整うとは何か

先日からサウナのことを深めていますが、その中で「整う」という言葉がよく用いられていることを知りました。この整うというものは、美しく和を保ち清浄であろうとする日本の生き方に共鳴するものがあるように思います。

この「整」うという字の成り立ちは、分けたり束ねたりしてそれを正しくするという意味の字です。そこから、乱れたものをもとの状態にするという意味で使われます。そこから整理、整備、整合性や理路整然、他にも整骨や整腸など身近で使われる整の字から印象が理解できるように思います。

この「整う」というのは、和の家に住めば自然に意識しているものです。例えば、和の家はシンプルに空間がある中で適材適所に道具や装飾が配置されていきます。よく床の間に色々なものを置きすぎてかえって見苦しくなっているところを見かけますがそれも整えば美しい景色を発揮していくものです。

他にも物が溢れてあちこちが散らかっているところにいると、なぜか気持ちもざわついてしまいます。いつも整理整頓されたシンプルな空間には、心が落ち着き、気持ちも安らぎ、自分の状態も穏やかになっていくものです。

私も日常の暮らしの中で、古民家や和の民家の手入れを行いますからこの「整う」というのは非常に大切な実践項目になっています。まず、シンプルに最初の形を決める。その形は、そのものがあるように、そのものが喜ぶように自然に配置していきます。

そうやって配置したものの中に外からたくさんの物が入ってきますが、それを適切に配置するか仕舞い、出番などの準備を決めて片付けます。この片付けるというのは、形を整えるという意味でもあります。

つまり形が整っていくことで、心も整い、精神も整い、感情も整い、自然あるがままの自分が整っていくのです。本来の自分をとり戻すといってもいいのかもしれません。これを平常心ともいい、平静心ともいい、動じずに落ち着いて不動の境地を得ているという状態でもあります。

自然や天候が乱れても、そのうち整い穏やかないつもの天候になっていくように私たちはハレとケという使い方をして日常と非日常のバランスを整わせて暮らしを行います。

暮らしが失われてきた昨今において、整うということはとても大切なことのように思います。今は、乱れやすい環境にありますからそれをどのように整えるかはそれぞれの工夫がより必要になるものです。

せっかく湯屋を甦生しますから、「整うとは何か」ということを探求しそれを形にして子どもたちやご縁ある人々の心の安らぎを提供していきたいと思います。

徳の場づくり

先日から湯屋のことを深めていると、東大寺大勧進職として源平の争乱で焼失した東大寺の復興を果たした重源上人に何度も出会います。この方は平安時代から鎌倉時代にかけての日本の僧侶であり俊乗坊といいました。

この人物のすごさはその東大寺大勧進職を引き受けたのが当時で61歳の時、さらには東大寺の再建には財政的・技術的に多大な困難があったのをすべて寄付などによって自ら工事の陣頭指揮を執り復興を果たしたことです。

この人物は、浄土宗の開祖法然に師事し中国の宋へ3回も渡航し数々の知識や智慧を習得して帰国されました。造営と信仰を融合し、場によって人々の心を癒し安らげる仕組みで数々の功績を遺しています。

