浄化の一日

今日は、冬至です。外は一面の銀世界で雪景色です。畑の高菜もすっぽりと雪に隠れ、寒々しくもところどころ深い碧い空から光が漏れてきます。日本は四季が豊かで、毎日外を眺めては変化を已まず飽きることがありません。

同じ場所にじっと佇んでいても、これだけ四季の変化の彩りがあれば退屈することはありません。むかしの先人たちは、この変化に驚き好奇心を働かせ色々な暮らしを紡いできたのでしょう。

時代が変わっても、自然の巡りや変化、その循環の妙には魅せられ続けます。故郷にあってその変化を味わえることに深い喜びを感じます。

今年は振り返ってみると、病気に怪我に死別にと苦しく辛いことが思い出されます。しかし同時に、新たな出会いと挑戦、徳を実感するような出来事も思い出します。人生は、一期一会とはわかってはいても生々しい出会いと別れに一喜一憂するものです。

今思えば、二度と同じことはなくそしてこれからも二度と同じことはない。この世のすべては変化しないことはなく、元に戻ることはないということを実感することばかりの一年でした。

健康の有難さは年々より明白になり、自分の役割や天命もまた近づいてくることも明瞭になります。

家族や仲間との旅路もいつか終わる日がきます。恩師やメンター、同志たちも同様です。冬至だからか一年の終焉と人生の終了を思います。そして同時に、甦生といって新たになることの意味を感じます。何が終わり、何がまた新たになるのか。何が集まってそして役目を終え分散し、何がまた新たに集まるのか。

思いというものがこの世を創造し、思いによって世界はできます。

一つの思いを思い出し、新たな思いを思い出す。

出てくる思いにしたがって、また綴る新たなご縁と物語に一期一会は存在します。太陽を浴びる時間が一番少ないからこそ、闇の有難さを感じます。穢れを祓い、浄化するよい一日にしていきたいと思います。

三浦梅園先生の生誕300年のご報告

御蔭様で無事に三浦梅園先生の旧宅で生誕300年の行事を実施することができました。素晴らしい天候に恵まれ、この時期としては最も過ごしやすく穏やかな気候で心も体も深く癒されました。今朝から雨が降っていますが、改めて奇跡のような一日であったと感謝に包まれています。

遠方から多くの仲間たちが前入りしたり早朝からも駆けつけてくださってお手伝いをいただきました。また現地でも時間をかけてお手伝いいただいた方々やこの日のために準備を調えてくださった方々も参加し家族のような雰囲気でした。

行事がはじまると、みんなで三浦梅園先生と代々のお墓の清掃や旧宅のお手入れを行いました。人数が多いこともあり、あっという間に美しく綺麗に調いました。そして英彦山の古文書から甦生した伝説の和漢方不老園をみんなでお茶にして飲んで寛ぎ、三浦梅園先生の菩提寺である両子寺の寺田豪淳さんと300年の法要を行いました。宗派などを超えて暮らしのなかでみんなで遺徳を偲ぶ時間が懐かしく、緩やかな時間と一緒に般若心経を唱える調和に有難い気持ちになりました。250年前から吹き続けられた懐かしい法螺貝を吹いて奉納しました。

その後は、シンポジウムと移りました。改めて300年前、三浦梅園先生が過ごしたこの場でむかしの梅園塾のように30名の仲間たちが語り合い、学び合い、生き方を磨き合いました。

まず各々三浦梅園先生のことをどう感じるかを話し、信条を伝え取り組みを話しました。先生の条理学、自然観、生き方、そのあとは、真の経済ということをテーマに「価原」という先生の著書から学んだことを議論しました。登壇者からは、現代の貨幣経済の問題、時間泥棒のこと、限界集落や相互扶助の大切さ、懐かしい経済について語り合いました。また参加者からも格差経済のこと、連携経済のこと、協働創造のことなど、多岐に及び、時間があっという間に過ぎてしまいました。そして最後は、三浦梅園先生の慈悲無尽講を現代に甦生させるための挑戦を有志でやろうとなりその場でブロックチェーンの徳積帳を使い結に参加し両子山、両子寺周辺の自然環境や行事、お祭り、経世済民を実践するためにみんなで徳の積みたてに参加してくれました。内省シートを記入し、それぞれに気づきや知恵を書いていただき、来春にまたこの場で集まることを約束しシンポジウムを終えました。

