徳の循環といのちの螺旋

私たちはすぐにあれもこれもと欲望から足し算になっていくものです。そしてあれが足りない、これが足りないと不足を思います。この不足を思うというの足し算の生き方をしているということです。それを続けていたら、ないものねだりばかりをしてはあるものに氣づくことができません。もはや手に持っていても、持っていないと忘れています。この忘れるという行為は、別のものに意識がいっているからです。

よく足元を見つめよという言葉や、立ち止まって考えろという言葉もあります。これも忘れていたものを思い出すような金言の一つです。

満たされない思いや充たされていないという欲は増大するばかりで減ることはありません。人類はずっとこの欲望の螺旋と向き合ってきました。もっともっとと求めては、まだ足りないといって際限がなく増大させていきます。

この反対に引き算になっていくものもあります。これを捨てるとかあれを捨てるなどいって削っていくのもまた引き算のように思います。しかし本質は、足るを知るということをいい、初心を忘れないということでもあります。

すでにあるものに感謝をしたり、自分にしか与えられていない存在価値に氣づいたり、あるいは周囲のご縁が唯一無二であること、先祖や先人たちの徳が与えられていることなど、すでにいただいているものを思い出す生き方のことです。

私が場づくりで取り組んでいるのは、極端に言えばこの一点だけです。

私は子どもを丸ごと信じるという信条を持ち、25年間、子ども第一義の理念を掲げて子ども心を守り子どもの憧れる大人や未来のために社業と生き方に取り組んできました。

だからこそ子どもに忘れてほしくないことがあり、その周囲の大人にも思い出してほしいことがある。その願いと祈りが今の私の暮らしフルネスや場づくりに投影されています。

この世界は完璧ではなくても完全であるという事実。存在価値そのものが美しく素晴らしいという事実。人間は調和を學び、本来の在り方や生き方を思い出せば平和は身近から宇宙まで広がっていきます。

引き続き、丁寧に日常の暮らしを徳の循環といのちの螺旋と共に思い出していきたいと思います。

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