世界のお風呂

昨日までは日本のお風呂の歴史を書きましたが、今日は海外のお風呂のことを深めてみようと思います。

現在、スーパー銭湯やスパ施設に本格的なサウナ室が続々と設置されています。私も出張の時には、たまにサウナを利用していました。温度計だけの狭い空間の中でみんな黙っていつ誰が先に出るのかなどでサウナ常連感を楽しんでいたものです。

しかし今では、サウナや冷水の「温冷交代浴」も流行り、そのサウナを通したリラックス状態のことを「ととのう」といい、サウナ道などというものも出てきてブームが来ています。

このサウナは、現在の情報化社会で運動不足で神経過敏過剰になる今の世の中に適応しているとも言えます。

そもそもサウナ(sauna)という言葉は、フィンランド語です。意味は「蒸し風呂」となります。今から6000年から7000年前にフィンランドのフィン族が開発したといわれます。しかしもっと以前からユーラシア大陸には風呂は存在したことが知られています。サウナの原型や基礎ができたのは今から2000年以上前のフィンランドのガレリア地方だといいます。最初は食料を貯蔵したり、スモークするための小屋が、沐浴をする場所へと変わっていったそうです。

フィンランドでは、サウナは神聖な場所と定義されています。フィンランドの伝統に根付いたサウナは神話にも登場しますし、お産などでも用いられます。人口543万人に対してサウナの数が300万台以上あるといいます。国会議事堂にもサウナがあり、基本は一家に一つは必ずあるような感じです。日本のお風呂に似ています。

フィンランドのサウナ推進組織は、サウナが提供する5つの特長を定義しています。その特長は、①五感で感じること②自分自身に意識を向けること③リラックスすること④身体を清潔にすること⑤心身を健康にすることです。そして伝統的なものであることが言われているそうです。

これは日本のサウナに共通するものがありますが、入り方やそのメソッドまで定義されておりサウナがどのような場であるのかをはっきりしているように思います。

日本との共通点も多く、水着が多いヨーロッパでも裸で入る事、裸の付き合いで親睦を深めること、神聖で清浄な場であること、自然物を用いる事、自分を整える場所であることなどです。

改めて世界との共通点も観え、サウナの魅力を学び直しました。子どもたちが、古来からのお風呂の意味がどのようなものであったのかを伝承し、さらにお風呂のこれからの未来の発展と人類の場として大切な役割を果たしていけるように温故知新したものに挑戦してみたいと思います。

風呂の起源2

昨日からお風呂の起源を書いていますが今度、挑戦し復古創新する「伝統の湯屋」は地下水を使う予定にしています。これは炭でお茶を飲む人はわかると思いますが、同じ水でも炭で沸かした水の細かさと柔らかさ、その湯気の美しさは格別です。そして水道水と地下水では当然、味もまったく変わってきます。

私たちは水蒸気になった空気を、呼吸を通して、また皮膚を通して全身から吸収していくものです。自然の加湿や除湿によって私たちは自律神経を整いますから、湯屋に入ることでそのような神経の乱れを調和させていたのです。

本来の湯屋のはじまりの仏教的な沐浴の意味は、ます「沐」は水を頭から浴びること、「浴」は水に身体を浸けることですがそれ以外にも煙・火・香料などによりけがれを落とすことも沐浴といわれていました。

私たちは清めることと整えること、癒すことなどをすべてこの「水」の不思議な作用を活用していたということです。サウナがここにきて流行ってきているのは、自律神経を整え精神を安らぎ癒すために大きな効果を発揮するからということでしょう。IT化が進み、より脳の一部を非常に酷使する生活の中でどうしても自律神経や交感神経、副交感神経はバランスをとりづらくなります。それをサウナを用いることで脳を癒そうとすることには私もとても共感しています。

さて昨日のブログの続きになりますが、江戸時代の銭湯は上下の別なく、裸の付き合いができる庶民のいこいの場所だったといいます。あれだけの人口で衛生面を維持するためにもお風呂は江戸の要ではなかったかと思います。高温多湿の日本で密集人口の中でいるというのは極めて蒸し暑さを感じるものです。お風呂からあがり団扇でゆっくりと風に涼んでいる様子が脳裏に浮かんできます。

江戸時代は男女の混浴が当たり前でしたが、風紀が乱れるからと幕府から何度も禁止令が出ています。禁止令を何度も繰り返すうちに、次第に男女別や時間帯別などになり、明治に入ってからは完全に男女別のお風呂になったといいます。

