徳の周波数~暮らしフルネスの智慧

今、私は水鳥が飛来してくるような場所に住んでいて朝から様々な鳥の鳴き声が聞こえてきます。特にこの時期は、繁殖期でもありとても賑やかです。また耳を澄ますと小さな虫の羽音や植物の葉が風で擦れているような音も聴こえます。池の周りを歩いている人の話し声、車が通りすぎるエンジンやタイヤの音もたまに混ざります。

夜中にふと目が覚めるとそういう音は聞こえてきません。ただ、頭の中に響いているようなキーンという一定の響きだけが聞こえてきます。無音というものはそう考えてみるとありません。そして周波数もなくなることはありません。それはすべてのものは音を発しているということになります。

そして振動というものがあります。二つ以上の周波数が混ざり合って振動するというものです。音楽などはあらゆる音が振動して共鳴することで成り立ちます。鳥がお互いに鳴き合っていたらもはやそれは音楽ともいえます。

また地球上にあらゆる音が流れるとそれも音楽です。海の音、太陽が昇る音、風の音や地震、雷や雪などあらゆるものが自然の音を奏でています。周波数というのは、その存在そのものを顕現するように思います。

これはどんな周波数だろうかと私たちは音を聴きます。それは対話でも同じく、場を味わうときも同じです。そこに流れている周波数を通して、そのものの正体を察知することができるのです。

ある意味、すべての物質も周波数を常に奏でています。そして同時にそれが集まれば振動となります。どのような共鳴をするか、どのような調和をするかは、その周波数を感じる人によって調整、調律されるのです。

私は、手で調整や調律をします。それをお手入れともいいます。一つ一つのものを手で触り、それを磨き調えて適切に配置してそのものがそのものであるように、そして持ち味が活かせるように配置していきます。そのものがもっとも喜んでいるとき、喜びの周波数が出てきます。その喜びの周波数を自分が同時に喜んでいるとき、そこに徳の周波数が発生します。

徳の周波数を大切にすれば、人はその徳に目覚め徳の素晴らしさに感動するのです。引き続きこの知恵を子孫へと場を通して伝承していきたいと思います。

伝統の魂

現在、英彦山の宿坊での暮らしを調えていくなかでかつてその場所で行われていたことを一つ一つを甦生させています。その中で、学び直すことが多く私たちの先人たちがどのような伝統を創造してきたかも気づき直しています。

知識というものは、先に持つこともできますが実際には後で持つ方がためになります。何のためになるかといえば、革新するときのためになるのです。先に伝統を学ぶのではなく、先に伝統に親しむ方が後から変化させることが容易くできます。

私の場合は、場から学び、そのものから理解する癖があり体験を重視し気づきを尊重するので知識が後になることがほとんどです。このブログも、後の知識であることがほとんとで先には親しむだけです。この親しむというものも、素直さが必要でありよくそのものに使われるような謙虚な気持ちがなければなかなかそうならないものです。

よく考えてみると、幼い子どもたちは先に知識がありません。そのものからよく使われているうちに次第に知識が集まり習熟していきます。発達というのは、そのものであるということでしょう。

また伝統というものは、誰かがそれをはじめに創造してそれが時間をかけて繰り返される中で育まれていくものです。しかし気が付くと、形ばかりに囚われて中身がないものがたくさん出てきます。この時の中身とは何か、それは魂ともいえるものです。

かつて柔道の父といわれる嘉納治五郎氏が「伝統とは形を継承することを言わず、その魂を、その精神を継承することを言う」と仰っていました。まさに私も全く同感で伝統だけを保存することに何の意味があるのかと感じます。保存というのは、活かすことであり単にショーケースに居れたり形だけを保ち続けることではないのです。

そこには魂が宿るのですから、その魂を受け継ぐことが真に伝統を革新しているということになると私は思います。

また南方熊楠がこうもいいました。「森を破壊して、何の伝統ぞ。何の神道ぞ。何の日本ぞ。」と。そもそも伝統が最優先ではなく、子孫や自然を如何に守るかということでしょう。その手段としての伝統や神道などがあるということでしょう。

