いのちを守る実践

土地本来の樹木で森を再生する植林活動に長年取り組んだ植物生態学者で横浜国立大名誉教授の宮脇昭さんが先月、お亡くなりになりました。森林再生で「宮脇方式」(ミヤワキメソッド)を発明して4000万本の木を植え世界に貢献しました。

宮脇さんは、現在の多くの土地や森は過度な土地の開拓や、商用林の過剰などの現代人たちがやってきたことで土地本来の多様性や強さを失ってしまったといいます。その土地に適した植物を使って自立する森をつくることで自然本来の姿に戻そうというのが宮脇さんの提案することでした。

シンプルに言えば、本来の森に帰す、森の育ちを邪魔しない方式、自然農も同様に自然を尊重する甦生の仕組みということになります。

具体的なメソッドの特徴は、「本物の自然に帰す」「混色して密集させる」「毒以外は資源にする」「スコップ一つで誰でもできる」など、生態系を活かす知恵が仕組みの中にふんだんに取り入れられています。この方式で、300年の森を30年で実現させ、都市部にも生態系との共生を実現させています。つまり世界のあちこちで日本の伝統の鎮守の森をつくり守り育てる活動が広がっているのです。

地球温暖化で、一昨日から故郷では記録的豪雨で水害が起き、世界では熱波や山火事、そして砂漠化や砂嵐、バッタなどの大量発生、ウイルスなど気候変動はもう待ったなしで人間に襲い掛かってきます。この原因をつくったのは人間ですから自業自得ともいえますが、だからといってこのまま指をくわえて何もしないというわけにはいかないのです。子どもたちがいるからです。

未来のために何ができるか、そこでよく考えてみるとやはり唯一の方法は「自然を敵視せず、自然を尊敬し、自然と共生する」しかないと私は思います。そのために、どうやったら自然と共生できるかをこの日本から世界に発信していく必要があるのです。

私の提案する暮らしフルネス™の中には、この生態系と共生する智慧も暮らしの実践の中に入っています。発酵の智慧も、自然農の智慧も、生き方の智慧も、この森林甦生の智慧もまた暮らしの一つです。

日本人は、本来、スギやヒノキや松は暮らしの中で活用することが前提で植樹を続けていました。その暮らしをやめてしまっているから潜在自然植生も失われて森が荒れてやせ細っていったのです。近代の文明を全部をやめて、商業的利用をすべて停止してなどといっているわけではありません。

本来の豊かな暮らしは、半分は自然との調和、半分は人間社会での発展というバランスの中に心と物の両面の真の豊かさと和、仕合せがあります。極端な世の中になっているからこそ極端な対策が出るのであって、最初から調和していればそれは日々の暮らしの小さな順応で十分対応できたのです。

最後に宮脇さんの遺した「いのちの森づくり」の言葉を紹介します。

「日本には、世界には無い『鎮守の森』がある。木を植えよ!土地本来の本物の木を植えよ!土地本来の本物の森づくりの重要性を理解してください。土地本来の森では高木、亜高木、低木、下草、土の中のカビやバクテリアなどいろいろな植物、微生物がいがみ合いながらも少し我慢し、ともに生きています。競争、我慢、共生、これが生物社会の原則です。いのちの森づくりには、最低限生物的な時間が必要です。潜在自然植生の主木は深根性、直根性で、大きく育った成木を植えても育ちにくいものです。大きくなる特性を持った、土地本来の主木群の幼苗を混植・密植します。生態学的な調査と知見に基づいた地域の潜在植生による森づくり、いのちと心と遺伝子を守る本物の森づくりを今すぐ始めてください。潜在植生に基づいて再生、創造した土地本来の森は、ローカルにはその土地の防災・環境保全林として機能し、地球規模にはCO2を吸収・固定して地球温暖化の抑制に寄与します。生態学的には画一化を強要させている都市や産業立地の生物多様性を再生、保全、維持します。さらに人間だけではなく人間の共生者としての動物、植物、微生物も含めた生物社会と生態系、その環境を守ります。本物の森はどんぐりの森。互いに競争しながらも少し我慢し、ともに生きて行く、というエコロジカルな共生を目指しましょう!あくまで人間は森の寄生虫の立場であることを忘れてはいけません!森が無くなれば人類も滅びるのですから。」

