英彦山の甦生のはじまり

昨日は、英彦山の宿坊、守静坊に120人以上が集まりみんなで茅葺屋根の茅を運び入れました。大きなトラックで6台分くらいあったでしょうか。一軒の家の屋根にこんなにも大量の茅を使うのかと驚きます。先日、阿蘇に茅を刈りにいきましたがその作業も大変な作業でしたからこれをこの数と思うと、改めて職人さんたちの労力や仕事に頭が下がる思いがしました。

現在、この宿坊は昭和のリフォームで茅葺屋根がトタン屋根に変わっています。もう地元で茅を育てている人たちもなく、みんなで茅を葺く文化も消失しました。できないのだから他の方法でということで、トタンになったのでしょう。トタンは便利で、茅を丸ごと囲いますから茅に雨が染みこむこともありません。茅は、そのままにしていると傷みますから定期的なメンテナンスが必要になります。

むかしは、常に囲炉裏に火が入っていたから茅も燻されて防カビや防虫などもしてくれ長持ちしました。現代は、燻すこともありませんからすぐに茅も傷んでしまいます。どう考えてもトタンからわざわざ茅葺にすることは見た目が良いメリット以外には大きな費用がかかるし、この先もずっとメンテナンスできるかという問題があるからと二の足を踏む人が多いといいます。それはよくわかっています。一般的には無理だと諦めるかもしれません。しかし、私は別に家をリフォームしているのではありません。

私は、古民家甦生を通して日本の懐かしい未来を甦生しているのです。なので茅葺屋根は私にとってはメリットしかないのです。やらない理由はまったくないのです。この茅葺屋根を葺くという行為自体が、懐かしさの源流であり、現代にも連綿と続いてきた真の日本人の心を甦生することになっているからです。

昨日は、みんなで「結」(ゆい)という体験をしながら、たくさんの茅を運びました。みんなで声をかけあいながら、力を合わせて協力しました。午前中だけでは終わらず、その後は有志が残ってくださって残りの茅もほとんど運びました。体力も消耗し、大変ではありましたがみんな心は清々しく笑顔も多く、素晴らしい人たちが一緒に汗をかいてくださっていることで場所全体が輝いていました。そして200年の枝垂れ桜もそれを満開の花と共に美しく揺れながら見守ってくれていました。

この懐かしい未来の光景は、決して文字では伝えることができません。

この場に参加してはじめて、これが「結」(ゆい)なのかと、直観し実感するものです。私はこの光景がいつまでも子どもたちに遺して続いていけたらいいなと心から祈っています。

人はみんな、みんなのものだと分かち合う時、そして誰もが地球では家族の一員だと助け合う時、私たちはそこに繋がっている存在、結ばれている存在の有難さに気づきます。他人と貸し借りができるのも、そして知らない人たちでも協力し合えるの、その時、心はとても豊かになります。懐かしい先人の生き方や知恵に触れるとき、私たちは何かを思い出しています。その何かは先人が私たちに遺してくださった大切な心を伝承し、その当たり前ではないことに感謝を思い出しています。そして私たちはその結ばれてきた今までのご縁の尊さを思い出すのです。

私たちは、ずっとむかしから今も結ばれ合っています。それをまたこの時代も結い直すことが、これまでもこれからも仕合せになっていくための知恵なのでしょう。

英彦山の甦生のはじまりが、この結からであったことに深く感謝しています。

歴史の大切な1ページを皆さんと一緒に、結でめくれたこと一生忘れません。英彦山のお山の徳が引き出された瞬間を感じました。ここからは引き続き、徳を磨き、英彦山から日本全体へとその徳を顕現させ子どもたちの心のふるさとを甦生させていきたいと思います。

一期一会をありがとうございました。

ありがとうの波紋

昨日、無事に46歳の誕生日を迎えることができました。多くの方々からもお祝いをしていただき、感謝の一日を過ごすことができました。ご縁は広がっていきますから、出会う人たちも広がっていきます。人生の豊かさの一つは、多くの人たちに出会い関わりを持てるということでもあります。

人はそれぞれに色々な生き方があり、色々な考え方もあります。まるでお花のように、色々なお花を咲かせてはそれぞれの徳が薫ってきます。その花の魅力をどう活かすかは、器にもよるし場所にもよります。みんなが活かしあえるような楽しく愉快な場所がこの世に広がっていけばいいなといつも思っています。

