文化遺産から文化活産へ

前の時代のものや先人たちが遺してきた文化財というものは、前の人たちが築いたものです。それをそのまま引き継いでしまうと私たちは前の時代のものを今の時代のものに変えていくことでそれが単に遺産ではなく一つの活産になっていくのです。

私は古民家甦生をはじめ、あらゆる文化遺産の甦生を試みていますがそれは今の時代に生まれたものとしての使命があると感じているからです。

先人たちのやり遂げたことを尊敬し尊重しながら、それを今の時代でも同じように実践し、前の人に恥じないように甦生させていく。この連続こそが本当の意味での文化であり、伝統を守るということなのです。

それを現代では、遺産を保護するということによってかえって何も手を出すことができなくなり活産のものまで遺産にしてしまうといった本末転倒になってきているものもあるように思います。

文化財を本当の意味で保護するとはどういうことか。私にしてみたらそれはこの時代の人たちが文化を甦生させていくということなのです。甦生なくして本当の意味での保護はないということです。

よく考えてみれば、建物が遺産になっていますが実際にはその時代にずっと長く続いていたその場での暮らしというものがあります。それが守られているからその結果として建物が手入れされ続けて今まで残っているのです。その場の暮らしがなくなれば、当然の結果として建物もなくなります。その建物だけを遺しても、中身がありませんから建物だけを保存するのに莫大な費用が掛かり続けます。

経営でいれば、使わないし投資回収もしないものに資金を投下し続けるということです。それが大事なものであるのなら、きちんと資産にしてそれを活用していく必要があります。その活用の仕方は無数にありますから正解はありません。しかし大切なのは、その文化を磨くことをやめてしまった遺産にしないということです。

例えば、日本人であれば和食というものがあります。その和食を食べなくなれば和食遺産というものができます。その和食を食べることもしないのに、只管和食文化を守ろうとすればどうなるでしょうか。永遠に和食が続くようにするには、和食を食べ続けられるように和食を甦生し続けてその時代に相応しいものに革新していくしかないのです。

日本の伝統工芸もまた然りで、材料を保存するとあってもそれを維持するためにどれだけの費用がかかるのか。その材料を短期的には保護できても、長期的にみたら使わないものをただ生産し維持することが難しいことは誰でもわかります。

本来、当代に生まれた人たちはそれを当代でも活かせるようにしていくことで経済や産業を発展させていく使命があります。時代は巡りますから、また3世代くらい廻るくらいで原点回帰していきます。するといつまでも遺産ではなく、活産として暮らしの中で私たちは伝統文化の恩恵を享受され続けていくのです。

文化を守るためには、その場の暮らしを一緒に甦生させていく必要があります。私が「文化の甦生」と合わせて「場の甦生」にこだわるのはこの理由からです。

活産にしていくことは、今までの祖先の御恩に報いることです。子どもたちのためにも、遺産を磨き甦生させ活産にしていきたいと思います。

 

保存は目的ではない

むかしから人々は大切なものをみんなで守ってきました。それは信仰であったり、風習であったり、生活習慣であったりもですがそれを伝統や文化という言い方もします。

その実践をしてきた建物などは、今でも文化財として認定されて保存されています。しかし現代は、その文化財の保存は文化庁や行政が行うことになりあまり地域やそれまで守ってきた人たちとの関係も薄れてきています。

その当時は、何かの店舗であったり役場の代わりだったものが時代が変わり使われなくなっています。誰も来なくなったものもかつては役目を果たした建物だからと文化財として保存することになります。

確かにその文化があったこと、歴史があったことの価値を後世に伝えることは大切です。しかしそれが保存だけになってしまえば、維持するのにも大変な労力と費用が掛かってしまいます。

同時に今の時代に相応しいものに甦生させて活用していくことで、もともとあった文化の意味や歴史が現代につながるのです。

人が何かをするときは必ず理念ありきで、何を変えて何を変えないかを決めることが先にあります。何のためにそれを遺すのか、何のためにそれを修繕するのかをまず定めたなら変えるものと変えてはならないものが定まるのです。

