自然との調和

発酵を学びながら食も楽しむというのは人生の豊かさを増やしていくものです。
今年になってから、自然の学び直しの一環に菌や発酵を身近に観察しています。

生活の中に様々な菌を取り込んでいくことは、如何に調和や協力の中に自分を置いて学んでいくことと似ています。そもそもこの発酵という言葉には、熟すという意味があったり、醸すという言葉にも、環境という意味があります。

人生というところに照らしてみても、トータルで考えれば熟して醸すということが大切なことのように、この菌たちの不思議なミニマムな世界が如何に偉大な境地にまで関係しているのかと感じるとそこに自然の持つ霊妙な調和を感じてしまいます。

菌では腐敗と発酵というものに分かれていますが、人間の社会でも同じように闇と光というように陰陽をはっきりと区別しています。もともと、この定義はとても曖昧でとある国では腐敗したものを食べていたり、ある国では一切食べないというものもあります。

これは人間の好みだけではなく、それをその人たちとの風土や関係性によるのです。

この腐敗と発酵という関係は表裏一体になっています。

例えば、現在実践している自然農では畑には周囲の雑草を刈り緑肥として上にかぶせます。すると次第にその草が腐敗し土壌が発酵をはじめます。すると様々な虫たちがその下で暮らし始めて、さらなる発酵循環を繰り返していくのです。そしてそこには、腐敗もまた発酵であり、発酵もまた腐敗であるのです。

つまりは、この発酵も腐敗も実は同じものであり自然の調和ということになるのです。

私たちは、自然の調和の中で如何にそれを自分たちの生活に取り込むかで自分たちの在り方を常に確認してきたのであろうとも思います。自然から離れれば離れる程に、この発酵や腐敗との世界とは無縁になってきます。

最近の食品では、防腐剤といって腐らせないものを用いまた調和を制御し、イーストなども強引に発酵させるものを用いさらにまた調和を制御します。

天然酵母を育てたりしていく中で感じることは、私たちがどのように自然の調和の中での暮らす安心感を覚えるか、自然の一部であることの豊かさを味わうことを覚えるのです。

腐敗も発酵も自然であり、そしてこれもまたかんながらの道に繋がっている一つです。
私たちが観ていた八百万の神々も、このミニマムの世界に自ら溶け込むことで顕現されます。

私にはとても懐かしく、そして心安らぎ穏やかに感じる瞬間です。
たくさんの天啓をいただき、後からついてくる真実と実感に天命を感じています。

この世界の調和を鑑みながら、とても小さな偉大な神々から学びこんでいこうと思います。