希望とは何か

昨日、サミエル・ウルマンについて深める機会がありました。私が20歳の前半のときに詩集の「青春」にめぐり会い、大きな勇気をもらったことを思い出しました。松下幸之助氏の著書の中で自分の座右の銘として紹介されていたその時の詩の印象から青春の真価を再確認したことを覚えています。

もともとこのサミエルウルマンは、ユダヤ人でアメリカで活躍した実業家です。その当時、社会的弱者でもあった孤児、女性、黒人、労働者の救済運動に生涯を捧げた方だったそうです。この詩は、サミエルウルマンが80歳の誕生日に自費出版した詩集の中にあったものです。

日本でこの詩が翻訳され広がったきっかけは、アメリカの連合国司令官だったマッカーサー氏が座右の銘にしていた詩で、執務室に掲げられ日々に内省していたものを日本フェルト工業統制組合専務理事の岡田義夫氏が感動してそれが友人ずてに伝わり松下幸之助さんが紹介して今に至るようです。社会的閉塞感の中で、心が病んでいる人たちがたくさんいる今の時代だからこそ、もう一度この詩の必要性を感じました。ちょうど、この詩が広がったときも終戦後の暗くつらい時代でした。

「青春~YOUTH~」

「青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。

若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、
安易に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。

人間は年齢を重ねた時老いるのではない。
理想をなくした時老いるのである。

歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。

悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、
雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。

六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬
夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛
何かに挑戦する心
子どものような探究心
人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。

人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
自然や神仏や他者から、
美しさや喜び勇気や力などを感じ取ることができる限り、
その人は若いのだ。

感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、
人間は真に老いるのである。

そのような人は神のあわれみを乞うしかない。」

希望とは、心の持ち方を変えることです。そして心の持ち方を常に変えることができる人は、人生において一生涯好奇心を捨てることはありません。最初は光輝く子ども心も、社會の中で次第に曇りそのうち光らなくなっていくものです。それを磨き続けていくことで、光り輝く心を取り戻すことができる。

それを私は「希望」と呼び、「青春」と定義しています。

人生において絶望とは、生き方を見つめる最大の転機です。その転機に関われることこそ教育の醍醐味ではないかと改めて実感しました。これから、新しい道に同行しますが面白くワクワクするご縁をいただけたことに感謝しています。

私もその一人として絶学を継ぎ、心の世界を創造し青春を謳歌しつつ希望の詩を仲間と一緒に唱和していきたいと思います。

人財教育の王道

人間は理想と現実の間に今を設け、今を見つめ向き合うことではじめて今に存在することができるように思います。妄想ばかりをいくら増やしても、現実は変わらないのですから実行していくしかありません。

昨日、鹿児島に入り維新館を見学する機会がありました。ここ薩摩は、古より教育を何よりも重んじる風土があるような気がします、昔から「島津にバカ殿なし」と呼ばれるようにここには郷中教育をはじめ様々な人財育成の仕組みが文化として継承されているように思えるからです。

その郷中教育の中で、日新公いろは歌というものがあります。これは物心つく前から毎日唱和しからだに沁みこませてきた歌です。そこのはじまりの「い」にはこうあります。

「いにしえの道を聞きても唱えても わか行いにせすは甲斐なし」

(古来から言われてきたどんなに素晴らしい道を聞いても語っていても、自分で実践して行わなければ何にもなりません)という意味です。

そして「ろ」にはこうあります。

「楼の上もはにふの小屋も住人の こころにこそはたかき賤しき」

(どんなに立派な御殿に住んでいる人も粗末な小屋に住んでいる人もそのことだけでは人間の価値は判断できない。要は住んでいる人の心の気高さが重要なのだ)とあります。

今回は「は」までご紹介しますが、そこにはこうあります。

「はかなくも明日の命を頼むかなけふもけふもと学ひをはせて」

(人間明日のことは予測がつかない。勉学修行を明日にしようと引き延ばし、もし明日自分が死んだらどうするのか。今その時その時に全力投球せよ。)と。

この「いろは」だけでもこの言霊の濃さと重さです。これは島津中興の祖である島津忠良が5年の歳月をかけて郷中教育の基本として定めたものです。この出発点であり原点が今の薩摩の人財をいまだに育てているのではないかと思います。

