オタクの本質

先日、日本の保育を学び直そうと集まった若い保育者たちとオタクの話で盛り上がりました。このオタクも年々イメージが変わってきていて、この言葉が出てきたことのオタクと現代のオタクでは言葉の意味も使われ方も変わってきています。私もすぐに深めては入り込んでいくタイプですからオタクだといわれることもあります。では、そもそもオタクとは何か、ここを深めてみたいと思います。

「オタク」というのは本来の語義と同様、「あなた」「きみ」という二人称としてある種の人々の間で使われていた言葉から生まれました。相手の名前を呼ばずに「お宅は、」と互いに話しかけるところからオタクという言葉が発生したといいます。

コミュニケーションが苦手な人たちが一定の距離をもって互いに呼び合っていた名称が、その人たちの様子で「自分の殻に閉じこもる人」「人とうまくコミュニケーションがとれない人」という意味になってきました。それが時代の変化とともに「2次元の世界(アニメなど)に没頭するような傾向の趣味を持った人」などという具合にイメージも変わってきました。そのうちアニメだけではなく「一風変わった趣味を持つ人」や「こだわりの趣味を持つ人」となったといいます。そういう人には、「私は○○オタクです」と自己紹介したり、「あの人は○○オタク」と紹介したりするようになりました。

今ではほとんど「オタク文化」と呼ばれ、日本的サブカルチャーとして認知され世界にも発信され人気が出ています。このサブカルチャーの意味は、メインンカルチャーではないものがサブカルチャーです。略してサブカルとも呼ばれます。例えば日本のメインカルチャーは、歌舞伎や浮世絵、日本画、生け花とかの伝統文化のことを指し
サブカルチャーは最近になって認められてきた大衆文化で映画とかアニメとかゲームとかテレビ番組とかJ-POPなどを指します。

現在では、メインカルチャー自体が消失してきたのでもはやメインがサブカルになり、サブカルがメインにとってかわるようになってきています。

話をそろそろオタクとは何かに移しますが、私が思うオタクの本質はその「熱中」にあるように思います。人間は誰にしろ自分にとって熱中するものがあります。その熱中するものをとことん熱中しきればそれはオタクの領域に入ります。

オタクの人たちが熱意をもって深めている話に触れるとそこには大きな情熱を感じます。何かに夢中になって情熱を傾けることは人の感情や心を揺さぶります。人間はみんなそれぞれに生まれてきた使命がありそれぞれに熱中するものに出会える可能性を秘めています。

その熱中するものに出会えることは幸運なことであり、自分が夢中になって熱中できるものに情熱を傾けられるのは生きる仕合せでもあります。それが社会に必要不必要で差別されたりもしますが、人間は使い方次第で社会に有用に活かすことができます。

あらゆる文化が和合し、オタクは進化を遂げていきます。

子どもたちがオタクという偏見で可能性をなくさないように、熱中することの大切さや夢中になることの意義を背中で伝承していきたいと思います。

自然のメッセージを受け取る

人間は体調を崩したり病を得ると如何に健康が有難いものかに気づきます。当たり前だと思っていたことができなくなるとき、当たり前ではないことに気づく、これが感謝の本質かもしれません。この当たり前になるというのは、感謝する気持ちが失われていくからです。

自分を中心に物事をとらえ、軸足がいつも私欲の方になってしまうと感謝の気持ちがなくなって欲望ばかりが増えていきます。この欲望とのバランスが崩れるとき、何かしらの事件が発生して人間は当たり前ではないことに気づいて感謝に回帰するのです。

言い換えるのなら、自己防衛本能というものかもしれませんが自分が欲望に呑まれないように敢えて謙虚であるようにと自分にとって都合が悪いようなことが発生し反省を促してくださるのです。自然治癒の仕組みも似ていて、病気と健康は自分自身が感謝を忘れていないかというメッセージをいただくのです。

