私の好きなもの

自分の好きなことを掘り下げてみると、自分の得意なことや興味関心があることに気づきます。その好きなことというのは、単に物質的な好きなものではなく具体的に取り組んでいこうとする気持ちの好きな方に自分の本心があることにも気づきます。

例えば、私は小さい頃から発明が大好きでした。自分にしか観えないものを形にしていくのは気持ちがよく、それが何の役に立つのかわからなくてもなんでも創造していました。また大人になると発明は多種多様になり、調理なども好きで様々な組み合わせで実験したりして楽しんでいました。今でも、何か新しいことをするのが好きなのは発明したいからです。

この発明の意味は辞書には従来みられなかった新規な物や方法を考え出すことであるとし、また自然法則を利用した技術的思想の創作のうち、高度なものともあり、物の道理を明らかにするものともあります。

私の興味関心は自然にこそあり、人間の知識ではなく自然そのものを明らかにしたいということが好きであることがわかります。本当のことを知りたい欲求や、元々がどうだったのかということを学びたいという願望はとても強いように思います。このかんながらの道ブログも、元来の道を探るために日々に深めているものでもあります。いついかなる時も、自然を観察して自然の道理を読もうという意味では自然科学者に憧れたのかもしれません。三浦梅園先生を尊敬するのもその根っこのところの共感にあるようにも思います。

また他にも好きなことといえば、浄化することです。この浄化は、今の言い方ではシンプルにすること、洗練させることです。磨くことといってもいいかもしれません。何かを為さなくても、日々に磨いたり洗練させたりシンプルにするのがとても好きです。もっと言えば、本物が好きともいえます。本物にしたいのです。

この本物というものの定義は自然になるということです。不自然を正して自然に帰す。先ほどは、発明ということで自然を知りたい願望でしたがそのあとは自然を知って自然に原点回帰したいという願望です。それも単にむかしに戻すというようなことが自然とは思ってはいません。今更縄文時代にというのは不自然です。今の時代に産まれているのが自然ですから、今の時代でもどうあれば不自然ではないかを試行錯誤するのが好きなのです。

それを突き詰めていたら、暮らしフルネスになっていくということでしょう。そう考えてみると、好きなことをやっているものです。せっかくなのでそれを世の中のために役立てようとして、それが仕事になるものを探しているということです。世の中の人に貢献するために発明していますが、なかなかこの発明が時代に適合するのには時間がかかります。

引き続き、それも楽しみ味わいながら発明の人生と自然の道を歩んでいきたいと思います。

日本の甦生

明治時代に、文明開化といって政府がスローガンを打ち出しそれまでの伝統や伝承文化がおざなりになりました。急速に西洋化を促進し、それまでの日本の国体を海外のものに倣い換えていきました。

かつて菅原道真公が、菅家遺誡のなかでわが国固有の精神と中国の学問とこの両者を融合し日本固有の精神を以って中国から伝来した学問を活用することの重要性を強調していたともいわれます。色々な説がありますが、遣唐使を廃止したのち天平文化を開いたその後の日本人たちはその意味を深く理解していたようにも思います。

今の日本は、本来の日本人の大切にしてきた和魂の道を歩んでいるでしょうか。風土も国土も文化も異なるなかで、何が真の文化かということも失われ、そして何が本物なのかということも忘れてしまっています。権威のある人が本物といえば本物と信じ込み、生まれたときからあると思えば最初からあったと思っています。

しかし、和魂というもっと原初からあったもの、そしてもともとこの風土によってとても長い年月を経て自分たちの風土に適ってきたものがわからなくなっているようにも思います。

明治時代に挿げ替えられた様々な文化は、今の日本にも大きな影響を与え続けています。西郷隆盛もまた明治のころの人ですが、その人はこういう言葉を遺しています。

「広く諸外国の制度を取り入れ、文明開化をめざして進もうと思うならば、まず我が国の本体をよくわきまえ、道徳心を高めることに努め、そのうえで、徐々に外国の長所を取り入れるべきである。ただみだりに模倣すると、国体は衰え、徳も廃れて、救いようがなくなってしまい、結局は外国の支配を受けるようなってしまうのである。」

この最後の「結局は外国の支配を受けるようになってしまう」という言葉は今を予見しているようにも思います。

私たちの国体とは何か、それをよく見極めるとありますがこれができている人がどれだけいるのかということに由ります。日本とは何かということを真に自覚できているかということです。そうすれば、徳はさらに増し、国体も栄え、ますます日本は救われるということです。そうすれば独立自尊した国家として、日本人は世界の中の日本として世界の中で大切な役割を果たしていけるように思います。