なんだか今回のご縁に何をすべきであるかを直感するものがありました。出発点や原点を思うとき、今までのものを毀す勇気が今にこそ必要のように思えます。そんな時は「今」を奮い立たせる勇気のある詩に励まされるのも人間のように思います。

最後に京都大徳寺大仙院の尾関宗園さんの詩を紹介して終わります。

「今こそ出発点」

人生とは毎日が訓練である
わたくし自身の訓練の場である
失敗もできる訓練の場である
生きているを喜ぶ訓練の場である
今この幸せを喜ぶことなく
いつどこで幸せになれるか
この喜びをもとに全力で進めよう
わたくし自身の将来は
今この瞬間ここにある
今ここで頑張らずにいつ頑張る

普遍的な道の上にこそ人財教育の王道があると確信できました。

ありがとうございます。

個性~人格形成~

人はそれぞれ生き方があり、個性も異なりますから、その顕し方も人それぞれです。しかしその個性は比較する中で出てくるものではなく、その個性は人格が磨かれてくる中で顕れてくるものです。なぜなら本当の個性というものは、そのものが何よりもそのものとして在るときにはじめて出るからです。

よく誰かと比較して個性があるやないとかいいますが、実際は組織や集団に入る中でその人の個性は引き出されてくるものです。一人では個性とは言わないように、集団の中で個性は出ます。その時の個性は、集団の中でのその人の役割のようなものです。しかし本来の個性は、その人が思いやりや真心で全体のために自分を活かした時こそはじめて発揮されているように思います。

そしてそのためには人格を磨き人物となっていなければ個性を修めることができないのです。周りに合わせるのではなく、自分を修めるという発想が個性を存分に発揮するには必要のように思えるからです。

論語に十五にして学を志、三十にして立つ、四十にして惑わずとありますが、少年期は志を立て、青年期には自分を試しあらゆる挑戦をし、中年期には自力を発揮するようにそれぞれがそれぞれの年輪で自らを磨き修めることが世の中で自分を発揮していく道だと述べているかのように思います。

今の自分がみんなのためにできることを発展させてそれを広げ膨らませていくことで本当の自分自身に出会うということでしょう。そして同時にそれは自らの人格を育てて自分をつくり上げていくということです。

東井義雄さんに『自分は自分の主人公』という詩があります。

「自分は 自分の 主人公
世界でただ一人の自分を
光いっぱいの自分にしていく 責任者
少々つらいことがあったからといって
ヤケなんか おこすまい
ヤケをおこして 自分で自分をダメにするなんて
こんなにバカげたことってないからな
つらくたってがんばろう
つらさをのりこえる
強い自分を 創っていこう
自分は 自分を創る責任者なんだからな。」

自分は自分の主人公、世界でただ一人の自分を創っていく責任者という言葉は、個性とは自らで磨き上げていくものであるということを伝えてきます。自分に打ち克つというのは、誰かに打ち勝つよりも難しいことです。常に自分との調和融合を実現し、平常心を身に着けることで人は自分らしく自然体でいれるようになるのかもしれません。

畢竟、個性を大切にするというのは、人格を尊重するということです。自他一体に人格形成を優先して大事にしていきたいと思います。

ゼロベース~体内時計~

今の世の中のことを知ろうとするとき一つは知識を増やすことによって得られ、もう一つは知覚を澄ますことで得られるように思います。そのどちらも自分という刷り込みを破るためです。今の私たちは自然の叡智に触れて自然の叡智を可視化して自分たちのものにするために知識を得ましたが、同時に自然の叡智の切り取った一部しか視なくなったとも言えます。

様々な叡智を可視化し分けてしまうことで分かれてしまったのは叡智そのものの自然から離れた人間の方かもしれません。そもそも分けてしまっているのですから、一度全ての知識を御破算にして無分別智のところ、つまりゼロベースにしてみないとこの世の基本ともいえる自然を丸ごと理解することはできないように思います。