お昼は、持参した自家製のむかしのお米をつかった酵素玄米のおむすびを火鉢を囲んでみんなで食べました。また友人の高橋剛さんのお父さんからもパンの差し入れがあり、みかんやお菓子などを食べて心温まる時間を過ごせました。その後は、親友の雲水、星覚さんが中心になってみんなで三浦梅園先生の里で「遊行」を行いました。ぶらぶらと目的を持たずに、先導する杖に委ねて歩くのです。私が先月の遊行中に骨折をして歩けなくなり、歩くことを一時中断することになってはじめて気づいたことなどを伝え、その歩くことの意味や感覚をみなさんで味わっていただきました。法螺貝が里に響き渡り、地域の方々もたくさん出てきてくださって賑やかさに喜んでいただきました。

最後は、みんなでまた生家に帰り一日を振り返り感想を伝えあいました。懐かしい未来、一期一会の場にこうやって一緒に過ごせたことに深い感謝がありました。ご挨拶をして、再会を楽しみにみんなでお別れしました。感謝の余韻の残る、かけがえのない一日になりました。

人生というのは、一度きりです。何を最も大切に生きていくかは、その人の心が決めます。真の豊かさとは、心の中にこそ存在します。真に豊かに生きておられた三浦梅園先生の生き方の余韻や空氣を存分に味わうことで私たちの心にもその片鱗が宿りました。

遺された人生、先祖代々の遺徳に感謝して丁寧に使わせていただき300年後の子孫のために今日も大切に使っていきたいと思います。

ありがとうございました、これからもよろしくお願いします。

小さな改革

マハトマ・ガンジーの思想に、七つの大罪というものがあります。これは現代の人類の価値観に警鐘を鳴らすものです。そこにはこうあります。

1.理念なき政治 (Politics without Principle)
2.労働なき富 (Wealth without Work)
3.良心なき快楽 (Pleasure without Conscience)
4.人格なき学識 (Knowledge without Character)
5.道徳なき商業 (Commerce without Morality)
6.人間性なき科学 (Science without Humanity)
7.献身なき信仰 (Worship without Sacrifice)

そもそも、これらの7つは本来はこうではなかったものがこうなったというものです。つまり政治は理念あるもの、富は労働するもの、快楽は良心あってこそ、学識は人格がつくる。商売は道徳であり、科学は人間性によるもので、本来の信仰は献身であると。この逆になっているのが今の時代の価値観ということです。

例えば、金融や経済などはわかりやすく一部の富の独占と貧困と飢饉によって貧富の差は拡大しています。道徳を忘れてしまえば、商業はますます世の中を非道徳の環境に貶めていきます。ガンジーはこういいます。

「私は、あなたが正しい手段で手にした資産を捨てろとは言わない。しかしその資産は、決してあなた自身のものではない。それは人々のために役立てることができるように、あなたに一時的に預けられているものだ。そのことを忘れてはならない。」

富や財産は決して自分のものではなく、これは単に預かっているものでありまたみんなで循環させていくために活用しようといいます。私たちの身体も同じで、預かっているもので正しい生の循環を止めてしまいどこかで留保し続けたらそこから癌になるものです。経世済民とは、誰かが富を独占し確保するのではなくみんなにサラサラと血液が流れ浄化されるように循環させていくところに幸福もあります。自然と同様に、自然から預かった環境を自分の天命を全うし、また好循環の一部として生を喜び全うしていくことが本来の姿です。

個人主義、利己主義が蔓延する競争と不安の世の中においては、商業が道徳的でなくなる理由はよくわかります。だからこそ、同時に道徳といった、徳が循環する経済を創造しようとしてこそそこに経済大国として世界を調和する大切な役割があるように私は思います。