この先の時代のことを思えば、日本という国体は今こそ見直し、原点回帰してそこからもう一度、学び直す必要を感じています。根源的なものから取り組むというのは、大変なことのように思えますがこれほど安心できるものはありません。

良いところを取り入れるには、基礎や基本が立っている必要があります。今はその原初の日本、根源の日本がどこにあるのかもわからないでしょう。それを私は暮らしの中で甦生しています。

引き続き、子孫のためにも暮らしフルネスを磨いていきたいと思います。

道育

世の中では有名でなくても偉い人といわれていない人でも立派な方がたくさんおられます。市井の賢人や偉人、あるいは聖人ともいうべき人がおられます。その方々の生き方や言葉には、知恵だけではなく魂が宿っていて心を深く打つものです。

人にはそれぞれに気づいたり学んだり発見したりとタイミングがあります。そのタイミングは、鳥の雛が卵から産まれ出ようと殻の中から卵の殻をつついて音をたてた時、それを聞きつけた親鳥がすかさず外からついばんで殻を破る手助けをする啐啄同時と同じです。

求めているときに、絶妙な手助けがある。これはまさに一緒に学び合い育ちあう関係だからこそ実現するものです。

そう考えてみると、これはすべての生き物に当てはまることです。植物であっても、種を蒔いても芽が出るかどうかは種によります。いくら雨が降っても、求めていなければ芽吹くことはありません。また季節のこともあり、栄養なども同じです。昆虫も等しく、それぞれがそのいのちの成長に従って適切に与える存在があることで啐啄同時は存在することができるのです。

今の時代のように、詰め込み教育や放置教育ばかりをしていたらこの啐啄同時のことはわからなくなるでしょう。覚えないのは単に勉強不足と思うようになり、できないのは指導者やその環境が悪いからとなるのかもしれません。

本来、教育というのは道の中にあるものです。志を持つ者同士が、どのようにその道を歩んできたのかを訪ね、そこにお互いに必要な知恵を分け合います。またそれぞれの徳性や性格、そして才能や感性などの異なりもあり適切にアドバイスをし研鑽する方法を導いていきます。

それぞれに道で学んできたことがありますから、お互いにその道を語り合い学び合うときに道がまた拓けていくのです。教育というのは、本来は道育であり、自然と共生して存在するようなものです。

子孫のためにも、あるべき原点を学び直しながら新たな道を拓いていきたいと思います。

真の自立

私たちは暮らしを通して、何をもって自立しているのかということを考えることができます。例えば、お金に依存しているのか、あるいは権力に依存しているのか、権威に依存しているのか、それはその人の生き方からもわかります。知らず知らずのうちに、私たちは依存していることを勘違いしてそれを自立と思っていたりするものです。

産業革命以降は資本主義経済がグローバリゼーションの名のもとに、世界の隅々までいきわたりました。経済に依存する仕組みは、地域のあちこちにまで蔓延しそれまで自然と共生して生きていた人たちまでも経済に取り込まれていきました。その結果として、人類のほとんどがお金を中心にした経済に依存していきました。

今では、お金がないと生活していくことすらほとんどできません。ほんの少し前まであったような身の回りの自然がつくってくれた利子をみんなで分け合いながら生きるといった自立は消えてしまいました。

日本では、働かないこと税金を納めないことは軽犯罪のように扱われ必ず経済に依存しなければ存在すらも認められないほどです。気が付くと、経済に依存しなかった文化や伝統はほとんど消えてしまいました。何らかの経済に依存することが、その文化や伝統を認めるための条件になっています。そうしているうちに純粋なものや純度の高いもの、お金や経済とは無関係であったものが濁り澱み、本来の真理そのものではなくなってきました。

例えば、利益が出ないものは自立していませんから本物風でもいい、多少それっぽく説明して嘘のようにならなければいい、あるいは見た目だけでも同じであればいいとまで変化しています。こんなものは先人の遺してくださった伝統文化を真に伝承しようと志した人たちならすぐにわかりるはずです。食品であっても、時間と手間暇がかかるものはほとんどなくなりました。気が付けば、名前は同じでも工程を省き、添加物で胡麻化します。他にも挙げればきりがないほどで、もはやこの世の中で接するものは本物がどれかもわからない始末です。

