湿地の徳

自然の仕組みで稲を育てていると、野生稲が育った環境のことを思います。かつて人類は1万年以上前から、湿地に生えた野生の稲を採集して食料としてきました。その頃は、人工的に育てるのではなく自然の恩恵を分けていただくように採集が主流だったといいます。

湿地が、人類が生き残るのにとても価値があると氣づいた先人たちが今の水田につながる発明をすることになります。

そもそも湿地の定義は、ラムサール条約(1971年採択)にこう記されます。「湿地とは、天然または人工、永続的または一時的な、沼沢地、湿原、泥炭地または水域であって、水が静止しているか流れているか、淡水・汽水・海水であるかを問わず、干潮時の水深が6メートルを超えない海域を含む場所である。」と

湿地というのは、自然が産み出した生態系のゆりかごの一つです。一年を通してお水が流れる河川の周辺に存在する陸との境界にある場のことです。

この場では、様々な生態系が豊富に活動しあらゆる恵みを運んできます。これは海も等しく、大海原の真ん中に生態系が豊富なのではなく陸と海の境界の場にこそ豊かに存在しています。絶妙なバランスを保つところにこそ、いのちが躍動し豊かな生態系が耀きます。

その場から人類は学び、自然の知恵や仕組みを人工的に編み出したのが水田稲作の仕組みです。

改めて稲とはどのようなものかとはっきりと存在を理解すると、稲は湿地性植物であり、水生植物ではないということです。

つい幼い頃から、水田の中にいるので水中の植物だろうと思い込んでいたりするものです。しかし実際には、水中にいるというのは洪水が起きたときなどの一時期であってほとんどは水中の中では育っていません。敢えて水中でも耐えられるように、茎の中に「通氣組織」というスポンジ状の組織を発達させたくらいです。本来の稲は、常に湿地にいて水が湿った泥の中に存在する植物ということです。

湿地は、どのように自然の共生を産み出しているか。そして湿地の徳とは何か、それは水を浄化し、洪水を防ぎ、地下水を育て、炭素を蓄え、生き物を育て、人をも育てます。

湿地の御蔭で、私たちは循環を豊かにしいのちを元氣に育むことができました。しかし現代は、激しく湿地が失われています。最新のGlobal Wetland Outlook 2025(ラムサール条約)では1970年以降だけで約4億1,100万ヘクタールの湿地が失われ、年間約0.52%というペースで減少が続いているといいます。この失われた広さは、ヨーロッパ連合の面積に匹敵する広さです。そして湿地も弱り、かつていのちを育んでいた場力も失われているといいます。これは、湿地に限らず海の周辺でも同様です。人類の未来は、流域の消失と共に淘汰されていくのかもしれません。

稲の話に戻れば、稲は言い換えれば私たちが湿地を守る為に必要なパートナーです。稲があるから私たちは人工的な湿地を守ろうとすることもできます。湿地はいのちそのものです。

私たちの暮らしを支えているすべての生命や生態系の場をどのように守っていくか、これは神社の杜を守ることと同様です。どの視座で、稲作に取り組むかは生き方が決めます。

むかしの五穀田では、本物の湿地に近づけようとお水の流れや巡り、循環を研究する実践道場として仲間と学び合うことにしています。次回の草取りでは、その辺のことを私なりに氣づいたことを話していきたいと思います。

 

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