そこからは大胆に手をいれて甦生させていけばいいのです。

結局、法律や制度に依存してしまい目的や理念をおざなりにしたら形的には保存できても本質的な保存ができなくなっていきます。これは文化財などに限らず、組織や会社、あらゆるものに同じことが起きます。

何のためにを定めたら、目的を忘れずにかかわる人たちと一緒に取り組んでいけばそこに智慧も生まれ、活用方法にいたるまで磨かれていくうちに達していくのです。つまり保存は目標にはなっても目的にはならないということです。

現代は、文化が物凄い勢いで消失していく時代です。私の取り組みが子どもたちの新しい文化の活用になっていくように取り組んでいきたいと思います。

和菓子のはじまり

落雁のことから和菓子のことも深めています。もともとこの「菓子」は縄文時代、古代の人々がお腹が空くと木の実や果物を採って食べていたのがはじまりともいいます。木の実や果実を間食する、これが「果子」(かし)の原型なのでしょう。

今でも、お菓子といえば間食するものではありますが古代のころは食べ物を加工する技術もなく、果物の甘味はとても特別なものだったように思います。縄文時代の遺跡からは栗や柿などは栽培されていたことがわかります。それを次第に石臼などで加工する技術が発展してきました。

農耕はしていたもののどんぐりなども食べていたことがわかっています。そのどんぐりや木の実はアクが出ますから水にさらしてあく抜きをしてそれを丸めたものが発明されました。これが団子のはじまりともいいます。そして日本最古の加工食品ともいわれる「御餅」も発明されます。貴重なお米を原料にしたのでこれは神様に備える神聖なものとして重宝されてきました。

その後は、中国(唐)との交流や茶道が発展しこの菓子はさらに進化していきます。多様な素材や季節感を取り入れながら日本独自の和菓子という言葉も誕生しました。

和菓子には日本人の美意識や歴史の結晶ということになります。

和菓子には代表的なものとして、お饅頭、お団子、羊羹、上生菓子などあります。この和菓子は材料や製法で分類されることやその水分量によっても分類されることがあります。水分量が多めの生菓子と半生菓子、干菓子などで分かれることもあります。

実際には、全国各地のその風土と風景と一体になった和菓子があり膨大な種類のものが日本には存在します。その土地の名産であったり、饅頭などはその土地土地で材料も味も、見た目も異なります。

多様な風土と和合して和菓子は今まで発展してきたのです。

現代では、和菓子の不人気なども相まってかなりの種類の地域の和菓子が失われてきました。長期保存ができコンビニで買える便利なスナック菓子を食べているうちに、多様な文化と風土のお菓子が消えていきました。

私は柏屋さんの饅頭が理念を含めて大好きですが、日本を代表する伝統和菓子が子どもたちにも受け継がれていけばいいと心から感じます。どんなものにもそのものの始まりと風土、歴史、文化があり、それを食べることで私たちは地域とのつながりや循環を繁栄させていきました。

食べることはただ自分の欲望を満たすためのものではなく、私たちは食べることで自然との感謝や共生、豊かさや幸福などを創造してきたのです。日本を代表する和菓子が、日本の未来を美しく彩るように暮らしフルネス™を通して見守っていきたいと思います。

落雁の価値

昨日、伝統菓子の落雁(らくがん)を専門でつくる会社を経営する方とお話をする機会がありました。この時季、お盆のころの落雁はいつも身近にあったものですが改めてこの伝統和菓子の落雁のことを少し深めてみようと思います。

落雁は、名前が特徴的ですが名称の由来には諸説あります。例えば、明の軟落甘 (なんらくかん) から「軟」が欠落して転訛したという説、また形が落雁に似ているところから近江八景 の一つ「堅田落雁」からという説、そして本願寺綽如上人がこの菓子を後小松天皇に献上した時に白色の地に黒ごまの点在する様が雁の渡る姿を連想させたので「落雁」としたという説があります。もともとこの落雁という言葉の意味は、「空から舞い降りる雁」という意味で秋の季語でもあります。

この落雁のお菓子に似ているものに和三盆がありますが原材料がまず異なります。落雁は米粉を使い、和三盆はサトウキビ(竹糖)を用います。

落雁は、このお米の澱粉質の粉を使い、様々な模様の木型に押し付けて圧縮し最後に乾燥させるという具合でつくります。他にも澱粉質の粉のみを蒸籠で蒸すやり方や、最初にすべてを混ぜてから蒸し上げて乾燥させたりと実際には様々な製法の落雁があるといいます。

