥深さを学び直しています。

夜空を見上げると空の星々はどれも時間がたつと動いていきます。しかし、北の空にひとつだけ動かない星があります。それが北極星です。

かつては旅人たちは暗闇で道に迷いそうなときは、北極星を探しました。今の時代は、電気が明るすぎて夜空を見上げる機会もなくなりましたがそれだけ道に迷う時代に入っているとも言えます。

そういう時、決して動かない星の存在にどれだけ自分を取り戻せたかということを思うのです。道はどうしても迷うものです、しかし道に迷ったときにこそはじめて人類は気づく機会に出会えます。その時、動かない神様がいること、動かない星があること、不動の真心があるということにどれだけ人々が救われるかということです。

以前、司馬遼太郎の坂の上の雲の中で秋山好古がこのような言葉を遺しました。

「日が暮れたなら天を見なさい。絶えず動かない北極星は旅の道しるべになります。
世を渡る場合には誠の心が道に迷わぬための磁石になります。
曲がった道に入ったと不安になった時は自分の誠の心に問うてみなさい。
天が与えた良心はいつもあなたたちを導き、守ってくれることでしょう。」

妙見の本質は、自らの妙を観ることに由ります。

最後に妙見の請願で終わります。

「諸の国土人民を救済せんと大誓願を発し種々方便の時七星と顕れ或いは親友と化して人々を善道に導き常に一千七百の大眷属を遣わし国土の災患を除き人民の諸願を満ぜしめ給う」

ご縁に感謝しています。

自分とは何か

人は自己認識というものをどのように持っているかで自分というものの理解が異なってくるものです。今の自分を丸ごと認めている人は、自分にこだわりませんが自分の何かをいつまでも認めない人は今の自分のことがわからなくなるものです。

今の自分とは何かということです。

今の自分というのは、過去のある時の自分や、誰から評価されていたときの自分、自分の理想の自分など色々とあります。自己中心的な人ほど、自分というものを自分で設定する傾向が強く、またその自分像を周りに押し付けていくものです。しかし本来の自分というものは、今に徹することで顕現するものであり今、此処のすべてを自分だと感じない限りは本当の自分に出会えることがありません。つまりは自分は変わり続けていることを自覚できるということです。

人には思いがありますが、その思いがこだわりすぎるとその思いが真実をゆがめていくことがあるのです。

小林正観さんの著書「豊かな心豊かな暮らし」(廣済堂出版)にこういう言葉があります。

「自分の思いを持たなければ、生きることはそんなに大変ではありません。流れていくままに、流されていく生き方でいいのではないかと思います。」

よく思いを持てとかいう自己啓発本は出ていますが、この思いを勘違いしている人が多いように思います。ここでの思いは執着ですが、いつまでも自分にこだわると変化ができなくなるよということです。それよりも今の自分が置かれた環境で変わり続けている自分を認識できるかということです。そのためには、門前の小僧習わぬ経を読むの心境でなんでも新人になったつもりで挑戦し続けていくしかありません。小林正観さんはこう言います。

「自分でわからないことについては、とりあえず、「わかりました」と言って引き受けてみる。出来なかったら、「出来ませんでした。ごめんなさい」と謝る。そういう素直な自然体の心で生きていけばいいと思うのです。 思いを持てば持つほど、重くなります。思いが重いのです。」

この素直で自然体な心、それが今の自分を認識する唯一の方法なのです。素直になるというのは、自分勝手な執着を持たずに今の境遇に感謝して仕合せになるということです。こんなはずではないとかこんなはずではなかったとか、思い通りにいったとかいっていないとか、いつまでも自分に執着して今の自分を受け止めず受け容れないような心の態度ではその人は変わることができないのです。

変わるというのは、変わり続けている状態を言い、周りに役立てる自分、周りに活かされている自分、そして周りに感謝している自分になっていくことです。そのためには具体的な実践として「なんでもやらせていただきます」という今に対する生き方の覚悟がいります。これは自分の仕事ではないとか、これは自分には相応しくないとか、やりたくないとか、そういう自分の思いを持ってしまえば身体も心も重たくなります。そして次第に動けなくなって、そのうち周囲に心を開かずに閉じこもって病気になります。

そうではなく、変わり続けている今をたのしみ、どんな自分が本当の自分だろうかと今の自分を丸ごと味わい学び続けるとき、人は自分の本心と対話し、自分自身になっていくように私は思います。機会を活かす人はご縁に活かされるからです。

