本物の実践

「本物は続く、続けると本物になる」は、東井義雄さんの遺した言葉です。

実践をしていく中で何度も励まされる言葉です。

人は初心を忘れたり、日々に向き合わずに内省を怠るとすぐに流されて実践が甘くなっていくものです。自分の遣りたいことや好きなことを遣っているはずですが心がついてこず、頭でっかちにやった気になればそのうちルーティン化した業務のように実践を勘違いしてしまいます。

本来は何のためにそれをやるのか、何のために働くのかを決心していたはずのものが覚悟が定まらず迷走しまた流されるというようにブレナイ自分を練磨研鑽するには長い年月がかかるものです。

しかしそれでも続けていれば、次第に何かの機会を切っ掛けに質が高まり心が着いてくるように思います。心が育ってくればくるほどに様々なところが削り取られていき円みを帯びてきます。実践とは実績のことですからやればやるほどに積み上がった経歴や経過が今の自分を存在させますから毎日は死して後已むまでずっと真剣勝負だということです。

そして実践の心を伝える東井義雄さんの「小さな勇気」という詩があります。

「人生の大嵐がやってきたとき

それがへっちゃらで乗り越えられるような
大きな勇気もほしいにはほしいが
わたしは小さな勇気こそほしい

わたしの大切な仕事を後回しにさせ
忘れようとさせる小悪魔が
テレビのスリルドラマや漫画に化けてわたしを誘惑するとき
すぐそれをやっつけてしまうくらいの
小さな勇気でいいからわたしはそれがほしい

もう五分くらい寝ていたっていいじゃないか
けさは寒いんだよとあたたかい寝床の中から
ささやきかける小さな悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さな勇気こそほしい

明日があるじゃないか
明日やればいいじゃないか 今夜はもう寝ろよと
机の下から呼びかける小さな悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さな勇気こそほしい

紙くずが落ちているのを見つけたとき
気がつかなかったふりをしてさっさと行ってしまえよ
かぜひきの鼻紙かもしれないよ
不潔じゃないかと呼びかける
小さな悪魔をすぐやっつけてしまうくらいの
小さな勇気こそわたしはほしい

どんな苦難も乗りきれる
大きい勇気もほしいにはほしいが
まいにち小出しに使える小さい勇気でいいから
わたしはそれがたくさんほしい
それにそういう小さい勇気を軽蔑していたのでは
いざというときの大きな勇気も
つかめないのではないだろうか 」

自分を変えていくということは、自分の全身全霊を発揮していくことです。本当の自分らしさというものは、全身全霊で自分を誰かの為にと真心で生き切り遣りきるときに自ずから自然に出てくるものです。

あの植物や動物、虫にいたるまで自分で計算して自分らしさのだし引きをするものはありません。人間は甘い環境の中で自分を甘えさせられることができる生き物ですから、あの野生の動植物のようにそのものらしくはなくなってきています。

そんな時こそ小さな勇気が必要ではないかと私は思うのです。

日々の実践というものは、頭で行うものではなく行動で示すものです。行動は頭よりも先に動きますから心が先に動いてきます。心が動き頭が着いてくればそれはもう実践がものになってきている証拠なのです。頭ばかりが先に動いて心が亡くなってしまうような人生はまるで道に入って道を歩かないような虚しいものです。

「本物は生きるのを已めない、活き続ければ本物になる。」

一度しかない人生なのだから自分と向き合い、自分を高めていくのが人生の醍醐味なのかもしれません。色々と誘惑や欲が多いのはどの時代でも同じようです。その自分の誘惑や欲の種類は人それぞれに異なりますが、小さな勇気を発揮してそれを凌駕するような本物の勇気の心、本物の実践を積み上げていきたいと思います。

真心の醸成(志道と志事)

吉田松陰の志というものは、多くの志士の心を動かしました。

そこには志というものが何か、そしてそれは何をもって志が育っているのかということを自らの背中を通して塾生に語り掛けました。周囲からは狂人と呼ばれ、危険人物として疎まれました。

本来、志高く歩む人を理解するというのは周りからみれば変人の類なのかもしれません。一般的な姿と考え方も異なり、見た目も異なり、素行も異なるのは、常識の枠に囚われることがないからです。