現代の人間の進化というものは、果たして本当に進化と呼べるものなのか。核兵器をつくり、AIや金融をさらに経済の依存に活用して誤魔化すことばかりを繰り返していく。むしろ人類は大幅に退化しているのではないかと気づくはずです。

しかし地球や自然の中に住んでいるのですから私たちは何をもって真の自立をするということなのかということに、向き合うときが必ずやってきます。この経済の依存の仕組みを考案してから約300年くらい自然から離れ、お金に依存し、時間をかけて人間を分断していきました。今では材料になるネタが尽きて静かだった戦争が音を立てて激しい戦争へと様変わりをはじめています。

むかしは経済のことは経世済民といわれ、徳と財は一致して暮らしの中で恩が循環していた世の中はほとんど崩壊して久しくなり徳はもう見えません。経済によって物質化した社会の中では目に見えないものは排除されていきました。本来の人の間の自立は相互扶助であり互譲互助です。それが単なる経済の道具になってしまい、助け合いや道徳も経済がなくてはできなくなりました。経済が最も奪ったものの一つがこの人徳というものかもしれません。

私たちが真の自立を目指すためにはまず自分が何に依存しているのかに気づくことからのように思います。そしてその依存のバロメーターこそが、「暮らし」であると私は思います。この暮らしは単なる日常生活のことをいうのではなく、何と共生しているか、自然や徳とどう結び合っているのかという実践のことです。

経済にどっぷり依存した暮らしのスタイルのなかでの暮らしは、アラスカでも大都会のような高級なセレブな生活を持ち込めることになっていたり、ホテルに宿泊しても自分の好き勝手にライフスタイルを保てますよというものが今でいう暮らしになっていたりします。これなどは完全に経済に依存している偽の自立そのものとはいえないでしょうか。

自然と共生してきた自立は、軸足は常に自然と共にありますから経済がさらに潤沢に増していくだけで自然の破壊はさらに進んでいくだけです。田舎を再生しようと、地域創生などといっては経済を持ち込んできますがそんなことを繰り返していたら人間は経済によって全滅してしまうかもしれません。

私たちはそろそろ軌道修正して大きな災難が訪れる前に、子どもたちや未来世代のためにも少しずつでも変えていこうと努力や忍耐、苦労を厭わずに挑戦するときが来ているように思います。それは暮らしを変えていくという挑戦です。一人一人が、みんな小さな暮らしでも変えていけばそれが長い年月を経て、偉大な変化になっていきます。

愚かなことのように思えても、むかしからそうやって先祖や先人たちは徳に報い、恩を譲ってきてくださったように思います。まずは自分から真の自立を目指して暮らしフルネスの挑戦を続けていきたいと思います。

捨聖の甦生

空也上人の生き方に憧れて遊行を実践した人物に、一遍上人がいます。この人物は鎌倉時代の方ですから空也上人が逝去されてから270年後の人物になります。一遍上人特に止住する寺をもたず、一生涯全国を巡り、衆生済度のため民衆に踊り念仏をすすめ、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)、捨聖(すてひじり)といわれた方です。

その一遍上人が門人への説法で空也上人がどういう人物であったかを語られています。そこには、こうあります。

「また上人、空也上人は吾が先達なりとて、かの御詞を心にそめて口ずさび給ひき。空也の御詞に云(いわく)『心無所縁(中略)譲四儀於菩提《心に所縁なければ、日の暮るるに随つて止まり、身に所住なければ、夜の明くるに随つて去る。忍辱の衣厚ければ杖木瓦石を痛しとせず。慈悲の室深ければ、罵詈誹謗を聞かず。口に信(まか)する三昧なれば、市中もこれ道場。声に随ふ見仏なれば、息精即ち念珠なり。夜々の仏の来迎を待ち、朝々最後の近づくを喜ぶ。三業を天運に任せ、四儀を菩提に譲る》』と。

木造空也上人像にある、口から迸る六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若)の実践とはこのような遊行の姿を示されたことがわかります。暮らしの中で、生き方として念仏の生き方を実践されたことが何よりも尊いと感じます。遊行のなかで如何に暮らしの徳を磨いていくか、まるで仏陀のような生きざまに感銘を受けます。

またこうもいいます。

『求名領衆(中略)更盗賊怖《名を求め衆を領すれば身心疲れ、功を積み善を修すれば希望多し。孤独にして境界なきにはしかず。称名して万事を抛(なげう)つにはしかず。間居の隠士は貧を楽とし、禅観の幽室は静なるを友とす。藤衣・紙の衾はこれ浄服、求め易くして、さらに盗賊の怖れなしと》』