幼いころから誰かの目線を気にして嫌われないように演じたり、または評価されては比較され競わされ争ってきたり、または歪んだ愛情を押し付けられ条件で愛されようとしたりと自分が素直に自然体でいられなかったことがあったことで今が受け止められない人がいることも共感できます。

しかしいつまでもそんな日々は続くわけではなく、人は今を受け止めて受け容れて今を100パーセント愛していくことで未来も過去も許し認められるようになりますから執着を手放してみて身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれと一度握っている自分を手放してみれば新たに観えてくる境地もあると私は思います。

同じように苦しんでいる人たちが沢山いて、その人たちが自分らしく生きていくためにも自分の方がさらりと変わっていく生き方が自他を素直に正直にしていくようにも思います。

引き続き子どもたちのためにも、今ここを楽しみ味わう生き方を実践していきたいと思います。

 

自然のセンス

日々に鉄瓶でお茶を沸かして飲んでいる炭実践をしている中で火について色々と深まってきています。火といっても一概に火とは呼べず、蝋燭の火、ガスの火、灯油の火、薪の火、炭の火、炭の火の中でも木炭、石炭、備長炭、竹炭などどの火も同じ火は一切ありません。さらに言うならその時の湿度や空気、季節やタイミングなどでも火は変わってきます。

火と一括りにして火と呼びますがこのような感覚が人間本来のセンスを鈍らせているようにも思います。同様に、空も水も同じものは一つもありません。無限に組み合わせがあり、同じものがないのに人はそれをただの空と呼び、それを水と呼びます。

頭や知識は、その物体を認識するために文字や言葉にして分類分けましたが実際は分類分けなどがまったく意味をなさないのが自然なのです。

火はその揺らぎ熱さ、温度、見た目、範囲、容、光、燃焼具合、燃える素材、燃える環境によってその火の姿が変わります。例えば、ガスの火はとても強く炭の人はまったく異なり近づくとトゲトゲします。石油の火はもっと強くトゲトゲしてまるで尖った岩山のように差し込んできます。

それとは逆に天然の植物油や、もしくは炭などはほんわかする軟らかく弱い火が出ています。特に備長炭などは周りを包み込んでくるような春の日差しのようなぬくもりが出てきます。

人間は感覚を研ぎ澄ませていけば、火は単なる火ではなくなり同様に水も空も単なる水や空ではなくなるということです。どれくらいのセンスで日常を過ごしているか、今は頭でっかちになってやれスケジュール管理だの、やれ衛生管理など、栄養管理など、人間の思いどおりにするように先ほどの分類された知識をフル稼働していますが本来の自然科学というものはそのセンスが前提にあっての科学であったはずです。人間主導の科学は理に適うこともなく本来の道理から反してしまい本末転倒です。

センスなき科学というものは、どこか限られた狭い世界のみで通用する知識のように私は感じます。センスは自然ですから、センスのセンサーを高めていくことで自ずから自然の科学は身につくように思います。

引き続き、五感、六感、いやすべての感覚を研ぎ澄ませ子どもたちのために今を見つめていきたいと思います。

和ろうそくの心

日本の伝統に和ろうそくというものがあります。和ろうそくが持つ「あかり」は懐かしく今でも暗闇に照らせば心が和みます。このあかりは60万年前から使われていたといわれますが、日本で和ろうそくがはじまったのは奈良時代に中国からはちみつを用いた「蜜ろう」というものが入ってきたことからです。その後、平安時代には松脂を使ったろうそくが開発され、その後室町時代から現在まで櫨(はぜ)の実を使ったものが和ろうそくの代表となっています。

手作りでしかつくれず原料も天然のものを利用した和ろうそくは高級品であり、庶民には手がなかなか出せず菜種油を使う家庭が多かったといいます。しかし明治時代になると、洋ろうそくが急速に普及し各家庭にろうそくが広がりました。今では電気が普及しほとんどろうそくは日常の生活から消えてしまっていますが、改めて和ろうそくの価値が見直されてきているとも言います。

和ろうそくと洋ろうそくの違いは、同じろうそくと言っても原料を含めてすべてが異なります。例えば、和ろうそくは世界の中で日本にしか存在しない天然の櫨の実の原料に対し、洋ろうそくは石油系のパラフィンという原料です。ろうそくの芯も、い草の髄から取れる燈芯を使うのに対して洋ろうそくは糸を使います。最も異なるのは、和ろうそくは手作りで一本一本作るのに対して反対に洋ろうそくは機械で大量生産することができます。そこからわかるように金額も和ろうそくは高価で洋ろうそくは安価です。

