育つ場

暮らしというと、日々の生活のことを指します。しかしこの暮らしという言葉はそれぞれの認識で異なります。言葉というものは、その人の経験や観念、価値観などでも意味が異なります。深さも広さも認識も異なりますから実際にはきちんと共通理解することができません。あくまで文字は脳が理解の入り口としてイメージできる範囲で道具として用いられます。

しかし共通理解は、同体験などを通して深まります。そこで言葉の定義や意味も後から追いついてくるものです。理念というものを用意し、それをみんなが日々の実践や行動と振り返りを通して学んでいけばその体験したもの同士は理解が深まり言葉の意味も変わってきます。

そのうち、理念の一歩先へと成熟していくのが「場」です。

いちいち言葉にしなくても、また誰かがいなくても、それは「場」によって理解されます。場ができてくるというのは、文化になるということでもあります。

文化ができれば、場がはたらき、それまでの本質やご縁や関係性が結ばれていきます。そして文化ができるには、それが連綿と続けられる循環が必要です。そうやって悠久の流れが循環してきた道の跡が文化になるのです。

現代は文化財だけ残して関係性が消えてしまったものがたくさん増えています。

使われなくなった寺社仏閣、古民家などもそうです、休耕田やかつての信仰のお山。路傍にある石像や井戸なども同じです。

かつて「育つ場」があったものが、分断され役割が失われ伝統や伝承、文化が途絶えました。

本来、人が育つというのはどういうことか。

これは「じねん」といって、人間の計画することよりも先に動いている育つ力があるということです。

つまりその場に元々あったご縁やはたらき、あるいは神はからいに対して人間も一緒に結ばれその徳がより発揮できるように調えるということ。

そう考えてみると、暮らしの喪失とはじねんの喪失なのです。

私が子どもたちのために徳積循環をいのり行動している理由もその一点です。理念を場に置き換えるというのは、じねん本来の役割を発揮させるためであり子どもたちのじねんを見守りよりよい人類の未来のために流れを途絶えさせずに次へその恩徳を還していくためです。

時代の変わり目、心のふるさと、かんながらの道に氣づいた人たちと育つ場を創っていきたいと思います。