閑居で暮らせば貧も楽しく、座禅のように暮らせば静寂であることが仕合せである。シンプルな衣装や紙の袋は手に入りやすく清浄である、それに盗賊に奪われるものもないとあります。

「上人これらの法語によりて、身命を山野に捨て、居住を風雲にまかせ、機縁に随て徒衆を領し給ふといへども、心に諸縁を遠離し、身に一塵もたくはへず、絹帛の類を膚にふれず、金銀の具を手に取る事なく、酒肉五辛をたちて、十重の戒珠をみがき給へりと云々。」

このように空也上人は、いのちは山野に捨て居住を持たず云々とあります。つまりは、色々なものを手放してそぎ落とされて顕現した徳そのものの姿があったように思います。

今の時代でも空也上人のような生き方ができるでしょうか。この時代のことに思いを馳せてみると、政治的な宗教が盛んな世の中で民衆の中で何も持たずにただ遊行している姿で歩んでいく僧がいる。

文字も読めず学識もそんなにない民衆に、さらにいうなら言葉も異なり地域の特殊な文化があるなかで普遍的な徳の生き方を伝道し伝承していく、ただ南無阿弥陀仏と唱えるだけでいいと。そして上記のような、六波羅蜜の姿を体現してみせること。

そぎ落とした先にあったのがこの念仏だったと思うと、今の時代でもこれはとても大切なことがわかります。知識をつけて、みんな言葉も文化も理解している世の中ですが苦しみは相変わらず増え、さらに執着や欲望や争いは際限なく拡大を続けています。

手放したりそぎ落としていくというのは、私の言葉では「磨く」といいます。磨いてシンプルにしていくことは、足るを知る暮らしを甦生することになり一人一人が徳に目覚める生き方になっていくように思います。

先人の遺徳を偲び、その道を後から踏みしめながら道を甦生させていきたいと思います。

 

遊行の源流

暮らしの中の遊行巡礼をはじめると、空也上人とのご縁が出てきました。もともとこの空也上人という方は平安時代中期に活躍した念仏僧で、阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人(いちのしょうにん)とも呼ばれています。生れは延喜3年(903)とされ、醍醐天皇の皇子とも言われています。

もともと空也上人は、「優婆塞」と呼ばれ、「俗聖(ぞくひじり)」とも呼ばれていました。得度しても僧名の光勝を名乗らず自らは空也の沙弥(しゃみ)を名乗っていたといいます。

「南無阿弥陀仏」の名号を唱えながら道路や橋、井戸や寺院をつくり町中を遊行して乞食し、布施を得れば貧者や病人に施したと伝承されています。そして遊行のありさまは絵画や彫刻にあるように短い衣を脛高(はぎだか)に着て草鞋(わらじ)を履き、胸に鉦鼓(しょうこ)台をつけて鉦(かね)を下げ、手に撞木(しゅもく)と鹿角杖(わさづえ)を持ち行われていたといいます。この遊行の鑑のような生き方をなさっておられた方でその後の一遍上人などにも多大な影響を与えています。

有名なものに木造空也上人立像があります。死後250年以上経ってから制作されたものですがまるで、目の前にいるかのような一度見ると忘れられない像です。これは運慶の四男 康勝の作といわれます。一様に首から鉦(かね)を下げ、鉦を叩くための撞木(しゅもく)と鹿の角のついた杖をもち、草鞋履きで遊行する姿です。6体の阿弥陀仏の小像を針金で繋ぎ、開いた口元から吐き出すように取り付けられています。

これは「南無阿弥陀仏」の6文字を唱えると、空也上人が阿弥陀如来の姿に変わったという伝承を表しているからだといいます。

六波羅蜜を遊行を通して実践し、それがその時代の人々の心を癒し苦しみを安らげ、心魂を鎮めたのかもしれません。

また私は鞍馬寺に深いご縁がありますが、空也上人が鞍馬山に閑居されていた話も知りました。その閑居していたときに、いつも鳴いている鹿を愛していましたが定盛という猟師が射殺しました。これを知った空也は大変悲しみ、その皮と角を請い受け、皮を皮衣とし、角を杖頭につけて生涯離さなかったといいます。また、鹿を射殺した定盛も自らの殺生を悔いて空也の弟子となったともあります。これは英彦山の伝説とも似ていて共通点があります。そのことから鞍馬寺は浄土教の聖地として発展したといいます。鞍馬山にはその旧跡という「空也の平」という名の場所もあるそうです。