このゼロベースというのは、例えれば動物の体内時計で自然を理解するのに似ているように思います。ニワトリや猫、犬、その他すべての動物たちは自分たちの体内に時間を持っています。朝になれば朝を知り、春になれば春を知る、新しい仲間も、古い仲間も、生死のめぐりでさえ、体内時計に従います。その彼らの時間は、まるで宇宙のように悠久と矛盾が絶妙に調和して無のようです。

よくよく観察していると、彼らには時間もなく今があるだけです。この今という時間の中には、妄想もなくそのままの宇宙があるように思います。そういう流れて流れない時間の中で、永遠を感じることができるからこそ、その魂をいつも全うすることができるように思います。

魂への刷り込みは、この世の美しさも奪い、この世の真心も穢すように思います。私たちは新しいものばかりを詰め込みますが、本来の古代からの古いものも同時に詰め込めばいいものを古いものは価値のないもののように切り捨てていきます。ここに人間文明の深い問題があるような気がしてなりません。

魂は温故知新することで、あの宇宙の星々のようにいつまでも光り輝くように思います。

英国の詩人、ウィリアムブレイクの「無知の告知」の冒頭に有名な詩があります。

「To see a World in a Grain of Sand  一粒の砂に世界を見、
And a Heaven in a wild Flower  一輪の野の花に天国を見る
Hold Infinity in the palm of your hand  手のひらに無限をつかみ、
And Eternity in an hour  一瞬のうちに永遠をとらえる 」

私の意訳ですが、一粒の砂は土の姿であり、一輪の野生の花は自然のいのちです。その手には悠久が顕れ、時を遡り時は超越されるという意味なのかもしれません。

ゼロベースで感じるご縁とつながりの中で、魂は存在するのかもしれません。詩には不思議な力がありますが、その詩を学ぶとき、詩の中で伝えようとする真実が観えてきます。

詩こそ体内時計のゼロベースで詠う自然の声色なのかもしれません。あの動物たちや植物たち、虫や魚、あらゆる自然界の歌声に詩を感じます。詩を学び、自らゼロベースでいることから自然を取り戻していきたいと思います。

 

後の先~正直に向き合う~

先日、ある食事会で向き合い方についての議論がありました。それは向き合う姿勢そのものについて向き合うという話です。人は向き合うことで自分を知りますが、同時にどのように向き合うかでそれまでの自分ではなくはじめて本当の自分に出会うとも言えます。

人生は自分の身に起きる出来事に対して、自分自身が都合で歪めずどれだけ素直に選ばずに現実を受け止めていくかというのが人生の修業のように思えます。自分の実力を知り、自分を育てていくのも、素直さがなければ難しいように思います。

例えば人生に起きる出来事は全て必然だと受け止めることができるなら、その後に「選ばない」という覚悟が生じるからです。そして選ばないと決めるなら、自分には合っているとか合っていないとか迷うのではなくそのままそれはもっとも今の自分に相応しいと正直に受け容れられるのです。そうしたとき、はじめて今の自分の本当の役割や天から与えられている使命に気づくことができるようにも私は思います。

横綱白鵬の話に「後の先」という話があります。これは相撲では相手より一瞬あとに立ちながらあたり合ったあとには先をとっている相撲の立ち合い方です。これは言い換えれば全て受け止めて打ち克つという戦法のことです。

その横綱の白鵬の日経新聞のインタビュー「基本はぶつかり稽古」と題する中でこう書かれていました。『全身砂にまみれ、土俵に倒れ込んで動けなくなる。兄弟子の竹刀が飛んできても、反応する力さえ残っていない。口に塩を突っ込まれる。最後にバケツの水がザブン。これを荒稽古というのだろう。「1日3回泣いてた。ほぼ毎日ですね。稽古場で2回、夜寝る前に1回。稽古が苦しい時、泣いて。終わった後先輩にお前のためだからって慰められて泣く。夜は、明日また稽古始まるんだっていうね。自然と涙が出てくるわけ。ふとんでね。でも当時やってたことが、今生きてるわけね」』とあります。