もともとこの落雁は、中国から日本に伝わったお菓子だといわれます。釈迦の弟子が僧侶に振る舞ったお菓子ということから仏事に用いるお供え物の代表となりました。

具体的な由来は、釈迦の弟子目連(もくれん)故事からです。

目連の亡母が夢の中で天上界に行けず餓鬼道に堕ちているのを見つけました。その亡母に水や食べ物を差し出しても、炎となってどうしても口には入りません。そこで釈迦に問うと、「すべての修行者に食べ物を施せ。さらば母親にも施しとなるだろう」との助言をもらい修行者に甘いものの施しをしたところ、修業者たちの喜びが餓鬼道にも伝わり母を救った」とあります。この故事から落雁を先祖に備えるのは施餓鬼をして、餓鬼道に堕ちた者を救うための供養となりました。

そして広がったのは、江戸時代に茶道と共にその茶菓子として安価な材料で作った落雁が出回るようになり仏事に用いる特別なものだけではなく庶民のお菓子として親しまれ今にいたります。

現代では、甘い砂糖やチョコレートなどの洋菓子などの文化が流入してきたと同時にご先祖供養の風習も失われてきてあまり落雁を食べるという機会も失われてきました。また落雁もスーパーなどで売られているものは、見た目だけ似た落雁風のものばかりで食べても美味しくないのでさらに人気がなくなりました。

日本でもむかしからの製法で伝統的に落雁のみをつくる老舗もあとわずかに残るだけです。

子どもたちには、この落雁が持つお供えや室礼、そして信仰などとの深いかかわりがあること、そして日本人のお米を使った味覚、滋味を味わう大切さなどを私も伝承していきたいと感じます。

未来のために、大切なものを引き継いでいけるように落雁とのご縁を深めていきたいと思います。

 

季節感の幸福

私たちの暮らしには季節感というものがあります。この季節はこの風物詩というように季節のリズムと共に歩んでいます。四季折々に私たちは小さな変化を季節から感じとって自然の流れに身を任せていきます。

なぜそれをするのかといえば、その方が豊かで仕合せなことだからです。私たち人間のもっている感性の磨き澄み切った場所にある幸福感とは自然と一体になることです。

自然から離れ、私たちは便利な世の中にしていき人間社会を発展させてきましたがそれと反比例して幸福感というものの感性は鈍ってきました。精神的にも病む人は増え、空しい比較競争ばかりで疲れてきています。

本来、私たちすべての地球上の生き物は足るを知る暮らしを知っており自然と共に生きていく中で真の幸福を味わい、この世に生まれてきた喜びを心から享受してきました。

何もない中に深い味わいのあるいのちがあり、そのいのちが活かされていることを知り自分の役割を知らずして知るという具合に存在そのものへの感謝を味わい暮らしをしてきたのです。

そういう意味で、四季折々の変化を味わうということが幸福感と直結していることは自明の理です。

忙しすぎる現代人において、只管お金を稼ぐために色々なものをそぎ落として暮らしを喪失していきましたが子どもたちには本当の豊かさ、真実の幸福を味わえる環境を用意していきたいと願います。

暮らしフルネス™の実践と場が、未来を幸福にしていくことを祈り今日もご縁を結んでいきたいと思います。

食の問題

昨日は、土曜の丑の日で全国的にうなぎを食べる人が多かったように思います。私もうなぎが大好きで、炭火を使って白焼きでじっくりと焼いて特製のタレをつくって食べますが香ばしさと滋養で元氣が湧いてきます。

そのうなぎですが、安いもので輸入品、そして養殖、天然とありますが無投薬というものを見かけました。この投薬とは何か、それは抗菌剤を使っているかどうかということです。

食の問題は、農薬をはじめこの投薬残留の事件が発覚するたびに人間のモラルの低さを感じます。それは健康で安全なが抜けていて、売れればいいということが優先されそのことによって信頼というものが失われています。

