歴史の本質

歴史書に有名なものに司馬遷の「史記」があります。この「史記」は今から2000年以上前の紀元前90年代に編纂されたものです。これは中国初の正史とされている歴史書でもあります。

今でもこの史記を読んでいると、人間の数々の生き様やドラマが記録されています。それもあらゆる教訓や智慧も記録されていて、読んだ人たちの心に響くものがあります。

私は幼い頃から偉人伝や歴史の物語が好きでたくさんの本に出会ってきました。正確な事実だけを書いている記録ではなく、そこから想像できる歴史の主人公たちの心情や生き様はいつまでも記憶に残っています。

そう考えてみると、歴史書にみる物語はそれを書く人、見る人、感じる人によってのものであることがわかります。その事実をどうその人が読み解いたか、そしてそれをどう感じて共感して綴ったかということです。そこに共感して私たちはその人物から歴史を学ぶのです。

その人物から何を学ぶか、それは人間の本体や本質を学ぶのです。

もちろんその時々の時代背景や環境もあるのは事実です。しかし人間の営みのところはそこまで大差はありません。2000年前も家族がいて社会があり、権力者がいて戦争もあります。今でもそれは何もなくなってはいません。一つ言うのなら、そのスピードを上げてより激しくなっただけです。

人類はいつまでも生き死にを繰り返して同じことを続けます。学んでもまた学ぶ、永遠に同じことを繰り返しながら学んでいくのです。そしてまた同じ過ちに気づき、そして成長をし続けます。それは人の一生をかけての繰り返しの業です。

過去の人たちはきっと未来の人たちをみて「なぜまた同じことを」と思うかもしれません。しかし同時に未来から過去をみてもいつまでも同じことをしているのです。つまりこれは成長とは異なることであることに気づきます。

人間は生まれたその瞬間から死に至るまで、それぞれに物語をもって生まれそして物語を体験して死んでいきます。つまりそれは記憶媒体のようなものです。記憶をいつまでも活かすように同じことを繰り返していきます。

私たちの役割とは、真実はそういうことかもしれません。こんなことを言うと変人のように思いますが、それでも人は同体験を宿命的に授かっているように私は思うのです。

ただ、以前よりも磨くこと、同じでも光らせること、これは私たちが深層で願っていることです。子どもたちにも、日々の一期一会の中で如何に生き、如何に死ぬのかということを伝承し、未来をさらに光らせていきたいと思います。

 

微生物から学び直す

私たち人間は微生物でできていますがこの微生物はまだまだ未知の存在です。宇宙空間の過酷な環境で数年間生き延びている微生物もいれば、極限環境微生物といって強烈な酸性、放射能、高熱高温、あらゆる極限環境でも生存しているのです。人間であれば、即死するような環境であっても微生物は生き延びていきます。

もともと私たちの生命はどこからやってきたのか、突然湧いたという説もありますがどこからの宇宙から飛来してきたという説もあります。これをパンスペルミア説(パンスペルミアせつ、panspermia)ともいいます。これはウィキペディアによると「生命の起源に関する仮説のひとつである。生命は宇宙に広く多く存在し、地球の生命の起源は地球ではなく他の天体で発生した微生物の芽胞が地球に到達したものとする説である。「胚種広布説」とも邦訳される 。またギリシャ語で「種をまく」という意味がある。」とあります。

キノコのコロニーのように、小さな微生物たちが集まり形をつくり胞子を撒いて拡散していく。この仕組みで宇宙空間を漂い、あらゆる星々の間を移動しながら自分たちに相応しい生命環境の中で独自の進化を遂げていくというものです。

先日もカビのことを書きましたが、私たちの生活空間には常にカビや微生物が漂っていて根付けるところに定着してそこでコロニーをつくり育ち拡散していきます。同様に、宇宙でも一部は仮死状態になりながら漂い、また最適な環境下にうまく漂い定着できることができればそこで生命活動を活発にさせていくのです。

人間の体内は微生物でできていますし、小腸をはじめあらゆるところで私たちは微生物と感情などを調和していますから微生物が私たちの根源ということも直観することができます。