私が感銘を受けたのは、本物は耐える、そして本物とは何か、それは「いのち」であるということです。一番大切なものは「いのち」、だからいのちの森をつくれと仰っているように感じます。

いのちの森は、鎮守の森です。鎮守の森は、古来よりその場の神奈備が宿る場所、それを守り続けるのはかんながらの道でもあります。子どもたちの未来のために、私も子どもたちのために未来のために、いのちを守る実践を公私ともに取り組んでいきたいと思います。

 

年中行事の意味

お盆に入り、ゆったりと休みを過ごしています。もともと以前にも書きましたが、お盆の行事は西暦606年からはじまります。江戸時代までは一部の武家、貴族、僧侶、宮廷だけで執り行うものでした。それが蝋燭や提灯など、必要な道具が安価でできるようになり一般庶民にも広がっていったといいます。

江戸時代までの日本は、休日といえば正月とお盆くらいしかなかったといいます。基本的には、日々の暮らしの中で仕事をするのではなく「働く」という意識で生活共同体を組んでいましたから日々の暮らしの中では休みと仕事の境界線はありません。今では出勤しているときとそうでないときで分けていますが、家で働く丁稚奉公などの場合も含め一緒に住んでいますからほとんど家事手伝いのように協働しながら暮らすのです。

お盆休みという風習は、「藪入り」といって江戸時代の商家に広まったのがはじまりといいます。最初はお嫁に行った女性が実家に帰る日のことで関西では親見参、六入りとも呼ばれていたそうです。まとまったお休みが取れ実家に帰ることができるのが、正月とお盆だけというのは今の人たちにはびっくりするかもしれません。今のような便利な時代には、いつでも家を空けられ仕事も交代できますが少し前まではそんなことができないほど社会で構成されていたのです。今では、日曜日が休みになっているのは当たり前ですがこれも第二次世界大戦以降のものです。テレワークなどというのは、この150年の間での働き方でいかに大きな変化であるのかがわかります。

話を藪入りに戻せば、江戸時代は将来、仕事として職人や商人などになるために、13~14歳くらいから師匠や商家を選んで丁稚奉公をする時期でした。基本的には、弟子入りするのだから奉公人たちには、ほとんど休みはありません。しかし今のように学校にいかなくても働きながら現場で身に着けて、時にはその稼業を継いだり、暖簾分けをしたりとして後継者を育成していた暮らしの智慧だったのでしょう。

正月とお盆に、丁稚奉公や嫁に嫁いだ娘が実家に帰ってきてゆっくりと休んだり、親孝行をするという文化は今でも色褪せなく残っているように思います。今はコロナで帰省をするなと政府は言いますが、なぜ帰省しようとするのかをよく共感して話す必要があると私は感じます。

離れていて、なかなか会えないからこそこの貴重なお盆と正月にみんなに会いたいと願うのは日本の生活文化であり、日本人の家族を大切に思う真心と生き方です。

休みをどう使うのか、それはその人の自由です。しかしその休みには本当はどんな意味があったのかはちゃんと伝承していく必要を感じます。日本にはとても素晴らしい年中行事がたくさん残り今でも継承しています。西洋文明が入り、旧暦が新暦になり、カレンダーやスケジュール、また商売的な行事が増えて本来の日本の伝統行事は薄まってきています。

しかし意味があったものをただ意味もなく続けることは、かえって本来の行事を喪失させていくことになります。これは理念というものも同様に本来、意味があっている理念を思い出しもしないでただやっていると理念が形骸化し本当の意味も喪失していきます。伝統行事もまさに同じく、私たちはちゃんと意味を思い返しながら実践していくことが遺したいもの譲りたいものを次世代へとつないでいく責任であり、智慧は私たちの代で終わらせるものでもないのです。

自然の篩にかけられて消えるのならいいのですが、不自然な篩にかけられて失うのは本意ではありません。子どもたちにいつまでも大切な願いや祈りが伝わっていくように、私たちは意味を甦生させ紡いでいく役割があります。