そもそも何のために伝統があるのかを考えれば、そこには守りたいものがあるからでありその守りたいものを守るところに魂があるということです。

伝統の魂を守ることを伝承ともいいます。伝承には純度が必要でそこには魂が宿っていることが最低であり絶対条件でしょう。周囲がどういおうと信念をもって実践できるかどうかが志の登竜門ということでしょう。

引き続き、子孫のためにも英彦山で伝統の革新を続けていきたいと思います。

墨の智慧

昨日は、英彦山の守静坊で8回目の仙人苦楽部を行いました。今回は山水画の仙人でしたが4時間ほどの知恵を共にしましたが深い体験ができました。参加した方々はみんな山水画ははじめてでしたが、そのどの画にもその人らしさをはじめ場で得た境地を拝見することができました。

最初は仙人からの山水画とは何かという話にはじまり墨の濃淡のこと、筆の持ち方、そして画き方などの基本についてのお話をいただきました。とても謙虚に、山水画の楽しみや喜び、画の持つ妙味を全身でお伝えいただきました。

そしてみんな画への苦手意識など全く気にならず、それぞれが没頭してテーマに対して楽しく集中して画き楽しみ喜びあいました。守静坊英彦山の場の力もあり美しい新緑の光や風に見守られ一期一会の山水画のお時間を過ごしました。

また仙人がライブでこの英彦山と守静坊と仙人を即興で画きあげてくださって、その雰囲気にみんな深く魅了されました。

私たちは画いてみるときはじめて深く観察します。ただ見ているのと観ているのとではまったく異なるということ。そして美しさや自然というものを感じるのは、相性がありその相性そのものを通して和合していく豊かさ。さらには、現実にこだわらず理想を自由に画くことの大切さなどの素晴らしさを学び直すことができました。

私は炭大好きですが、この墨も同様に深く愛しています。この墨が画く濃淡には、火の心があります。この火は、消えているようでも墨に残存しているものです。その火を、水で濃淡を調整してそこにいのちを宿します。まさひ火水(カミ)の業です。墨はその神がかる力があるのを直感します。

この墨を用いて画くものは、私にはとても相性がよさそうです。これから少しずつ仙人から学んだ知恵を掘り下げて、場をさらに磨き上げていきたいと思います。

ありがとうございました。

暮らしフルネス 掃除の意味

暮らしフルネスの中では、よく掃除をします。掃除というよりもお手入れという言い方の方が多くしますが、これには色々な理由があります。また道具もむかしの日本の職人たちがつくった和帚を使います。現代は、箒も中国産や東南アジア産ですぐに壊れますが安いものがたくさんホームセンターで販売しています。便利ですがすぐに傷むのでどうしても使い捨てになります。さらには掃除機が普及したことで、余計にむかしの道具は消えています。日本で箒職人さんというのはほとんど見かけなくなりました。

手間暇かかる自然の道具は、時間も労力もそして技もいるので安い海外産が入ってくるとどうしても駆逐されていきます。畳なども同様です。しかし畳の時も同じで、伝統の和のものは本来は日本の風土を活かした風土と一体になった暮らしの中で循環する大切な暮らしそのものでした。

日本の暮らしを味わうためには、先人の生き方に倣いその先人の知恵を尊敬のままに活用することで感得できるものです。そういう意味で、掃除というものは知恵の宝庫です。

もともと掃除という言葉の由来を調べていると、中国からのものであることがわかります。この時の掃除は、廟の中を祓い清めるために行いました。もともと箒というという字も「ほうき」は「ははき」の音が変化したもので「ははき」は、古くは鳥の羽を用いたところから「羽掃き」となったとあります。その道具は棒の先端に細かい枝葉などを束ねて取り付けたものです。

これを「帚(そう)」と呼び、そこに酒をふりかけるなどして廟を神聖に保ちました。この字に竹を冠したものが「箒」でその異体字として「草」を冠した「菷」の字になりさらに「手」にとって廟の中を祓い清めたら「掃」となります。そして「掃除」の「除」は“あまねく”という意味で、神聖な場所を余すところなく掃き清めるということです。