今回、改めて重源上人を知ったのは周防国の阿弥陀寺の湯屋の施浴でしたがこの人物が如何に徳を積み、徳を弘めたのかが伝わってきます。勧進帳にはこう記されています。

「東大寺勧進上人重源敬って白す。

特に十方檀那の助成を蒙り、絲綸の旨に任せ、土木の功を終へ、仏像を修補し、堂宇を営作せんと請う状

右当伽藍は風雨を天半に軼べ、棟甍の竦櫂を有ち、仏法恢弘の精舎、神明保護の霊地なり。原夫れ聖武天皇作治の叡願を発し、行基菩薩知識の懇誠を表す。加之、天照大神両国の黄金を出し、之を採りて尊像に塗り奉る。菩提僧正万里の滄海を渡り、これを崛して仏眼を開かしむ。彼の北天竺八十尺弥勒菩薩は光明を毎月の斎日に現じ、此の東大寺の十六丈盧舎那仏は利益を数代の聖朝に施す。彼を以って此に比するに、此猶卓然たり。是を以って代々の国王尊崇他無し。蠢々たる土俗帰敬懈るに匪ず。然る間、去年窮冬下旬八日、図らざるに火あり。延て此寺に及び、堂宇灰と成り、仏像煙と化し、跋提河の春の浪哀声再び聞え、沙羅林の朝の雲憂色重て聳え、眼を戴いて天を迎げば、則ち白霧胸に塞りて散せず。首を傾けて地に俯すれば、亦紅塵面に満ちて忽ち昏く、天下誰か之を歔欷せざらん。海内誰か之を悲歎せざらん。底露を摧かんより、成風を企つるに若かず。玆に因って、遠く貞観延喜の奮規を訪び、近く今上宣下の勅命に任せ、須らく都鄙をして、以って営作を遂げしむ可し、伏して乞う、十方一切同心合力、家々の清虚を謂ふこと莫れ、只力の能ふ所に任す可し。尺布寸鉄と雖も一木半銭と雖も、必ず勧進の詞に答え、各奉加の志を抽んでよ。然らば、即ち与善の輩結縁の人、現世には松柏の樹を指して比算し、当来に芙蕖の華に坐して結跏せん。其福無量得て記す加からざるもの乎。敬うて白す。

養和元年八月 日 勧進上人重源 敬白 別当法務大僧正大和尚(在判)」

どんなに少ない鉄くずでもいいし、どんなに短い布切れでもいい、みんなでこの東大寺を復興するために協力してほしいと依頼していくのです。これは東大寺建立の初心でもある聖武天皇の『大仏造立の詔』にある「万代の福業を修して動植咸く栄えんことを欲す、もし更に人の、一枝の草、一把の土を持ちて像を助け造らんと情願する者有らば、、」というところを伝承して記されています。

復興を祈願するのに、そのはじまりの目的を甦生させそれを実現させるこの重源上人に深い尊敬の念を感じます。私が現在、取り組んでいる徳の甦生もまたまったくこの人物の取り組んできたことと同じです。古い民家や、日本の民族伝承、それらを復活復興させるために私も建築技術や教育などのコンサルティング、場づくりなどによってその徳を顕現させるように努めています。

私が今度、取り組もうとする湯屋にもこの重源上人の技術を参考にしようと決めました。また各地で取り組み始めた古民家甦生もまたこの東大寺の勧進に倣い、志を立てていきたいと思います。

先人の生き方は、私たちに未来をどうあるべきかを告げてくれます。引き続き、子どもたちのためにも徳のご縁を結び合う場を創造していきたいと思います。

風呂の起源2

昨日からお風呂の起源を書いていますが今度、挑戦し復古創新する「伝統の湯屋」は地下水を使う予定にしています。これは炭でお茶を飲む人はわかると思いますが、同じ水でも炭で沸かした水の細かさと柔らかさ、その湯気の美しさは格別です。そして水道水と地下水では当然、味もまったく変わってきます。

私たちは水蒸気になった空気を、呼吸を通して、また皮膚を通して全身から吸収していくものです。自然の加湿や除湿によって私たちは自律神経を整いますから、湯屋に入ることでそのような神経の乱れを調和させていたのです。

本来の湯屋のはじまりの仏教的な沐浴の意味は、ます「沐」は水を頭から浴びること、「浴」は水に身体を浸けることですがそれ以外にも煙・火・香料などによりけがれを落とすことも沐浴といわれていました。

私たちは清めることと整えること、癒すことなどをすべてこの「水」の不思議な作用を活用していたということです。サウナがここにきて流行ってきているのは、自律神経を整え精神を安らぎ癒すために大きな効果を発揮するからということでしょう。IT化が進み、より脳の一部を非常に酷使する生活の中でどうしても自律神経や交感神経、副交感神経はバランスをとりづらくなります。それをサウナを用いることで脳を癒そうとすることには私もとても共感しています。

さて昨日のブログの続きになりますが、江戸時代の銭湯は上下の別なく、裸の付き合いができる庶民のいこいの場所だったといいます。あれだけの人口で衛生面を維持するためにもお風呂は江戸の要ではなかったかと思います。高温多湿の日本で密集人口の中でいるというのは極めて蒸し暑さを感じるものです。お風呂からあがり団扇でゆっくりと風に涼んでいる様子が脳裏に浮かんできます。

江戸時代は男女の混浴が当たり前でしたが、風紀が乱れるからと幕府から何度も禁止令が出ています。禁止令を何度も繰り返すうちに、次第に男女別や時間帯別などになり、明治に入ってからは完全に男女別のお風呂になったといいます。