その微生物たちは私たちの知らない宇宙を知っていて、遠く離れた星からあらゆる銀河を漂い星々に散らばってやってくると思うと何ともいえない不思議なロマンを感じます。

このあらゆる極限状態でも生きられるとするならば、そこでコロニーをつくり定着したものが宇宙人ということも予想もできます。例えば、酸素のない環境下でも生きられる進化を遂げる私達みたいなヒト型のものもあるかもしれません。あるいは、苔や植物のような形で進化したものもあるかもしれません。地球のように水が豊富な環境ができれば、星々はひょっとしたら地球型の微生物群が増えていくこともあるかもしれません。

そんなことを考えていたら、私たちのルーツはどこからやってきたのか。そして多様性は何を根源に今に至るのか、そして進化とはいったい何かということも仮説を立てることができるように思います。

科学が進めば進むほど、宇宙の偉大さ、その設計の美しさ、素晴らしさに魅了されていきます。一緒に生きる存在、共に一つである生命は微生物たちから学び直せます。

子どもたちのためにも微生物の存在に目を向けて、微生物から学ぶ姿勢を忘れないようにしていきたいと思います。

文化の甦生

最近、文化財のことについて考える機会が増えてきました。ウィキペディアには「広義では、人類の文化的活動によって生み出された有形・無形の文化的所産のこと 。「文化遺産」とほぼ同義である。」、「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約 、 文化財不法輸出入等禁止条約 、文化財の不法な輸出入等の規制等に関する法律などの条約および法令において規定されている「文化財」のこと。」、「日本の文化財保護法 第2条および日本の地方公共団体の文化財保護条例において規定されている「文化財」のこと」とあります。

シンプルに言えば、人類の伝統や歴史において政治的にも学術的も希少なもので価値があり文化財と判断されるものが文化財ということになりますが文化財は見方を変えればこの世のすべてが文化財ということになります。

特に希少になってくればほぼ文化財のように扱われていくものです。大量に生産できて大量に余っているものはいくら文化財でも価値があまりないように扱われます。もしくはお金にならないもの、復元できないものもまた一つの文化財です。

この文化の「財」とは、貴重なものや価値のあるものを指します。貴重であると思えるものや価値のあるものだけが財とつきますが本当に貴重なもの、価値のあるものが何かと定義するものの違いではまったく文化財の内容も変わってくるのです。特に時代が異なれば、文化財の価値も変わっていくでしょう。それだけ変わり続けているものが文化財ということになります。

例えば、何百年も前からの古民家で歴史的な何かがあった建物であっても時代が異なれば無価値になるものもあります。平和な時代の建物と戦乱の時の建物でも価値は異なります。その時代時代に変化していくものだから、その時代に相応しい活かし方があります。その活かし方もまた文化財になる日もくるでしょう。つまり、ただ保存し、ただ時を止めてその建物を守ってもそれが文化財ではないということです。

私たちはどのようなものであっても、その時代に生き、その時代を舞台に活躍していくものです。活躍するための場としての文化があるのであり、文化が先ではありません。

何をどうするかは、その時代の価値観や人の存在、そして時の持つ出来事に左右されていきます。本質をよく観て何がもっとも大事なことなのか、そして今をどうするのかからよく議論していく必要があるのです。

子どもたちのためにも、新しい文化の甦生を取り組んでいきたいと思います。

楽しい企画

納経というものがあります。これを世界大百科事典第2版によれば「書写した経巻を寺社に奉納して信仰の深さをしめし,神仏の加護や故人の冥福を祈ること。巡礼者がおこなう場合は,たとえば日本回国六十六部聖(ひじり)ならば,《法華経》六十六部(1部は8巻)を写経し,これを諸国一宮(いちのみや)に奉納して歩く。したがってこれを経聖(きようひじり)という。しかしのちにはこれを忘れて,西国三十三所観音霊場巡礼や四国八十八ヵ所観音霊場遍路のように,仏前で経巻を読誦することを納経というようになった。」とあります。

その納経の仕組みが江戸時代後半頃になって寺社に参拝をしたら納経帳に記帳押印してもらうという習慣になり、それが今の御朱印になったということです。

もともとハンコや印鑑の歴史はブログでも書きましたが、個人や組織がその当事者であることを証明する印(しるし)です。代筆などで本物かどうか見分けがつかないものも、実印であればそれが誤魔化せないということで印鑑は重宝されました。