病気になったり体調を崩してすぐに気づくのは、自分のやりたいことばかりに体を酷使し、周囲に迷惑をかけていることへの配慮もなくし、まるで物事を自分が動かしているかのように自分が傲慢になっていることに気づきます。

傲慢がさらに別の傲慢を発生し、その連鎖はスピードを上げて増大していくのです。その連鎖にブレーキをかけ、傲慢を中和して謙虚になろうとするのが自然の本能であり、人間の素直さのように思います。

有難いことに素直な人は、傲慢になるまえに何かしらのキッカケがあって謙虚になります。それを繰り返す中で謙虚さを学び、何度も繰り返し体験を経ることでさらに謙虚さが身についてきます。

その謙虚さとは、周囲の御蔭様であることに気づいたり、いつも陰ひなたから支えてくださっている存在に感謝できたり、当たり前ではない恵まれている偉大な御恩に気づけたりと、そういう日々を過ごしていくことができるようになるのです。

決して病になることや体調が崩れることが悪なのではなく、感謝が足りない自分に反省できるかということを学び福に転じていくことで人間が磨かれていくように思います。自然の与えてくださっている様々なご縁や機縁は、いつも真心で私たち人間を育ててくださっています。

足るを知り「ありがとうございます、いつもおかげさまでたすかっています」という感謝の気持ちを忘れずに、メッセージを受け取りながら真心の一日を積み重ねていきたいと思います。

実験の大切さ

「実験」という言葉があります。これはとても良い言葉で、実際の体験のことを言います。「人生は実際に体験してみないとわからない」というのも、とても応援される言葉であるように思います。自分で思っていても、体験してみないことには本当のことはわかりません。自分できっとこうだと決めつけていると、本来の体験の面白さには気づきませんし出会いません。人生の苦労は体験の中にありますが、人生の喜びもまた体験の中にあります。体験しなければ仕合せを豊かに充たしていくことはできないのです。

この「験」という字には、「幾や兆し」という意味もあります。字の由来は中国で、「験」の旧字体は「驗」と書き、この右半分のうち、一番上の「^」と「一」で「集める」という意味があり、さらに2つの「口」(物)と「人」を合わせた形で、多くの物や人を集めまとめることを表しています。つまりは篩にかけてたくさん試していいものをそぎ落として探し当てるという意味だったように思います。

実験は一回やってみて終わりではなく、多くやった方がいいのはそれだけ試行錯誤されれば必要なものだけが残っていくからです。何回も何回も懲りずに場数を踏んでいけば、その実験によって本物だけが残ります。一回だけやってみて出た答えが、いきなり本物や本質であることは少なくほとんどが繰り返し取り組む中で顕現してくるのです。

これは自分を修めることも、自己を探求し自己確立していくのもの同様です。実験を繰り返し、多様な体験をしながら自分というものに向き合っていく中で本当の自分に出会うのです。

現代は、真面目な人が増えて実験を怖がる人が増えているといいます。それは責任や結果を恐れすぎて、挑戦することや実験することで発生する困難により保身が出てくるからのように思います。保身も自分を守るためには大切ですが、保身のためにと実験をしなくなるとそこから新しい体験や経験ができなくなり、変化を避けたことでかえってその保身もできなくなる可能性が出てきます。

この実験が幾であり兆しであるのは、それは変化とともにあるからです。無理に挑戦しようとか賭けていこうとか頑張らなくても、実験してみようといった実際の体験を重視する生き方に換えていくことで発見という気づき、発明という学びに出会えるように思います。

ある人が、今の世はある意味での文明実験であると仰っていましたが人類もまた偉大な実験の途上です。成功も失敗も、正解も不正解もないこの世の中においては実験して得た自分の体験こそが真実です。

実験をしようとすると、親切心から心配しいろいろと批評したり、診断したり、裁いたり、文句をいったりすこともあるかもしれませんがそれでもそれ以上に実験してみないと体験できないからこそ忠告を聞いてそのうえで準備をして実験してみるといいように思います。