ところでお風呂のことを今でも「湯船」と呼ぶのは「湯を張った船」があったころの名残です。これは街中にしかないお風呂を、銭湯のない地域や田舎などの遠くの方々に入ってもらうために昔は船でお湯を提供していたからです。またほかにも街の通行人に入浴させた「辻(つじ)風呂」、そして人の多い場所まで風呂桶を担ぎ樹木の影などに置いて人々を入浴させた「荷(にな)い風呂」などもあったといいます。

ここまでしてでもお風呂に入りたいと思った日本の人たちは、穢れを払い心を洗い清める文化と合致して深くこの沐浴という習慣を愛したのでしょう。その後は明治時代には石榴口は取り払われ屋根に湯気抜きが作られたり、浴槽と板流しを平面にしたり、洗い場も変わっていきました。西洋文化が流入する中でお風呂のこれらの変化を「改良風呂」と呼ばれ人々の間でも評判になったといいます。また大正時代には、より近代化されて板張りの洗い場や木造の浴槽がなくなりタイル張りや陶器になりました。昭和に入り浴室のに、湯と水が分かれた水道式のカランが取り付けられ現代のお風呂の形になっていきます。

改めて、お風呂は何のために入っていたのか。そして今でもお風呂が各家庭にあり日本人が大の風呂好きといわれる理由がわかったような気がします。本来の「沐浴」の意味を復古し、この時代の「湯屋」を新しくする。

子どもたちに大切な文化を伝承するために、本物の日本のサウナに挑戦してみたいと思います。

運と風~風土のチカラ~

世の中には運というものがあります。よく運がよかったとか悪かったとか、何かの結果が出た時にそれを人はつぶやきます。自分にとって運がいい悪いは時として周囲にとってはそれが逆になることもあります。

つまりは運とは、その人の心の持ち方に影響を受けていることに気づきます。

幸田露伴にこういう言葉があります。

「順風として喜んでいる人が遇っている風は、逆風として嘆いている人が遇っている風とまったく同じ風なのである。”努力して努力する”―これは真によいものとはいえない。“努力を忘れて努力する”―これこそが真によいものである」と。

運とは、その人の風の感じ方そのものでありその風に乗っていく人と、それに逆らう人がいるだけであるとも言えます。風任せの生き方ができる人は、雲のように融通無碍に運に従います。しかし、人間は我がありますから無理をしてでも風を無視して前に進みたくなるものです。

世の中の潮流、いわばその風は時代と共に変化していきます。日々に窓を開けて外の風を感じれば、色々な風が吹いているのがわかります。今日の風はどうだろうかと、風を感じて風を活かす人は運を味方につけているとも言えます。

運とは、自然あるがままを活かす智慧のことでありその運を引き寄せる人は自分を自然に対して変化させ続けることができる努力の人であるということです。

努力とは、自然と一体になっている状態の事です。それは四季の花々が真摯に生きて花を咲かせているように、魚や鳥たちが自由闊達に泳ぎ歌うのと同じようにです。

変化し続ける力は、まさに運を味方につけていきます。運を高めるためには、変化する力を磨き上げる必要があります。風に合わせて自分自身の境遇や環境をブラッシュアップしていくのは、足るを知り、来た風に逆らわずその風を活かすときにこそ実現していきます。

風土というものは、運の根本を司っています。

引き続き、今の子どもたちのために風土を醸成し自然かんながらの道を踏みしめていきたいと思います。

育つ~いのちの叡智~

何かが育つというのは永い時間が必要になります。今の自分が育つのでさえ人類の永さで計れば大変な時間をかけてここまで成長してきたのです。遺伝子の中には、これまでに育ってきた記憶が記録として刻まれています。

あらゆる病気や災害、そして事故、戦争も平和もすべて体験し、両親がその遺伝子を繋ぎまた子孫へと譲り渡しここまで生き延びてきました。つまりは育ってきた時間を持っているのが今の私たちということになります。

この育つのは、人間だけではなくあらゆる生きものは育っていきます。時折、あらゆる自然環境の変化に順応するために生き方を変え、変身し、その環境や風土に適応していきます。今の私たちの育った姿は、過去の歴史の中で変化してきた変容の姿そのものなのです。

そしてそれが多様性であり、私たちの個性を彩ります。その個性は、歴史が育ててきたものです。この個性を活かすのは、どのような環境の変化においてもみんなで力を合わせて生き残ろうとしたいのちの叡智です。