特に禅宗では「一掃除二信心」というように掃除こそすべての修行の先であるともいわれます。和箒となると、神道ではもともと箒神(ははきがみ)という産神(うぐがみ、出産に関係のある神様)が宿ると信じられていました。古事記にも「玉箒(たまほうき)」や「帚持(ははきもち)」という言葉で表現され祭祀用の道具として用いられていました。

それだけ掃除や箒は、神聖なものということでしょう。仏教でも周利槃特といって掃除で悟りを開いた方がおられました。掃除という儀式や実践そのものが信仰の原点であるというのもよくわかります。

私も古民家甦生を通して、実際にやっているほとんどは掃除の実践です。本当に驚くほど、掃除とお手入れしかしていません。しかしそれが何よりも家が喜ぶことになり、自分も場も喜びます。

色々と情報化社会で便利でお金で何でも買える世の中になっていますが、掃除もメンテナンスや掃除屋さんに頼んでは強烈な薬品や業務用の掃除機やブロアーで吹き飛ばすようなことが盛んです。時短で効率優先というのは、掃除や和帚にそもそもの意味がなくなってしまえばそうなるのは当然です。

時代が変わっても、初心を忘れないこと、意味を場に留めることは伝統や伝承に関わる人たちの大切な責任と使命であろうとも私は思います。時代の流行や日々の喧騒に流されないように丁寧に暮らしを紡いでいきたいと思います。

場の道場

私は徳積循環の経済を甦生するために様々な活動をしています。その中心には「場」があります。この場とは、徳の場のことです。この徳の場というのは、そもそも場には徳が宿るという意味です。そしてこの宿る場には何があるのかといえば「いのち」があるということです。

現代は、いのちが空洞化してすべて物や具になっています。本来は物にも具にもいのちがあります。それを証明する言葉が「道」です。この人の道が失われてきている時代だからこそ、私は徳を再解釈、再定義する必要を感じたのです。

それを暮らしフルネスという思想の実践によって実現しているのが私の場です。しかし現代、この場というものへの認識は非常に希薄であることを感じます。その理由は、その場からもいのちが失われているからです。

そもそも「いのち」というものは何か、そして「徳」というものが何か、これもすんなり理解することが難しくなっています。そしてそれを実践するなかで「こころ」という存在もあります。私たちの日々に過ごす暮らしのなかには本来はこのこころ、いのち、いわゆる徳というものが循環しています。

それを単なる物や具として、いのちが宿らずに空洞化するとき場も単なる場のようなものになります。それを和風のように場風と呼んでもいいかもしれません。

有難いことに、聴福庵をはじめ私が実践する場にくると場を瞬時に感じられる人もいます。そういう人たちは、先ほどのいのちを場に感じています。

私が場の道場で実践するものは、言葉にしていませんが共に暮らしを通して学べる仕組みになっています。この価値は、今の物や具の社会では推し量る評価がまだありません。いのちの価値や徳の価値を一般的にどう量るのか、これは現代の一代限りの私的欲望を追及する歪んだ個人主義のなかでは滑稽にすら思われることです。

しかしそれは本物の「場」に入れば、そうはなりません。それだけ場には全てが宿るのです。単なる宿泊施設でもなく、単なる家でも社屋でもなく、場を感じることが大切なのです。

と、こうやって言葉にしても場は伝えられませんから場に来ていただくしかありません。ご縁に導かれつつ、子孫や場が必要な人たちにいのちや徳の循環を伝承していきたいと思います。

原初の感覚

今年は辰年ということもあり、龍とのご縁が増えているとブログでも書きましたが引き続きあまりにも龍に関することが次々に発生するので色々と深めています。

私の場合は、スピリチュアルでもなく特定の宗教への信仰があるわけではなく感覚や歴史を掘り下げていくことで好奇心に委ねながら学び直していきますが学術的かというとそういうわけでもなく自然から教えていただいたものをどう汲み取るかということを大事にしています。