子どもたちの一期一会のその人らしい人生が充実していくように、実験の大切さを伝えていきたいと思います。

幾を観通す

四書五経の中の一つ、中庸の有名な言葉に「至誠の道、以て前知す可し(至誠之道、可以前知)」があります。これは私の意訳ですが、真心はすべてを見通しているということです。私心なきものは、私心なきゆえにすべてのものがあるがままにありのままに観得ています。そこにはあらゆるものの現実があり、あまねくものの直観があります。

王陽明はこうもいいます。

「良知には、前も後も無く、ただ現在の〈幾〉を知ることができるだけで、これがすなわち、一を悟れば百に通じるものなのです。もし、前知ということに執着する心があれば、それはほかでもない私心なのであり、利に走り、害を避けようとする作為なのです」

この「幾」は、私心なきところには必ずそのきざしがあるといいます。そして伝習録の中でこのような問答が記されています。

『誠とは、実理、つまり天理のことであり、他ならぬ良知のことです。天理の霊妙な働きが神ということで、その動きが今や兆そうとする、そこがすなわち「幾」なのです。周濂溪は、誠、神、幾であるのを聖人という。『通書』と説きましたが、聖人は決して未来を前知することを貴ぶのではありません。第一、幸不幸(禍福)がやってくるのは、いかに聖人といえども避けることはできないのです。聖人は、ただ「幾」を知っていて、だから非常事態にあっても、それによって身動きが取れなくなることはありません。良知には、前も後も無く、ただ現在の「幾」を知ることができるだけで、これがすなわち、一を悟れば百に通じるものなのです。もし、前知ということに執着する心があれば、それはほかでもない私心なのであり、利に走り、害を避けようとする作為なのです。『易』について研究を深め朱子に影響を与えた邵康節が、必ず前知できるとしているのは、利害損得の心をまだとり去り切れていないからです』

私心が取り払われず、心が澄まされないから己に囚われます。自我妄執があればあるほどにその幾は自己中心的な幾になります。本来、全体のためにもっとも善いことは何か、何のために自分が真心を盡すのかをよく修めている人は幾を逃しません。そして同時に、因果律に従って自分に降りかかる禍福を受け容れ準備することができます。

幸運不運がどうかなどが問題ではなく、自分に起きるあらゆるご縁を受け容れ味わうのです。何をもって見通すというか、それは予言や予知のことではなくどんな出来事があったとしても心のままで過ごしていくことで幾を観通すことができるという意味でしょう。それが自然体の境地なのです。

人生は誰にも有限ですし、生老病死は必ず誰にしろ訪れます。子どもたちにいのちがつながるように一期一会の人生の道を味わい、心を磨いていきたいと思います。

 

元気の源

昨日は自然農の畑で妙見高菜の種を蒔き直しました。昨年同様に、蒔き時を間違えたのかほとんどが虫に食べられ他の野草に負けてしまいました。殺虫剤などの農薬を使わない限り、ほとんど虫から新芽を守る手はありません。できる限りの手を尽くしても虫の圧倒的な量や威力にはなかなか手が届きません。

きっとむかしの人たちも同様に、何回も種を蒔き虫の威力が弱くなる時期を待ったかもしれません。もしくは、肥料等で土を活性化して新芽が負けないようにしたのかもしれません。自然農は無肥料無農薬なので、肥料は枯れた草くらいなので自然環境から学び直し、自分の生き方を見つめつつ自然の時期を掴みます。

この畑のある場所は、山の中で周りには畑もないことからイノシシやシカなどもよく出てきます。また雑草や野草の勢いは激しく、少しでも草刈りをしなければあっという間に様々な野草で埋め尽くされます。特に野草は、我先にと高いところを占有して種を遠くに飛ばそうとしますから自分の背丈よりも高い雑草たちが埋め尽くして草刈りが大変で骨が折れます。さらにはそこにツル系の雑草があちこちから畑に侵入してきて、周囲の防護柵などをなぎ倒していきます。一般的な平地の耕しやすい畑とは異なるので、野菜を育てるのにはちょっと不適切ではないかというところに畑があるのです。