そしてガンジーはこうもいいます。

「何かを訴えたい、意志表明したいと思ったときに、それを話したり書いたりする必要はない。行動し、生き様で示すしかない。私たちは一人一人の生き様を、生きた教科書にしよう。誰もがそこから学び取ることができるように。」

ということで、私は三浦梅園先生の慈悲無尽の生き方に感動し、それを実践して現代に甦生させてみようと思います。困難や非難もあっても、まずは試行錯誤してみてそれをみんなと切磋琢磨してこの時代の世代の役割を果たしていきたいと思います。

歴史に学ぶ

時代が変わると、人の価値観も変わります。偉い人になろうと人は努力しますが、時代の価値観が偉い人もつくりますから今の時代の偉い人は何かということを考える必要を感じます。

例えば、ある時代は徳の高い人が偉いといわれていたことがあります。その時代は、みんなで高徳の為政者を望みました。またある時代は、戦に強い無敵の為政者を求めてその人が偉い人になりました。またある時代は、お金持ちで成功者がもっとも偉い人といわれるものもありました。その時は、経済に影響を与えていることが偉い人となります。

時代が何を求めているかで偉い人も変わります。人間は、自分にとって有益であること、都合がいい人を偉い人にするものです。偉い人になった人は、その役目を演じて偉い人にまつり上げていかれるものです。実際には、偉い人に依存してしまえばみんなが自立することを怠ってしまいます。むかしから日本には、草莽というみんなで助け合ってみんなで偉い人になろうとする意識がありました。つまりは、自分には何ができるかと真摯に初心に向き合って互譲互助しながら自治を実現してきたものがあります。それが「講」という形でも各地に遺っているものです。

改めて、歴史に学ぶ必要があるのは時代が変わっても普遍的なことを学び直し今どのようにあるかを問うためにあるように私は思います。

陽明学の安岡正篤氏がこのような言葉を遺しています。

「偉くなることは、必ずしも富士山のように仰がれるようになるためではない。なるほど富士山は立派だけれども、それよりも何よりも立派なのは大地である。この大地は万山を載せて一向に重しとしない。限りなき谷やら川やらを載せてあえていとわない。常に平々坦々としておる。この大地こそ本当の徳である。我々もこの大地のような徳を持たなければならぬ、大地のような人間にならなければならぬ。」

偉くなることは、大地になること。大地は本当の徳だといいます。徳を持つことこそ真に偉くなることであるといいます。またこうもいいます。

「ずるいことをやったり、人を押しのけたりして、地位や財産をつくるのも人間の能力、知能のひとつであります。それを使っていろいろのことができる。できるけれども、そんなことができても、これは人間としては少しも偉いことではない。社会的には偉いかも知れぬが、人間としてはむしろ恥ずべきことであります。何を為すか、何をしたかということと、彼はどういう人間か、いかにあるか、ということとは別である。」

社会的な偉さよりも、本来の偉さとはどういうことか、人間として恥を説きます。また同時に人物の偉大さについてはこういいます。

「環境が人をつくるということにとらわれてしまえば、人間は単なる物、単なる機械になってしまう。人間は環境をつくるからして、そこに人間の人間たるゆえんがある、自由がある。すなわち主体性、創造性がある。だから人物が偉大であればあるほど、立派な環境をつくる。人間ができないと環境に支配される。」

偉い人は環境をつくる人であると。環境に支配されない人であると。まさに、先ほどの大地の徳を観ては自立の本質を直感します。そしてこうも言います。

「歴史はくり返す。たいていのことは古典の中にある。何千年もたっているのに、人間そのものの根本は少しも変わっていない。自分が創意工夫し、真理を発見したと思っているが、それは大変な錯覚で、すでに古典にのっていることを知らないのだ。」

人間の根本は時代とは関係がない。古典というのは、先人からの知恵であり子孫への伝承です。三浦梅園先生がいた時代、そして300年後の今。まさに今こそ、歴史に学び300年後の未来へ向けて対話をする場が必要だと私は感じてシンポジウムを実現することにしました。