子どもたちがそうであるように、それぞれの子どもたちの徳は無限の可能性があります。やりたいことがあり、その人らしい個性を持っています。みんなで尊重し合う社会が実現できるのなら、悲しい暴力や戦争も遠ざかっていくように思います。

何世紀もの間、性懲りもなく人間は同じような戦争を繰り返しますが同時にどの時代にも暮らしをととのえて地球や自然と共生し、他の生き物と一緒にじっと耐え忍んで永遠の平和の実践を積み重ねてきた人々もいます。

しかし子どもたちは未来がありますから、この一時的な感情よりももっと大切なものを守るために私たちができることを、できる人たちからはじめていくしかありません。まさに、来た時よりも美しくしようと一人ひとりの一歩一歩が場をととのえて世界をより善くしていくことです。

私の現在の状況を振り返ると、いつも怒涛の一進一退です。善いことが起きると思って期待すると、すぐにそれが予期せぬことで叩き落されます。感情的には落ち込みますが、それでも人間万事塞翁が馬だからと粛々と初心を貫いていたらまた予期せぬことが起き偉大な恵みをいただきます。感情の起伏が激しい味わい深い体験ばかりの日々ですが、有難いことにその繰り返しによって謙虚でいられます。

私は今もずっと未熟で、どうしても謙虚でい続けることができません。心が揺さぶられ感動する分、感情も波立ちますから毎日は劇場のように物語が発生しています。しかしこうやってブログや日記、その他の内省の習慣の御蔭で少しは自分自身の心を守り続けることができています。

謙虚さというものの本質は、自分が恵まれていることに気づいていく感性のことをいうのかもしれません。

当たり前ではない、有難いことをどれだけ今、この瞬間に感謝しているか。私たちの日本語は、「有難う」という言葉の御蔭様で暮らしが潤います。多くの人たちとのご縁が広がるというのは、それだけ有難うという恵みをいただいているということでもあります。

皆さんの有難うの波紋が、お山に伝わり、そして世界に広がっていけるように真摯に自分の役割を全うしていきたいと思います。

ありがとうございます。

仁聞の徳

歴史を調べていると、文献にあるものと文献のないものの辿り方があります。本来、文字で歴史を残すというのは改ざんされたり全体が観えるものではなかっため、大勢の人たちの口伝、もしくは石碑や場の景色や風景、他には何かしらの目印を残していました。

以前、何がもっとも歴史として遺るかというものを調べた研究者がいて文字がもっとも早く失われ、その逆に長く遺ったものは言い伝え、歌や舞などの神事であったということを聞いたことがあります。

確かに文章や文字は、その時代の価値観を反映していますし記録はできても記憶は伝承できません。記憶を伝承するのが先で、それを理解するのに記録が必要ですから本末転倒になってしまいます。

私はもともと記憶を優先するタイプで、歴史を辿るときは直観的に必ずその場所に行き、その記憶を辿るための目印を探します。その目印は、時には石碑石像であったり、樹木であったり、場であったり、風景であったり、道具であったり、人々の伝承や伝説、文化や芸能であったりと多種多様です。

記憶というのは、一体どこにあるものなのか?

これは人の脳の中にあるものなのか、私は記憶は脳で理解するものではないと思っています。記憶は、五感や六感を通して直観するものであり、その記憶はいつまでも場に佇み、磨き上げたり澄ませるときに徳のように顕現してくるものだと感じています。

私が何か古いものを甦生するとき、心身を清め、場を磨きととのえ、その記憶にゆったりと心や耳を傾けていきます。つまり「聴く」のです。聴いていくと次第に、どうしてほしいか、何を出してほしいか、どれを引き継いでほしいかなど、篩にかけられた記憶が残っていきます。もしくは、じわりとにじみ出てくるように、太古からの複雑な記憶が集まってきます。

それをカタチにして甦生させるとき、人々はその記憶をはじめて実感することができるのです。いくら隠しても、いくら改ざんしても、本当にあったことはなくなることはありません。ただ忘れているだけです。忘れたものは、必ず思い出すことができます。それは脳で思い出せなくても、心は思い出すのです。

