護符の甦生

神社仏閣には護符や御守りというものがあります。もともとこの文字や文様などが記された紙、あるいは木、時には身に着けるものや石などですがこれはいつごろからはじまったのか。そして今はどのようになっているものなのかとふと考えてみました。

以前のブログで、お呪いのことを深めましたがこの護符や御守りも縄文時代まで辿れます。縄文時代に勾玉などを身に着けて、魔除けや邪気払いに使われてきました。その当時は、病気やケガや事故などは魔が差し込んでくることや邪に呑まれることなどを感得していたのでしょう。今でも、妖気が漂う場所にいると病気になったり、怨念めいた人間関係のなかで怪我や事故があることもあります。

現代の科学的な見地では、病気はウイルスによるものであることや場もカビや湿気などが問題であることなどを証明していますが果たして本当にそれだけかどうはまだわかりません。まだ科学では解明できていない方がほとんどで、その一部が解明されたら人間はそれがすべてだと勘違いするものです。

実際には、水も火もまだ本当のところはよくわかっていません。それに空気や光などもまだまだ未知の部分が大半です。人間は知識で少しでもわかるとそれがまるで全部のことを指すように勘違いします。先ほどの護符や御守りというものも、果たしてどのような効能と効果があるのかがまだほとんど解明されていません。

しかし現代でも、形を変えてアクセサリーになったり風水の道具として家具となったりと変容しながらも実生活の中に取り入れられ続けています。何千年も何万年も自然の篩にかけられるなかでなくならないというのはそれだけ何か価値や意味があり目には観えなくても何かを感じることができるから続いているということだと私は思います。

護符においては、道教がはじまりとされ中国で最も古い「符」は「五岳真経図」・「八会之書」というものがあります。それが日本に渡来し道教の符録という呪符を参考に発展していきます。御守りにおいても中国から入ってきたもので陰陽五行説を用いた陰陽道が起源だといいます。それが発展し、天文・暦・呪術・占星などの占いの教えを取り入れた修験道が興隆します。

修験道の開祖といわれる役行者は、陰陽道が入ってくる前から呪術的なものを使っていたといいます。道教の影響があったのかもしれませんが、私は古来日本では仙人道というものがありそれが起源ではないかと直観しています。

修験道では九字護身法というものがあります。これは「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」という九字の言葉を唱えるものでこれを用いて邪気を祓います。他にも式神といって鬼を使役したり、様々な護符や呪符があります。

今でもその名残はたくさんあり、現代でもその神札や御守りをみかけることがあります。ただ効率優先の世の中になると、プリンターで大量生産したり、そもそもの意味をよくわからず形だけで中身がなかったりする紛い物も増えてきました。実際に陰陽道も広がるとすぐに偽物が出てまるで本物のように数を増やして振舞いますから本流が傍流になり衰退していきます。

むかしから国民の方に迎合していく過程で、本物が消えていくというは古今変わらない事実です。しかし、実際に今でも護符を用いて病気を平癒したり邪気を祓えるという事実は変わりません。それは信心にもよりますが、それだけその意味を伝承されている方々によって大切に守られています。

英彦山は修験道のお山ですが、そのずっと以前は仙人をはじめ道教、陰陽道などが盛んな場所でした。それが和合して今の修験道になっていますが、本来がどのようなものであったのかを突き詰めていきたいと私は思っています。

護符においても、深めていきますので皆様にむかしの護符を甦生させて一緒に学び直していけたらと思います。

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