人間を磨く

「磨く」という言葉があります。ではこの「磨く」とは具体的にどのようなものをいうのか、それは包丁などでいえば砥石で磨けば研ぎ澄まされてよく切れるようになります。これも磨いたということの一つです。他にも年代物の床や木を何度も拭いていけば、それも光沢が出てきて磨かれます。このように磨くというのは、繰り返し何度も何度もそのものの本質を引き出そうと取り組むことで磨かれていくのです。また「人間は磨けば光るダイヤモンドの原石」という言葉もあります。

ではその人間はどのように磨かれるのか。

それは人の話を素直に聴くということで磨かれます。なぜなら人は謙虚になることが引き出されることであり、謙虚になることでその人の本質が出てくるからです。そう考えると、まさにに人間関係こそが磨き合う本であり、人間は人間同士で関わり続けることで信頼関係を通して人格を磨き合いお互いを光らせているのです。

だからこそ自分自身にとっての「磨き」は、「信頼関係を築く」実践であり、そのために人の「諫言」や「忠告」、アドバイスを聴き入れることであることが分かります。自分に厳しいことを言ってくださる存在や、自分の過ちや視野の狭さを指摘してくださる存在、自分の間違いを正してくれる存在が磨いてくださる砥石なのです。

アドバイスを自ら聞かない状態とは、磨くことをやめているということになります。もっとも気を付けるべきは、プライドが邪魔して耳を傾けることをやめてしまい磨くよりも周囲の評価を気にしてコーティングしてしまうことです。コーティングが剥げないようにといつまでも人のアドバイスを避けていたら信頼関係が築けません。そうなるとその人の本質が磨けなくなりますから、さらにコーティングを上塗りし固めていくうちにそのものの本質や持ち味まで消失してしまうかもしれません。コーティングは簡単ですが、剥がすのは大変な作業です。

最初は自分が単なる石ころだったとしても、どんな石でも時間をかけて磨けば光ります。そして自分で自分は石ころだと思っていても、その石ころは悠久のいのちのリレーでバトンを受け継いだ親祖からの歴史がある石ころです。磨いて光らないはずはなく、単に自分で磨くのをやめているだけなのです。

自分で磨くためには、素直に周りの言うことに耳を澄ませて傾聴し、謙虚に自分で心を研いでいくのです。人は話を聞きたくないとすぐに独善的に自分が正しいと思い込んでしまいますがその時こそ、磨くことを忘れないで素直という素材を謙虚という砥石で磨こうと心を定めることかもしれません。

安心してそういう言葉が言ってもらえるように、信頼関係を研ぎ澄まし、常に自分が間違っていないか、何か見落としていることはないかと、環境に働きかけながら磨き方を日々に研鑽していきたいと思います。

 

 

  1. コメント

    自分に都合のいい状態では、自分を磨く砥石にはなりません。やはり、自分の過ちや間違いを厳しく削がれて、初めて磨きになります。また、その痛み程度相応に磨かれることになるでしょう。「磨く」という姿勢も大事ですが、「磨いていただく」という態度も必要でしょう。自分に不都合な磨きに、黙って耐えられる力を養っておきたいと思います。

  2. コメント

    以前、新潟の点塾で研修をさせていただいた際に、「人は人の中で育つ」という言葉に本当にそうだなと共感したのと、改めて人の中で育ち、育ててもらっていることを思いました。人間関係の中で、衝突が起こることもしばしばありますが、それもまた必要なこととして起きていると思うと、感情的にもなりますがその意味を深めていく大切さを感じます。見た目の輝きではなく、本物を目指していきたいと思います。

  3. コメント

    亡くなる前の言葉や姿は、深く深く心に響き残ります。それを思うと、感謝しかないという状況になった時に心は素直になるのかもしれません。伝える言葉に余計な感情や邪念が含まれていないか、聴く姿勢にもそれが現れていないか。子ども心はすぐにそれを見抜くように思えるからこそ、真心で伝え聴けるようになっていきたいと思います。

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