しかし地力という意味で、転じて見方を変えてみるとそれだけ土は野草や雑草が瞬く間に広がるほどに肥えているとも言えます。表土を少し削るだけでもミミズや幼虫、様々な虫たちがどんどん出てきます。また多様な雑草の種類も多く、様々な野草が共生しながら楽園のように育ちあっています。その豊かな生態系が存在している場所で、野菜を育てるとイキイキとした野性的な野菜に育ち、その味は決してスーパーなどで買っているものとは大違いです。

私の育てている伝統の妙見高菜はそういう場所でこだわり育てています。だからこそ味にそれぞれの個性が出て、イキイキとした艶と食べ応えがある美味しいものになるのです。

そう考えてみると、この野生の中で育つということはいかに肝心なことかということです。人間もまた自然の中で育てば元気になります。この元気の源とは何かということなのです。

私たちは自分たちの都合で育ちやすいそうに育てやすいようにと、環境ばかりを整えます。自然のままにすることは、大変だからと加工した環境の中で肥料や農薬を与えて膨らませていきます。しかしその本質はどうなっているかということです。見た目を膨らませたとしてもその質はどうなっているのかということです。

自然のままに育つというのは、生きる力、元気の源を成長させていくことです。それは決して環境としては楽なものではなく、どちらかというと厳しく苦労ばかりがある場所ですがそこは生態系が豊かであり、生きる力を発揮している生き物たちで充ちており、野の中で自分のいのちを磨き上げていきます。

その場には確かに人間にとっての快適さはありませんが、人間にとっての心の平安があります。私が取り組んでいる自然農をはじめ、古民家甦生も、会社経営もまた古くて新しい教育を提案するものです。

引き続き、試練を楽しみ、試練から学び、子どもたちに生きる力の本質を伝承していきたいと思います。

善の発心

人間は生きている感謝に心を満たすとき、この有難い御恩に対して何かで報いたいと思うものです。その報いたい思いは、いろいろな徳のカタチになって子孫たちに譲られていくものです。これは決して物だけではなく、生き方であったりしたり、有形無形問わずそれが子孫たちの恩恵として永遠に譲られていくものです。

自分さえよければいいや自分のことのみを優先するようになればあまり恩を感じなくなってしまいます。人が恩を感じられるのは、いつまでも感謝の心のままにかけがえのないこの一期一会の日々を深く味わい生きているからです。

いのち尽きるその日までもったいなく生きようとしている人は、自分に与えられた任務や使命を受け容れ真心で生きていくように思います。古民家にあるようなむかしの道具たちも、そしてその時代の懐かしい思い出を持ったあらゆる場にも真心は残っています。その真心がカタチになっていく一つに、布施というものがあります。

この布施の語源は、サンスクリットの「ダーナ」といい清浄な心で人に法を説いたり物品の施しなどを行うことをいいます。本来の布施の内容は、その布施の生き方を説いているように思います。仏陀は、布施は六波羅蜜の善業の実践のことを言うといいそれを「無財の七施」という言葉でも遺しています。

これは「雑法藏経」というお経の中の言葉で仏陀が人間はたとえ財力や智慧が無くても七施として、七つの施しができるということを示します。「眼施(がんせ) 」は、常に温かく優しい眼差しをおくること。「 和顔施(わがんせ)」は、いつも心地よい素直な笑顔で人に接していくこと。「 言辞施(ごんじせ)」は、穏やかで愛情の籠った誠実な言葉遣いを心がける。「 身施(しんせ)」は、自らの身体を使い奉仕すること。「 心施(しんせ)」は、思いやりの心を持ち、自分を相手の立場になって接していくこと。「 床座施(しょうざせ)」は、座席や場所、地位を譲り相手を慮ること。そして最後の「 房舎施(ぼうしゃせ)」場を与え、場を清めその場を譲ることです。

