原初の信仰

私は幼い頃から「龍」というものにご縁が深くあります。生まれたのも辰年辰の刻というのもありますが、氏神様は八龍権現でご縁のある神社や場所は龍ばかりが祀られています。今、住んでいるところも八龍権現池の麓で古民家甦生で取り組む場所も龍とご縁の深い場所ばかりです。

改めて考えてみると、小さな頃から龍が好きで川や池や空を眺めては龍を探していました。龍を観たなかで最も記憶にあるのは、隣家が火事で全焼したときです。この時、私は一生懸命に小さなホースで自分の住んでいる家に燃え移らないように放水していました。身体が焼けるような熱気と燃えた瓦が割れて飛んできて死を意識したあるとき、物凄い突風が吹いて空を眺めると巨大な龍が舞い上がりそのあと雨が降り出して火が消えていきました。また消化後、その当時に庭にお祀りしていた龍の護符はどこかに飛んでいきお水をお供えしていた盃も割れていました。

不思議な体験でしたが、あの時のことは忘れることはありません。客観的には火事で燃えているから煙で上昇気流が発生して放水していた水が降ったのだろうと言われそうなものですが、明らかに風や水が何かを守ろうとする意志を感じて龍に観えたのかもしれません。その龍が観えたあと火事はその後は力を失い、私の周囲も風向きが変わり無事に燃え移らず怪我もありませんでした。その後も、何度も風と水が舞うところで龍のような姿を見かけます。水の化身ともいえる氣の流れともいえます。

改めてむかしからいるこの龍とは何かということを少し深めてみようと思います。

先日、弁財天のことをブログで書きましたがこの弁財天と龍神というのは深いご縁があります。日本の各地には、龍神と共に弁財天が祀られているところがたくさんあります。私が現在、お祀りしている妙見神社は八大龍王で英彦山の宿坊は弁財天です。日本最古の八大龍王と弁財天をお祀りする神社は、日本最古の神道の信仰の形を残すと言われる大神神社の摂社の龗神神社(おかみのかみじんじゃ)です。

妙見神社は、闇龗神(くらおかみのかみ)が祀られます。同じ神様で別名の高龗神(たかおかみのかみ)があります。これは名前は違えど同じ神様です。「高龗神」は山の峰の龍神、「闇龗神」は谷底に棲まれる龍神といわれます。水を司るという意味では、龍神も弁財天もこの龗神も同じ神様です。タカは鷹で、クラは坐するです。水を司る神様が居ると意味です。神仏習合というのは、別の呼び名が合わさっても意味は同一であるということです。

そして八大龍王は法華経に登場し仏教を守護する神様です。天竜八部衆に所属する竜族の8体の龍の神様です。8体には難陀(なんだ)、跋難陀(ばつなんだ)、娑伽羅(しゃがら)、和修吉(わしゅきつ)、徳叉迦(とくしゃか)、阿那婆達多(あなばだった)、摩那斯(まなし)、優鉢羅(うはつら)がいます。

水の化身が龍であり、龍は水そのものを顕現したものです。そして修験道の歴史が古くある場所には、瀬織津姫や不動明王が祀られます。滝場などにも同様に龍神と合祀されます。つまり弁財天と八大龍王と不動明王は同一であるとここから洞察できます。

私たちは思い込みで火と水は違う、雨と海は違うなどと認識します。しかし思い込みを捨ててよく観察すると同一であることはすぐに自明します。水は火が変化した姿であり、火は水が変化した姿です。例えば、その徳性には浄化があります。もっとも浄化するのは火や水、そして土など火水が和合したものです。

私たちが神(かみ)と呼ぶのも、火水(かみ)とも呼びます。浄化するものをかみと音を呼んだのでしょう。水には、穢れを祓う力があります。私たちが拝むとき、それぞれの真言や祈り方、異なる祝詞などがあります。しかしこの世にもしも言葉がなかったら、余計な知識がなかったら私たちは拝むでしょうか。