大分では国東に空也上人の開基した興満山興導寺というお寺もあります。また九重町の宝泉寺では空也上人が諸国遊行の途中この場所に経ちより農家に宿泊したお礼として持っていた杖を大地に立てたといいます。その杖がのちの大杉となり、天禄三年(972)この地に大地震がありその大杉が倒れたあと根元より突然温泉が湧出したといいます。そこで驚いた村人たちは、わき出る温泉のほとりに一宇の寺院を建立して空也上人が宝の泉を下さったということで寺を平原山宝泉寺と定 め本尊に空也上人と大日如来を安置したという伝承もあります。

歩きはじめて、まさかのご縁がこの空也上人でした。てっきり法連上人かと思い込んでいましたから、道はやはり歩いてみなければわかりません。引き続き、遊行を深めながら知恵を学び直していきたいと思います。

暮らしフルネスの秋

暮らしフルネスで暮らしを調えることは、病気にならない生き方に似ています。そもそも病気は、病気になってからでは間に合わず病気にならないような日々の暮らしを調えることに軸足を置くことからはじまります。

例えば、当たり前のことですが季節を感じながら五感を調える。生活リズムを自然に合わせる。旬なもの、またいのちが豊富にあるものを丁寧に食べて調える。呼吸を整え、今ここに集中して心身を調える。またよく歩き、重力や自らの身体の動きによって身体を調えるなど色々と暮らしを調えることができます。

医者にも、色々な医者がいます。今は緊急事態で応急処置ができる人がよい医者といわれますが、本来は病気にならないように見守って日頃から病気の根源や原因を防ぐような人がよい医者ともいわれました。今のような保険診療や補助金のようなシステムになってからは、診察や薬を出さなければ生計が成り立ちませんから名医はみんな治療する医者になってしまいました。本来は、病気にならないようにする生き方の模範が名医だったように思います。僧侶やむかしの医師はきっと、健康で長生き、そして精神も心身も調えることを日頃から実践されていた方だったように思います。そしてそういう生き方を目指して取り組まれていたのでしょう。

私も暮らしフルネスを実践していますが、自分が完璧にそれができるから提唱者というわけではありません。自分もそうありたいと挑戦をし、一進一退しながら七転び八起きをしながら日々に取り組んでいます。心も精神も体も調えるというのは、暮らし方を磨き続けていかなればできません。

今日は、昨日よりも少しできた、またはできなかったと反省しながら感覚を磨き、徳を積んでいくのです。しかしそうやって実践していくなかで本当の自分、本来の自分というものを忘れなかった一日はとても豊かで幸せです。

できた人がすごいのではなく、できない人がダメなのではない。大事なのは、先人の生き方を尊敬して自らも暮らし方を見倣って子孫のために精進していこうとする思いや行動にこそあるように私は思います。

引き続き、秋のこの静かで澄み切った月夜や空気に包まれながら晩秋の暮らしを味わっていきたいと思います。

遊行の妙

遊行を実践してみると、一人ではなく二人でいることがわかります。もともと四国巡礼では同行二人という言葉があr、常に弘法大師と一緒に巡っているという意味で用いられます。しかし、実際には自分の中のもう一人の自分、自我と真我という言い方もしますがこの二人が常に対話しながら歩んでいるともいえます。

瞑想も同じく、この二人が次第に静かになって一つに纏まっていきます。すると、次第に静かになり穏やかになります。他にも、五感を調え六根清浄をするときにも一つになっていきます。

つまり歩くことで、別々のものが融和して一つになっていくということかもしれません。

そもそもこの世のすべては、二つが一つになっています。その最小単位は、火や水や風など五元素をはじめあらゆる一文字で語られるものが二つから形成されているからです。

火というものも、二種類のものでできています。熱いものと温かいものです。水もまた固まるものと固まらないものです。これらがバランスよく一つになっているものをみて私たちは火や水を認識しています。

そして二つが一つになるのは、静止しているときではありません。動いている時にはじめて一つになっている様を感じることができます。地球が太陽系をめぐり、自転しているとき私たちは地球を丸く感じられるものです。同様に、動的なときにこそ静止しているように感じられます。

道を歩くというのはその行為に似ています。そしてこの遊行は自らを知り自らになる道でもあります。

子孫のためにも、道を歩んだ人たちのあとを学んで伝承を味わっていきたいと思います。

遊行の歩み

現代は車社会でどこに行くのも車を使います。また都市部では電車などの公共交通機関が発達していて、終始遠くの距離を歩いていくことはほとんどありません。しかし思い返してみたら、むかしは歩くことが当たり前で一部、馬や船があったかもしれませんがそのほとんどは自分の足で歩いていきました。