ところでお風呂のことを今でも「湯船」と呼ぶのは「湯を張った船」があったころの名残です。これは街中にしかないお風呂を、銭湯のない地域や田舎などの遠くの方々に入ってもらうために昔は船でお湯を提供していたからです。またほかにも街の通行人に入浴させた「辻(つじ)風呂」、そして人の多い場所まで風呂桶を担ぎ樹木の影などに置いて人々を入浴させた「荷(にな)い風呂」などもあったといいます。

ここまでしてでもお風呂に入りたいと思った日本の人たちは、穢れを払い心を洗い清める文化と合致して深くこの沐浴という習慣を愛したのでしょう。その後は明治時代には石榴口は取り払われ屋根に湯気抜きが作られたり、浴槽と板流しを平面にしたり、洗い場も変わっていきました。西洋文化が流入する中でお風呂のこれらの変化を「改良風呂」と呼ばれ人々の間でも評判になったといいます。また大正時代には、より近代化されて板張りの洗い場や木造の浴槽がなくなりタイル張りや陶器になりました。昭和に入り浴室のに、湯と水が分かれた水道式のカランが取り付けられ現代のお風呂の形になっていきます。

改めて、お風呂は何のために入っていたのか。そして今でもお風呂が各家庭にあり日本人が大の風呂好きといわれる理由がわかったような気がします。本来の「沐浴」の意味を復古し、この時代の「湯屋」を新しくする。

子どもたちに大切な文化を伝承するために、本物の日本のサウナに挑戦してみたいと思います。

風呂の起源

聴福庵の離れのお風呂には、禅宗の跋陀婆羅菩薩をお祀りしています。この跋陀婆羅菩薩は『首楞厳経』(しゅりょうごんきょう)に記されている菩薩で、水により悟りを開いたことから禅宗寺院の浴室にはこの像が安置されています。

昨日、あるご縁から日本古来のサウナの甦生に取り組むことになり改めてお風呂の歴史などを整理してみたいと思います。

もともと日本のお風呂のはじまりは、6世紀の仏教伝来と深く関係しています。聖徳太子は仏教を通して沐浴の功徳を説き、汚れを洗うことは仏に仕える者の大切な仕事としてこれを普及していきました。また「温室教」という沐浴の功徳を説いた経文もあったといいます。そこには入浴に必要な七物(燃火(ねんか)、浄水、澡豆(そうず)、蘇膏(そこう)、淳灰(じゅんかい)、楊枝(ようじ)、内衣(ないい))を整えると七病を除去し、七福が得られると記されました。つまり入浴には、穢れを払うだけでなく様々な病を治癒する効果があると信じられていたのです。

今でも奈良の東大寺や法華寺には今でも大湯屋や浴堂が残っています。この時代の家々には浴室などはなく町湯もなかったため、寺院の施浴は宗教的な意味だけでなく有難い施しでもありました。この施浴の仕合せが発展して平安時代の末には京都に銭湯の原型ともいえる「湯屋」が誕生します。

鎌倉時代になるころには、お風呂がある家々ができはじめ「風呂ふるまい」というものが行われたといいます。庶民階級でも裕福な人たちは近所の人々に風呂をふるまったり地方でも村内の薬師堂や観音堂に信者が集まり風呂をわかして入りそのままみんなで宴会をする「風呂講」というものも流行りました。

今では浸かる風呂が当たり前ですが、これまでの時代のお風呂はすべて蒸し風呂のことで、湯気を浴びて湯あみをしたのです。そして蒸し風呂が発展して「戸棚風呂」が誕生します。これは浴槽の底に膝をひたす程度に湯を入れ、下半身をひたし、上半身は湯気で蒸す仕組みです。ここから浸かるといった半身浴がはじまるのです。

そして面白い浴室の工夫には「石榴(ざくろ)口」というものを発明します。つまり湯気が漏れないように入り口を工夫したのです。まず三方はめ板で囲まれた小室に浴槽を置き、出入口に天井から低く板をさげ、そして湯気の逃げるのを防ぎこの板をくぐり出入りしたのです。この柘榴口の名称の由来は鏡を磨くのに柘榴の実を使ったので“かがんで風呂に入る(屈(かが)み入る)”を、“鏡鋳(かがみい)る”としゃれ、「石榴ロ」となったといわれます。江戸らしい言葉遊びです。