お盆休みの意味を味わいながら、あと数日ほど大切に過ごしていきたいと思います。

線香と徳

盂蘭盆会で昨日から準備をし火をたいてご先祖様へのおもてなしをしています。この時機は特に線香との縁が深くなるので、引き続き線香についてもう少し書いてみます。

昨日のブログでは、お香の伝来に関することで日本書紀にある聖徳太子のことなどを書きましたが今のような棒状の線香になるのは16世紀半ばに中国から伝来し17世紀半ばころから国産されるようになったといわれています。

具体的には日本では『御湯殿上日記』や『実隆公記』、『言継卿記』などの文献に室町時代には伝来していたといわれています。その当時は公家の贈答用品でした。国産で線香がつくられたのは諸説ありはっきりとしていないといいます。一つには、長崎で五島一官という人物が1667年頃に造り始めたという説。もう一つには堺で線香の形状が発明され一般に用いられるようになったという説があります。

もともとこの線香は、正式には「綫香」と書きます。この「綫」という文字は「細長い糸」という意味です。細く長くすることで燃焼時間を伸ばし香りの発生を一定にし燃焼が安定していることから扱い易いことから今でも重宝されています。

江戸時代では、この線香は時計の代わりにも使われたといいます。禅寺では座禅を行う時間の単位として、約40分の燃焼で「一炷(いっちゅう)」としました。

また線香の種類には、主に「匂い線香」と「杉線香」というものがあります。匂い線香は椨(タブ)の木の樹皮を粉末にしたものに白檀や伽羅といった香木の粉末や他の香料、炭の粉末、その他の材料を加えて練り、線状に成型・乾燥させたものでできています。そして杉線香は3ヶ月ほど乾燥させた杉の葉を粉砕機や水車を用いて粉末にしたものに湯と糊を加えて練り、線状に成型・乾燥させたものでできています。現代では、煙が出ない線香がでたり、ハーブやラベンダーなどの香りの線香もできています。

時代の変化でお香も辿ってきた歴史があり、香道といってその奥深さを味わう実践も弘がっています。本来は、仏教で誕生したもので盂蘭盆会では供養として線香は欠かせません。仏教の経典、俱舎論には人があの世にいくと生前に徳を重ねた人は良い香りを食べることができると記されています。先祖や故人に振る舞うおもてなしとして、線香を焚くことはその徳を偲ぶことにもなると思います。

最後に、では線香は何本をあげてどのように焚くのかという疑問があると思います。私もよくお寺などで色々な立て方をみては、どれが本当だろうかと思うことがあります。調べてみると、宗派で様々で1本~3本くらい、横に寝かせているものもあります。

ある宗派では、一本は一心不乱、二本は戒香・定香、三本は三毒を焼くという意味であるといいます。どちらにしても、本数の問題ではなく大切なのはその真心で線香をお供えするということに仕合せを感じます。

子どもたちがいつまでも安心してこの先も生きていけるよう、先祖や故人の見守りに感謝しその徳を偲んでいくことを伝承していきたいと思います。

 

香福

盂蘭盆会の準備で、今年も室礼をしご先祖様を迎える準備をしています。その中でお香のことを深める機会がありました。少し整理してみたいと思います。

もともと日本最古のお香の記録は推古3年(595年)現在の淡路島に流れ着いた大きな流木を薪にして火にくべたら何ともいえない高貴な香りがしたことが発端だったと日本書紀に記されています。この時、驚いた島民がこの立木を献上したところ聖徳大使がこのお香を嗅いですぐに「香木である」と答えたといいます。

びっくりした島民がすぐさまこの流木を献上したところ、この香りを嗅いだ聖徳太子が「沈である」とお答えになったそう。【沈】とは香木・沈香のことで、この頃にはすでに香木の存在が知られていたということが伺えるエピソードです。このころはすでに仏教が伝来していますから中国から入ってきた漢薬(香原料)が使われていたといいます。これが現在の焼香になっていきます。