吉田松陰もその時代には常識的に理解されず、それでもそれを貫きました。たとえば、友との約束のために脱藩をします、今では外国に亡命するくらいのことです。そのあと黒船に乗ろうとします、これは宇宙船に乗るようなものです。そして安政の大獄の真っただ中、仮保釈中に老中暗殺のために武器を藩に願い出ます、これなどは仮出所中に銃や武器を国家や裁判所に貰いたいと嘆願するようなものです。

「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」という言葉も遺ります。塾生たちに遺した言葉には「諸君、狂いたまえ」などという言葉も残っています。これなどは、「もっとおかしくなりなさい、遣り切りなさい」と他人と異なってもいいからもっと変人になることを奨めているのです。

なぜこうすればこうなるとわかっていながらもこれをやり遂げたのか、そこには本人にしかわからないものがあったのだろうと私は思います。

吉田松陰の立志という生き方はまずこれらの言葉に見られます。

「志を立てて、以って万事の源となす」「志定まれば、気盛んなり。」

すべては志からはじまり、そして志におわるという意味でしょう。そして志は覚悟が決まれば、気が満ち溢れ燃えているはずだというのです。

そして孟子の下記の言葉を引用して「講孟余話」という授業の中で弟子たちに発奮激励を語ります。

「志士は溝壑にあるを忘れず、勇士はその元を喪うを忘れず」

意訳ですが(志士ならば道義のためなら窮死してその屍を溝や谷に棄てられてもよいと覚悟し、真の勇士は志のためならばいつ首をとられてもよいと覚悟を決めているのだ)という意味です。

そしてここにはこう続きます。「書を読むの要は、是れ等の語に於て反復熟思すべし 」と。

志士が本を読む意味は、これは孟子のいうところを繰り返し繰り返し読み直しその書いている本人の真心に透徹するまで思うことであると。読むというのは単に字を読めばいいのではなく、志で道を切り開く同志を思いそれに志心を奮い立たせていくということでしょう。

吉田松陰の志道というものは、決して仕事ではなく志事であったのです。

言い換えれば、人生を懸けて志を貫こうとし、それを塾生たちが感じ取ったのです。吉田松陰は出来合いの指導などを行っていたのではないのです。では塾で何を行ったのか、それは志道と志事を実践していたのです。

その塾生の一人、高杉晋作はこう言残します。

「何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大ばか者なり」

そしてもう一人、高杉と合わせて塾生の双璧と呼ばれた久坂玄瑞の言葉で締めくくります。

「私の志は、夜明けに輝く月のほかに知る人はいない」

私の志も、あの天高く広がる宇宙のほかに知る人はいないという心境です。別に誰に分かってもらう必要もないし、誰に知ってもらう必要はない、ただ自分の志道を貫くだけというのがこの志の道の目指すところなのでしょう。

色々な出会いがあり今がありますが、易経の「潜龍用いるなかれ」、その信念を日々に棲む水面に憂いつつもその真心を醸成し、確固不抜の志を高めていきたいと思います。

立志という生き方

人にはそれぞれに生き方というものがあります、同時に働き方というものもあります。私たちは生き方と働き方を一致するということを目指していますが、これは志を育てるためです。

そもそも志というものは、最初から誰でも持っているわけではりません。生き方を定め、言行一致させていく中ではじめて志は育っていきます。そしてその志は、様々な現実の中の紆余曲折、艱難辛苦の中で、それでも自分は生き方を貫けたかどうか、言い換えれば道を切り開き脚下の実践を遣り切ることができたのかという内省により醸成されていくものです。

志を持つのも育てるのもその人次第です。

途中でそれを已めてしまえば、世の中の安逸の中であっという間に自分の生を終えてしまいます。人の人生はとても短く、志を育てていかなければ気がつけば何をやっていたのかと悔いてしまうことにもなりかねません。自分の生き方と向き合うのは自分にしかできませんから、それに生き方には嘘がありませんし他人のせいにもできませんから志とはもっとも身近で自分のことを信頼する伴侶そのものになっていきます。

吉田松陰は、塾生との手紙のやり取りの中でその志が育つような数々の叱咤激励を送っています。

たとえば、塾生の山田顕義へは「立志は特異を尚ぶ、俗流と与に議し難し。 身後の業を思はず、且だ目前の安きを偸む。 百年は一瞬のみ、君子は素餐する勿れ。 」と記します。