混迷する世の中で、普遍的な道をどう切り拓いていくか。子孫のためにも、実践を積み上げていきたいと思います。

捨聖の甦生

空也上人の生き方に憧れて遊行を実践した人物に、一遍上人がいます。この人物は鎌倉時代の方ですから空也上人が逝去されてから270年後の人物になります。一遍上人特に止住する寺をもたず、一生涯全国を巡り、衆生済度のため民衆に踊り念仏をすすめ、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)、捨聖(すてひじり)といわれた方です。

その一遍上人が門人への説法で空也上人がどういう人物であったかを語られています。そこには、こうあります。

「また上人、空也上人は吾が先達なりとて、かの御詞を心にそめて口ずさび給ひき。空也の御詞に云(いわく)『心無所縁(中略)譲四儀於菩提《心に所縁なければ、日の暮るるに随つて止まり、身に所住なければ、夜の明くるに随つて去る。忍辱の衣厚ければ杖木瓦石を痛しとせず。慈悲の室深ければ、罵詈誹謗を聞かず。口に信(まか)する三昧なれば、市中もこれ道場。声に随ふ見仏なれば、息精即ち念珠なり。夜々の仏の来迎を待ち、朝々最後の近づくを喜ぶ。三業を天運に任せ、四儀を菩提に譲る》』と。

木造空也上人像にある、口から迸る六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若)の実践とはこのような遊行の姿を示されたことがわかります。暮らしの中で、生き方として念仏の生き方を実践されたことが何よりも尊いと感じます。遊行のなかで如何に暮らしの徳を磨いていくか、まるで仏陀のような生きざまに感銘を受けます。

またこうもいいます。

『求名領衆(中略)更盗賊怖《名を求め衆を領すれば身心疲れ、功を積み善を修すれば希望多し。孤独にして境界なきにはしかず。称名して万事を抛(なげう)つにはしかず。間居の隠士は貧を楽とし、禅観の幽室は静なるを友とす。藤衣・紙の衾はこれ浄服、求め易くして、さらに盗賊の怖れなしと》』

閑居で暮らせば貧も楽しく、座禅のように暮らせば静寂であることが仕合せである。シンプルな衣装や紙の袋は手に入りやすく清浄である、それに盗賊に奪われるものもないとあります。

「上人これらの法語によりて、身命を山野に捨て、居住を風雲にまかせ、機縁に随て徒衆を領し給ふといへども、心に諸縁を遠離し、身に一塵もたくはへず、絹帛の類を膚にふれず、金銀の具を手に取る事なく、酒肉五辛をたちて、十重の戒珠をみがき給へりと云々。」

このように空也上人は、いのちは山野に捨て居住を持たず云々とあります。つまりは、色々なものを手放してそぎ落とされて顕現した徳そのものの姿があったように思います。

今の時代でも空也上人のような生き方ができるでしょうか。この時代のことに思いを馳せてみると、政治的な宗教が盛んな世の中で民衆の中で何も持たずにただ遊行している姿で歩んでいく僧がいる。

文字も読めず学識もそんなにない民衆に、さらにいうなら言葉も異なり地域の特殊な文化があるなかで普遍的な徳の生き方を伝道し伝承していく、ただ南無阿弥陀仏と唱えるだけでいいと。そして上記のような、六波羅蜜の姿を体現してみせること。

そぎ落とした先にあったのがこの念仏だったと思うと、今の時代でもこれはとても大切なことがわかります。知識をつけて、みんな言葉も文化も理解している世の中ですが苦しみは相変わらず増え、さらに執着や欲望や争いは際限なく拡大を続けています。

手放したりそぎ落としていくというのは、私の言葉では「磨く」といいます。磨いてシンプルにしていくことは、足るを知る暮らしを甦生することになり一人一人が徳に目覚める生き方になっていくように思います。

先人の遺徳を偲び、その道を後から踏みしめながら道を甦生させていきたいと思います。

 

遊行の源流

暮らしの中の遊行巡礼をはじめると、空也上人とのご縁が出てきました。もともとこの空也上人という方は平安時代中期に活躍した念仏僧で、阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人(いちのしょうにん)とも呼ばれています。生れは延喜3年(903)とされ、醍醐天皇の皇子とも言われています。