淡路島は、現在でも線香の生産量日本一を誇ります。まさか日本のお香の歴史が淡路島からはじまったということは私も知りませんでした。

その後は奈良時代に入り、鑑真和上が授戒、建築、薬草などを日本に伝えました。その中に唐から持ち込んだ薬草や香原料を調合してより効能の高い薬もつくられました。この調合の仕組みでいくつものお香が発明されました。この時代のお香の効能は、魔除け・厄除け、防虫などで用いられます。そして東大寺の正倉院には、日本最古の香袋(匂い袋)が収蔵されています。

ここから聞香や組香などの香道が開いていきますが、このお香は奥が深く今回の記事では書ききれそうもありません。

私は、日ごろから白檀のお香を好んで使っています。この白檀は仏教との関わりが深い植物で数珠や仏像、位牌(いはい)などの仏具にも使用されます。お釈迦様を荼毘したときにもこの白檀が使われたといいます。

この白檀は、木の幹の部分が白っぽいことから「白檀」と呼ばれるようになったといいます。科学的にはサンタロールという成分の香りですがこの成分は化学合成できないため大変貴重なもののままです。

仏教では、お香を供えることを供養としています。このお供えするというのは、仏様やご先祖様へのおもてなしでもあります。心を沈めて線香をたき、手を合わせて故人へ御供養、おもてなしをする。

まさに室礼の原点であり、一年の中でこのお盆の時期がもっとも私にとっても心安らぐ暮らしの仕合せの時間になっています。子どもたちにもこの線香の歴史と意味を香福と共に伝承していきたいと思います。

自然と離れず

気候変動が気になるニュースばかりが世界で放映されています。今年は作物をはじめ季節のあらゆるものが2週間くらい前倒しになっているのを感じます。また寒暖差も激しく、今までの緩やかさがなくなってきているようにも思います。

世界はコロナであまり話題になっていませんが、実は本当に深刻なことはこのコロナではなく気候変動から発生する様々な自然災害だと私は感じます。

自然災害といっても、大雨や地震などのほかにも緩やかな災害というものがあると思います。それは時間をかけて砂漠化していくものであったり、逆に水没していくような環境の変化です。他にも、動植物が変化に耐えられず死滅していくことなどもその一つです。

こういうことを話すと脅しているように感じたり、極端な意見という人もいます。しかし人間はもしもに備えるからこそ災害に対応できるのであり、その予兆を直観できなければ自然と調和して対応していくこともできなくなります。

都会的な生活は、自然環境を無視して存在します。もしくは自然を敵視し、徹底的に排除していきます。その生活が慣れてしまえば、自然への畏敬を忘れてしまい自然をなめてしまいます。そうなると、ほとんど対応がでずに思考停止してしまうでしょう。

そうならないように自然から半分は離れずに半分は寄り添う生活をしていくことが日本人の伝統的な暮らしの智慧であったのです。その証拠に、古民家は半分は自然で半分は人工的です。

これを今の時代も上手に調和させていけば、時代が変わっても私たちは自然と共生しながら人類の社会を永続的に発展させていくことができるように思います。

時代的に今は、大きな分水嶺を迎えています。暮らしフルネス™の実践にそって、これからの生き方を子どもたちに伝承していきたいと思います。

免疫の仕組み

コロナによって自然免疫というものが注目されてきています。いくらワクチンを打ったからと安心ではなく、このさき様々な変異株が発生すればワクチンが効かないようなウイルスも沢山出てきます。それはコロナだけではなく、温暖化の影響によって今まで静かに小さな範囲で生きていたものが変異して暴走して世界を席巻することもあるかもしれません。

地球環境の変化と共に、あらゆる虫やウイルスや菌などは新たに変異して急増急減してバランスが崩れていきますからこの先も油断できません。人類はこれまで生き延びてきた中で、様々な困難を乗り越えてきました。そこには気候変動もあり、今回のような病原菌やウイルスの蔓延もありました。時として、かなりの人たちが犠牲になりその期間を生き延びてきて子孫たちに希望をつないできました。

そう考えてみると、私たちには過去に乗り越えてきたという実績があり、実力があります。それが自然免疫として身体に記憶されていますからそのことによって私たちは新たな困難を乗りこえていくことができるのです。