これは私の意訳ですから意味が違ってくるかもしれませんが敢えて訳すと、「志を立てるのならば他人と異なることを恐れてはいけない、世俗のことや常識の中でそれを実践するのはとても難しいことだ。しかし世間の常識に囚われれば自分の身の保身ばかりを思い煩い、目先の安楽安逸に流されるばかりになるのです。百年という月日は一瞬に過ぎないのですから、君子は決して現状に甘んじるんではなく志に生きるのですよ。」と。

これは山田顕義が15歳の元服(成人式)の時に、吉田松陰が扇に書いて送ったものですが何を優先してあなたは生きるべきかとその初心を塾生に自らの生き様で与えています。

そしてさらに感動的で印象に残る叱咤激励に塾生の高杉晋作に送った手紙があります。
そこにはこうあります。

「貴問に曰く、丈夫死すべき所如何。僕去冬巳来、死の一字大いに発明あり、李氏焚書(明の学者李卓吾の書)の功多し。其の説甚だ永く候へども約して云はば、死は好むべきに非ず、亦悪むべきに非ず、道盡き心安んずる、便ち是死所。世に身生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。心死すれば生きるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。又一種大才略ある人辱を忍びてことをなす、妙。又一種私欲なく私心なきもの生を偸むも妨げず。」

これはそのままに味わってほしいものです。吉田松陰と高杉晋作が如何に志で絆を結び、共に不二の道を切り開いていたのかが分かり感動します。死を前にしての、生を語り、その生き方を示しています。

そして志を立てることを最期に述べます。

「死して不朽の見込あらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつでも生くべし。僕が所見にては生死は度外に措きて唯だ言うべきを言ふのみ」

これは私の人生観からの意訳ですが、「もし死んだとしても志がそれで立てられるのならいつでも死んでもいい。しかし生きて志が立てられるのなら生きることだ。常に志を求め言うのなら、常に自らの生死のことなどは度外視して志は語るものだ。」

「立志」という生き方。

これを実現したのが松下村塾なのでしょう。

孟子はこう言い遺します。

「自ら反りみて縮くんば、千万人といへども、吾往かん」

そして孔子はこう言い遺します。

「三軍も帥を奪うべきなり匹夫も志を奪うべからざるなり」

引き続き、君子の道とは何かを自問自答しつつ覚悟を育てていきたいと思います。

 

むすひ

日本には古来から「むすひ」(結び)の信仰があります。

禮を深めて最初に出会うのがこの結びという考え方です。本来、中国で産まれた禮ですが日本に渡来してから日本のものへと発展しているように感じます。先日、流鏑馬でご縁をいただいた小笠原流礼法も紅白の紙で包むや糸を結ぶという作法が沢山存在しています。

これは日本の古来の精神と禮が合間って取り入れられたのかもしれません。

この「むすひ」というものが何であるか、京都の平安神宮のHPから引用させていただくとこう書かれています。

『日本の「結び」は「物を結ぶ」という以外に、人と人、心と心の関係をも「結び」として表され、特別な意味がふくまれています。たとえば結婚式は、男女が結ばれ両家が結ばれる大切な儀式です。神楽殿 ご縁を表す「むすび」は、古くは「産霊(むすひ)」いって、すべての物を生み出すご神威のことを表していました。天地・万物を生み出された神様に高皇御産霊(タカミムスヒノカミ)・神皇産霊神(カミムスヒノカミ)、出産の際に見守って下さるのが産神(ウブガミ)という産霊の神様です。 また、産土(ウブスナ)の神様というのはわたしたちが生まれた土地の神様で、氏神様や鎮守様とも呼ばれますが、どこにいても自分の一生を見守って下さる神様です。神と自然とすべてのものと結ばれている存在が、わたしたち人間です。そして、この感覚を信仰の形で伝えているのが神社なのです。神社の祭りでは、まず始めに神様にお供え物をして、終わると「直会(ナオライ)」といって、そのお供えをおさがりとして食します。神と共にいただく、つまり神様と一体に「むすばれている」ことが大切なことなのです。』

神道では、連綿と絆が結ばれて永遠であるものを縁起としています。言い換えれば出会いやご縁というものには何かしらの偉大な見守りがあると信じているということです。

そしてその結ばれたところにこそ神威が宿ると観えていたのでしょう。

自分が一体、何と結ばれてここまで来たのか。ご縁は果てしなく結ばれた中に今の自分が存在し得ています。これはつまり宇宙とは結びによって存在しているということを意味するのです。