私が英彦山の甦生に取り組んでから、ますますそのむかしの記憶が蘇るご縁が増えてきています。そろそろ思い出す時機が来ていることを思い、できる限りの人たちにその記憶を伝播していきたいと思います。

古の記憶を心で聴いて子どもたちと歩んでいきたいと思います。

 

守静坊の枝垂れ桜

ついに念願の英彦山守静坊の枝垂れ桜が開花をはじめました。この枝垂れ桜は、文化・文政の頃(1804年~1819年)に、英彦山座主の御使僧として京都御所へ上京した真光院普覚という山伏が祇園枝垂の苗木を持ち帰り植樹したものだと伝わっています。

この枝垂れ桜の樹齢は約200年。高さ約15m、幅20mで、品種は一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)と言われています。

京都の祇園の桜のことを調べていたら、祇園枝垂れ桜というものが円山公園にあることを知りました。円山公園は、八坂神社の東側にひろがる京都で最も古い公園です。

なんとこの品種も守静坊と同じで「一重白彼岸枝垂桜」なのです。かつて歌人・与謝野晶子も愛でたという大きな桜は、現在二代目のものです。初代のシダレザクラは、根回り4m、高さ12m、樹齢200年余あったそうですが昭和13年、天然記念物に指定されましたが、昭和22年に枯死したといいます。現在の桜は、これに先立つ昭和3年に、15代佐野藤右衛門氏が初代のサクラから種子を採取し、畑で育成したものを同氏の寄贈により、昭和24年に現地に植栽したものだそうです。現在の容姿は、樹高12m、幹回り2.8m、枝張り10mとあります。

不思議に思ったのですが、守静坊の枝垂れ桜と初代の枝垂れ桜の年代がほぼ同じです。これは私の直観ですが、この桜はもとは同じ桜だったのではないかと感じます。現在の2代目の円山公園の枝垂れ桜は京都は南山城の井手町にある地蔵院の枝垂れ桜を株分けしたものです。この地蔵院の枝垂れ桜の写真をみたら、守静坊の枝垂れ桜にそっくりなのです。

その当時に思いを馳せると、どのような物語があったのかを想像しロマンを感じます。それが200年の歳月を経て、このタイミングで京都と英彦山がつながり枝垂れ桜のご縁で日本文化や信仰を甦生する場が誕生するのです。

ご縁というものは、時空を超えていきます。

どこまでがシナリオ通りなのか、それは神のみぞ知る世界です。私はその天意を邪魔しないように器として支えていくのみです。

皆さんと一緒に、枝垂れ桜の物語を未来に紡いで子孫たちの平和を祈念したいと思います。

甦生の心得

私は甦生の取り組むをする際、とても大切にしている心得のようなものがあります。それはそのものの持っている徳を感じるように取り組むことです。これは言い換えれば、ご縁を感じることに似ています。

自然はそれぞれにいのちがあり天命を生きています。それをそのままに尊重することで、その徳が出てきます。あるがままに活かすというか、ありのままにその時々のご縁を味わうような具合です。

そもそもご縁というものは、一期一会です。

二度とない組み合わせで、その時の記憶に刻まれていきます。これは物の組み合わせも、そしていのちの組み合わせも、その時々の絶妙なタイミングで発生してきます。

みんなその絶妙を生きている存在であり、そこに疑うものはありません。そしてその絶妙で顕れたご縁に対して、それを深く味わっていく方を優先していけばそのうちそのご縁がととのっていくのを感じます。

ご縁がととのうというのは、あるようにあり、なるようになり、あるがままになるというものです。これをある人は、待っているといい、またある人は、満ちるともいいます。

自我というものは、自分の思い通りにしようするものです。ではその反対は、思い通りにしないと通常は考えます。そうではなく、思っている以上の不思議な何かがあると信じるとき、自我合一し自然に想いと一体になります。

想いというものは、操作しているようで操作せず、自分があるようで自分ではない。まるで山のようで、まるで海のようで、まるで空気のように透明です。私たちたちは本来は、地球と一体になって暮らしていますから地球そのものともいえます。

私に与えられた天命とすべてを丸ごと受け容れて生きている方が、あまり執着もせず日々は豊かで楽しいものです。他人と比較せず、あまり持っているとか持っていないとか思わず、足るを知り、あるものを活かす方がみんなの天命に出会えるものです。