現在は、科学が進み短期的にはウイルスに対応できていますが今までの歴史ではほとんどやったことがない対応策で今回のコロナは乗り越えようとしています。過去の先人の智慧を使わずに、先端科学だけに依存することに危機を感じています。

私たちは自然免疫を持っています。そして獲得免疫というものを持ちます。シンプルに言えば、元来生まれながらに備わっている免疫と、育っていく中で身に着けていく免疫というものです。

この免疫という言葉の語源は、ラテン語のimmunitus(免税、免除)や immunis(役務、課税を免れる)といわれます。つまり疫病(感染症)を免れるという意味で「免疫」となります。

人間の身体は60兆個ものさまざまな細胞でできていますが、もともと自分の身体というものを構成する以外の外敵の侵入により個体破壊されたり寄生しつづけないように自己の細胞と自分のものでない(非自己)の細胞を見分けています。この見分ける仕組みが免疫であり、私たちは一度感染したものを二度と侵入させないようにするようにできているのです。

この仕組みで免疫を働かせて生きていますから、もしも今まで感染しなかったものが来れば平易に感染してしまいます。この世界で生活をしていたら、実は身の回りには無数の病原菌やウイルスが存在します。それを免疫システムによって防いでいるというのは当たり前のようにみえてとても偉大な身体の仕組みであることがわかります。

免疫は、感染してからも早めに対応すれば獲得免疫によって善処することができることもわかっています。常に健康を維持して、心身が常に免疫を保てる状態にしていれば感染しても免疫の仕組みによって乗り越えていくこともできるといいます。

この60兆ある細胞を持つ、奇跡の存在がこの身体にありますから身体を信じて健康を保つための工夫をすることが長い目でみて人類がこの先の子孫と共に地球に生き延びるための智慧であるのは自明の理です。

この世にいるウイルスの種類や数は、発見できていないのを含めると無限に存在します。共生し合う関係をどう保っていくかは、人類の大きな課題であり、地球の調和の中で生き残る智慧の活用です。

子どもたちにも、この困難が転じて福になるように暮らしフルネス™の実践を磨いていきたいと思います。

場の甦生~みんなの場~

昨日、有志たちと一緒に故郷の滝行の場にある古い建物を解体してきました。ここは、非常に歴史のある山岳信仰の場所で800年以上前には非常にたくさんの山伏たちがここに立ち寄り修行をしたところと言い伝えられています。

その後、明治以降に炭鉱の採掘の関係で韓国人の方々がたくさん来られその中でこの滝行の場を使って参拝していたといいます。山岳信仰や自然崇拝は古来から、世界の各地にありますからむかしは宗派なども関係がなくみんなで自然に祈祷をしていたのでしょう。

この信仰の場も、以前はいろいろな人たちが各地から集まり国を超えてみんなで参拝していたといわれます。争うこともなく、互いに尊重しながらその場所をみんなで大切にしていたといいます。

現在は、すぐに誰の土地であるかと土地争いばかりをしている話をききます。境界線で争ったり、相続で争ったり、売買で争ったりと、本来の土地の持つ「場」の意味は失われ個人主義の中で利ばかりを争います。

本来、場所はみんなのものであり誰かのものではありません。これは地球も同じく、自然も等しく、人間だけのものではなくすべての生き物たちが共有しているものです。権利の主張し法律で裁けば、自分のものになってしまっていますがそんなものは本来一つもないのです。

みんなで共有の場を持つというのは、お互いにその場所を大切にしようと思うようになります。あくまでその場をお借りするという意識があれば、いつまでも借りたままに大切にします。それを自分の土地となると好きににしていいとなれば、なんでも自分の利益と都合のよいようにしていくのでは廃れていく一方です。

みんなのものだからこそ、大切に守っていく心も育ちます。そのためにも、みんなものという意識を持つための「場」を整えていく必要があるのです。

「場」が整っていくというのは、みんながその場に対して深い絆を結ぶことにもなります。場というのは、言い換えれば「みんなの場」であり一人でできるものではありません。

その場に集まった人たちが、どれだけ場を大切に思い磨いたかでその「場」は清らかにもなり美しくもなり、そして力も持ちます。善い場所には、必ずみんなの働きがあり、聖地のような場にはそこに関わってきた人たちの祈りや願いが場に遺っています。