もともと空也上人は、「優婆塞」と呼ばれ、「俗聖(ぞくひじり)」とも呼ばれていました。得度しても僧名の光勝を名乗らず自らは空也の沙弥(しゃみ)を名乗っていたといいます。

「南無阿弥陀仏」の名号を唱えながら道路や橋、井戸や寺院をつくり町中を遊行して乞食し、布施を得れば貧者や病人に施したと伝承されています。そして遊行のありさまは絵画や彫刻にあるように短い衣を脛高(はぎだか)に着て草鞋(わらじ)を履き、胸に鉦鼓(しょうこ)台をつけて鉦(かね)を下げ、手に撞木(しゅもく)と鹿角杖(わさづえ)を持ち行われていたといいます。この遊行の鑑のような生き方をなさっておられた方でその後の一遍上人などにも多大な影響を与えています。

有名なものに木造空也上人立像があります。死後250年以上経ってから制作されたものですがまるで、目の前にいるかのような一度見ると忘れられない像です。これは運慶の四男 康勝の作といわれます。一様に首から鉦(かね)を下げ、鉦を叩くための撞木(しゅもく)と鹿の角のついた杖をもち、草鞋履きで遊行する姿です。6体の阿弥陀仏の小像を針金で繋ぎ、開いた口元から吐き出すように取り付けられています。

これは「南無阿弥陀仏」の6文字を唱えると、空也上人が阿弥陀如来の姿に変わったという伝承を表しているからだといいます。

六波羅蜜を遊行を通して実践し、それがその時代の人々の心を癒し苦しみを安らげ、心魂を鎮めたのかもしれません。

また私は鞍馬寺に深いご縁がありますが、空也上人が鞍馬山に閑居されていた話も知りました。その閑居していたときに、いつも鳴いている鹿を愛していましたが定盛という猟師が射殺しました。これを知った空也は大変悲しみ、その皮と角を請い受け、皮を皮衣とし、角を杖頭につけて生涯離さなかったといいます。また、鹿を射殺した定盛も自らの殺生を悔いて空也の弟子となったともあります。これは英彦山の伝説とも似ていて共通点があります。そのことから鞍馬寺は浄土教の聖地として発展したといいます。鞍馬山にはその旧跡という「空也の平」という名の場所もあるそうです。

大分では国東に空也上人の開基した興満山興導寺というお寺もあります。また九重町の宝泉寺では空也上人が諸国遊行の途中この場所に経ちより農家に宿泊したお礼として持っていた杖を大地に立てたといいます。その杖がのちの大杉となり、天禄三年(972)この地に大地震がありその大杉が倒れたあと根元より突然温泉が湧出したといいます。そこで驚いた村人たちは、わき出る温泉のほとりに一宇の寺院を建立して空也上人が宝の泉を下さったということで寺を平原山宝泉寺と定 め本尊に空也上人と大日如来を安置したという伝承もあります。

歩きはじめて、まさかのご縁がこの空也上人でした。てっきり法連上人かと思い込んでいましたから、道はやはり歩いてみなければわかりません。引き続き、遊行を深めながら知恵を学び直していきたいと思います。

信仰と感謝の暮らし

この時期の英彦山の宿坊は、空氣が澄み渡っていてとても心地よい季節です。あちこちの木々の葉も紅葉づいて秋の静けさに合わせて綺麗な光が差し込んできます。夜の月も清浄で美しく、明けの明星も一際煌めいています。守静坊では、囲炉裏の火がゆらめき、煙の懐かしい香りの余韻が充満していて穏やかです。

季節季節に喜びはありますが、この秋の豊かさは何よりの贅沢です。

そして今の英彦山は、水が少なく井戸の水量が激減しています。いつもは宿坊の周囲の小川もさらさらとたくさんの水が流れていますが今はほんの少しちょろちょろと流れる程度です。