年度末で色々と周囲のスケジュールに巻き込まれてしまいますが、こういう時こそ、穏やかな暮らし、日々の暮らしフルネスを楽しんでいきたいと思います。

クラウドファウンディング

今回、英彦山の守静坊の茅葺屋根のクラウドファウンディングをはじめましたが皆さんからとても有難い応援をいただいています。空き家になってからもう随分長く、誰も住んでいなかった宿坊がここで甦ります。

浄化槽もなく、水洗トイレでもなく、車も入っていけないような山深いところにある一軒家がまさかの甦生というご縁を得ています。何の見返りもなく、メリットもない、もう誰からも見捨てられかけた家がみんなのチカラで甦っていきます。

英彦山という山はもともと日本人の富士山のように、九州人にとっては大切な山です。九州自然歩道が英彦山につながっているように、みんな英彦山に参拝したことで道ができています。つまり巡礼の道が、今の九州自然歩道です。

英彦山を中心に、近くにある宝満山、福知山等々、そのつながる山々が修験道という山で模範的な暮らしをする人々の聖地として清められ里の人たちを見守り続けました。そしてそこには宿坊があり、主人がいて知恵を子孫へと伝承していきました。

今回、甦生する宿坊にもその余韻や気配が数々の遺物から感じられます。

屋根というのは、家をもっとも守る場所です。その屋根が、赤さびで傷み、雨漏りする状態になってきました。雨が入れば、木が腐り、シロアリが来てそのうち倒壊します。ここからのスピードは速く、あっという間に家が再起不能になっていきます。

守静坊は、もともとは茅葺でした。宿坊は元来、茅葺によって屋根があります。この屋根を茅で葺いたら今度は、30年後に同じように茅を葺き直します。何度も小さなお手入れをしながら、数十年間をかけて家を守る存在になるのが茅です。

むかしは萱場というものがあり、みんなで茅を育てみんなで屋根をメンテナンスしていきました。こうやって、みんなでチカラを合わせて家を守り社会を守り人々の心を守ってきました。

みんなでこうやってむかしの人たちのように、同じような取り組みができることに仕合せを感じています。これから、どんなご縁が広がり、そして深まり、英彦山が甦り、日本人が甦るのか。

子どもたちに、徳を譲り平和で豊かな懐かしい未来を繋いでいきたいと思います。

よろしくお願いします。

日本三大修験の聖地「英彦山(ひこさん)」の宿坊再生プロジェクト – クラウドファンディングのMotionGallery (motion-gallery.net)

学友との出会い、新たな平和への挑戦

友人のヤマップの春山慶彦さんの協力で英彦山宿坊のクラウドファウンディングをすることになりました。春山さんとは、2年前に宗像国際環境会議の座談会を聴福庵で行った時からのご縁です。

その時を思い返せば、穏やかな佇まいで語り、静かな情熱と哲学、美意識を持っている行動力のある姿に感銘を受けたことを憶えています。そこから約2年、ご縁からの行動を共にしたり英彦山の甦生への取り組みを通してさらにその人柄をすばらしさを実感しました。

振り返れば、その時々に場に誠実に、そしてどんなことからも吸収し学びを深めようとする実直な姿勢がありました。また、山のような深い心をもち長い目で物事を観て矛盾を受け容れつつ今を楽しもうと挑戦をしています。本をよく読み、知識を得ますが同時にそれを社会にどのように還元しようかと常に思案をしています。これは2年かけての私の勝手な人物評ですが、まるで「懐かしい日本の青年」という感じでしょうか。

今、世界戦争の足音が次第に近づいてきています。

私は戦後生まれですから戦争を知りません。しかし知覧の特攻の話や、沖縄の話をその土地のおじいさんやおばあさんから口伝で聞いたり、遺ったお手紙や日記、取材の内容を読んでいるとその当時の日本の青年たちの姿が観えてきます。

その姿は事に及んで真っすぐで誠実、家族のために社会のために自分の使命を全うするために深く学び、そして笑い、苦労を惜しまず命を懸けて運命を受け容れ実直に駆け抜けています。その根底には、深い優しさや悲しみ、そして思いやりを感じます。