個というものを全体と捉えるのなら、私たちは全体としての個になります。地球が一つの生命体だと定義するのなら、私たちのいのちはその地球の一部です。地球が多様化の中で豊かに充実するのは、それがいのちの仕組みです。

細胞が60兆、それぞれに偉大な働きがあります。まさにその働きは地球のいのちの姿そのものです。何が自分の体の中に育っているのか、自分が如何に育った存在なのかを考えることが、教育というものの本質や本義の根本に触れることになるのではないかと私は思います。

引きつづき子どもたちのためにも、育つ環境を見守るために社業に邁進していきたいと思います。

持続可能の基礎

物事には短期的なものと長期的なものがあります。現在の世の中はスピード重視、便利さ重視、結果重視で個人重視ですからどうしても短期的なものが増えていきます。すぐにリターンがあったり、すぐに成果につながらないものは効果がないとみなされたり失敗だとも評価されます。

しかし遠くにいこうとすればするほどに身近な失敗は成功の糧にもなります。また成長しようとするのなら、数々の失敗や挑戦を繰り返さなければ長期的に見てそれは成功ではないように思います。

むかしは、7代先を観て物事に取り組んでいくという視点があったといいます。常に300年先を見据えて何をすべきかということを話し合いそれぞれが実践に努めたのです。

持続可能な社會を掲げていてもそれが一向に進まないのは、それは短期的なもので持続可能を観ているからです。本来、持続可能や循環型、そういったものは長い歳月と一人一人の真摯な努力によってはじめて実現するものです。

二宮尊徳にこういう言葉が残っています。

「樹木を植うるや、三十年を経ざれば、則ち材を成さず。宜しく後世のためにこれを植うべし。今日用うるところの材木は則ち前人の植うる所。然らばなんぞ後人のために之を植えざると得ん。」

樹木を植えても三十年は待たないと材量にはならない。だからこそ後で使う人のために今、樹木を植えるのです。今、用いている材料はすべて先人たちが私たちのことを慮り植えてくれたから私たちはそれを使うことができています。その恩恵に感謝する心があるのならなぜ子孫のために植えようとしないのかという解釈です。

私たちは自分のメリットや今さえよければいいと、物事の判断を自分軸のみの物差しで計算して行動しています。しかしこれがもしも後世の人たちや子孫の人たち、先祖への感謝の報恩であればどういう物差しになるでしょうか。

長期的な物差しとは本来、これらの長い時間をかけて持続可能としていた社會の存在を感じて判断していくものなのです。何を計画するにも、その土台や基礎になっている初心や哲学、基本にその思想が入っていなければ決して持続可能の実践にはつながっていかないように私は思います。

二宮尊徳はこうも言います。

「遠くをはかる者は富み近くをはかる者は貧す。それ遠くをはかる者は百年のために杉苗を植う。まして春まきて秋実る物においてをや。ゆえに富有なり。近くをはかる者は春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず。唯眼前の利に迷うてまかずして取りえずして刈り取る事のみ目につく。故に貧窮す」

何が本来の豊かさであるのか、豊かさや富の本質を持続可能の社會ではまったく視座が異なることを私たちは先人の実践から気づく必要があります。

育てるという仕事も本来、長い時間をかけてじっくりと育てるものです。それは土づくり似ていて、何十年もかけて育ててきた土だからこそその中で立派な作物ができてくるのです。人づくりも然り、まちづくりも然りなのです。

自分の代で見返りがなくても、すぐに自分の代で結果がでなくても、本当の意味の子々孫々への思いやりや真心での持続可能に取り組む人たちが未来を変えていくのでしょう。

子どもたちのためにも、周囲の理解が得られなくても覚悟を据えて子どもに必要な伝統や風土、文化を伝承していきたいと思います。

勇気の源

人は誰かが成長している姿を見ると勇氣が湧いてくるものです。この湧いてくるものは一体どこからやってくるのか、なぜ自分の中にその勇気が湧き出てくるのか。不思議ですが誰かの勇気を出す行動を観ていると、自分自身も奮い立たせてくれるのは事実です。

この湧くの同義語には、・込み上げる・芽生える・湧き立つ・あふれ出る・湧き起こるなどがあります。やはり成長には、何か不思議な力がありその力は多くのいのちに多大な影響を与えているように思います。