肝心なあかりはどうかと言えば、灯せばすぐにわかりますが暗闇を包み込むようなあかり、そして情緒がある揺らぎ、また炎の落ち着いた柔らかい様、そのほのかに燃えていくときの優しい音、和紙の燻る薫り、そのどれもが和の風情を醸し出します。

いつも私はこの和ろうそくを観るとき、いのちを完全に燃焼し尽くしてあかりの余韻を空間に遺すこの存在に尊敬の念を覚えます。

同じ燃えるにしても燃え方があり、燃え様があります。これが翻っていのちにたとえると、生き方と生き様です。和ろうそくには、日本人としての連綿と繰り返しつながり結ばれてきた姿があるように感じて灯すと先祖に触れる気がして懐かしくいつも心が揺さぶられ深く感動するのです。

今は時間にあくせくし忙しくて心をなくして自分を見失い、また魂が傷ついている人が多くいるからこそ、私はこの「和ろうそく」の火を用いて人々の心を癒したいと思うのです。

聴福庵は炭を用いているところばかりが注目されますが私の中では「火」が中心であるということを重んじているのです。暮らしの中の火は、いのちそのものですからそのいのちをどのように扱うか、どのようにつつみこみそのものを感じるかは火の姿によって物語るを読めばいいのです。火はいのちとの対話のつなぎ役なのです。

和ろうそくを用い、子どもたちの心にいのちの火を包み癒し灯し続けられるように実践を続けて深めていきたいと思います。

 

 

佇まいと庵

佇まいということを深めていると「場」ということがどのようなものであるのかを実感します。この佇まいと場とは必ず一体になるものであり、場があるから佇まいが存在します。空間の美というものは、この場の関係性によって仕上がり、そのつながりの中で私たちがしっくりと来ることで実感することができるものです。

この佇まいについて少し書いてみます。

例えば、私は和室や庭を構成するときその場に何を置けばしっくり来るのかを観ることにしています。明らかに、その物と物とがつながり調和するときそこには確かな佇まいができてきます。

この佇まいの意味は、大辞林には(1 立っているようす。また、そこにあるもののありさま。そのもののかもし出す雰囲気。「家並みの佇まい」「庭園の落ちついた佇まい」2 身を置くところ。暮らし方。また、なりわい)とあります。

この佇まいというものは、その本人のことではなく場が主体になっているのがわかります。つまりは、場というものはその関係性や共鳴性、共感性や響き合いなどといった物と物、物と人、その空間の中に何が発生したかという妙を観ているのです。そしてこの佇まいが落ち着いてくると、自ずから空間の中に余韻が出てきます。

今、古民家再生をしている庭園然り、和室然り、しっくり来るまでには様々なご縁を活かしきっていかなければそれは顕れません。それは人とのご縁は当然のこと、物とのご縁、そのほか、時間とのご縁、物語とのご縁、心とのご縁、導かれるご縁、神仏の御縁など様々なご縁を活かしきったときにこそ佇まいは顕現します。

まるではじめからそれがそこにあったかのようなもの、またお互いに一緒に一体になって自然になるようなもの、そのしっくりとくる場には確かな佇まいがあるのです。その佇まいは、すべてのご縁に活かされた場であり、その空間にはご縁が凝縮されて永遠にいのちが生き続けていきます。その空間に何を入れて、何を遺すか、そこには子々孫々まで真心を通じさせ、その場において伝承も継承も伝道も教育も行われていくのです。

なぜ日本家屋は場によって教育を行えるか、そこには佇まいがあるからです。その佇まいを活かすのは、その場で暮らした日本的人物、分を弁え謙虚に生きた生きざまと一体になって残存するのでしょう。私にとっての日本家屋はの場は庵です。

庵とは昔ながらの質素な佇まいの家のことを言います。「庵」は古くは「いほり」と読み、その古形である「いほ(庵)」が動詞「いほる」を生じ、その連用形「いほり」が名詞化したものです。そしてかつて人は岩穴に住んだことから「いほ」は「岩」に通じるともいわれています。

一家が暮らすその庵の中には、そこに暮らした人々の祈りや願い、そして信念や理念があります。そういうものをどれだけ子どもたちに譲っていくかは、場を主体にしてどれだけ学び磨き上げたかという一人一人の生き方が決めます。