例えば、英彦山の守静坊に滞在しお山やお水とずっと心を澄ませて触れていきます。すると、次第に月が身近に感じるようになり龍という存在とのご縁が増えていきます。龍が増えていくと、次第に役行者や瀬織津姫、あるいは弁財天など神仏混淆したものとのつながりが出てきて次第に出雲族のことや海神族、龍蛇族のことなどのことを深めていきます。また魏志倭人伝にある邪馬台国のことや、一支国のことが出てきます。ルーツというものは、今も繋がっていて辿っていくと原始や原初の存在に巡り会うようにも思います。

これは自分というものの存在も同じです。先祖を辿れば、先祖が通ってきた道を実感することができます。今の自分の存在の個性や魂が望んでいることや出来事、あるいはご縁のある人たちとの関係をよく観察して直観するとその理由があることがわかります。すべてのことは認知していないだけで、今、こうなっていることは全ては理由がありご縁があることしかこの世にはありません。

人間は不思議ですが、同じようなことを何回も生まれ変わり体験しその記憶を思い出し鮮明に甦生させているだけともいえます。時間というものの概念をもしも取り払うのなら、私たちの記憶こそが実体の正体でもありその記憶のために体験を続けているともいえます。

話を戻せば、龍というのは、月であり、水であり、夜であり、山であり海でもあります。夜の月明かりに照らされた海の一筋のゆらぐ光ともいえます。漆黒の闇を導く透明な光です。

私たちの心が澄んでいるのなら、龍はそこに顕現してきます。古代の人たち、あるいは原初の先祖たちは龍を感じていつも生きていたように私は思います。時代がどう変化しても、原初の感覚を研ぎ澄ましてかんながらの道を歩んでいきたいと思います。

むかしのお米作りと暮らし

むかしのお米作りを深めていくなかでその歴史や変遷を見ていると面白いことが分かってきます。時代がよく反映されていて、道具や仕組みも変わってきます。縄文時代や弥生時代などは、そのまま種もみを田んぼに蒔いてあとは木製の道具や石包丁などで育て収穫しました。土器なども発明され稲作が普及していきました。最初は御粥のようにして食べられ、そのあとは蒸し米として食べていました。

奈良時代や平安時代には、炊いて食べるようなご飯になっていたといいます。その頃の農業は、水車や牛馬をつかってまた鉄器がでてきて作業効率もあがったといいます。

そして江戸時代に入ると品種改良や農機具の改良が進みます。よく見かける「千歯扱き」や耕作のための「備中鍬」、お米をふるい分ける「唐箕」や「千石通し」、足で踏んで水車を動かす「踏車」など田舎の歴史資料館によく展示されています。

そして明治に入り、税収がお米からお金になってからさらに農業は改良され電気や石油、肥料も農薬も科学的に革新され今の仕組みに変わります。大きかったのは農機具の革新で「田植え機」が発明されたことでした。それまで長さが30cmほどもある大きな苗(成苗)を使ってできなかったのが1965年前後に現在のような10cm程度の「稚苗(ちびょう)」によって実現しました。むかしは、成苗で植えていたというのも驚きです。

そう考えてみると、機械化してからの革新とそれまでの発展はまた別の種類であることがわかります。機械化というのは、合理的なものを追及していきますからあまり自然的な要素は入ってきません。牛馬を使うというのは、生き物ですから体調もありまうし個性もまた精神などもあり機嫌を損ねず関係性を大切にしながら扱います。もちろん機械にはそれがないというわけではありませんが、自然物というよりも人工物ですから扱い方も異なります。

古風な人たちは、機械にもいのちが宿っているという考え方を持っているといいます。私の周囲も伝統職人さんが多いのですが、使う道具一つ一つをいのちがあるように大切に扱います。しかし、そうではなく加工食品やビニール袋などの大量生産品はすぐに捨ててしまいます。つまり機械化かどうかの問題でもないなということです。希少価値があるものを大切にし、大量になれば捨てるという感じでしょうか。