うなぎでいえば、輸入のうなぎから合成抗菌剤のマラカイトグリーンが基準値を超えて検出されています。これはもともと水カビ病の薬で養殖には使用が禁止されているものです。人間には発がん性があるので食品としては禁止されています。

この抗生物質や合成抗菌剤はあらゆる養殖で使われています。養鶏や乳牛の餌に含まれていたり、生き物にとっては過酷な環境(高密度で汚染、運動不足等)で飼育されるので病原菌が増えたり病気になったりと問題が起きます。これは農業も同じで、すぐに農薬を使って対処していくように養殖でも同様に投薬をして飼育するのです。

それが毎日食べているものの中に残留していきますから、私たちはほんの少量でも日々に食事でこれらの薬を摂取し続けていることになるのです。それが蓄積されることによって私たちも病気になる可能性もあるのです。

ちょうど鹿児島県で養殖時に抗生物質・合成抗菌剤は使用せずに飼育している会社の環境がウェブで紹介されていました。そこでは養殖場責任者の家が養殖場の中にあり24時間鰻と共に暮らしています。霧島のきれいな地下水が豊富にある自然豊かな環境と養殖に携わる者の鰻に対する熱意が無投薬養殖を可能にしたとあります。安心安全にこだわり水を汚さないことを徹底されている工夫があります。

何が大切なのかを忘れないで取り組んでいる人たちは、善いものを後世につないでいきます。目先の利益だけを追いかけて、目的を見失えば因果応報があります。だからこそ、常に目的を忘れないこと、その目的が健康や安心であることは食に携わる以上、もっとも優先するべきものだと私は思います。

私の会社も、無施肥無農薬でむかしの田んぼをしていますし畑などでも農薬を使いません。烏骨鶏の餌も、玄米や雑草、虫たちを与えています。どれを食べても安心で安全、そんな信用や信頼がある社会になってはじめて世の中は豊かさの深い味わいを楽しめるように思います。

子どもたちのためにも、食の問題は私たちの世代のうちに解決していきたいと思います。

理念や初心を受け継いでいく

私たちが今、この世に存在するというのは代々、このいのちを繋いできてくださったご先祖様がいるということになります。そのご先祖様たちは、この期間、様々な困難や幸福と出会い、あらゆる体験をして子孫に願いを引き継いできました。

そこには目には観えないような理念があり、代々受け継がれてきた初心というものがあります。目には観えないというのが特徴で、それは本能的に直観的に私たちの心身の深いところにいつも存在したまま眠っています。

それを毎回確認しながら、ご先祖様の大切にしてきた理念や初心を現代に甦生させていくことで私たちは最初から始まった物語の続きを体験し体現し続けているということになります。

つい私個人の発想からは、目に見える範囲内でしか物事を考えなくなりますが本当は偉大な使命や役割がありそれを果たそうと子孫たちに想いや願い、祈りとして継いでもらっているということになります。

そう考えてみると、形あるものを受け継いでほしいとご先祖様は思うのでしょうか。もしも私がご先祖の一人になるのなら形よりも大切な理念や目的、初心を受け継いでほしいと思うのではないかと思うのです。

なぜなら時代と共に形あるものは必ずいつかは喪失します。それがこの世の理であり、歴史が証明しています。しかし人類が滅ばないのは、その理念を受け継いでくれる人たちが現れているからです。ひょっとすると、それは直接の血縁者ではないかもしれません。時として外国人であるかもしれません。あるいは、職業、年齢、男女なども関係ないかもしれません。

しかし確かに、その想いを受け継いでくれる人がいる。

その御蔭で、私たち人類は今でもあらゆる文化の恩恵を享受されこの世で智慧と深い愛情をいただき続けていくことができているのです。

時代はますます変わります。そして私もまたこの時代の世代の一人であり、いつかは死にます。それまでの間に、どう役割を果たしていくか。そこには必ず理念や初心の伝承の力が入ります。

子どもたちに、この理念や初心を受け継いでいくことの大切さを伝承していきたいと思います。

人類の進む道

先日、うちで飼っている犬につないでいたレールが外れ行方不明になっていました。今まで13年間一緒に過ごしてきましたが一時的に首輪が取れたりしたことがあっていなくなっても大体近くにいて遠くにいくこともなかったので安心していましたがそれがすぐに帰ってこず、ずっと心配して必死に探し回っていました。