たとえば、父母が結ばれなければ自分は存在できず、その土地と結ばれなければ自分は育たず、魂が結ばれなければいのちも産まれません。言い換えれば、「むすひ」とは、万物のはじまりを顕し、そこが永遠に続いているということを示す言霊なのでしょう。

他人に対する禮の真意は、この「むすひ」をどれだけ忘れていないかということでしょう。

出会ったこと、ご縁があったことにどこまで感謝を示しているか。それは出会って何が産まれたのかを信じているということです。様々なことと結ばれるところに発展と繁栄が存在しています。その発展と繁栄に感謝を添える、真心を尽くす、そこに禮の姿があるということです。

一つ一つをキチンと結んでいくのか真の自立なのかもしれません。心というものをどのように表現するか、その禮をまだまだ深めていきたいと思います。

道具の自味

先日、人吉にある日本で唯一の鋸鍛冶師「岡秀」の仕事を見学し鍛冶やその道具について話をお聴きする機会がありました。全国の山師が信頼を寄せるその鋸ですが実際に自分の手でその鋸を使ってみると驚くほどの切れ味と使い勝手に感動しました。

実際に鉄を打つ現場も見せていただき、その工程についても拝聴させていただくと大変複雑な工程を丁寧に一つ一つ心を籠めて手作りしている様子に、道具の作り手と使い手の真心を実感しました。

昔は、道具というものはその道具を用いる人、その道具を作る人が一緒になって創意工夫をし、その道具を育てていました。先人たちは、その用途にあわせ、また自分の技術や実力、器用さに応じてその場その時その性質によって道具を使い分けてきました。

農具などは、全国津々浦々のその土地の性質でまったく異なるものが作られてきました。その地方独特の道具が開発されてそれが代々受け継がれています。それと同時に各地方には鍛冶師がいて、道具を打ち直し、その道具のいのちを伸ばし、またその道具とともに伝統や歴史、その精神を受け継いできたともいえます。

同じ鋤や鎌、鍬ひとつとっても長さや重さ、そして形状、それは様々な性質を見抜いてはそれに沿って道具を工夫しているのを拝見すると昔の人たちは自然の見立て目立てができたということが観えてきます。

現在はホームセンターなどで画一化された道具や機械化されたものを使いますが昔の道具は人を選んでいたともいえます。だから道具も人も育てる必要がなくなったのでしょう。

昔の人たちは鍛冶からたくさんのことを学んでいたのがわかります、その証拠に鍛冶に関することわざがたくさんあるのです。

「鉄は熱いうちに打て」「付け焼刃」「頓珍漢」「焼きを入れる」「相槌を打つ」「しのぎを削る」「磨けば光る」等々、まだまだ相当数の言葉が遺っています。

それらの言葉が、お話を聴きながら自然に出てくることに道の職人の仕業の奥深さを体験しました。そして中でも印象深かったのは、「味」のお話でした。

「なんでも人は味わが分かるようにならないとその本質が観えない。切れ味は自分で確かめた方がいい。その道具の味がわかっている人にはすぐにその味の善し悪しがわかる」というのです。

何より今回の体験で鉄を打ち錬金する中にある「切れ味」という「味わい深い」世界が存在するということを知りました。切れ味がわかるようになるには、自らを研鑽練磨し、真剣勝負の実践の中で研ぎ澄まされた自味を育てていく必要性も実感しました。

自然の道具を人具一体に育て上げている職人に心から敬意と同時に、その道具を使いながら自分を育てていくという学びをこれから一つ一つ自助研磨しながら味わっていきたいと思います。

道具は思想そのものであり、その思想を使う使い手もそれによって活かされるということ。道具がちゃんと使いこなせるようになるには、道具が分かる人の生き方が身に沁みなければ近づけないということです。

私の作る様々なマネージメントという名の道具もまた、これと同じものなのです。道具を販売するのなら同時に道具の味わいが分かる世界を体験することがもっとも近道なのかもしれません。道具によって人を育てるという先人の知恵を活用しているからです。

有難いご縁に感謝しております、御蔭様でこれからの道程で手作業に入ることがより楽しくなりました。

道具から学び、その道具を深め育てて自己一心の道具を開発していきたいと思います。

 

 