日々の場は、すべて自分が創り出しているという自覚を忘れずに丁寧にじっくりと場を練り上げていきたいと思います。

 

間と点の中~懐かしい未来~

先日、高円寺の古着を見に行く機会がありました。数十店舗の世界各地から収集された古着が所せましと並んでいて、そのどれもが時間の経過があったものばかりでした。この古着の古いには色々な言い方があります、例えばレトロ・アンティーク・ヴィンテージ・クラシックなど様々なジャンルを分けて古さと使い分けています。

レトロは懐古主義、アンティークは100年以上のもの、ヴィンテージは20年~30年以上100年未満、クラシックは中世近世ヨーロッパの伝統形式などとよく定義されています。

実際には古いという一言で括れないのが古いというものであり、同様に新しいという一言で括れないのも新しいということです。温故知新などの古いと新しいの意味は、単に時間の経過だけをいうものではないことはすぐにわかります。それを少し深めてみようと思います。

古さというものは、先ほど書いた時間的な経過というものがあります。例え一度も箱から開けたことのないものであっても、100年も200年以上の前のものは古いと呼びます。それは時間的な経過があるからです。もう一つの古さは、その時代の価値というものがあります。それは時間的なものではなく、その時代時代の価値基準やその時点での思想、また芸術や生き方のようなものがあります。それに太古の昔と言えば、一つは時間の経過、もう一つははじまりの頃、今の私たちのルーツのことを指します。

つまりは、古いといっても時の「間と点」というものがあるということです。

私たちはこの間と点をつなぐことで歴史を認識します。実際には、止まることがない時間の経過の中で私たちはある時点にあった出来事を取り出して認識します。しかし繋がっている今の中では、言葉で切り分けてみても実際は已むことがありませんから私たちはこの「間と点」の中を感じて古さや新しさを感じ取るのです。

そして古いものには「懐かしい」というものがあります。これは原点のことで、心がその原点に惹かれるということです。人が懐かしいというとき、かつての大切にしてきた何かに心が惹かれます。それは単に古いから懐かしいではなく、自分たちが何を大切にしてきたかという意味での懐かしさに心が揺さぶられているのです。

そして未来というのは、その懐かしいままに今を生きることでいつまでも大切なことを忘れないで仕合せに生きていきたいという願いです。温故知新というものは、そういうことを時代時代の人々がつなぎ続けていくことを言います。

古いというものにある間と点の中には根元から結ばれる原風景が息づいています。そういうものを感じられる人物こそが、先祖代々から脈々と結ばれてきたつながりを持つ人物であり、そういう人物の生きざまには懐かしい未来がいつも存在します。

古さの中にある新しさとは、太古から流れてきた原点を忘れず今の時代にどのように暮らしていくかということです。私の言葉にするのなら、理念の実践と日々の改善、創意工夫です。

引き続き、古さから学び直し、色々な今を新しくしていきたいと思います。

本物の義人

現在、NHK大河ドラマでは真田丸が放映されています。私は10歳のころ、南総里見八犬を読んで真田十勇士に強く憧れ、それから図書館で真田幸村の伝記を貪るように読んだのを今でも鮮明に覚えています。

義に厚く、自らの信念を貫いて最期まで幸村らしく挑んだその人生の様子に子どもながらに格好よく感じ、感動して何日も眠れない夜を過ごしました。今思いかえせば、私はこの「義」という言葉にとても精神が刺激され、今でもこの「義」を追い求めて挑んでいく日々を過ごしているようにも思います。

真田幸村は、義に厚いというエピソードはあちこちに遺っています。例えば、関ヶ原の戦いの時には東西両軍からの誘いがあった時も「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか。」と撥ね退け、自分は恩義に報いるのみと本来の大義に生きることを述べました。

また大阪夏の陣では、徳川から10万石で寝返らないかと誘われたのを突っぱねて、その後、信濃の国50万石ではどうかと改めて寝返りの催促があったときも「十万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか。」といい、私は決して日本国半分をと言われても一切寝返るつもりはないと断じます。「いざとなれば損得を度外視できるその性根、世のなかに、それを持つ人間ほど怖い相手はない。」といいます。つまりは、損得を一切考えないその精神、そういう人間ほど怖いものはないぞと言います。義に厚いというのは、ここからも十分感じられます。

そしてこれは私が好きな高杉晋作もいいそうな言葉ですが「夢をつかんだ奴より、夢を追っている奴の方が、時に力を発揮する。」と幸村はいいます。つまり夢をつかんでいる人間よりも、いつまでも志を持って夢に挑む方が時に偉大な力を発揮するぞというのでしょう。