あちこち探しても、呼んでも返事もなく途方に暮れて張り紙やインターネットで迷子犬としてあちこちに告知をしてみようと手を盡していたら保健所に保護されていることがウェブ上に掲載されていました。警察に落とし物として届け出があり、そこから保健所に保護されたようです。ずっと事故にあったのではないかと不安だったので、写真を見たときは感謝と涙がこみ上げました。

ちょうど連休を挟みましたからすぐに保健所に連絡をして受け取りにいき無事に家に帰ってきました。犬といっても一緒に暮らしの中でかけがえのない大切な存在ですから家族の一員です。

今回、保健所の方とのお話でもしも受け取られない犬がいたらどうなるのかとお聞きしたらガス室で殺処分されるという話がありました。改めてこの現状を調べてみると、悍ましいほどにこの国で犬や猫が殺処分されているのがわかりました。

昨年、2020年の犬猫の殺処分数は犬7,687匹、猫30,757匹 の合計 38,444匹とあります。ワーストでは愛媛県(1,987匹)、福島県(1,770匹)、香川県(1,585匹)とあります。動物愛護管理法の改正、行政と民間の動物保護団体が連携し、新たな飼い主への譲渡を推進していて殺処分数はここ10年でだいぶ減少してきたともいわれます。それでも1日に105匹ほどの犬猫が保健所で殺されているという計算になります。

以前、アライグマの時もこのブログに書きましたが安易に飼育できると買ってきては手がつけられないと手放してしまいそれが野生で繁殖するということもあります。また飼い主が死んでしまったりボケたりして飼えなくなる、他にも人間の都合で飼えないからと殺処分しているともいわれます。

動物愛護団体が色々と対策をたてて活動していますが、そもそもの分母が増えていく一方ですからゴミ問題と同じで根本的な解決にはなりません。人間が安易に購入しては捨てるというこの自然の環境を破壊するあり方そのものを見つめ直すしかありません。

調べる中でガス室で二酸化炭素で殺処分する映像や写真を見ましたが、あれはまるで以前学校で見た第二次世界大戦のころのドイツのアウシュビッツ収容所そのものでした。実際には安楽死させるとありましたが、あんなものは安楽死でもなんでもありません。大量に一気に部屋に押し込みガスで呼吸できなくして苦しんで死ぬ。今まで一緒に過ごしてきた犬たちはどんな気持ちなのだろうかと感じます。家族と離れて収容されて、時間が来たらシステマチックに命を奪われる。孤独と不運を呪い、悲しさと寂しさで心が潰れそうな状況で死んでいくのが想像できます。

人間の悍ましさというのは、時代が変わっても本質的には変わりません。環境の影響次第では人間はどうにでも適応して思考停止してしまうのです。これはどの問題でも同様で例えば食品ロスの問題などもですが「人間の暮らし方そのもの」に端を発しているのです。

平和というものは、本来は部分最適だけをいつまでもやっても訪れることはありません。私たちがよくよく自分たちの暮らしをみつめ、どうあるべきかを今一度見直しその暮らしを変えていくしかないのです。環境そのものを変えないと生き方の実践をしていかないとどうにもならないのは歴史が証明しています。

21世紀は、まさにこの今までの人類の永続的な暮らしが資本主義という名の人間の業によって失われた世紀でした。このままでは人類はあらゆるいのちが軽く処分されていくように人類もまたその同じ道を辿ります。今、まだ気づけるうちに人類の進む道を易えていくしかありません。

同じいのちという存在をどう慈しみ大切にしていくか、そのためにどのような環境をみんなで用意していくか。私たちが志を立てて草莽崛起して、在り方や環境を自分自身でできるところから暮らしを易える実践していくことが重要です。

引き続き、ご縁に感謝しながら子どもたちの未来のために暮らしフルネスを実践していきたいと思います。

 

気づくことの大切さ

人は何でも失ってみてはじめてわかるものがあります。ある時は、当たり前と思っていてもなくなってしまうとどれだけ大きな存在であったかということに気づくのです。

私たちの心には、いつも繋がっている存在がありその存在によってご縁を結んでいます。その結んでいるご縁の存在にどれだけ心が救われているのかと思うと計り知れないものであることに気づきます。