今でも白鵬はこのもっとも苦しい基本のぶつかり稽古を欠かすことはないと言います。

後の先の本質とは、この基本の向き合うという素直な姿勢をどこまで徹底するかが重要なのではないかと私には感じます。現場というのは相撲の土俵のようなもので、常に真剣勝負です。その人生においての現場の場数をどれだけ逃げずに真摯に素直に謙虚に向き合うかというのは、自分の心がけを見つめれば向き合うことができます。

どの状況であっても真心を籠めることも、命懸けでやりきることも、それは常に人生の稽古である信じているからです。年齢は関係ないといくらいってもまだ若干29歳の白鵬の土俵での立ち合い方から私たちは日本人としての大切な心「正直さ」を学び直すことができます。

どんな相手であったとしても、どんな場面であったとしても、どんな機会であったとしても、自分自身が素直に謙虚に向き合って真摯に正直に実践し自らを磨くことが理想を追求するという姿勢と心がけなのかもしれません。

やっていることは異なっていても、目指すその姿から勇気をいただけることが沢山あります。同じ時代でそれぞれの分野で生き方のモデルがいることは、道を歩む仲間がたくさんいる有難さです。未熟さを痛感することばかりですが、修行できる有難さに感謝し、日々の土俵に対して選ばずに基本を崩さずに精進していきたいと思います。

 

正解探しの愚~コーティング~

人は刷り込まれ正解を教え込まれてコーティングされてしまうと、正解以上のことを考えなくなってしまうものです。世の中には、理というものがありますから知識を学び、その理を知れば、世の中を分かった気になれるものです。

以前、ある人が大学生の時に「自分はもう世の中の理を大体分かってしまった」という話を聞いたことがありますがこれも理論的な理屈を知って教科書を通して正解はもう大方分かったという意味なのでしょう。しかし実際は、理屈が分かって正解を知ったからとそれでうまくいくことはありません。自分の中の正解探しばかりしていても実際の世の中は正解を超えているものばかりですからすぐに通用しない事実に出会うからです。その人もその後は実際の理屈と違う現実とのギャップに大変もがき苦しんだそうです。

これは誰かが敷いたレールのように、筋道というものがいくらあっていると思っていてもそんな正論では人は動きません。人は思いによって動くものですから、正解がどれだけ合っているかよりもその思いがどうであるかを優先するのです。そこには心があるからです、そして心は目には見える正解や理屈以上の真実を捉える力があるように思います。

現実には、「思いやり」や「真心」というものがあります。

例えば、病気の治療や看護であっても正解通りやったから治ったわけではありません。そこに医者や看護婦や周りの思いやりがあってその人の自然治癒が働いて見守りによって回復します。他にも田畑の作物であっても、正しく育てたから育ったかというと、太陽の光や水、その他の風や土の微生物にいたるまで、真心を籠めて見守ったからそれが何かのハタラキを引き出し無事に作物が育ったのかもしれません。

つまりはあらゆる事象は、自分の頭で考えた正解の中にあるのではなく、それ以外の何か偉大な力によって実現している可能性があると思うことがあって正解以上のことを知るのです。先に知識がなかった時代がなぜ続いたかを考えればすぐに自明することです。赤ちゃんが知識がなくても自然に周囲を暖かくするのは、知識が先ではないことを証明しています。

正解ばかりを教え込まれて刷り込まれた人たちは、正解上の答えを探そうとはしなくなります。無関心になり、正解を超えた体験を積み重ねることが次第になくなっていくようにも思います。

本来は、正解通りにいくはずもなく、無理やり頭で正解のように仕立てて真実をねつ造しているだけで実際は正解などはないのです。正解探しの愚をおかしてしまえば、正解以上の真実は遠くなるばかりです。そうならないように一瞬一瞬のすべてを誰かのためにと真心で遣りきっていたり、誠実に思いやりを盡したり、全身全霊で思いを籠めて行動したりしたあとに、はじめて正解を超えるご縁の導き(真理)にも出会うように思います。

人は答えを知っているからすごいのではなく、答えを知らないからすごいという学問があるのです。詰め込まれコーティングされるのではなく、引き出され磨かれていく原石という考え方があることで人は自分自身の中に信や希望を持て努力の価値を再認識できるように思います。