水がなくなってくると、生活に利用するための水をもったいなく丁寧に使うようになってきます。

以前、鞍馬寺ですべての水道の蛇口に「お水さんありがとう」と書かれたものが括りつけてありました。それに感動し、すぐに自宅の蛇口にも同じように括りつけて忘れないようにと実践していました。しかし、水道水は蛇口をひねれば自由に出てくるためそんなにもったいないと感じにくいように思いました。今でも、ついシャワーなどは高温が出るまで出しっぱなしで水のことなどあまり気にしていません。

しかし英彦山の宿坊に来ると、水がなくなるとまた水量が元に戻るのにかなりの時間がかかってしまいます。そこで少しでも水が使い過ぎにならないように気を付けながら使います。すると、自然にお水さんありがというという気持ちになり、お水の使い方も変わってきます。あまりお水を使わなくていい方法を模索したり考えたりするのです。

洗い物や洗濯、水洗トイレ、シャワーなど今では当たり前に水があることが前提の生活用品や生活家電であふれています。水が足りないところでは使えないようなものばかりです。

不便によって本来の当たり前が変わっていくことで、意識も暮らし方も変わってきます。しかしその暮らし方の中に、もったいないと感じる豊かさと有難さがあり、感謝や信仰の仕合せもまた味わえるものです。

暮らしフルネスの一つに、このもったいないというものを味わうことがありますが英彦山の宿坊はお水のことをいつも深く感じられることが多くあります。一年中、水で溢れる梅雨や冬から春までの大雪にいたるまでお水の影響をかなり受けます。お水のありがたさを感じるほどに、また火の有難さも感じる場所です。

都会や都市にはない、真の豊かさはかつての信仰と感謝の暮らしのなかにこそあります。いつまでも大切な恵みを忘れないように、場をととのえていきたいと思います。

徳の戦略 

江戸中期の徳の実践家で思想家の三浦梅園に、「悪幣盛んに世に行わるれば、精金皆隠る」があります。これは、西洋ではグレシャムの法則といって、「悪貨は良貨を駆逐する」が同じように有名です。私は、徳積循環経済に取り組み、ブロックチェーンの技術を徳で活用していますからこの辺の話は参考にしています。

そもそもこの三浦梅園が自著「価原」でなぜこういうことを言ったのか、それはこの明和9年(1772年)から発行された、南鐐二朱判は一両当りの含有銀量が21.6匁であり、同時期に流通していた元文丁銀の一両当り27.6匁と比較して不足している悪貨であったといいます。このことが南鐐二朱判を広く流通させ、このような計数銀貨が次第に秤量銀貨である丁銀を駆逐していったということもあったといいます。これよりも前の元禄8年(1695年)に行われた品位低下を伴う元禄の改鋳後にもまた良質の慶長金銀は退蔵され、品位の劣る元禄金銀のみが流通したともあります。

そしてグレシャムの法則の方は、16世紀のイギリス国王財政顧問トーマス・グレシャムが、1560年にエリザベス1世に対し「イギリスの良貨が外国に流出する原因は貨幣改悪のためである」と進言した故事に由来しています。これを19世紀イギリスの経済学者・ヘンリー・マクロードが自著『政治経済学の諸要素』(1858年)で紹介し「グレシャムの法則」と命名してできた言葉です。

他にも調べると、似たようなことは古代ギリシアでも行われていました。劇作家アリストパネスは、その自作の登場人物に「この国では、良貨が流通から姿を消して悪貨がでまわるように、良い人より悪い人が選ばれる」という台詞を与え、当時のアテナイで行われていた陶片追放(オストラシズム)を批判していたといいます。

今の時代もまた似たようなものです。これは貨幣に限らないことは半世紀ほど試しに人生を生きてみるとよくわかります。市井のなかで、「本物」と呼ばれる自然な人たちはみんな私心がありません。世間で騒がれている有名な本物風の人ばかりが情報消費に奔走し、あるいは流通し、同様に消費されていきます。実際の本物は粛々と自分の持ち場を実践し磨き上げ場をととのえています。そこには消費はありません。