今でも実印は非常に重要な役割を果たしていて、銀行などでもお金を管理するための手段です。納経するというのは、納経する側のことですがその納経が無事に行われたという印として御朱印が押印されたということかと思います。証明書というのは、確かにここに本人が納経したという証です。江戸時代は年に一度の旅に出て、伊勢講や冨士講などといって藩を越えての移動が許されました。本当に伊勢にいって参拝したのかという証を示すことが必要だったのかもしれません。

今の時代は、いつでもどこでも国内であれば個人の自由で旅行もできます。御朱印は、一部はスタンプラリーのように収集するのが好きな人もいますがどちらかといえばその土地の神様たちとご縁を結んだ証として使っている人も多いように思います。

真を証明するという功徳を実現できるように、ブロックチェーンを活用した仕組みを考えているとことです。コロナで閉塞感が出てきていますが心は明るく笑顔が増えるようにと願い、楽しい企画に取り組んでいきたいと思います。

健康で長生きするための智慧

先日から酪酸菌のことを書いていますが、この酪酸菌はウィズコロナには欠かせない微生物であるのは間違いありません。戦前に日本人にはほとんどアレルギーがなかったといいます。それは食物繊維をたくさん摂取していたからだともいわれます。

つまり酪酸菌の餌は、その食物繊維であり食物繊維を多く食べていればそれだけ酪酸菌も元氣になるというものです。日本人の伝統的な食事の智慧にぬか漬けがあります。このぬか漬けこそ、酪酸菌を元気に増やし代謝を高める効果があります。私たちが腸から大事な栄養素を取り込むのにこの酪酸菌が多くの役目を果たしています。

具体的には(鶴見隆史著「酵素」の謎)にこうあります。

「酢酸、プロピオン酸、酪酸の短鎖脂肪酸は水溶性の食物繊維や糖質の発酵で生じる物質で、その働きが人間の免疫力を上昇させたり、健康を向上・維持させるうえでたいへん重要ということで、最近大きな注目を集めてきています。酢酸は、脂肪合成材料です。プロピオン酸は、肝臓における糖新生の材料として使われています。酪酸は、大腸の主要部分の栄養素となります。これらは、95パーセントは大腸粘膜から吸収され、すべての消化管と全身の臓器の粘膜上皮細胞の形成と増殖を担い、粘液を分泌させる働きをしています。 胃液も腸液も膵液も胆汁もすべて短鎖脂肪酸がつくっており、大腸粘膜など100パーセント、短鎖脂肪酸をエネルギー源としています。 この短鎖脂肪酸の一番の材料は、熟した果物、わかめ、昆布などに含まれる水溶性食物繊維です。 穀物、大豆、きのこに含まれる不溶性の食物繊維も材料になります。 ほかには黒酢、酢、梅干し、ピクルス、酢の物、ラッキョウ、漬物、キムチなどの発酵食品も短鎖脂肪酸の材料になります。」

つまり私たちの腸ではこの食物繊維を分解するという機能が備わっていて、長い年月をかけて食べてきた食生活に対して微生物と共生する関係を結んできたともいえます。その長い関係を結んできた微生物が私たちの身体を病気から守り健康にしていますから、いくら時代が変わってもその微生物たちがいつまでも共生してくれるように食生活を保つ必要があります。

例えば、もしも宇宙に人間がいってどこかの星で生活したとしても腸内の微生物たちは今までと同じような食事が必要になります。食物繊維のないものばかりを食べてしまえば腸内環境が崩れてしまい共生が維持できず健康が維持できません。

私たちは人間だけで生きているわけではなく、様々なものに「生かされている」のですから微生物に生かされている私たちは微生物を生かす役割を持っているのです。そうやって全体循環の中でいのちはめぐりますから、好循環を維持するためにも何が好循環を保つのかを私たちは知っている必要があるのです。

子どもたちのためにも、健康で長生きできる智慧を伝承しつつ古来からの体内の微生物たちがいつまでも一緒に健康で長生きできるように暮らしフルネスの中で実践していきたいと思います。

根源は免疫、原点回帰

私たちの身体には、免疫というものがあります。これは病原体・ウイルス・細菌などの異物が体に入り込んだ時にそれを発見し体から取り除いてくれるという仕組みのことです。そしてこの免疫には自然免疫と獲得免疫というものがあります。

