世の中には、肩書や権威、資格などを持っていなくても本物の実力を持っている人がいます。否、むしろ持っていない人物の方が真実で純度が澄み切っている人が多いように思います。肩書を含め、権威というものは外から見てその人を評価する一つの基準です。言い換えれば、基準を決めるモノサシがあってこそです。その基準を決めたのは、本人ではなく外部の客観的な評価です。
例えば、お金持ちなどは分かりやすく数字や規模、持っている資産などで評価されます。しかし真に豊かな人となると評価はできません。それはその人本人のことで、外部からの評価とは関係がありません。
いくらお金を持っていても、豊かとは限りません。またお金と関係がなくても豊かとは限りません。真の豊かさというのは、実際には周囲の評価ではなくその人の生き方の中に存在するものです。
その生き方の豊かさは、その人の心の純度などに出てくるものです。
私はむかしから肩書や権威のことにあまり関心がありません。それに資格なども必要としません。商売をしたり職業にしたりするのであれば、あると便利でしょうがそのことから自分の本質を保つことが難しくなるのであればデメリットの方が多くあります。
誰かにつけられた評価は、わかりやすいものかもしれませんが実際には本当の自分、真実の自己とは程遠いものです。本質は分類わけできず、括ることもできません。人間は、何でもそれっぽく見えるものを特定の単語で評価します。
白衣を着ていたらお医者さん、僧衣を着て坊主にしていたら僧侶。しかしその人は、本当の医者か、そして本物の僧侶かは外見だけで判断したということです。そして資格があったり権威があれば偉いと思い込みますが、何が偉いのか。その偉いのは、実際の生き方と何か関係があるのか。政治的な上下や格差の判断基準で用いられているだけではないのかなども感じるのです。
結局は、人間はその人の徳によりその人を理解するのが一番ではないかと思います。
肩書や権威、資格などなくてもその人の向き合い方や生きざま、そして作品などにその正体がはっきりと明かされているからです。そもそも比べられないものを比べようとするところに偽物と本物の違いがあります。真の本物とは比べることができない唯一の存在だということです。本物風は結局、本物と比べて偽物に対して本物よりだから本物風ということでしょう。
そもそも誰もが本物です。
本物を磨き、本物であることに誇りをもって子孫のために歩んでいきたいと思います。