そういう人たちは、世の中では流通せずにそれぞれに徳を積み、そうではないものばかりが資本主義経済を拡大させていきます。そもそも人間の欲望と、この金本位制というのは表裏一体の関係です。そして金本位制を廃止してもなお、人間は欲望のストッパーを外してはお金を大量に発行して無理やり国家を繁栄させ続けようとします。すでに、この仕組みで動く世界経済は破綻をしているのは火を見るよりも明らかです。国家間の戦争も歴史を省みればなぜ発生するのかもわかります。

かつて国富論というものをアダムスミスが定義提唱し、富は消費財ということになりました。この辺くらいから資本主義の行く末は語られはじめました。如何に現代が新しい資本主義など世間で騒いでみても、そもそものはじまりをよく観ればその顛末は理解できるものです。ジャッジするわけではありませんが、歪みを見つめる必要性を感じます。

実際の経済とは、経世済民のことです。その経世済民を支えるものは、相互扶助であり互譲互助です。つまりは、人は助け合いによって道と徳を為すとき真に富むということです。この時の富むは消費財ではなく、絶対的な生産であり、徳の醸成です。そういうものがないのに経済だけをブラッシュアップしても片手落ちです。

本来、テクノロジーとは何のために産まれるのか。それはお金を増やすためではありません、世の中を調和するためです。だからこそ、どのように調和するかを考えるのが技術まで昇華できる哲学者たちであり、思想を形にする実践者たちです。

私はその調和を志しているからこそ、ブロックチェーンで三浦梅園の生き方を発信していきたいと思っているのです。そこには先人への深い配慮や思いやりが生きています。

先人たちのこれらの叡智、そして知恵は何世代先の子孫のために書き綴られそれは魂と共に今も私たちの中に生きています。少しでも子孫たちの未来が今よりも善くなるように私の人生の使命を果たしていきたいと思います。

純善たる伝承

レッジョエミリア教育というものがあります。これは、イタリアのローリス・マラグッツィという人物の思想や実践が一つの形として表現されたものです。

もともとこのレッジョエミリアは、第2次世界大戦後1946年の北イタリアの町の名前です。その街の郊外のヴィラ・チェラという村でガレキの中から復興を志し、幼児教育に力を入れようと熱心な親や町の人々が教育者、専門家と一体になって立ち上げたことがはじまりでした。このチェラでは、戦後に住民たちが戦争で残った石やレンガを使って、幼稚園を建てるためにドイツ兵が残した戦車やトラック、馬などを売って運営資金にしていたといいます。その後の数年間でレッジョ・エミリアでは女性たちを中心にして60にも及ぶ幼稚園が開園・運営されました。

戦争で子どもたちを保育する場所を自分たちの手で母親たちが主体的に復興するのです。そしてようやく1963年にイタリアで最初の公立の幼児学校がこのレッジョ・エミリアで誕生しました。そこから公立の幼児学校はイタリア全土に広まっていきました。

そもそもイタリアは元々昔から地方分権が強い場所でレッジョ・エミリアはファシスト政権に対する「レジスタンス運動」の本拠地で市民たちの自治意識が高い土地だったといいます。

その当時、教師やジャーナリストとして活動していたレッジョエミリア教育の中心となるローリス・マラグッツィは地域の教育活動に尽力していきます。

このローリス・マラグッツィは「100の言葉」という詩を書きその理念や哲学の中心になるものを残しました。そこにはこうあります。

「子どもには 百とおりある。
子どもには 百のことば 百の手 百の考え 百の考え方 遊び方や話し方
百いつでも百の聞き方 驚き方 愛し方 歌ったり理解するのに 百の喜び
発見するのに 百の世界 発明するのに 百の世界 夢見るのに 百の世界がある
子どもには 百のことばがある…それからもっともっともっと…

​けれど九十九は奪われる
学校や文化が 頭とからだを ばらばらにする

そして子どもに言う 手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい 話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい 愛したり驚いたりは 復活祭とクリスマスだけ