改めて歩いてみると色々と見える景色だけではなく意識が変わっていくのを感じるものです。

例えば、歩きだすとある程度のリズムが必要になります。一歩ずつ歩いていくなかで、一定のリズムで歩きます。また休憩をいれるタイミング、そしてその場所など様々です。他にも時間帯によっての太陽の位置や風向きなども影響がでます。

特に今は、道路がアスファルトになっているので足も腰も疲れが出てきます。水分補給のタイミングや、トイレなどのこともあります。また歩く目的が巡礼であれば、時々に拝みつつ心を落ち着かせ供養をします。休みも休む場所によって色々と振り返り、また残りの道を歩んでいきます。

歩くときに、歩くことに集中すると人はそこで古からの道に出会います。乗り物にはない、自分の身体にしかない感覚を呼び覚ましていきます。

かつて、西行法師や一遍上人、良寛和尚や木喰五行上人なども遊行僧といって全国各地を巡り歩きながら修行僧が説法教化と自己修行を目的として諸国を遍歴し修行されました。これは行脚修行ともいい、本来の意義は歩き回ったり、経巡ったりすることだともいわれます。

歩き回ることで、その土地との地縁が生まれます。地縁を辿ると、不思議な邂逅があるものです。先人たちも歩いたであろう道、そしてその道すがらに見えてくる景色から影響を受けて懐かしい気持ちになります。歩いている中でしか観えない心の景色があり、その心の景色に心が揺さぶられます。

特に舗道ではなく、むかしの古道はより一層その情景を鮮明にしていきます。人生の旅路も似たようなものですが、自分の足で歩くということに集中してこそ本来の人間の道が観えるのかもしれません。

引き続き、遊行を深めていきたいと思います。

信仰と感謝の暮らし

この時期の英彦山の宿坊は、空氣が澄み渡っていてとても心地よい季節です。あちこちの木々の葉も紅葉づいて秋の静けさに合わせて綺麗な光が差し込んできます。夜の月も清浄で美しく、明けの明星も一際煌めいています。守静坊では、囲炉裏の火がゆらめき、煙の懐かしい香りの余韻が充満していて穏やかです。

季節季節に喜びはありますが、この秋の豊かさは何よりの贅沢です。

そして今の英彦山は、水が少なく井戸の水量が激減しています。いつもは宿坊の周囲の小川もさらさらとたくさんの水が流れていますが今はほんの少しちょろちょろと流れる程度です。

水がなくなってくると、生活に利用するための水をもったいなく丁寧に使うようになってきます。

以前、鞍馬寺ですべての水道の蛇口に「お水さんありがとう」と書かれたものが括りつけてありました。それに感動し、すぐに自宅の蛇口にも同じように括りつけて忘れないようにと実践していました。しかし、水道水は蛇口をひねれば自由に出てくるためそんなにもったいないと感じにくいように思いました。今でも、ついシャワーなどは高温が出るまで出しっぱなしで水のことなどあまり気にしていません。

しかし英彦山の宿坊に来ると、水がなくなるとまた水量が元に戻るのにかなりの時間がかかってしまいます。そこで少しでも水が使い過ぎにならないように気を付けながら使います。すると、自然にお水さんありがというという気持ちになり、お水の使い方も変わってきます。あまりお水を使わなくていい方法を模索したり考えたりするのです。

洗い物や洗濯、水洗トイレ、シャワーなど今では当たり前に水があることが前提の生活用品や生活家電であふれています。水が足りないところでは使えないようなものばかりです。

不便によって本来の当たり前が変わっていくことで、意識も暮らし方も変わってきます。しかしその暮らし方の中に、もったいないと感じる豊かさと有難さがあり、感謝や信仰の仕合せもまた味わえるものです。

暮らしフルネスの一つに、このもったいないというものを味わうことがありますが英彦山の宿坊はお水のことをいつも深く感じられることが多くあります。一年中、水で溢れる梅雨や冬から春までの大雪にいたるまでお水の影響をかなり受けます。お水のありがたさを感じるほどに、また火の有難さも感じる場所です。

都会や都市にはない、真の豊かさはかつての信仰と感謝の暮らしのなかにこそあります。いつまでも大切な恵みを忘れないように、場をととのえていきたいと思います。