布施の本質とは、ここからわかるように自分から周囲に真心を盡して周囲の恩徳に報いていこうとする実践を行うということです。自分の中に備わっている人間としての徳を活かし、自分から与えられる善行を行っていこうとすることを恩とも言います。

現代は貨幣経済が中心で西洋の考え方も入ってきているため布施については誤解があり、本来の布施の意味もだいぶ変わってきていますがこれは生き方の話であり布施の生き方をしていこうとすれば自ずから布施によって自他善が結ばれていくということでしょう。

全体善という言葉も今では聞かなくなってきましたが、一人ひとりが布施をし善に生きる世の中こそ仏陀の目指した平和な社會だったのかもしれません。子どもたちが安心して暮らしていける社會のためにも布施的な生き方を学び直し、自分自身の中に善の心を高めていきたいと思います。

国を安んずるとは

東京の九段下に靖国神社という神社があります。よく報道でも大臣や首相が参拝すると、国際問題になりニュースで取り上げられます。私は九州にいましたから以前はあまり靖国神社といってもその存在も知らず、東京だと明治神宮くらいしか思い当たりませんでした。

戦後、70年以上経て改めてあの頃のことを風化しないようにと感じるようになり改めて深めてみるとその当時のいろいろなことが分かってきます。あの悲しい戦争による犠牲者が何を子孫たちに祈り願いいのちを盡してきたかを思えば忘れないためにも自分で向き合い考える必要性を感じます。

そもそも靖国神社の「靖國」という社号は「国を靖(安)んずる」という意味で、靖國神社には「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められているといいます。はじまりは明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社で国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊みたまを慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。

御祭神は幕末以来の国事殉難の英霊であり、246万柱以上に及ぶといいます。国家のために戦争で亡くなった方々を祀っていますが敵方だった方々は祀られなかったりと鎮魂としてはどうかとも思いますが、戦時中に靖国神社を心の拠り所にされた方も多かったように思います。

先日、知覧に訪問した際に「同期の桜」という歌を知りました。特攻の方々がみんなで一緒に歌っていたそうです。その歌詞の中に靖国神社が出てきます。

「貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため

貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
血肉分けたる 仲ではないが
なぜか気が合うて 別れられぬ

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
仰いだ夕焼け 南の空に
未だ還らぬ 一番機

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
あれほど誓った その日も待たず
なぜに死んだか 散ったのか

貴様と俺とは 同期の桜
離れ離れに 散ろうとも
花の都の 靖国神社
春の梢に 咲いて会おう」

本来、この『同期の桜』の原曲は「戦友の唄(二輪の桜)」という曲で、昭和13年1月号の少女倶楽部に発表された西条の歌詞を元とし、とある海軍士官が勇壮にアレンジしたものだといいます。本来は軍歌ではなく、人の手を経るうちにさらに歌詞が追加されていき時局に合った悲壮な曲と歌詞とで陸海軍を問わず大いに流行したともいいます。

どんな状況でも明るく前向きに生きた人たちが、どのようにいのちを失っていったのか、靖国神社云々が問題ではなく、戦死者の人たちのことを偲び、私たちが今あるのは誰の御蔭様なのかと考える機会にしていく必要を感じます。

極論でばかりで物事を安易に裁かないように、子どもたちのためにもその時代のことを鑑みて物事の本質を伝承していきたいと思います。

 

日本人の母~観音様~

先日、鹿児島県知覧町にある富屋旅館に宿泊するご縁がありました。特攻の母として有名な鳥濱トメさんが開業した富屋食堂の離れとして特攻隊員が最期のお別れを家族で過ごしたり、自分らしい最期の時間を過ごすためにとご用意した場所をそのまま旅館として経営されております。

