じねんの場

便利な世の中というものは何か、それは関係性で結ばれるよりも交換をすることで得られる価値が優先された世の中ということです。

資本主義は、交換経済と個人の利益の増幅化ともいえます。これは深く繋がっています。個人の欲望を最大化すると必ず関係性に綻びがでてきます。関係性があるからそれぞれが自律して互譲互助していく場が育ちました。関係が失われれば何でも交換できるようになっていきます。

例えば、お山であれば今では土地を購入しソーラーパネルを設置しています。これはお山との関係性は無視して山の資産価値だけで判断してお金で交換しています。本来、お山からお水を含め、食料や空気の循環、様々な生態系の安心安全などがあって私たちの先祖たちはお山を守り大切に見守ってきました。そしてそこには、暮らしがありました。

水路を調え、間伐をし、薪をいただき、神様を祀り、木を植えました。これは日頃いただいている恩恵に対する恩返しのような暮らしです。そもそも暮らしは信仰という言葉もありますが、私たちが活かされている、そして生きているという自然(じねん)の中でご縁を結び、関係性が滞らないようにしていたのが暮らしの本質です。

現代は、暮らしまでも価値をつけてお金で交換できるようになっています。

私たちは暮らしフルネスの実践をしていますが、別に行事をイベントにして収入を得るためにやっているのではありません。日々の私たちの暮らしと関係性を結び、一緒に暮らしのリズムを取り戻していこうとする育つ場の共有をしているだけです。

場ができることで、そこに集まる人たちが場をさらに結び関係性が育ち文化が醸成されていきます。

しかし現代は、そうとは思われず単にむかしの文化体験ができる施設のように勘違いされるものです。それは循環やリズムから遠ざかった生活をしているからかもしれません。

かつての自分も同様に、関係は交換していましたし、何でも商品化して資産化できるものとしていたし、誰か専門の知識があればいいとし、自分は世界から独立して存在しているとも思っていました。それくらい便利な社會は、自分の思い通りにできる場だと思っていました。人間は何でも思い通りにしてずっと以前からある自然や暮らしのリズムから遠ざかり、思い通りの世界をつくりました。

それが多くの関係性を分断してきました。

別に太古のむかしに戻そうといっているわけではありません。しかし徳積循環経済のように経済の中に徳が循環するようにし、関係性を快復させようと努力していきましょうと実践。そして現代の生活の中に、可能な範囲で自然のリズムや循環、そして暮らしを実践していこうとお声がけしながら一緒にやりましょうとお誘いしているだけです。

人生の真の豊かさは、ご縁とつながりの繁栄のなかに存在します。人は一人では生きられません、多くの存在に活かされているものです。活かされているなかで「じねん」に生きる喜びはすべてのいのちが耀く未来です。

環境が変わってしまっているからこそ、考えなくなるとつい流されてしまいます。暮らしを日々に調える実践を通して、関係性を結び直し甦生していくこと。

子どもたちはじねんですから、子どもたちのいるじねんの場から暮らしを甦生させていきたいと思います。