私たちの心には、誰が与えたかわかりませんが最初から「真心」というものがあります。その真心に気づき、真心を盡そうと生きるとき、日本人の懐かしい何かに触れていくように思います。きっと歴史の中の青年たちは、この真心を常に生きていたのではないかと私は思うのです。

時代は現代、平和が続いて半世紀以上経ちました。平和で物質的豊かな時代を生きた私たちは何か大切なものを忘れているのではないかということに気づき始めてきています。これからどのような選択をするのかを決めるためにも、私たちはその当時の日本人の願いや祈り、その想いを改めて今こそ思い出す必要があると私は思います。

今回の英彦山の宿坊の甦生は、かつての日本人の心のふるさとを思い出すための大切な象徴になると信じています。

子どもたちに、何を伝承していくことが真心なのか。それは時代時代の人々の真の生き方であることは間違いありません。身近な学友から生き方の素晴らしさを学び合い、磨き合うような出会いをし、新たな平和を築くための挑戦を続けていきたいと思います。

樽の伝承

伝統の堀池高菜をむかしの樽に本漬けしました。このむかしの樽は、隣町にある伝統の味噌屋さんの蔵や建物が解体されるときにいただいてきたものです。もう随分と長い間、味噌をつけていましたが機械化したり樽がプラスチックになったりして使われなくなったものです。

昨日、樽をもう一度綺麗に洗ってみるととてもしっかりとできており隙間もありません。水をはってあげると、出番に喜んでいるような気がして使っているこちらも嬉しくなりました。

そもそも樽の文化はいつがはじまりなのかはよくわかっていません。世界ではおよそ2000年前にケルト人が金属の箍で木の板を張り合わせた丸い樽を作ったのがその始まりともいわれています。

日本国内では鎌倉時代末期に生まれ、室町時代に酒造業などの醸造業の発展と共に急速に広まっていったともいわれています。木工技術でいう結物(ゆいもの)の代表が、この樽や桶です。なので桶や樽を結桶(ゆいおけ)・結樽(ゆいたる)と呼ぶ場合もあるそうです。

これは従来の曲物の桶や樽に比較して強度・密閉性・耐久性に優れ、酒や醤油・油・味噌・酢・塩など液体や水に溶けやすい物資を入れて輸送するのにもとても役立ったといわれます。

もともと桶は、杉や檜などの板を縦に並べて底をつけ、たがでしめた円筒形の容器のことです。そして樽は、同じく「たが」で締めた円筒状の桶の形と同じですが蓋(ふた)があってお酒やしょうゆなどの液体を持ち運ぶのに重宝しました。どちらかというと、発酵させるもの全般は桶よりも樽を用いられています。

この樽の語源は、「ものが垂れる」=「垂(た)り」からきているといわれます。樽という字は木偏(きへん)に尊(たっと)いの組み合わせでできています。つまり「神に捧げる尊い酒壺」という意味で、樽は「神に捧げる入れもの」だったそうです。

よく神社にいくと酒樽が奉納されていますが、まさにあれは樽そのものの本来の役割を見事に顕現している姿です。神様に捧げると思ったらそういう品のある自然の器を用意したいと思うものです。そうなると私ならやはり木樽になります。

大事に育ってくれた高菜だからこそ、その高菜を漬ける塩も、ウコンもそして樽も本物にしたいと思うようになるものです。そしてその樽を安置する場所も、ととのえて清浄にしたいと思うようになります。

よく私はこだわりが強いといわれますが、こだわりが強いのではなく当たり前のことをやっているだけです。当たり前のことがなくなってくるとすぐにそれがこだわりだといわれるものです。

丁寧に暮らしを結んでいくなかで、本来どのようなものが本物であったか。それは自然を尊敬し、日々を大切に丹精を籠めて生きていれば自ずから本物に近づいていくものです。

子どもたちにも本物に囲まれた暮らしを伝承していきたいと思います。

茅葺との出会い

英彦山の宿坊、守静坊の茅葺屋根の準備がはじまっています。そもそも茅葺屋根に繋がるまでのご縁を振り返ってみると不思議なご縁で今に至っていることに気づきます。

思い返せばこの茅葺との出会いは、4年前に故郷にある私が幼い頃から参拝している8体のお地蔵様の建屋を修繕することがはじまりです。このお地蔵さまは私のふるさとの88か所巡りに配置してある石像の一部ですが、コンクリートでつくられた建屋も40年以上たちだいぶ傷みが酷く、屋根などは鉄骨が錆びて崩れてきそうな状態になっていました。