まず自然免疫は、生まれつき体内に備わっている免疫の仕組みで元々古来から存在する機能です。これは発見した異物を排除する仕組みです。有名なものに好中球と、NK細胞、マクロファージがあります。このどれも、外部からのものをキャッチして食べて無効化していきます。

そしてもう一つの獲得免疫は、人生で病原体と接触した際に再び感染しても発病しないようにする仕組みのことです。この獲得免疫は、侵入した異物を排除するだけでなく記憶細胞という特殊な機能をもつ細胞に変化し記憶しています。そうすることで、いち早く発見し感染が進む前にキャッチして食べてしまうのです。T細胞とB細胞が有名です。

インフルエンザで例えると、ウイルスが口や鼻、喉、気管支、肺などに感染した場合はまず自然免疫のNK細胞とマクロファージ、樹状細胞などがウイルスをキャッチして食べて駆除しはじめます。そしてそれでも駆除できない場合は、B細胞、キラーT細胞という獲得免疫が今度は活動を始めます。具体的にはB細胞は抗体を作り、その抗体はウイルスにくっついて他の細胞に感染できなくなるといいます。

そうやって私たちの身体は自然免疫と獲得免疫の合わせ技で撃退してくれていたのです。無症状の人がいるというのは、この免疫系が働き無害化させているからということになります。免疫がきちんと働いているのなら、外部からの異物は正しくキャッチされ、駆除され記憶され、ずっと身体を守り続けてくれるのです。

これからコロナウイルスも様々な変異株が誕生してきますし、その都度、ワクチンを開発して対応ではいたちごっこです。私たちの身体は大量のウイルスに日々に晒されていますからやはり今まで生き残ってきた力を磨いていくのが一番です。

その方法は、食生活、運動、睡眠、精神や心の安静、という基本、また体質改善、生活習慣の見直しでできるはずです。つまり暮らしを整えていくのです。暮らしフルネス™は、これらのことを実践するためにも欠かせない智慧の仕組みです。

引き続き、子どもたちのためにも暮らしを見直して伝承していきたいと思います。

天の蔵に徳を積む

むかしから「天の蔵に徳を積む」という考え方が日本にはあります。これは善行をして見返りを求めず、与えたものを後悔せず、自分が徳を積む機会をいただいたことに感謝をするという生き方でもあります。キリスト教にも、同様に「天に宝を積む」という考え方があるといいます。

古今、真理というものは経験を通して永遠の智慧として子孫に伝承しています。現代は、通常の銀行の貯金や金銭的な貯蓄の方は目に見えてわかりますが天の蔵といった天の銀行に徳が貯蓄されていくことはなかなか考えないものです。

本来、私たちが今幸福を味わえるのは天の蔵に貯蓄されたものが引き出されているという考え方もできます。例えば、短期的に積んだ善行ですぐに幸福を引き出すということもできますが長期的であればあるほどにその積んだ善行は利子がついて大きくなってきます。これは「積まれる」という性質の本体、別の表現では「磨かれて光る」という道理があるからです。つまり幸福を味わい引き出していくというのは、積むことで引き出すという喜びに出会うということです。

いのちが光り輝くというものもまた、いのちを使って自分を磨いていくことで得られます。研磨していくなかで次第にその本体が透明で光っていくことで、私たちは偉大な幸福感を味わっていくことができます。金銭で形だけ光らせたのと、自らが光ってくるのでは世界の観え方が変わっていきます。自分のいのちの磨き方一つで、この世は美しい楽園にもなり地獄にもなるからです。

先人たちは、徳を積むということを何よりも大切に生きてきました。今の私たちの、また日本の幸福はその徳を積んできた貯金を引き出してこれだけの物質的な豊かさを得たのです。しかしその天の蔵の徳は、いつまでもあるわけではなく減るのです。それは古いものを磨かなければくすんでくるように、鏡や窓が汚れて向こうが見えなくなるように穢れていくのです。それを取り払い続ける、洗い清め続けるような気持で私たちは徳を積み続けなければなりません。

陰徳は、徳を積む機会をいただけたことだけで感謝するものです。人はなかなか探しても身近にそんな徳を積む機会を得られるご縁は滅多にありません。特に陰徳ほどのものになれば誰にも見つからずに評価されないところでできるものなどさらに機会は得難いものです。誰かの目に見えた時にはすでにそれ以前の長い時間の陰徳が貯まり引き出されている最中だからです。