刷り込みを取り払うのは、日々の内省で自分と向き合うことのように思います。一つ向き合えば相手のためになり、一つ受け容れれば相手が一つ変わります。正解をしってその正解を押し付けるよりも、自分の中の思いを高めてその思いを受け止めて思いを遣りきることだと思います。

刷り込みを取り払うには子ども達の姿から学び直すことです。一生は、出会いの連続ですから磨く機会を大切に思いやりを優先していきたいと思います。

魂磨き~人類の夢~

昨年に貝磨きの体験をしてから、貝をとても身近に感じるようになりました。貝というのは、古代人の夢であったように今では感じています。古代の人たちが貝を首飾りにし、土器の模様にしたのは、きっと貝が人間社會そのものを顕していたのではないかと私には思えます。

人生はまるで貝磨きのようなもので、人間は一つの社會を集団になって形成し、その社会の中で自らの本性をお互いに磨き合いつつ豊かで平和幸福に暮らしていきます。まるで一人一人がそれぞれにいのちの塊、その魂の原石であり、その魂を出会いによって互いに輝かせては大切な思い出という物語を宇宙の記憶の中に保存していくかのようです。

一人ひとりが自らで魂を磨いてきたからこそ、私たちは発展と繁栄を繰り返してきたように思います。その中で私たちは何度も何度も繰り返し繰り返し、まるで海の押しては引く波と同じように魂を磨き続けてきました。

貝の中に観る神性とは、「めぐりとひかり、いのち」の3つではないかと感じます。

磨き方は人ぞれぞれですが、みんなで一緒に磨こうとしたことは時を超越して今でも変わらず受け継がれています。

機会をいただけること、ご縁をいただけることが何よりも有難く、人生で一緒に出会えることに感謝の心に包まれました。

最期に、「人類の夢」という詩を紹介します。

「人は誰しもが何かしらの魂の原石です。
  だからこそ磨けばだれでもその人らしく光っていく。
 一人で磨くのではなくみんなで磨いていけば
必ずの世の中は澄んできて美しい世界になる。
 だからこそ一緒に磨こう、魂を磨いていくことは、
    子どもから私たちが学び直していくこと。
 子どもを人類の先生にして、私たちが学んでいくことこそ魂磨き。
     一緒に磨く仕合せ
を感じていこう。」(藍杜静海)

何が人類の初心であるか、それを出会い御縁をいただけた方々の道しるべになれるよう精進していきたいと思います。

 

遊び心~童心に帰る~

遊び心というものがあります。英語ではユーモアやユニークという言い方をしていますが、この遊び心というのは物事の全てにおいて重要なことであろうと思います。遊んでいるのか学んでいるのか、遊んでいるのか真剣なのかというように、まるで事物一体になっている人の集中力の中には遊びが必ず入ってきます。

その遊び心は何かということを少し深めてみようと思います。

遊び心は辞書でひくと、「遊びたいと思う気持ち。また、遊び半分の気持ち。」「 ゆとりやしゃれけのある心。」「音楽をたしなむ心」などと書かれています。

ゆとりを持っている人というのは、どこか真剣な中にも遊び心がありそのものを心から面白がって取り組んでいます。子どもの頃は、何をやっていても面白く、どれをしていても愉しく、大人になってみると何が面白かったのだろうかと思いますが今でもその感覚は覚えています。

好奇心と呼んでもいいのかもしれませんが、何に対しても興味が湧き、どんなものでもやってみたいと思うのです。ワクワクドキドキのままに、集中して愉しみ時を忘れて気が付くと日々がいつも充実しているのです。

人はそのワクワクドキドキを真面目過ぎることで見失っていくものです。面白くもないことを真面目にやるより、真面目なことも面白くする方がなんでも楽しくなってきます。結局は、自分の中にあるワクワクドキドキの蝋燭の火を灯し続けているかどうかがその遊び心を満足させるコツのように思うのです。

遊び心がなくなれば仕事も人生もつまらないものになってしまいます。

畢竟、私にとっての遊び心とは子ども心、つまり童心です。

言い換えればこれは理想を求めて已まない心のことです。

人は理想を失うとき、子ども心を失います。

どれだけ真剣であるか本気であるか、覚悟が決まっているかは、その人の遊び心を観ればわかります。よくニコニコ顔で命懸けという言葉を使ったりもしますが、大変でも愉しい、苦しいけれど仕合せ、ピンチだけれどチャンス、禍転じて福になる、そういう心境というのはワクワクドキドキし続けている証拠なのです。