私はたんぽぽがとても好きなのですが、道端でたんぽぽが咲いている姿に真摯さを感じて勇気づけられることもあります。一生懸命にいのちを輝かせて活きている姿はそれだけで他のいのちを感動させるのです。

ではこの湧いてくるものは、一体どこから出てくるのかということです。これは自分を信じることで湧いて出てきます。自分を信じるというのは、何を信じるのか。それは私の直観では今までこの世に生きてきた永遠の連鎖、そしていのちの深い生命の源を感じているのではないかと感じます。

人はいのちの源泉というものを持っており、その源泉に触れることでいのちの泉が湧いて出てくるものです。それは地中から水や溶岩が湧いて出てくるように源泉にはいのちそのものの元氣が満ち溢れています。

日ごろはそこに触れることもありませんが、何かしらのいのちの源泉を身近に感じるとき私たちは汗が出てくるようにそのいのちの元氣が湧いて出てくるのです。これが勇気の源ではないかと私は感じます。

自分の勇気が誰かの元氣になり、自分の勇気ある行動が誰かの勇気を引き出すことになる。そう思えるだけで人は、元氣を周囲のいのちに分け合い共生し貢献し合うつながりや絆を享受し合えるのです。まさにこの世が楽園になっていく道理は、このいのちの元氣の連鎖で起こります。

勇気の源は、みんなの元氣の源です。

自分の勇気をさらに発揮して、子どもたちのためにも挑戦を続けていきたいと思います。

本物の場

弥盛地(イヤシロチ)という言葉があります。これは日本の古文書の一つ「カタカムナ」の中で出てくる言葉です。簡単に言えば、場には「弥盛地」と「気枯地」(ケガレチ」というものがあります。

弥盛地は、万物を癒す場所、そして気枯地は、万物を穢す場所ということになります。生きものには、その場所によって生成する場所と衰退する場所があります。もちろん生きものにも種類があり、私たち人間にとって癒す場所と穢す場所がありますが他の生き物ではそれが逆転していることもあります。

水気が多い場所が好きな生き物、乾燥した場所が好きな生き物、その生きものたちの特性で癒しも穢れも変化します。この穢れは、「気枯れ」とも書かれます。それは元氣が減退しているということです。

この元氣というのは、生き物たちが根源からもっている元来の「気」のことです。私たちは肉体や精神を持っていますが、もともとその中には気が宿っています。その気の状態を如何に清浄にしていくか。まるで水のように澄んだ状態にして、自然や地球のいのちと一体になっているかが、日本の先祖が重んじた風土と一体になった状態であったのです。

風土は季節と一体ですから、そのバランスを崩さないようにいつも気を澱ませないようにと元氣が満ちた状態、つまり健康であることを心がけてきたのです。

その健康は、その場によって支えられるものです。それはその土地の風土環境をはじめ自分自身に与える気が澱まないようにいつも排水し続ける必要があります。体の状態と同じように、新陳代謝をよくし、水がしっかりと循環して老廃物を流し続けるように私たちの気もそうやって循環することで健康を守ってくれています。

健康を維持するためにはこの弥盛地の場チカラは大変重要になってきます。先祖は様々な工夫を凝らして暮らしを改善し、住環境を改善し、食を整えてきました。その智慧があったから、いのちが燃え尽きるまで幸せに活動をし続けて生を全うすることができたのです。

この時代は、自然から離れあまり弥盛地のことが重要視されなくなってきました。改めて子どもたちに本物の場を譲り渡していけるように、具体的なものを創造し伝承をしていきたいと思います。

場数の価値

「場数」を踏むというものがあります。これはその場の経験を体験し積み重ねることを言います。この場数というものは、生き物が産み出した偉大な智慧の一つであり人間が発達し成長するための最大の糧になります。

先日から、農業関連の方や建築関係の方、そしてまちづくりや教育の方とお話する機会がありましたが以前には考えられなかったほどに様々なことを理解できそれを実現できる力が自分に備わっていることに気づきました。

なぜだろうと思い返すと農業においては19年の自然農の経験が活き、建築では古民家再生での経験が活き、まちづくりでは見守る保育の経験が活きています。それは知識を単に持っているからではなく、自分のこれまで積んできた場数の実体験がある一定量を超えて質に転換されていることに気づいたのです。