山野辺の道草

人は新しいことを学ぶときには、新しい山を登るものです。歩み続けるほどに新しい山は顕われ、その山をまた一つずつ登り学んでいくように思います。

山を登る時、人は登ってきた大変さを思うから降りたくないと思うものです。せっかく登ってきたのだから他の山に登ろうとは思わないのかもしれません。しかし、山は新しいステージに合わせて顕われますから今までの山の上にまた登ろうとするのではなく、心機一転新しい山だと思って最初から登る気概が必用ではないかと思うのです。

仕事でも、営業で学ぶ山、上司として学ぶ山、経営者として学ぶ山があるように思います。その山は一つの山の上にあるものではなく、それぞれ別の山を登っているのです。言い換えれば新しい風を感じながら、その山一つ一つの意味を確かめながら登るのに似ています。

みんな山と言えば階段のように、その上にまた山があっていつかはエベレストのようにてっぺんがあると思うのが山の概念です。しかし私の思う山はそうではなく、山の辺の道を歩んでいく中での道草の一つとして登る山々です。

登ることが目的ではなく、山々を歩いていく中にこそ道があるように感じています。

ヤマトタケルの辞世の歌に下記が残っています。

「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる やまとしうるはし」

(大和は日本の中でもっとも素晴らしい場所。長く続く垣根のような青い山々に囲まれた倭は、本当に美しい。)

「命の またけむ人は たたみこも 平群の山の 熊白檮が葉を 髻華に挿せ その子」

(いのちの無事な者は、幾重にも連なる平群山の大きな樫の木の葉を かんざしとして挿すがよい こどもたちよ)

私の思う山々というのは、このヤマトタケルの定義している山と同じです。

その天に恵まれ見守られる山々の中で私たちは活かされ道を歩むことできています。その山々に感謝しつつ、新しい山を観てはそこを登らせていただきまた降りさせていただき次の山に学ぶのが、道場としてのお山なのかもしれません。

山はまるで神様のようなものだからこそ私たちはその中で生きているのですからその山の入り口で静かに佇む樫の樹の葉を御守りにして、活かされているままに澄んだ真心で学びとっていくことがいのちが自然一体に成長するということなのかもしれません。

倭人の子どもとして今も歩んでいくのだから青垣の美しい山々は続いていきます。
新たなステージを楽しみながら山野辺の道草を行脚していきたいと思います。

 

武士道精神

子どもの頃、父の影響で少林寺拳法を習っていたことがあります。約、4年間ほど通い色々なことを教わりましたが古武道を習い始めることでその時の記憶が甦ります。あの当時は、分からないことも子ども心には色々な教えが残っているものです。

少林寺拳法というものは、ただ相手に勝てばいいとか喧嘩をして負けなければいいというものではないことは習い始めてすぐに気づくものです。実際には、様々な行動規範を習います。私が一番驚いたのが、自分からは戦わないということを教わったときです。

では何のためにと思ったのですが、それは「力愛不二」という考え方があるからです。これは、慈悲心や正義感に溢れていても、力がなければ、誰かの役に立ったり、助けたりすることはできないということを教わります。また、そこにどれだけ力があっても、誇りや信念がなければ、正しい力の使い方もできません。

本物の強さというものは、相手を思いやることにあると教わるのです。相手を思いやるからこそ、守りに徹し、守ることから戦わないことを学ぶのです。

私は武道の本質というのは、それも思いやりや優しさから産まれるのではないかと実感します。無駄な戦いは避けたい、それは相手を思いやるからです。そして大切なものを守りたいと思うからこそ強くなる必要があるのです。

私の尊敬する師も、大切なものを守る時にはまるで不動明王のような威厳がでています。いつも圧倒されますが、あの強さは優しさや思いやりからだったということが理解できてきています。

正義というものも相手を思いやらない正義など、たいした正義ではないように思います。本物の正義とは、相手を思いやるからこそ御互いを活かし合い天に対しての正義=至誠を貫くことができるようにも思います。

流鏑馬の宗家からも先日、「本物の強さは戦わないことだ」と教えていただきました。

やはり古武道の源流は、自然一体の境地、つまりは「真心」にあるのでしょう。真心を学ぶには、優しさと強さを兼ね備えた真の武士道精神を持ち合わせる必要があるように思います。それを大和魂といい、ヤマトタケルから今の私たちまで連綿と継承した民族の血脈というものでしょう。

なぜ今、此処で私が古武道なのか、少しずつ意味が自明してくる中で、子どもたちを守れる真の強さと優しさを身に着けたいと実感しています。里が応援し、願いを届けてくださり未熟な私を鍛えてくださっていることを有難く感じています。