私は場道家を名乗っていますから、場を磨き整えることが暮らしの中心です。子どもたちにいつまでもみんなの場が活かされていくように場の甦生を磨いていきたいと思います。

伝承の恩恵

日本にある民俗芸能の一つに「獅子舞」というものがあります。これは日本ではもっとも多い民俗芸能の一つです。この民俗芸能は、世界大百科事典にはこうあります。

「民族それぞれの社会生活の中で,住民みずからが演者となって伝承してきたきわめて地域性の濃い演劇,舞踊,音楽の類をいう。いずれも,地域の生活・風土と結びついて伝承されるものだけに郷土色が濃く,そのため日本では郷土芸能,郷土芸術などと呼ばれる。この種の芸能は世界のどの民族にも存在するが,欧米のような,墨守よりも創造に情熱をかける国々では,いわゆるフォークダンスのようなものも自由に編作・創作の手が加えられて,昔ながらの伝統を残すものが少なくなっている」

民俗芸能は、たくさんの種類がありますが私たちの郷土にはこの獅子舞がまだ伝承されて実施されています。この獅子舞の由来はインド由来という説もありますが最古の記録としては、1世紀ごろの中国に始まったといいます。その漢書には「象人若今戯魚蝦師子者也」(象人は、今の魚蝦・獅子を戯するがごとき者也)と記されます。

それが日本に伝来したのが奈良時代だといいます。そして全国に広がったのは、16世紀のころに伊勢で正月に飢饉や疫病除けに舞われるようになりました。それが伊勢詣でや伊勢講などの発展と合わせて江戸に広がり、悪魔祓いや縁起物、また祝い事や祭礼で舞われることから全国的に広がったといわれます。

かつて山伏たちも権現舞といって、正月とか家の祝事などに各戸を巡って、家内繁盛、五穀豊穣、災厄鎮送を祈祷する舞を演じたそうです。私たちの地域にも、法螺貝を頭にのせて邪気を祓うという行事もあります。

獅子舞でも、獅子は疫病除けの効果があるとして邪気を食べてもらうために頭を噛んでもらったらいいと子どものころに何回も噛んでもらいました。小さな子どもたちがわんわん泣いていたのを覚えています。この獅子が噛むのは、「かみつく」が「神が着く」ということもあり縁起が担がれていました。

地域によってその舞の種類も音楽の種類も異なります。私の郷里ではこの獅子舞の音色を聴くと何か心に懐かしいものを感じます。すぐに思い出すこともでき、舞の様子が脳裏にすぐに浮かびます。

長い時間をかけて伝承し継承してきた民族芸能は、私の先祖たちがみんな同じように幼いころからその郷土の風土や風習の一端を担ってきたものです。故郷とのつながりは、私達の先祖が繰り返されてきた祈りや願いと結ばれています。

現代は、もう若い人が田舎にいなくなり地方のこういう民俗芸能を伝承する機会も失われてきました。意味があって受け継がれてきたものも、今では意味がなくなっているようにもなっています。

子どもたちが安心して風土の智慧を獲得できるように、今の時代に甦生させて伝承の恩恵をつないでいきたいと思います。

信仰の原点

人は自分の中で大切にしている場所というものがあります。その場所を守り続けることは、その人の心の故郷を守り続けることでもあります。私にも幼いころから大切にしている場所があります。その場所は、何か人生で大切な節目や自分が祈るような思いで心情を丸ごと開いて安心しているところでもあります。

その場所を守り続けるのは、守ろうとしているのではなく守られているからこそ守りたいと思うようになるのです。つまり人は皆、見守ってもらっていると実感するからこそ見守りたいと思うようになるのです。その人にとっての大切な場所は心の安心基地でもあるということです。

例えば、信仰というものもこれに似ています。

何か偉大な存在によって自分が守られていることを信じているからこそ、自分もその偉大な存在を信じ守ろうとします。信じるものは救われるという言葉もありましたが、救われると信じているからそうなるということでしょう。