物の価値というものは、大量生産することによって変わってきます。大量生産するときに、同時に価値を下げているという矛盾があるのはお金の影響を受けてからでしょう。お米が通貨だった時代は、生きている種ですから永遠に保存もできませんし、みんなでまたその種を食べ、蒔いて育てるのですから意識的に循環しようと思うものです。

近代の革新というものは、自然を排除し人工的なものを軸にして社会を形成させていったことでしょう。そのことで自然との歪が広がっていきました。

今更、手植えや牛馬でやれというのも無理があります。しかし、自然と調和していこうとする暮らし方は見直していくことで自然も人の心も豊かになっていくのではないかと私は思います。自然との調和は、決して休日に山登りするとか海にレジャーにいくことという意味ではなく自然のリズムで自然と共生しながら暮らす仕組みを日常的に味わうような環境をととのえていくことだと私は思います。

言い換えれば、自分が自然から離れないような関係を暮らしの中で結び直していくということです。例えば自然の持つ温度変化に対して自分も自然の一部として共に味わうということ。何でも総合空調や気密性の高い住宅だけに住むのではなく、自然の温度変化の中に自分の身を置いてみることもいいでしょうし、一年の巡りを共にする野菜や果物などを育ててそれに合わせてみるのもいいでしょう。

私がむかしの田んぼに取り組む理由の一つは、お米のリズムと一緒に一年を過ごしていきたいからです。私たちが食べているもの、活かされているものと共に育し、年々の巡りを共にして一生を終えるというのはそれだけで豊かで仕合せなことです。

子どもたちにも、そういう自然の巡りや暮らしを伝承していきたいと思います。

むかしの田んぼ

今日は、千葉県神崎にあるカグヤのむかしの田んぼで田植えが行われます。今朝から雨が降っており、雨模様の中での田植えになります。しかしよく考えてみると田植えというのは本来は雨の日が多かったいいます。その理由は、水が豊富な地域なら問題ありませんが水が少ない地域は雨次第では田植えができなかったからです。

私もお米作りをはじめてから最初に水利権のことを色々と聞かされました。物騒な話ですが、農家は水で争い人が亡くなることもあったとも。それくらい水の取り合いには大変な苦労があったといいます。

少し想像してみるとわかります。雨が降らなければ田んぼに水をはることができません。いくら苗を育ててみても、田んぼの方へ植えることができなければお米は育ちません。

雨は自然のものですから、むかしは雨乞いといってご祈祷をしたりみんなで手分けして水を運んで流し入れたり、井戸をくみ上げて流したりと本当に大変な状態を乗り越えてきたように思います。

それに田植えとなると、雨の降る短い期間でやり遂げないといけませんが大勢で一気に田植えをします。この期間は、雨の中、ずぶ濡れになりながらみんなで協力して田植えをしたのでしょう。

私たちはお米がある御蔭で生きていくことができます。お金があってもお米がなければ生きていけません。それにお米がなければ加工品もできませんから、御餅もお酒も麹菌を培養することなどもできません。

お米というのは、お水や空気と同じくらい今の私たちの生活を根元から支えているものです。特に高温多湿で水の多い島国の日本では、稲作は私たちをずっと助けてきました。時代が変わっても、助けられてきたものの存在を忘れないということもあって私たちの会社ではむかしの田んぼの取り組みを実践しています。

今の時代は、自然に合わせるよりも自然を征服するような技術革新を続けてきました。雨が降ってなくてもなんとかでき、機械で人手がなくても田植えができ、肥料や農薬で除草や生育を促します。そのために大量の費用と材料が必要でお金がなければ実現しない農法になっています。お金で自然を征服することに努めてきた時代ともいえます。

しかし自然から離れることで、得たものと同時に失ったものがたくさんあることがわかります。それは田んぼの地力であったり、人々の真心や協力、絆や助け合いであったり、元氣の漲る生命力のある種であったり、コスパやタイパではない真の豊かさや喜びであったりと本来得られていたお米の陰の役割が消えていきました。