道に終わりはなく、道は無窮ですから今、来ているものに感謝しつつ歩んでいきたいと思います。

人馬一体

昨日、流鏑馬の稽古の中で師より「人馬一体」ということについて指導がありました。

乗馬においてもまだまだ自身の身体がまったくついてきませんが、長い時間、引き合い気持ちやタイミングを合わせていく中で少しだけ学びの入り口を体験させていただけたようにも思います。

そもそもこの人馬一体とは、辞書には「乗馬において乗り手と馬が一つになったかのように、なだらかで巧みな連係が行われること」とあります。師からは、長い時間の馬との関わりの智慧をひとつひとつの言葉の中で教えていただけているのを実感します。

自分なりに、感謝のままに武の心を学んでいきたいと思います。

滑稽さの中に教訓と風刺をまじえて江戸時代中期に流行した「談義本」の祖とされる佚斎樗山に宮本武蔵『五輪書』とならぶ「剣術の秘伝書」に「天狗芸術論、猫の妙術」があります。

ここに人馬一体について書かれています。

問ふ 「何をか動いて動くことなしといふ。」 曰く「汝、馬を乗る者を見ずや。」よく乗る者は、馬東西に馳すれども、乗る者の心泰(ゆたか)にして忙しきことなく、形静かにして動くことなし。ただ、かれが邪気を抑へたるのみにて、馬の性に逆ふことなし。ゆえに人、鞍の上に跨(また)がって馬に主たりといへども、馬これに従って困(くる)しむことなく、自得して往く。馬は人を忘れ、人は馬を忘れて、精神一体にして相離れず。これを鞍上に人なく鞍下に馬なしともいふべし。これ動いて動くことなきもの、形に表はれて見やすきものなり。未熟なる者は、馬の性に逆って我もまた安からず、つねに馬と我と離れて、いさかふゆえに、馬の走るにしたがって五体うごき、心忙しく、馬もまた疲れ苦しむ。ある馬書に、馬の詠みたる歌なりとて、

打込みて ゆかんとすれば 引きとめて 口にかかりて ゆかれざるなり

これ馬に代りてその情を知らせたるものなり。ただ馬のみにあらず。人を使ふにもこの心あるべし。一切の事物の情に逆ふて、小知を先にする時は、我も忙しく、人も苦しむものなり。

これを石井邦夫氏が現代語訳しています。

「次のような質問があった。”動いて動くことなし”とは、一体どのようなことを言っているのであろうか。次のように答えて言った。あなた方は乗馬者をよく見るだろう。上手な乗馬者は、馬を東西に走らせても心は安泰でせわしいことはなく、その姿も静かでゆれ動くことがない。外から見れば、馬と人が一体になっているようである。

しかしそれは、ただ彼が自分の邪気を抑えているだけのことで、馬の性質に逆らうことがないのである。それだから、人が鞍の上にまたがって馬の主になっていたとしても、馬はそれに従って苦しむこともなく、納得して走っていくのである。

馬は人を忘れ、人は馬を忘れて、気持ちが一体になってお互いに離れることがない状態、これを”鞍上に人なく鞍下に馬なし”とでもいうのであろう。これなどは”動いて動くことなし”ということが具体的な形に表れて、わかりやすい例である。

未熟な者は馬の性質に逆らってしまい、自分もまた安泰ではなく、つねに馬と自分の気持ちが離れて、争ってしまうために、馬が走るにしたがって身体が揺れ動き、心がせわしくなり、馬もまた疲れて苦しむのである。

ある馬術書に、馬が詠んだ歌として、次の和歌がある。

打込みて ゆかんとすれば 引きとめて 口にかかりて ゆかれざるなり
(集中して走り込もうとすると引き止められ、手綱が口にかかって前に行かれないんだ)

これは馬に代わって馬の気持ちを伝えたものである。

ただ馬だけではない。人を使う場合にも、このような気持ちはあるであろう。一切の物事の状況に逆らって小賢しい知恵を先に働かせてしまうような場合は、自分でもせわしなく、他人も困らせてしまうものである。」(講談社)

古武道から学ぶ智慧は、今の人生を生きる智慧そのものです。

何事も分けずに道から教えが入っていることに感謝し、心のままに学びを深めていきたいと思います。