そしてついに現代の首まで浸かる仕組みになった「据(すえ)風呂」は慶長年間の末頃に現れます。この据風呂は蒸気ではなく湯の風呂だったことから「水(すい)風呂」と呼ばれて一般家庭でも広がります。当初は湯を桶に入れるくみ込み式だったものが桶の中に鉄の筒を入れて下で火をたく方法が発明されます。この名称は「鉄砲風呂」とい、江戸で流行ります、そして桶の底に平釜をつけ湯をわかす「五右衛門風呂」は関西で流行ったそうです。

ここまで来るのに約1200年ほどの歴史です。

しかし本来のお風呂の意味をどれだけの人たちが知っているのか、そして今では「サ道」などとサウナ道のようなものも流行っていますが日本人がお風呂を愛する理由を歴史から改めて学び直すことができます。

明日は明治以降、そして海外からの文化が混ざりどのような変遷を辿って変化してきたかを洞察してみたいと思います。

復古創新した、本来のお風呂を探求し子どもたちに風呂の起源などを伝承してみたいと思います。

 

縁福の感性

人は、普段では関わらない人たちやその場所、日ごろ接しない業界や仕事に出会うことで自分自身の生き方をブラッシュアップしていくことができるように思います。人間はそれまでに接してこなかった人たちに新たに出会うことで、新しい価値観に触れ自分の今までいた場所をさらに一段階高めてくれるものです。場所が高まれば人も高まりますから場の醸成はまさに出会いによるものであると私は思います。

そして何より人間は価値観によって自分の世界を創造していくことができますから、新しい価値観は新しい出会い、新しい場所はまさに価値観の坩堝です。しかし時代の流れが変わるとき、その潮流が今まではとは異なりはじめたとき、自力だけで新しいステージに立つことはなかなかないものです。人間は過去の成功体験や、自分の価値観の縛りがありますからどうしてもなかなか新しいところに入っていくことができないように思います。新しいことをしているようでも、過去の経験の中での新しいことですからそれは未知の領域ではないことがほとんどです。

そういう時代の節目には、自分を引き上げてくれる出会いやご縁、新たに未知に挑戦しようとする仲間たちの存在が大切になってくるように思います。

今までにはないことをやろうとするとき、大切なのは出会いであることは確かなことです。その出会いをどのように引き寄せていくかは、日ごろの自分自身の努力や精進でありそれを活かすだけの運が必要です。それは本質を磨き続てきたか、どれだけ内省をして自分の初心を高め続けてきたかが問われます。

まさにそれは運を伸ばす力ですが、すべての機会を大切に活かし柔軟に変化する心がけの集積が運を引き寄せていくのです。そういう生き方は、まさになんでも来たものをご縁の福として、そのご縁の福そのもの感謝して自分自身をそのご縁そのものにしてしまうという生き方になっています。

そして誰でも自分の人生で起きるすべての出来事は確かな意味があります。その意味をどのように感受し感得するかはまさにその人の感性次第です。

縁福の感性を持つ人は、常に導かれ自分の道を切り拓いていくものです。

子どもたちのためにも、一つでも生き方の事例がお役に立てるように令和の新たな道を切り拓いていきたいと思います。

自己観照

人は外ばかりを見ては自分というものをなかなか見つめないものです。自分が一体、どういう人間か、そしてどのような人格を持っているのか、自分が求めて望んでいるものが何か、そういうものを自覚していないものです。

その理由は、自分という存在があまりにも身近でありあまりにも傍にいるからです。自分の目を自分で見ることができないように、心臓の鼓動が聞こえてこないようにあまりにも一体化していて自分に意識を集中しない限りなかなか自分というものを自覚しないように思います。

例えば、目を見るときは鏡を見たら目は見えます。鏡は自分というものを映しだして自分の姿かたちをとらえることができます。そして心臓の音を聞くときは、聴診器をあてれば聞こえることもできます。脈をはかれば、心臓の鼓動から自分の体の状態に気づくことができます。

私たちは敢えて自分を観ようとしたとき、聴こうとしたときにはじめて自分というものを掘り下げて自覚することができるということでしょう。

そして自分というものの理解には、周囲の友人や家族、身近な存在によって自覚することもできます。どのような人たちが自分の周りで共に生きているか、どのような志を持つ仲間や友、そして愛し合う人たちと一緒に生きているか。それによってまた自分というものを掘り下げて自覚することができるのです。