最初にその離れにお伺いすると、その佇まいはとても凛としていてまるで荘厳で澄み切った神社のように清々しい場が醸成されておりました。場を守るというのは、その魂を守ることであり、言い換えるのなら心の故郷を守ることでもあります。

心の故郷を大切に守り続けている富屋旅館には、日本人の原点に気づく貴重な何かが存在しているように思います。

また鳥濱トメさんの遺した言葉や遺志をお聴きしていると、日本のむかしの教えがそのままに伝道されており如何に気骨がある人物だったかを直観します。遥かかなたのクニの行く末を案じ、いつまでも子孫たちが平和で暮らしていけるようにとその祈りがこの富屋旅館で往き続けています。

鳥濱トメさんは知覧から知覧からクニの行く末を見守り続けるトメ観音様、また特攻の母と呼ばれていますが、実際に感じたのは「日本人の母」でした。そう省みると、あの特攻の人たちは代表的な日本人であったということです。

その代表的な日本人たちが、クニの行く末を心配し子どもたちの未来を信じて笑顔で生き切っていった。その日本人の魂を見守り見送った母もまた、日本人の母であったという事実。そしてこの日本人の母こそ、観音様そのものであったということ。むかしから日本にある人生の教えは、この観音様と大和の心魂の間に生き様が智慧として連綿と伝承されてきたのかもしれません。

現代は、とかくクニのことをいえば政治問題にされ、魂のことなどをかけば宗教などを批評されます。しかしよく考えてみれば、当たり前なのは自分の今を想えば御先祖様たちの人生や生き様の積み重ねた上に私たちが今あって生きていることは揺るぎません。

だからこそ、行く末を案じてくれて自分のいのちを懸けて捧げてくださった方々の御恩を忘れたらいけないと切に思うのです。その御恩を思う人たちは、政治や宗教などという言葉で批評することはないと思います。そしてそのつながりが見える人は、白黒や右左と分けずに真実を観ようとするでしょう。自分の人生は短く、子孫のこの先の人生は長いのです。だからこそ、子孫のために何ができるかと願い生きた人たちの私心なき生き方のご先祖様に自分の魂は深く揺さぶられるのかもしれません。

日本人として生きていく若者たちは、この教えに触れることで本来の道徳や生き方を学び直すことができるように思います。

私もこの富屋旅館で得た気づきを、次世代の人たちにつないでいけるように真摯に自己を磨き魂を錬磨していきたいと思います。

ありがとうございました。

 

いにしえからの風

「萬古清風」という言葉があります。これは中国・唐時代の漢詩の一節で禅語でもよく見かけますが「はるか昔から清らかな風が変わらずに吹いてくる」、「古きにも新しきにも全ての時空にあまねく清風が吹く」という意味で用いられます。

とても素敵な言葉で、大昔の古来から永遠に風が吹いている様子に心が洗い清められるようです。私たちは、昔の教えや知恵、先祖の生き方や伝承などをお聴きするご縁に巡り会うと、古来より何が真実であったか、そしてむかしから何が根本であったかに気づき有難い思いがしてきます。

それはまるで、何百年前から何千年前も、そしてこの今に向かって彼方から風が吹いて自然の循環が已まないで私たちに恩恵を与え続けてくださっているかのようです。

これは御先祖様の遺風や遺徳なども同様に、今の私たちがあるのは何の御蔭様かを思い出すとき、そして子孫の行く末をいつまでも案じてくださっている親心を感じるときにこの清風を感じられます。

人間は私心を捨て去り、万物一体善の境地になれば心が澄み渡り自然そのもの、言い換えれば神人合一の境地に達します。その崇高な穢れなき魂は至純であり透明で水や光そのものになります。

そうやって無私の境地でいのちを奉げてきた方々の陰徳は、忘れないで居続けることでいつまでも子孫にその徳風が吹き続けてきます。この徳風とは、無私の人たちの生き様から吹いてきます。その吹いてきた徳風が心身を通り抜けていくとき、私たちはその新しい風をいつまでも浴びることができ、その新しい風によって私たちの記憶もいつまでも甦生し続けていくことができます。