そして子どもに言う 目の前にある世界を発見しなさい
そして百のうち 九十九を奪ってしまう

そして子どもに言う 遊びと仕事 現実と空想 科学と想像 空と大地 道理と夢は 一緒にはならないものだと つまり百なんかないと言う

子どもはいう でも 百はある 」

自分なりの意訳ですが、それぞれの子どもにはそれぞれの子どもの人生がありその人生には正解などなく、それぞれに自分らしい人生があるということのように思います。この時代、いや今の時代も、子どもが真に尊重されているかといえば教育はその真逆で今でも軍隊のように権利を奪われ、画一的に個性をつぶし、あるいは大人の都合で子どもが主体的に自分のままであることを認めないものばかりです。

「子どもは無限の可能性をもち、あらゆる権利を持っている。そして、それは誰にも奪われず、主体として大切にすることが教育のあるべき姿だ。」とローリス・マラグッツィは静かに諭します。

その後、1991年に「ニューズウィーク」誌は、レッジョ・エミリアのすべての市立幼児教育センターと保育園の代表として紹介し園長を務めたディアナ保育園を世界のベスト10校の一つに挙げました。今では、グーグルやディズニーでも採用され世界中に実践が広がっています。

そう考えてみると、日本ではどうでしょうか。

どのような保育こそが、真にその子どもの主体性を保障し、無限の可能性を奪っていないのか。私は自然農法なども行い、暮らしフルネスを実践しますが日本人はいのちとの繋がり、つまりは物も人もすべていのちの顕現したものという意識を持ちます。

本来は、子どもがもっとも世界で仕合せに暮らす国だったように思います。そういう文化の国が西洋からの古臭い教育で色々な歪が出てきました。今一度、本来の日本にある伝統の教育を今に甦生する時機に入っているように思います。

私が実践する暮らしは本来の日本の保育そのものです。それを大人がまず実践することで、子どもたちにその保育を伝承することができます。大人か子どもかではなく、共に生きる、つまり一緒に暮らすことで実現するのです。これは働き方と生き方の一致でもあるし、過去と未来と今の一致でもあります。

いのちの共生、ものも人もすべて繋がっている場をつくりだす。これが日本式の子どもを育てる伝承法である。それを純善たる伝承とも呼ぶのでしょう。

時機が到来していることに仕合せを感じつつ、かんながらの道を真摯に力強く動き出していきたいと思います。

 

月の心

この季節は、夜空の月をよく眺めるものです。夜半に目が覚めれば、家の隅々に月の光が差し込んできます。この月の光が強すぎては、気になってなかなか眠れません。この月の光は街灯のネオンなどとは違って、清らかに反射する真鏡の光のようです。

もともとこの中秋の名月はなぜ美しいかというと、秋の空気と月の適度な高さが関係しているといいます。この時期の空気は、水分量が春や夏に比べて少なく乾燥しています。それに月の位置も冬に近づくほど空の高い位置を通り、夏は低い位置を通ります。そして春は地上の埃などで月本来の明るさが霞んで綺麗にはみえません。月の通る高さと空気の水分量がより美しく観える条件になっているともいいます。それに加え闇夜に入っていく時間帯、またススキにはじまり枯れていく樹木や草たちがより光を反射させます。またものさみしく弱弱しく鳴いているコオロギや鈴虫、また水鳥たちの声の風情がより月を引き立てます。

この季節の月というのは、どこか日本の懐かしい原情緒や侘びさびを感じさせるものがあります。古来から月で詠まれた和歌がたくさんありますが、寂しさやせつなさを詠うものが多いのもその理由かもしれません。

私がその中でも月の詩でもっとも好きで肌身離さず手帳にはさんでいるものがあります。それは菅原道真公の詩です。

海ならず たたへる水の底までに きよき心は月ぞてらさむ

これは京都から九州へと向かうときに詠まれたものといいます。月の光が深い海の底も照らすように、曇りなき澄んだ心を照らしてくれるだろうという私心なき姿を詠まれたものです。

月の光というのは、私にとっては澄んでいるものの代名詞です。月の光は月そのものです。そして夜空の光のなかでもっとも私たちを見守っているのも月です。私は月の生き方に憧れ、社名もカグヤにしていますし、常に陰徳に憧れています。

月は私の心そのもの。

いつの日か、子どもたちに月を観ては心を澄ますような美しい場を譲り遺していきたいと思います。