今でも私たちの家々の神棚にはしめ縄があります。そしてお米やお酒なども奉納しています。ここには、単に食べる物としてのお米の役割ではないことが言葉でなくても形になって私たちにその恩恵や徳が授かっていることに気づくものです。

子どもたちに大切なことをそのままに継承していけるように、生き方と働き方を丁寧に紡いでいきたいと思います。

贈与経済2.0の学び

昨日は、ご縁あって贈与経済2.0の講演会に参加してきました。世の中にある当たり前を疑い、その当たり前を考えて問い直すという生き方をされている荒谷大輔さんとお会いしました。ご著書はまだ拝読していませんが、哲学を哲学で終わらせず現実の社会でどう役立てるのかということに取り組まれておられ共感することばかりでした。

この贈与経済2.0はシンプルに言うと、日本銀行券を哲学的に考え見る中で近代の問題に気付きそれを分析したところからはじまったとも仰っておられました。

資本主義経済というものが最初からあったかのように私たちは当たり前にその空気を吸っては疑いもしませんが、かつてはそれとは別の常識やルールもあったということです。資本主義以前の経済がどのようなものか、私たちは正しく歴史を省みて善いものは伝承し、変えるべきところは勇気をもって変えることで次世代への真の贈与が成り立つと私は思っています。

人間というものは、産まれてきて見た世界がはじめからずっとそうであったかのように認識するものです。それだけ環境に依存する動物であるともいえます。さらに教育を施されていき、社会や周囲の大多数の人たちの価値観が当たり前になっていきます。この当たり前というのは、言い換えれば自然というものです。しかしこの自然が本当に自然だとわかるかというのは、この世一生の学問の中心にあるものです。

なぜなら自然というのは、人間が形式知や分別知で理解するものとは異なるからです。むかしの日本人は自然と共生して自然を暮らしに丁寧に編み取り込んでいました。その証拠に日本語はとてもゆるい自然の言葉がたくさんあり、それを先人たちは言霊とも呼びました。現代ではその言霊などというと、怪しい宗教だといわれるのが当たり前にもなっています。日本人の智慧の結晶ともいえる伝統家屋も絶妙に自然との境界を結んでいました。

かつてどうだったかを知るというのは、学びの削除のような刷り込みや思い込みや常識からの脱却が必要です。私たち人間が生きた歴史を学ぶのは、人間の学び直しが必要だからです。知識は詰め込むことだけが学びではなく、むしろ忘れたり本来の原点を思い出したり、感覚を通して世の中を見つめ直したりと気づきを中心に据えた方が真実に近づけるようにも思います。

もしも人間の寿命が1000年くらいあれば、まだかつてを思い出すのでしょうか。私はたまたま幸運にも古民家や宿坊、その他の文化的で歴史的なもの、あるいは1200年以上続く伝統在来種の種を守る活動を通していつも1000年くらいの時間軸を内包する機会をいただいています。

その御蔭で子孫のために代々が自分の生涯を捧げてくださったことで徳が巡るのを実感することができました。また実践を重ねることで自分の代への執着が減り続けています。仕合せというのは、先人からいただいた徳に見守られ、次世代へその徳を推譲するときにもっとも満ち足りるものです。私は私だけど私は先祖そのものであり、そして同時に子孫そのものでもあるのです。

私のこれまでの徳積に学んだ知恵がお役に立てるのは本当に有難いことです。徳は孤ならず必ず隣あるものも生きた歴史です。これからも丹誠を籠めて徳積道を歩んでいきたいと思います。

原初の信仰

私は幼い頃から「龍」というものにご縁が深くあります。生まれたのも辰年辰の刻というのもありますが、氏神様は八龍権現でご縁のある神社や場所は龍ばかりが祀られています。今、住んでいるところも八龍権現池の麓で古民家甦生で取り組む場所も龍とご縁の深い場所ばかりです。