子ども心は、大人から押し付けられた刷り込みによって真面目であることを強要されて失っていくものです。優等生に仕立て上げられる中で、本来の遊びは次第に消失していきます。

人生は一度きり、どれだけ面白いことに出会うかが人生の豊かさであり仕合せのように思います。日々に出会う奇跡にどれだけ心がワクワクするか、そしてリスクを取りどれだけドキドキするか、まるでそれは遊びそのものです。

子ども心が亡くなった人に遊ぶことはできません。

私たちの会社の理念である子ども第一主義は、その理想を諦めさせないことで子ども心を見守りたいと祈る実践でもあります。子どもの周囲の大人が、童心をなくしてしまうことを私は一番危惧するからです。

童心というものは、純粋に素直に、謙虚に正直に、そして何よりも自然を愛し野生を尊ぶ心の中に棲んでいます。ワイルドに飛び跳ねるように世界を廻り、ナチュラルに仲良く元気に、ピュアに明るく健やかにセンスオブワンダーの原点、その童心に帰る日々にしていきたいと思います。

 

生活人の智慧~郷中教育~

鹿児島には風土の教育文化として「郷中教育」というものがありました。この郷中教育とは藩内に「郷中」と言う数十戸で構成された自治組織を設けこの組織内における異年齢の子ども同士の間で学び合う仕組みです。

具体的には、六歳か、十歳までを小稚児と呼び、十一歳から十五歳の長稚児が生活万般のモデルを示す。さらにこの長稚児を指導するのは、十五歳以上の二才(にせ)と呼ばれる青年が担います。二才のリーダー格を二才頭(にせがしら)と言い、西郷隆盛はこの二才頭を務めていました。

所謂、「子どもの自治」を行うことで子どもたちをたくましくさせる仕組みがあったのです。今では大人が教え込まなければ子どもは育たないなどと刷り込まれ、知識や規範を厳しく躾けるようなことがいいように思われますが、かつて歴史で立派な人たちを沢山輩出した郷中教育では子ども同士の学び合いを何よりも重視しました。

そこには規則はありましたが、基本的には先輩がモデルを示し後輩を思いやり、己に克つための生き方を導いたリーダーが存在しただけです。非常に理に叶った方法で、異年齢による養育を行っていました。

その仕組みは、私たちの行う一円対話とよく似ています。磯田道史さんのニュースの紹介記事から抜粋していますがここにはこう書かれています。

「薩摩の子供は、まず早朝にひとりで先生(主に近所のインテリ武士)の家に行って儒学や書道などの教えを受けるのですが、誰を先生に選び、何を学ぶかは、子供が自分で勝手に決めていいんです。そして次は子供だけで集まって、車座(くるまざ)になり「今日は何を学んだか」を各自が口頭で発表します。決まった校舎や教室はなくて、毎日、子供が順番で、地域の家に「今日はこの家を教室に貸してください」と交渉します。社会性も身につきますよね。何より大事なのは、皆の先生がバラバラなことです。思想が統一されないし、話す本人は復習になるし、口伝え・耳聞きによって、知識を皆で効率よく共有できる。ちゃんと理解してるか、親よりも厳しく仲間同士でチェックし合います。」

子ども同士で気づき合うのがもっとも偉大な先生という発想です。異年齢で教え合うことで仲間の発達や気づきから、自分自身を鏡のように内省し、自らの改善点を自らで発見しそれを克服していく。

人間が育つということは、己を修めるということです。その己の修め方は先生が机上で教えるのではなく、仲間の挑戦から学ぶという方法です。決まりは、負けるな、嘘をつくな、弱い者いじめはするなと明瞭です。その他、自らに打ち克つためのことが書かれるくらいです。

教育といっても今のように知識偏重型だけのものではなく、人本育成について真剣に考えて編み出した仕組みがこの郷中教育であったということです。

西洋のメソッドばかりを見ては、学者が言う事をさもそれが最先端だと思い込みますが日本の風土に遺っている歴史の篩をかけられても真実の記録が残っているものこそ、最先端のような気がしてなりません。