人間は最初からなんでも一流のようにできる人はほとんどいません。特に、職人の仕事をはじめ一定以上のプロの業を会得するにはそれなりの時間がかかります。

その時間とは、何回も何回も場数を体験することでありその場数の中で量を積み重ねているうちにある時突然に質に転換されていくのです。

これは以前、行った「貝磨きの体験」に似ています。

貝を磨き続けていると、ある時ふと突然に貝が光りはじめます。最初はざらざらで、光らなかった貝が紙やすりにを何度も往復させていくことでパッと光り輝くのです。まさにこれが量が質に転換された瞬間なのです。この貝磨きの体験の素晴らしさはこの「場数を踏む」ことの大切さを子どもたちに体験させていることです。

最近は、あまり経験することを尊ばず経験しなくても簡単にできる便利な方法ばかりを選択する若い人が増えているといわれます。便利なものを知ってしまうと、自分を磨いたり、場数を踏んだりすることを嫌がる傾向があるといいます。努力の価値や、精進の素晴らしさを体験する機会が少なくそのために質もまた低下しているというのです。

この質の低下は、「積み重ねる」ということの価値が下がっていることをものがたります。そして「磨き上げる」という努力の評価が下がってきていることも意味しています。

しかし「技術を自分のものにする」というのはつまり「自分を磨き上げる」ということに他なりません。努力を積み重ねて挑戦し続けて体験を智慧まで高め、如何に熟練の粋に達していくかが場数の価値なのです。

場数を馬鹿にすることなかれ、場数こそ本物になる要なのです。

そしてその場数の質を劇的に高める方法が、初心を忘れないことなのです。人間は初心という物差しで振り返り続けていけば必ず自らの高みに達することができるからです。大切なのは、何のために生まれてきたのか、人生とは何か、その意味もまたこの場数を踏むことによって得られると私は思います。場数の価値とは、いのちの価値です。

引き続き、自ら時間を惜しんで何回も挑戦する機会を楽しみ、場数を踏んで自分自身の質を高めていきたいと思います。

志の醸成

人間はどのような環境の中で育つかで、その育ち方が変わっていくものです。その環境には、多様なものがありますがその一つに人的環境というものがあります。これはどのような人たちに見守られて育ってきたかということです。

人間が、赤ちゃんで生まれてから死ぬまでの間、一人だけで勝手に育つことはありません。両親をはじめ、多くの縁に恵まれながら私たちは育ってきます。そしてそれは身近では兄弟や友人たちになりますが、よくよく人生を観察していると多くの赤の他人ともいえる人たちによって支えられていることがわかります。

人間社会というものは、決して一人で生きているのではなく数多くの方々の見守りのネットワークの中ではじめて生きているということを確信するのです。

例えば、子どもたちは人生の中で必要なものを探して自立に向けて挑戦していきます。その時、必ずだれか見守ってくださっている存在があり、その子が安心して挑戦していけるように手助けてしてくれています。

その手助けの方法は、直接的もあれば間接的もあります。しかし確実にその子がその手助けの存在を直観し、自分も支える人になろうという気づきを得て社會の中で自立していく力が育っていくのです。

人類の支え合うというこの仕組みは、決して民族間や国家間問わずあらゆるところで機能しています。私も半生を振り返ってみたら、留学していたときも多くの外国人たちに見守っていただきました。そして幼少期から社会に出るまでも、時には叱咤され、時には褒められ、時には感謝され、時には背中を見せ、言葉をかけ、指導をしてくださったお陰で今があります。そのご縁や御恩は、今の自分自身を支えています。

その支えられた記憶がある限り、自分もまた同様の支える存在になろうと困っている人をみたら真心で接し、世の中に必要なことを実感したらそれを自ら解決しようとする志につながっていくのです。

「志」はつまり支え合う中で醸成されてきたということです。

子どもが志を持つためには、社會の見守りネットワークの必要は絶対に不可欠です。多くの見守りがあればあるほどに、子どもたちは志を確かにし自分自身の人生を社會の中で立てていくことができるようになります。

そのためには、そのネットワークをまちぐるみ、また国ぐるみ、世界ぐるみで丸ごと構築していく必要があります。現代社会は、競争的で画一的になっていますから様々な支え合いシステムも資本主義経済の中で綻びをみせてきています。

新しい時代、新しい世代は、この問題に正面から取り組む必要があるように思います。私も残りの人生は、支えてくださった方々へのご恩返しのために見守る仕組みを世の中に温故知新して和合する社會のために貢献できるように挑戦していきたいと思います。