いのちの甦生です。

いのちがこのように甦生し続けるのは、まさに萬古清風の御蔭なのです。

いつの時代も人間である以上、自分との向き合いは人間の課題であり、その中で私心が私欲に呑まれる人と私心や私欲に打ち克つ人がいます。しかしその生き方の模範として、魂を極限にまで磨き上げ美しく光る人たちが子孫たちに徳の道を繋いでいきます。

道は終わりなく、また魂も廃ることはなく、永遠に風が清め続けますから私のその風の一吹きになって子どもたちの行く末を見守り続けていきたいと思います。いにしえからの風になりたいと思います。

人間学の要諦~気づきの学問~

人間は自分の先入観が壊れるような出来事や、今まで見知ったものがまったく異なるという体験をすることで目から鱗が落ちることがあります。私は探求心が強いからか、自ら体験を重視し自分の先入観を疑い真実を知りたいと思うタイプのようで敢えて怖いことでも学びたい欲求の方が上回ります。

本当のことがわかると、それまでは上辺だけでしか知らなかった自分を恥じてさらにその本質を深めたくなります。今の時代のように知識ですぐに何でも分かり調べることができるようになったからこそ、知識で分からないものが理解できたとき目から鱗が落ちるのです。

この「目から鱗が落ちる」という言葉の由来は、新約聖書の中の話のひとつでイエスキリストを迫害していた男性が、天の光によって目が見えなくなってしまったのちそのキリストの弟子の一人であるアナニアからイエスキリストの啓示を聴いたとき目から鱗のようなものが落ちて目が見えるようになったことが由来であるといいます。

今では何かを切っ掛けに急に物事の道理が理解できるようになったという意味で使われますが、本来は自らの間違や誤解から悟りをひらき、諸所の迷いから覚めることができたという意味の言葉です。

本当のことに覚めるというのは真実を悟ることで、真実とはありのままの現実を理解するということです。人は体験していないものをいくら理解しようとしても、自らの人生で直接的に体験していないものを真実のままに理解することはできません。例えば、何かの味があったとしても食べてみなければわかりませんし、五感なども感じてみなければわかりません。修行もまた、頭で修行したとは言わないように似たような体験を思い出し多少は近づくことはできても、同体験の精進なしに意味を感じることはできません。そういう意味で人生は必ず誰にしろ平等なのです。現在は知識でなんとなく頭で妄想したり空想したりして分かった気になり処理してそのまま片付けていますが、その頭で行ったことがのちのちまでの先入観となり真実を理解する機会を遠ざけていたりするのです。

そうならなためにも日々の気づきを高めて精進していくしかありません。そのためにも私たちが目から鱗の体験は貴重なのです。目から鱗が落ちる体験は、その体験をした人たちのあるがままの言葉をお聴きし現地に足を運んだり、自分の妄想や空想よりも現実の真っただ中に存在した真実を直視して心で感じたり、現在でも目に見えてその本質を悟り実践している人の現場を一緒に味わうことで鱗が落ちることがあるように思います。

自分の直観を信じて現地に足を運ぶのは、自分が真実を追求したい、本当のことを知りたいと探求していくからです。そして道はその探求した中にこそあり、探究する過程においてその道は次第に拓けていき、自分の中にある道理もまた繋がっていくのです。

道理を学ぶというのは、この目から鱗が落ちる体験をどれくらい行うかということのように思います。刷り込まれた知識や自我妄執からの迷いを取り払うためにも、歴史やその道の達人から直接学ぶことが効果があるのは間違いありません。その体験した気づきこそ本物であり、人間は気づく感度が高いほどに学問が研ぎ澄まされていくからです。

気づきこそ、人間学の要諦なのです。

子どもたちに真実が伝道できるように、安易にわかった気にならず一つ一つを足を運び、気づきの学問を伝承していきたいと思います。