温故知新とは、かつての本質を今の時代に甦生させるものです。

私が今、提案して実践をしている一円対話はその郷中教育の仕組みを随所に取り入れています。人は教えなくても育つ、できるようになるには異年齢による見守りが必要であるというのは古今東西の発達の真理なのでしょう。

さらに磯部さん郷中教育の仕組みをついてこう語っています。

「判断力、決断力、実行力を伴った、まさに「知恵」ですね。定まった知識をテキストで身につけるのでなく、(1)あらゆる事態を仮想し、(2)それに対処するアイデアを考え出し、(3)その中から正しいものを選択し、(4)実行する“度胸”を持つという。」

生きる力とは何か、子どもたちが立派に自分の使命を果たし仕合せに役割を全うするための社會人、生活人にしていくための仕組みを考えた先人には頭が下がります。そしてこの郷中教育の基本は文字で教えず、全て実地実行、実践によってのみ行ったということです。

今年はこの郷中教育も少しずつ深めていきたいと思います。

 

人生の情

鹿児島に来ると、いつも西郷隆盛を深めています。他にも鹿児島には郷中教育をはじめ、数々の智慧が風土に遺っています。厳しく雄大な大自然の中で育まれたその思想がかつて日本全体を動かす維新回天の原動力になったことも頷けます。

その風土の模範のような人物の一人が西郷隆盛です。

「不怨天、不尤人、下学して上達す。」があります。天命を知る者は天を恨みず、己を知る者は人を恨まず自らの修養に徹せよというように、自らの不遇を全て受け容れて天命に生きた実践、まさに「敬天愛人」を座右とした西郷隆盛の人格的魅力に強く惹かれます。

何より正義感が強く正直であったからこそ数々の誤解を受けては酷い境遇に晒されていきます。しかしその中で仲間を大切にし、自らの信念を貫き、多くの人たちから必要とされその都度自分を天に委ねては人情に真心を盡していきます。

勝海舟からも、西郷は人に好かれ過ぎた、早死にするのは分かっていたというように評されていたり、英国の外交官だったアーネスト・サトウも西郷がほほ笑むとなんともいえぬ魅力的な表情になったと言われます。

もう時代が過ぎて残り香もわずかですが、その書物や周囲の人たちの発言からも人徳の薫風が伝わってくるものです。人から愛され、天からも尊敬される生き方というのは、無我無私であり思いやりに生きたということなのかもしれません。

西郷隆盛の人柄を思うとき、もっとも好きなものに西南戦争の終焉に際したときの中津藩の隊長、増田宋太郎の手記の話があります。

この増田宋太郎は、敗走する薩摩軍が最後の場所と決めていた鹿児島の城山に向かうに際し、中津隊員の皆に君らは中津へ帰れと指示して自分自身は一緒に城山で西郷に殉じると言いました。なぜひとりだけ残り西郷に殉ずるのか不審がる隊員たちに増田宋太郎は涙しながら話したといいます。

「われ、ここに来たり、初めて親しく西郷先生に接することを得たり。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば三日の愛生ず。親愛日に加わり、去るべくもあらず。今は、善も悪も死生を共にせんのみ」

意訳ですが、「私はここにきて西郷隆盛先生に接する機会を得ることができた。一日、西郷先生に接すると一日の真心をが生じた。そして三日間、西郷先生に接すると三日間の真心が生じた。もはや西郷さんと一緒にいる真心が一体になり、別れることもできなくなった。今はもう善も悪もなく、その死生を共にしようと思っている」と。この増田宋太郎の享年は28歳です。

西郷隆盛の南洲墓地が、鹿児島市上竜尾町にあります。

情を愛した仲間たちと一緒にその真ん中に坐する西郷隆盛に触れていると、「仲間を大切にする」ことの本質を改めて学んだ気がしました。私は鹿児島に御縁をいただいてから、人生の情について考え直すようになってきました。

偉大なひとさまにいただているご縁に感謝しつつ、御蔭様の日々を精進していきたいと思います。