改めて考えてみると、小さな頃から龍が好きで川や池や空を眺めては龍を探していました。龍を観たなかで最も記憶にあるのは、隣家が火事で全焼したときです。この時、私は一生懸命に小さなホースで自分の住んでいる家に燃え移らないように放水していました。身体が焼けるような熱気と燃えた瓦が割れて飛んできて死を意識したあるとき、物凄い突風が吹いて空を眺めると巨大な龍が舞い上がりそのあと雨が降り出して火が消えていきました。また消化後、その当時に庭にお祀りしていた龍の護符はどこかに飛んでいきお水をお供えしていた盃も割れていました。

不思議な体験でしたが、あの時のことは忘れることはありません。客観的には火事で燃えているから煙で上昇気流が発生して放水していた水が降ったのだろうと言われそうなものですが、明らかに風や水が何かを守ろうとする意志を感じて龍に観えたのかもしれません。その龍が観えたあと火事はその後は力を失い、私の周囲も風向きが変わり無事に燃え移らず怪我もありませんでした。その後も、何度も風と水が舞うところで龍のような姿を見かけます。水の化身ともいえる氣の流れともいえます。

改めてむかしからいるこの龍とは何かということを少し深めてみようと思います。

先日、弁財天のことをブログで書きましたがこの弁財天と龍神というのは深いご縁があります。日本の各地には、龍神と共に弁財天が祀られているところがたくさんあります。私が現在、お祀りしている妙見神社は八大龍王で英彦山の宿坊は弁財天です。日本最古の八大龍王と弁財天をお祀りする神社は、日本最古の神道の信仰の形を残すと言われる大神神社の摂社の龗神神社(おかみのかみじんじゃ)です。

妙見神社は、闇龗神(くらおかみのかみ)が祀られます。同じ神様で別名の高龗神(たかおかみのかみ)があります。これは名前は違えど同じ神様です。「高龗神」は山の峰の龍神、「闇龗神」は谷底に棲まれる龍神といわれます。水を司るという意味では、龍神も弁財天もこの龗神も同じ神様です。タカは鷹で、クラは坐するです。水を司る神様が居ると意味です。神仏習合というのは、別の呼び名が合わさっても意味は同一であるということです。

そして八大龍王は法華経に登場し仏教を守護する神様です。天竜八部衆に所属する竜族の8体の龍の神様です。8体には難陀(なんだ)、跋難陀(ばつなんだ)、娑伽羅(しゃがら)、和修吉(わしゅきつ)、徳叉迦(とくしゃか)、阿那婆達多(あなばだった)、摩那斯(まなし)、優鉢羅(うはつら)がいます。

水の化身が龍であり、龍は水そのものを顕現したものです。そして修験道の歴史が古くある場所には、瀬織津姫や不動明王が祀られます。滝場などにも同様に龍神と合祀されます。つまり弁財天と八大龍王と不動明王は同一であるとここから洞察できます。

私たちは思い込みで火と水は違う、雨と海は違うなどと認識します。しかし思い込みを捨ててよく観察すると同一であることはすぐに自明します。水は火が変化した姿であり、火は水が変化した姿です。例えば、その徳性には浄化があります。もっとも浄化するのは火や水、そして土など火水が和合したものです。

私たちが神(かみ)と呼ぶのも、火水(かみ)とも呼びます。浄化するものをかみと音を呼んだのでしょう。水には、穢れを祓う力があります。私たちが拝むとき、それぞれの真言や祈り方、異なる祝詞などがあります。しかしこの世にもしも言葉がなかったら、余計な知識がなかったら私たちは拝むでしょうか。

しかし水というものへの感謝は、もっとも深いものであるのはわかります。水がなければ生きていけませんし、飲める水があるのは何よりも有難いことはわかるからです。そういうものへ拝む気持ちが産まれたことが原初の信仰であるのでしょう。

当たり前のことがわかるようになってこその信仰であり悟りです。私は特定の宗教や宗派などには興味もないし関心もありませんが、原初の信仰にはとても興味があります。

引き続き、子孫が当たり前に気付けるように自分なりの原初の信仰を甦生し実践していきたいと思います。