人間の記憶というものは面白いものです。生まれてからずっと今まで様々な記憶を持っています。基本的には主観で得た記憶ですが、心の中の空想や妄想でも記憶は変わります。それに夢をたくさん見るうちにそれが現実の記憶と同化することもあります。さらには、亡くなった人や会えなくなっている人の記憶が混然一体になることもあります。記憶は私たちの意識そのものであり、存在そのものです。
記憶は、時間や環境によっても変わります。同じ場所にずっといても、似た記憶は上書きされるか忘れてしまいます。かつての楽しかった記憶はまた同じような体験をしたがりますし、乗り越えたい悲しみもまた似たように記憶が求めます。記憶がどうしたいのか、記憶がどうありたいかでこの今の記憶にも影響するのです。
よく魂の記憶といって、前世の記憶があることを言ったりします。しかし実際には、記憶=魂でありその両者は同一のものです。記憶が一つに同化していくのもまた、魂が記憶を通して同化していくからでしょう。
この記憶は人間や脳があるから記憶を保持できているのではありません。無機質の物体にも同様に記憶はあります。人間は同じ種族でないと、同じ能力がないと思い込んでいたりします。例えば、言葉を喋らないから言葉はないと思い込むし、眼がないから見えていないと思い込みます。耳がなければ聴こえないとも。
しかし実際には、虫も植物も私達とは別の方法で喋るし、聴こえるし、観えています。当然、記憶もあるのです。
言い換えれば、この宇宙や地球にいて一緒に生きているのならみんな同じ能力があるということです。それがそれぞれに異なるということです。
虫でいえば、触覚や感覚、念や体で喋りますし、無機質な物体でも波動や共鳴、振動などで別の周波数を通してそれらを確認します。
記憶も同様で、すべてに魂が宿るように記憶も宿るのです。
記憶が宿るからこそ、その記憶に触れて、それを同化して今の時代も共に過ごして新たな記憶として成熟していくのです。
記憶の成熟こそ、私たちが本能で最も求めているものではないかとも私は思います。子どもたちや子孫たちにもそれらの記憶を丹誠を籠めて見守り、よりよいものへ甦生し伝承していきたいと思います。
