此岸と彼岸の道

昨日は春分の日、英彦山から夕陽を眺めているととても幻想的でこの日に相応しい風景を感じました。

もともと春分の日は、太陽が真東から出て真西に沈む日です。むかしから「此岸と彼岸が最も通じやすい日」といわれこの日に西に向かって拝むと、功徳が施されるとも信じられていたそうです。そこで春分の中日を中心に供養を行うようになりました。

これからの時期はお墓参りなどを行う人も増えてきます。不思議なことですが、私たちは現代になってもむかしから習わしの影響を受けているものです。英彦山で守靜坊のしだれ桜も咲きますがかつてはこの時季に檀家さんたちが集まりご先祖様の供養を桜と共に行っていたとお聴きしたことがあります。

確かに宿坊から眺める桜と夕陽はまるで極楽浄土のような美しさがあります。特にこの時季は清々しさだけでなく、何か不思議な光が場に揺られ溜まっているような景色が顕れます。

極楽浄土というのは浄土思想というもので、もともと西方にあり、西方に沈む太陽を礼拝することで煩悩を払い西に沈む太陽に祈りを捧げ、極楽浄土へ心を寄せるというものです。似ているものに天国がありますがあれはキリスト教の思想です。

この極楽浄土というものは、「浄土三部経」の中の「仏説阿弥陀経」の中に詳しく説かれています。かつて阿弥陀如来が悟りを開いたのちに西方十万億仏土の彼方に浄土を作り現在もこの極楽浄土で人々を救うために説法をしているという場所です。

清浄で美しく、平安で豊かな場所。

自然のもっとも美しく和合しているような環境ではないかと想像できます。かつては英彦山に詣でる方々が、銅の鳥居の前まで来るとそこで涙を流しようやく極楽浄土に辿り着きましたと感謝で歓喜していたとお聴きしました。山伏たちもその環境が壊れないようにと丁寧に場を調え、場を清め、極楽浄土であるようにと暮らしを紡いできたのでしょう。

現代は一般的には人間都合で便利な世の中ですし、あまり死に直面することもなく極楽浄土の意識をあまり持つことはありません。しかし、この英彦山のしだれ桜や守静坊で暮らしているといつも極楽浄土のことを意識してしまいます。それはこの場所が、長い年月をかけてずっと太陽を通して此岸と彼岸で極楽浄土の道へと導いてきたからかもしれません。

守静坊のサクラ祭りが間もなく開催されますが、しだれ桜と合わせて夕陽や太陽、そして場に触れて極楽浄土を感じて徳を積みご先祖様に思いを馳せてご供養できることを有難く思います。

日本人が長い時間をかけて醸成してきた習わしの中に、懐かしい未来は今も生きています。皆様とお会いできるのを心から楽しみにしています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です