信仰を守るというのは、いつもその関係を磨き続けるということです。それがお互いの関係を研ぎ澄まさせ、偉大な信じる力を引き出しあっていくことができるのです。

そう思うと、私たちはずっと今まで大切なものに守られてここまで来ました。今の私たちが存在しているということは先祖たちがずっと見守ってくださっていたからあるのは自明の理です。

自分がその先祖たちに見守られていると実感するとき、その先祖を見守りたいと思うようになります。こうやってお互いに見守りあうことによって私たちは今をよりよく生き切ることができるようになるのです。

他にも故郷の山や川、海などの自然、食べることができること、などもすべて私たちに与えてくださっているものです。それを実感するとき、有難いことに気づきそれを大切にしたいと思うようになるのです。そこから、それを守りたいと思うようになるのです。

この時代、守りたいと思っていたことが失われていくのを感じます。人間の目先の欲望によって、大切な場所もどんどん壊れていきます。これは自分たちがその場所に守られていることを忘れたことを意味します。

忘れたことを思い出すためにも、私たちはもう一度、原点回帰する必要があります。本当は何によって守られているのか、何に守られ続けているのか。この当たり前の問いに立ち返るということでしょう。

子どもたちに守り守られる存在を伝承できるよう、その意味や関係を磨きなおしていきたいと思います。

文化財の本質

文化財のことを深めていますが、実際の文化財というものは有形無形に関わらず膨大な量があることはすぐにわかります。私の郷里でも、紹介されていないものを含めればほとんどが文化財です。

以前、人間国宝の候補になっている高齢の職人さんとお話したことがあります。その方は桶や樽を扱っているのですが50軒近くあったものが最後の1軒になり取り扱える職人さんもみんないなくなってしまい気が付けば自分だけになったとのことでした。そのうち周囲が人間国宝にすべきだと言い出したというお話で、その方が長生きしていて続けていたら重宝されるようになったと喜んでおられました。

このお話をきいたとき、希少価値になったもの、失われる寸前になると国宝や文化財になるんだなということを洞察しました。つまり本来は文化財であっても、それが当たり前に多く存在するときは文化財にはならない。それが失われる寸前か、希少価値になったときにはじめて人間はそれを歴史や文化の貴重な材料だと気づくというものです。

そう考えてみるとき、私たちの文化財というのもの定義をもう一度見つめ直す必要があると感じます。実際に、私は暮らしフルネス™を実践していますが身のまわりのほとんどが伝統文化をはじめ文化財に囲まれてそれを日常的に活用している生活をしています。

これを文化財と思ったこともなく、当たり前に日本の文化に慣れ親しみ今の時代の新しいものも上手に導入して流行にも合わせながら生き方と働き方を一致して日々の暮らしを味わっています。

そこには保存とか活用とか考えたこともなく、ごくごく自然に当たり前に暮らしの中で文化も文明も調和させています。農的暮らし、ICTの活用、和食に文明食になんでもありです。

そしてそれを今は、「場」として展開し、故郷がいつまでも子どもたちが安心して暮らしていけるように新産業の開拓と古きよき懐かしいものを甦生させています。私は文化財が特別なものではなく、先人たちの有難い智慧の伝承を楽しんでいるという具合です。

本当の問題は何かとここから思うのです。

議論しないといけなくなったのは、何か大切なことを自分たちが忘れたから離れたからではないかとも思うのです。山岳信仰も同様に、山の豊かさを味わい畏敬を感じてそこで暮らしているのならそれは特別なものではありません。そうではなくなったからわからなくなってしまい、保存とか活用とかの抽象論ばかりで中身が決まらないように思います。今度、私は山に入り山での暮らしを整えるつもりです。そこにはかつての山伏たちの暮らしを楽しみ、そして流行を取り入れて甦生するだけです。

何が文化財なのかと同様に、一体何が山岳信仰なのかも暮らしフルネス™の実践で子どもたちのためにも未来へ発信し歴史を伝承していきたいと思います。

人間がわからなくなっていくときこそ、初心や原点に立ち返ることです。この機会とご縁を大事に、恩返しをしていきたいと思います。