場の甦生

昨日は久しぶりに郷里の千人詣での巡礼を遊行してきました。実によく手入れされ清々しい場所もあれば、誰も来ずに荒れている場所もあります。140年前に設置された石の仏像も色々な形で今も安置されています。それぞれの場所にはどこも静かに杜があり、その中に祠や家屋が存在するという仕組みです。

仏像の種類で多いのは、薬師堂という薬師如来が祀られている場所。または観音堂といって観音様が祀られている場所。そして弘法大師空海、そして仏陀が祀られている場所に分かれています。鈴があったり、鐘であったりと法具も様々です。

思うと設置が140年前ですからその当時の設置者たちのお孫さんやひ孫さんたちが今でもその場所を守っているということになります。皆さん高齢の方々で若い人はほとんど見かけません。

実家を出て行って都会に家を建て帰ってくることのない人たちもいます。地域は過疎化が進み、それぞれの場所を守る人たちも世代交代が難しくなっています。このままでは数年から十数年、あるいは数十年で完全に途絶えるのが簡単に予想できます。

本来、場所を祈り、場所を守るというのは自分たちが産まれ育ってきた場所を調えて穏やかに暮らしていくための大切な智慧であり伝承でした。例えば、争いが減り、人間性を育て、地域の共同体や互譲互助の精神を高め、居心地のよい暮らしの中核として祈りや共食、お祭りや清掃などがありました。

縄文の時代から人々は何らかの形で地縁といった豊かな生態系の中にあり共に暮らし助け合うことで仕合せも喜びも増やしていきました。

経済的には納税が増えて、工業団地がたくさんきて雇用を創出できてコンクリートの建物や道路が新しくなって、都市の商業施設や新興住宅が増えたとしてもそれで本当に場所が真に豊かになったのか、安心できるのか、人が健康に育つのか。

あらゆる制度は明治以降に組み換えらえてきたものです。

しかしその制度任せで目先の取り急ぎの問題の解決に依存してしまった今の状況は、子孫たちに本当に譲り遺したい暮らしとは大きくかけ離れているようにも思います。

いつまでも自分たちが数千年以上育まれてきた場所を、より美しくなるようにどう人間を育てていくか、場所を磨いて文化を調えていくか。

人類の課題は、それぞれの暮らし方と生き方、そして「場の甦生」のこそあります。これは人間だけの場ではなく、あらゆる生態系の場こそ私は真の場であると実感しています。

引き続き、粛々と場所を調え磨いていきたいと思います。

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