例えば、居場所という存在、信頼する人とという存在、心の拠り所というものがあります。

私たちは生きていく中で、お互いを支え合い助け合い自分を立てていることに気づきます。自分の人生の中で、深く関わっているご縁は安心基地を醸成していきます。その安心基地の存在は年齢と共に少しずつ変化していきます。

私たちは人生の中で、最初に父母に恵まれ、家族に恵まれ、友人、仲間、あらゆるものに恵まれてその人生を成り立たせていきます。どの存在も深く自分というものに結ばれているもので、そのどれが欠けても自分というものはできません。

そう考えてみると、この自分というものを形成するのは周囲の存在があってこそということに気づきます。その存在が喪失していくことの深い悲しみ、そして新しい存在が誕生することの仕合せ、こうやって私たちの心はそれぞれに拠り所と出会い人生を彩るのです。

失ってみてはじめてわかるのは、自分の心の拠り所の一つであったという事実。そして一緒に生きてお互いに助け合い支え合って生きてきたという事実。さらに、お互いに愛を与えあい結ばれた存在であったという事実があるということです。

ずっとあると思えば、どうしても粗末になってしまうのが人間です。なくならないと思うから大切にしなくもなるのです。しかし、加齢とともに出会いと別れを繰り返していくとそれがいつかは失われていくことに気づいていきます。

だからこそ、このかけがえのない一瞬、一期一会を大切にしたいと心が感じるようになるのです。失いかけて気づくものもあれば、失って気づくものもある。そして失わずに気づくこともあります。

私たちは気づきをし、心を取り戻していきますから大切なことに気づく日々を過ごしていきたいと思います。子どもたちにも、このかけがえのない日々に感謝できる環境を見守り続けていきたいと思います。

場を磨く

私の故郷は、もともと庄内村ですが嘉麻郡を経て嘉穂郡となり飯塚市なっています。この嘉麻郡の由来は日本書紀巻18に安閑2年(535)安閑天皇の条に筑紫の穂波屯倉・鎌の屯倉等を置くというものが由来です。

和銅6年(713)に諸国の郡郷名に好字を付けることが命令されそのときに嘉麻の字になりました。そして明治29年(1896)に嘉麻郡、穂波郡が合併して嘉穂郡となるまで約1,300年間は嘉麻郡のままでした。そしてこの年、嘉麻郡と穂波郡が合併して嘉穂郡 となりました。その後はこの嘉穂郡の一部が飯塚市の中に組み込まれて今があります。

少しだけ前に遡った明治22年ころまでは、庄内村は綱分村、赤坂村、筒野村、高倉村、入水村、山倉村、有安村、多田村、仁保村、大門村、元吉村、有井村で構成されていました。現在まで私が住んでいた場所は、この中の綱分村と有安村です。

この綱分村にも綱分八幡宮を中心に歴史があり、有安にも獅子舞をはじめとした文化が遺っています。

現在、合併を続けていく中で、それまで大切にされていた村やその場所の歴史も次第に失われていきます。小さく分かれていた時は、その小さな中で文化の誇りや遺徳、信仰なども細かく語り継がれてきました。それがなくなっていくというのはとても残念なことです。

合弁して簡単に一つにしますが、本来その場所は風土によって環境も文化も完全に異なるものです。日本国土が自然豊かで多様性があるように、その場所場所は多様性に富んでいます。

地名が一つなっても場所の魅力というのはそれぞれで異なるのです。その場所を知り尽くしている人は、その場所の魅力を知り磨き続けていくことができます。私はこの庄内村出身ですが、この場所のもっている徳や歴史が身体に沁みこんでいます。だからこそ、この場所の活かし方や使い方、もっている魅力を引き出すことができるのです。

こうやってそれぞれの故郷でみんなが魅力を引き出し磨きだせば、日本という国は多様性に富んださらに温故知新された場所に甦生していきます。すぐに東京や大都市圏に憧れてそこにいきますが、本当はその産まれた場所を磨き上げていくことが子孫たちの使命でもあります。

引き続き子どもたちのために暮らしを整え、場を磨き上げていきたいと思います。