現在、故郷の郷土料理を甦生していますが色々と新しい発見ばかりです。そもそも郷土料理は、どのように誕生したのかを自分で手掛けていると色々と感じることがあります。その土地の人が、どの場所で産まれ育ち、その土地にしかないものをどうやって美味しく食べてきたか。
郷土料理はただ地域のものを食べたのではなく、それをどのように美味しく食べたかということにも由ります。発酵食品なども保存するためのものだけではなく、美味しかったから発酵食品になったともいえます。美味しくて長く食べられるというのは仕合せと直結しています。
以前、コロナに感染したときに味覚がなくなったことがあります。何を食べてもゴムのような味わいであまりにも辛くて暮らしの景色が白黒になりました。それくらい味がないというのはつらいことで、私たちは味覚があるからこそ美味しいと感じ、美味しいと感じるからこそ喜びを味わえるのです。
その土地の味わい方というものが郷土料理には出てきます。私は故郷を愛し、自分でこの土地で育ててきた伝統在来種の高菜を深く尊敬しています。高菜は漬物という認識やご飯の脇役などという人もいますが、私にとっては主役そのものです。
この主役がどのようになったら美味しくなるのかを追及していたら、新しい郷土料理が誕生しました。ある人は、ここは何も目新しいものがないとか目玉がないとか、温泉がないとか観光に向かないとかいう人もいます。その土地に住んでいながらもったいない暮らしをしているなと感じるばかりです。
いるところ、自分の場所や土地が最幸だと信じている生き方をしている人は毎日がキラキラを美しいものにばかりに出会い感動の日々を過ごします。そうではない人は、自分の土地や故郷を蔑んで文句や不平不満ばかり言います。こうなってくると、もはや生き方の話であり故郷は土地は関係がないことに気づくものです。
不思議なことですが、今居る場所が素晴らしいと信じる人や、今居る場所こそ最幸の場所、この土地で誕生したものはすべて美しい徳を持っていると感じる人たちは観える景色が変わり、そして食べ物の味も変えていくのです。
つまり郷土料理とは、その郷土で育まれた人の生き方の結晶ということでしょう。
他の郷土料理とは比べるものではありませんが、故郷の誇りと郷土料理への尊敬を思いこれから新しい郷土料理を子孫たちへと伝承していきたいと思います。