そこでこの場所が山の麓の景観のよいところにあること、また美しい桜の木があること、他にも紫陽花や山茶花、紅葉、梅など年中美しい花を咲かせますからそれに相応しい建屋はなんだろうと考えた結果、茅葺屋根の地蔵堂を甦生させたいと思い茅葺職人を探していたところ出会ったのが今回、茅葺屋根を葺き替えることになった阿蘇茅葺工房の植田さんです。

植田さんには、事情を話し、なんとかやり替えたいと伝えてたらちょうどその時にお地蔵さんと植田さんも縁があって一緒にやりましょうと盛り上がりました。しかしその後、地域の色々な理由から茅葺をすることができないということになりその話は中断されました。

不思議なことに、そのお地蔵さんの建屋から坂をくださったところにある江戸時代から続く藁ぶき古民家を甦生することになり天井の内側の藁ぶきを修繕するということでお願いすることになりました。そこで使われていた古い藁は、他の場所にある色々な藁ぶきの古民家の修繕に再利用されて甦生しています。

そこから少し経って、今回の英彦山の宿坊を甦生することになり最後の仕上げに茅葺屋根をするということで決まり昨日から我が家に職人たち5名が泊まり込みながら英彦山に通い甦生していきます。

お地蔵さんのことがなければ、私はこの職人と出会っていません。そしてこのお地蔵さんの建屋を修繕するために連絡した方がだいぶ以前に離れてしまった親戚だったことがわかり今では一緒に徳積財団を設立し運営しています。

英彦山の宿坊も私の名前をつけていただいた霊仙寺の前住職さんの寺院の傍で同じ谷にあり、その宿坊も山伏研究の第一人者の先生のご自宅でした。共通するのは、150年前の歴史の空白を埋めようと努力され甦生させるために尽力してきた方々の想いがあるということです。

想いがリレーのようにつながり、私の所にたどり着きました。私はその想いをつなぎ今、英彦山から茅葺を使って懐かしい未来を甦生させていきます。

なぜ今、こうなったのか、なぜ今、これをやっているのかは色々な人たちの想いがつながって今に至っているからです。お地蔵さんも、宿坊もすべて信仰の想いを残してくださった先人たち、そしてそれを渡してくださった方々、さらに私と周囲の人たちが次世代へとつなげていこうという願いや祈りが形になっていくのでしょう。

子どもたちに伝道し伝承できるものを、自分なりに努めていきたいと思います。

知恵の本質

経験というものは知恵そのものです。人は経験をするという時点で知恵を得ているともいえます。経験をよく観察すればするほどに、そこには知恵が隠れていることがわかります。失敗をすることも成功をすることも、それは実はどちらでもよく大切なのはそこから何を学んだかということです。

この経験は、時間が経つことで観えてくる境地があります。経という字は、もともと縦軸の意味があります。つまり長い時間をかけて培われてきた知恵のことです。お経もひょっとしたら、その経の意味もあるのかもしれません。

そしてその縦軸の経験をじっくりと何回もその時々で観察してみる。すると、時間が経つにつれ、経験の質量が増えていくにつれ知恵が鮮明にかつ多面的に入ってくるようになるのです。

一つの小さな経験が、他の経験の助けにもなります。

よく一つを極めた人が、他でも極めていく道楽者の人たちをみかけますがこれはあらゆる経験から知恵を会得しその知恵によってまた別の道も達していくのです。先達というのは、あらゆる知恵を会得するような経験や体験を修練を積んで得た人です。

私たちは今、頭ばかりつかって知識を得ていますがそれで分別知は磨かれます。わかりやすく整理され、複雑な言語を使い分けまた新しい定義の言葉を産み出せます。しかし現実の世界では、現場がありますから場に真実が出てきます。

その場は、身体感覚や五感、そして直観や第六感などあらゆる全体を駆使して知恵を活用していかなければ物事を真に理解し全体と調和していくことができません。つまり知恵が必要になるということです。

子どもたちには、知恵を学ぶことの大切さを背中で伝えていきたいと思います。自分を信じて、経験をすること、観察すること、そして修練を積み、知恵を磨くことを伝承していきたいと思います。