先祖が長い時間をかけて天の蔵に貯蓄したものは、子孫が長い時間をかけて幸福として引き出されていきます。自分の代で使い切ってしまわないように、子どもたちのためにまた徳を積み続けていくことが幸福が長続きしていく人類の叡智だと思います。

天の蔵に徳を積む実践を、真摯に取り組んでいきたいと思います。

微生物を尊重する暮らし

腸内フローラを活性化することで免疫を高めていくというのは、むかしからの感染症予防法の一つです。もはやコロナウイルスは変異し続けていきますし、海外から強力な新種が次々と入ってきますからワクチンや薬ではいたちごっこの様相です。

気候変動も重なりますからますます新手の病気や感染症は増えていくばかりです。こうなってくると自己免疫を高めていく方法しか手段がありません。今の私たちが生存しているということは、今までも自己に備わっている免疫があったから乗り越えてきたともいえます。

この時代は免疫を下げるような生活環境の中で私たちは暮らしています。こういう時だからこそ、免疫を上げるような本来の自然と共生する仕組みを学び直す必要性を感じています。

私たちが免疫を高めるということで最初に思いつくのは、腸内細菌です。腸内フローラが豊かでしっかりとしている人は健康で免疫も高く元気な人も多いといいます。私たちは微生物によって身体を守っていますから、お腹の中の微生物の状態がよければよいほど免疫を高め外部からの感染症のウイルスなどの侵入を防いでくれます。

如何に日々の生活の中で微生物を上手に取り込むかが鍵になります。本来は微生物は空気中も浮遊していますし、自然界の土やほこりの中にもたくさん存在しています。そういったものを日々に取り入れていけば免疫も高まるのですが、食事から摂取するのがもっとも効果的な方法です。私たちは微生物にご飯を食べさせることによってその代謝物をエネルギーや栄養に換えていますから微生物が喜ぶようなものを食べてあげるのが一番です。腸活といい方も今ではしていますが、微生物を尊重する暮らしをしていくことがもっとも免疫を高めてくれたということでしょう。

今、まさにその微生物でもコロナウイルスに効果があるのが酢酸菌(さくさんきん)だといわれています。この微生物は乳酸菌や納豆菌と並ぶ食用の発酵菌の1つです。この酢酸菌は、アルコールを酢酸に変える細菌の総称でお酢になる元です。なので英語では「Mother of vinegar(お酢の母)」とも呼ばれています。

この母なる存在が非常に大きな働きを腸内で行ってくれているのです。どこにいるかといえば、空気中にもいますが梅、ぶどう、柿、りんごや花、はちみつなどにもあります。具体的に酢酸菌をつかった発酵食品には、お酢やワインビネガー、コンブチャ、ナタデ・ココやカスピ海ヨーグルトなどもあります。日本では、黒酢、柿酢、リンゴ酢などあらゆる酢に存在しています。

特に素晴らしい効能は、アレルギーに効果があることです。花粉症をはじめ、あらゆるアレルギー反応を穏やかにする力があります。科学的にも腸内菌叢により産生される短鎖脂肪酸(酪酸、酢酸およびプロピオン酸)という物質が腸管上皮細胞の増殖促進、炎症性サイトカインの抑制作用等による抗炎症、抗潰瘍作用もあると報告されます。

つまりコロナウイルスは、免疫の過剰反応が影響しますからそうならないように予防し続けることで重症化を防ぐことができるかもしれません。先人たちの智慧を活かし、子どもたちに安心した環境が遺せるように自然から学び続けていきたいと思います。

幸福の転換

WHOの2021年の世界保健統計によると世界の総人口は約76億7696万人となっています。世界一は中国ですが、次はインド、アメリカと続き、日本は11位につけています。小さな島国ですが、これだけの人口を抱える国ということになります。

しかしよく考えてみると、人口増加を続けていますが今、急に都市化して発展しはじめた国の人口は若い人が増加し、少し以前に発展していた国はお年寄りが増加しているということになります。同じ人口といっても、そこには年齢の偏りもありますし男女比というものもあります。また亡くなるまでの平均年齢の差もあります。

日本は少子高齢化なので、子どもが少なくなりお年寄りが長生きする国になってきています。ここから考えると、子どもたちがお年寄りを支えるために未来を担う必要があります。特に都市型の福祉施設が増えていくとその費用負担は子どもたちにのしかかってくることも想像できます。