「人の死すべき時至らば、
潔く身を失いてこそ勇士の本意なるべし。」

これは意訳ですが「義人たるもの命を捨てても目的を達成しなければならないときがもしもやってきたのなら、潔く玉砕することがまことの勇士というものだ」と言います。

その言葉通り、最期は関東軍百万の軍勢に対して「今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただひとつのみ。」と潔く突撃しその義の生き方を世の中に燦然と照らしていのちを燃やし尽くします。

幸村の軍は、大軍の中を突き破り最期は徳川家康の本陣まで辿り着きその馬印までなぎ倒します。その真田軍の姿に徳川家康は人生で二度自害を覚悟するほどの、ギリギリの状態に追い込まれたといいます。そして日本全国の武将たちが、その真田幸村の勇士を称え「真田日本一の兵」と呼ぶようになりました。この戦は、関東軍は結果としては勝ちましたがこの幸村の「義」によって半分は負けたとも言えます。「義」とは美しさがあり、後世まで歴史に燦然とその生き方を遺します。本来の武士の本文とは何か、武将の本質とは何か、そういうものを時代に流されず最期まで貫いた幸村こそ理念や初心を守り切った本物の義人です。この本物の義人のこの生き様はその後の日本の勇士やサムライたちの心に日本人としての美しい生き方を遺すという大勝利を収めたのです。

こういう生き方を通じて世の中で示す存在というのは、永遠にその存在価値が物語として遺り子々孫々の心に道が示されていきます。これは真田という一族を遺した兄と、真田という生き方を遺した弟の物語。しかしこの真田家に私はとても多く生き方を学ぶものがあります。

時代が変わっても、私はいつまでもこの真田の義の生き方に憧れ続けています。引き続き、子どもたちのためにもこの義の心が私たちの中にあることを伝承し自分の生き方を通して伝道していきたいと思います。

美しい精神~まことの人~

美しい精神というものがあります。日本の伝統文化の中で、遺っている職人やかかわった人物たちの生きざまの中にはそれがたくさん垣間見ることができます。自己の自己に対する誠実さというものは、その精神に美しさを感じるものです。

吉田兼好『徒然草』に「まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本より、賢愚・得失の境にをらざればなり」とあります。

このまことの人とは、賢愚得失などに左右されず自己に対してただ誠実な人であるということです。

他に真田幸村や上杉謙信、直江兼続、また松尾芭蕉、吉田松陰のように名を遺っている人物たちもまた利よりも義に生きた「まことの人」です。この義とは、私にとっては「精神」を重んじたということです。そしてこの精神とは何か、それは自他に対して誠実に生き切ったという真心の生き方を貫いたということです。

美しい精神というものは、古来より日本人がとても大切に尊んできた生き方です。自分の定められた生に対してその生を正しく全うする。つまりは、正直でありつづけて実直に生き切るということです。これを義と言います。その義を掲げて世の中に一本主柱を立てることを大義とも言います。

大義がなくなってしまえば、簡単に人間は精神が堕落し自分に妥協し他人に委ね、義を貫くことができずに自他に不誠実な生涯を送ることになります。誰が何と言おうと、自分自身が真心から誠実に取り組みたいと決心して覚悟したところを動かさないというところに美しい精神が宿ります。

仏陀は、その遺言において自燈明法燈明と言いました。これは私の解釈では他人ではなく自己を拠り所とせよ、そして誰が言うではなく心を拠り所とせよと言いました。つまりは自己を信じよということですが、そのためには心を磨き精神を高め続けて本物の正しい心をつかまなくてはなりません。

古来の先祖たちは、日ごろから簡素でシンプルな暮らしを通して常に自らの心に内省し、本来の心を見失わないように初心を守り理念を優先して歩んできたとも言えます。そしてそれを貫くために義を誓い、義に生きて生涯を歩んで道を切り拓いて子孫へと正道を譲ってきたのです。

美しい精神がなくなるということは、日本人らしさもまたなくなっていくということです。

自分のできることは少ないとしても、自分自身に対してどれだけ誠実であるかどうかは外界との闘いではなく、自分自身にどれだけ誠実であったという日々の修行と精進です。

引き続き、心身一如、清濁一如、透明な感性を磨きあげて日本の心、美しい精神に近づけるように精進していきたいと思います。