甦生の中心

現在、浮羽の古民家甦生をしていますがそこは自然との循環が観えるような場になっています。これは農を中心にお米が循環する中で生きている様々ないのちが感じられるように調えていったからです。

例えば、古民家で使われる材料は稲や藁、お米やもみ殻などが用いられています。そして竈で使う土も田んぼのもの。壁は藁壁、むしろで設らえています。田んぼの身近にあるもの、そして自分たちでつくっているもので調えています。

そもそもむかしの日本家屋は、すべて身の回りにあるもの、身近で一緒に生きている自然の一部をお借りしながら暮らしをしてきました。竹製品をはじめ、土製品、植物や木も暮らしの中で大切に育て見守りその自然の利子分をいただいて家をつくるのです。

自分の住んでいる場所を調えるというのは、自分の住んでいる場所のいのちを活かすということです。

私の手掛ける古民家はすべて井戸があります。そしてその井戸のお水を使って様々なところに活かします。ある時はサウナにし、ある時は薬草茶をつくり、日々の御飯や御汁にして暮らしと一体にしていきます。

現代は、遠くからの材料を全部取り寄せてその場所のものを使いません。その場所の素材や材料は邪魔な存在にもなっています。本来、捨てるものなど一つもありませんがお金を使って捨てるものばかりをつくるのです。

そもそも循環とはいのちのことをいいます。いのちが壊れないように接することを私は循環と定義します。心を籠めて心を離さず心で接し続けることではじめていのちは循環するのです。単に材料を科学的に分析して、いくらリサイクルしてもそれは真の意味でいのちを甦生するのではありません。いのちの甦生とは、最初から繋がっていて一体になったままにそのご縁を大切に活かそうとする真心があってこそ甦生します。

最後に、家とは何か。

家は末代までいのちを見守る存在です。これはお社とも同じです。私たちを見守ってくださっている存在です。その見守っている存在を見守ることが私が手掛ける古民家甦生なのです。見守り合いこそ、甦生の中心ということです。

丁寧にいのちをつむぎ、新たないのちを耀かせていきたいと思います。