むかしは亡くなるまでの平均年齢が低かったといいます。戦国時代くらいまで遡っても50歳前後には亡くなっていました。今では、この年齢が働き盛りといわれます。つまり、長寿社会になってから人は死ななくなったのです。病気、飢餓、あらゆるものを克服してきて今に至ります。そうやって寿命が伸びたからこそ人口が増えているということもあるのです。

本来、寿命が伸びたのだから緩やかに穏やかにみんなで暮らしていきたいと願うのが人間だったはずが経済競争社会の中で常に走り続けて速度を上げていきました。働くことが自分らしく役に立つということが中心にあるのなら、それは幸福ですからみんな自分の足で立ち、尊重して支え合って暮らしを創っていくことができるでしょう。IT化、AI化はまだ進化しますから速度はさらに上がっていきます。そんな中で、私たちはこの長寿社会と人口増加の中でどう生きていくのかを正対していく必要が出てきています。

人間は、生まれてから死ぬまで自分の身体を使って主体的に生きることを喜びにしています。そしてそこに幸福感というものがあります。もともと日本人は、明治以前までに来日した外国人による記録は簡素だが幸福感に充たされている国というイメージだったそうです。

人は何のために生まれてきた、何のために生きるのか。

未来から鑑がみて今、どうすることが未来の子どもたちのためになるのか。世界の人口がかつてないほどに膨れ上がっている今だからこそ自分たちの身の振り方を定め実践し、未来の子どもの幸福のために転換していきたいと思います。

 

暮らしの定義

英彦山の宿坊の甦生をはじめるにあたり、何を初心にするかということを再確認しています。もともと私は子どもたちの1000年後のことを憂い今、何をすべきかを考えてカグヤという会社を起業しました。そして、子どもの憧れる生き方と働き方を伝承していこうとし、暮らしフルネスというものを定め、その場を磨いています。

そもそも暮らしというものは何かといえば、人間の生き方を表現する場のことです。

例えば、僧侶が暮らせばお寺になるし、山伏が暮らせば宿坊となります。現在は、仏教が檀家制度をとって墓地や葬式などの形態がメインになって場のようにいいますが本来、仏陀がいた頃のお寺とは僧侶たちが住みそこで仏の生き方を実践した場がお寺のはじまりの姿だったといいます。

なので私の思う暮らしの甦生とは、どのような生き方をするのか、そしてどのような働きを実践するのかを日本人の先人先達たちの姿から学び直しその徳を現代につなぎ直そうとしているのです。

本来、暮らしそのものはその人の持つ人間性や精神性、魂が現れてくるものです。その人がどのような生き方をし実践するかが丸ごとすべて詰まっているものが暮らしです。何を大事にしているか、どのような想いを育てているか、そして何を実現しようとしているのか。その一つ一つが、暮らしを通して場に感化されていくのです。

だからこそその場には、その人の暮らしの真心が薫ります。

現代は場をすぐに環境というものの言い方で置き換え、最近では見た目が華やかであればその場がさも価値があるかのように広報したりします。これは営利のためです。しかし本当は、場には人が着いているのであり主人の生き方が中心になっているのですから自然に薫ってくるものなのです。

お寺であれば坊主、宿坊であれば坊主、庵には庵主がいるように、主人の生き方があっての場であるということです。その場があることで、私たちの風土や国土はさらに歴史を重ねて磨き上げられ国宝となっていきます。

残念なことに今の建築というものも専門家によって美術品のようなハコモノになってきていますが本来の建築は主人がいのちを吹き込んでいくものです。建物と主人は決して分業し切り離せるものではなく、主人が代わり続けても生き方が変わらないから建物としての場が甦生し続けているのです。やはり肝心なのは主人の存在であるのは間違いありません。これはすべてに言えるのです。

家であれば家主がどのような暮らしを実現するか。そこに場があります。むかしは修練する場を道場といいましたが、今は西洋文明が覆いかぶさりましたから場と道が逆転している時代です。だからこそ原点回帰し、場道と名付け私はその生き方を暮らしフルネス™と定義したのです。

子どもたちが1000年後も安心して立命できるよう、見守り続けられる場を醸成していきたいと思います。