しかし水というものへの感謝は、もっとも深いものであるのはわかります。水がなければ生きていけませんし、飲める水があるのは何よりも有難いことはわかるからです。そういうものへ拝む気持ちが産まれたことが原初の信仰であるのでしょう。

当たり前のことがわかるようになってこその信仰であり悟りです。私は特定の宗教や宗派などには興味もないし関心もありませんが、原初の信仰にはとても興味があります。

引き続き、子孫が当たり前に気付けるように自分なりの原初の信仰を甦生し実践していきたいと思います。

  1. コメント

    私は幼い頃から周りの人に雨女と呼ばれていました。

    私のせいでみんなを不幸にしていると思い込んでいました。

    私が学生時代に読んだ小説の登場人物の中で陰陽師の少年が貴船神社の神様が描かれていました。

    その一人と一柱がお互いに語り合う場面に感銘を受けました。

    この経験のおかげで周りの人からの雨女呼ばわりは気にならなくなりました。

    寧ろ、私は貴船神社の神様に守られているかもしれないと感じました。

    いつか必ずお礼まいりに行きます。

    長文、失礼します。

    • コメント

      コメントありがとうございます。自分も幼い時、あまりにも天気天候の予測が適格なのでお天気少年と呼ばれていました。雨が呼べ、雨の薫りや風と共に雨や雲の流れから期間なども感じ取れました。雨乞いというのは、雨がたくさん降る事でも止ませることでもなく、穏やかな雨であってくださいといのること。
      雨の徳は、慈雨のことです。
      柔らかく、優しく包む雨に学び、自分の心身にもお水や龍が宿っていると感じると仕合せな気持ちになりますよ。この先も、天地、雨風、岩船がご縁を導き幸福でありますように。共に、お水を大切に感謝していけたらいいですね。

  2. コメント

    返信、ありがとうございました。

    野見山さん、この活動を今後も続けてください。

    私も未だ未だ不勉強だな、と感じました。

    私も自分のペースで日本と世界の神様や先住民さんたちの信仰研究と、個人的な神社神道の穏やかな信仰生活の両立を続けていきます。

    私は本当は雨よりも雷が好きです。

    私は手が掛かるこどもだったし、左利きで生まれながらの脳機能の障害持ちで家族に全く似ていませんでした。

    それと大人になってからも、身体と心の病気に罹りました。

    更に将来、脳の難病に罹り安い身体である事が最近、判明しました。

    ですが、雨女呼ばわりを気にしなくなった様に、身体が不自由になり、早くに死にゆく身体になる恐怖感は抱いていません。

    これは私が生まれる前に、きっと宇宙の神様、地球の神様、この世の神様と約束したと考えて、普段を過ごしているからです。

    龍の神様は地球に生きる、すべての人の心に、います。

    心の中の龍神様は地球に生きるすべての人の経験を糧に、私たちを守ってくださっています。

    もちろん、貴船神社の神様と似ているご神徳の龍神様も、誰かの心にいるかもしれませんね。

    穏やかな雨と、清らかな空気と、生きとし生けるものの、すべてのいのちが全うする事と、とこしえの平和を、いつもまことの心で、いのりたいですね。

    一部の人の戦争犯罪、倫理違反、気候変動の恐怖感を気にしすぎずに
    私たちは私たちにできる事をずっと丁寧に続けましょう。

    必ず誰かが見ています。

    すべての神様が見守ってくれています。

    決して見すては、しません。

    信仰の有無に、かかわらずです。

    今までも今日も、ありがとうございます。

    聖母マリア、我らの為にいのりたまえ。

    生かさせていただき、ありがとうございます、あめのみなかぬしのかみ、あまてらすのおおみかみ。

    勿論、現代ですから、正しい災害対策と自己防衛も、誰かに言われなくても行っています。

    どうぞご安心を。

    長文、失礼します。

    梅雨時ですので、どうぞお身体を大切に。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です