私たちは自覚するにおいて大切なのはこの身近な存在を意識することにより自己観照をしていくことができるのです。

自己観照ができると、本当の自分に出会えます。それは色々な言い方がありますが、魂の自分と呼んでもいいし、心の姿と呼ぶ人もいます。自己というのは、私にとっては混然一体の自己の顕現する姿であり万物一体全の一部として存在する自分というものです。

与えられた自分の天命が何に気づき、何処に向かい、何を味わいたがっているか。日々に内省し、反復し、慎独するのは自分という無二の存在を大切にしていくための道の実践であるように私は思います。

出会いやご縁は、自分というものを磨き上げ、自分というものを確かにしていきます。一期一会の出会いに感謝しながら、大切な日々を生きていきたいと思います。

運と風~風土のチカラ~

世の中には運というものがあります。よく運がよかったとか悪かったとか、何かの結果が出た時にそれを人はつぶやきます。自分にとって運がいい悪いは時として周囲にとってはそれが逆になることもあります。

つまりは運とは、その人の心の持ち方に影響を受けていることに気づきます。

幸田露伴にこういう言葉があります。

「順風として喜んでいる人が遇っている風は、逆風として嘆いている人が遇っている風とまったく同じ風なのである。”努力して努力する”―これは真によいものとはいえない。“努力を忘れて努力する”―これこそが真によいものである」と。

運とは、その人の風の感じ方そのものでありその風に乗っていく人と、それに逆らう人がいるだけであるとも言えます。風任せの生き方ができる人は、雲のように融通無碍に運に従います。しかし、人間は我がありますから無理をしてでも風を無視して前に進みたくなるものです。

世の中の潮流、いわばその風は時代と共に変化していきます。日々に窓を開けて外の風を感じれば、色々な風が吹いているのがわかります。今日の風はどうだろうかと、風を感じて風を活かす人は運を味方につけているとも言えます。

運とは、自然あるがままを活かす智慧のことでありその運を引き寄せる人は自分を自然に対して変化させ続けることができる努力の人であるということです。

努力とは、自然と一体になっている状態の事です。それは四季の花々が真摯に生きて花を咲かせているように、魚や鳥たちが自由闊達に泳ぎ歌うのと同じようにです。

変化し続ける力は、まさに運を味方につけていきます。運を高めるためには、変化する力を磨き上げる必要があります。風に合わせて自分自身の境遇や環境をブラッシュアップしていくのは、足るを知り、来た風に逆らわずその風を活かすときにこそ実現していきます。

風土というものは、運の根本を司っています。

引き続き、今の子どもたちのために風土を醸成し自然かんながらの道を踏みしめていきたいと思います。

持続可能の基礎

物事には短期的なものと長期的なものがあります。現在の世の中はスピード重視、便利さ重視、結果重視で個人重視ですからどうしても短期的なものが増えていきます。すぐにリターンがあったり、すぐに成果につながらないものは効果がないとみなされたり失敗だとも評価されます。

しかし遠くにいこうとすればするほどに身近な失敗は成功の糧にもなります。また成長しようとするのなら、数々の失敗や挑戦を繰り返さなければ長期的に見てそれは成功ではないように思います。

むかしは、7代先を観て物事に取り組んでいくという視点があったといいます。常に300年先を見据えて何をすべきかということを話し合いそれぞれが実践に努めたのです。

持続可能な社會を掲げていてもそれが一向に進まないのは、それは短期的なもので持続可能を観ているからです。本来、持続可能や循環型、そういったものは長い歳月と一人一人の真摯な努力によってはじめて実現するものです。

二宮尊徳にこういう言葉が残っています。

「樹木を植うるや、三十年を経ざれば、則ち材を成さず。宜しく後世のためにこれを植うべし。今日用うるところの材木は則ち前人の植うる所。然らばなんぞ後人のために之を植えざると得ん。」

樹木を植えても三十年は待たないと材量にはならない。だからこそ後で使う人のために今、樹木を植えるのです。今、用いている材料はすべて先人たちが私たちのことを慮り植えてくれたから私たちはそれを使うことができています。その恩恵に感謝する心があるのならなぜ子孫のために植えようとしないのかという解釈です。

私たちは自分のメリットや今さえよければいいと、物事の判断を自分軸のみの物差しで計算して行動しています。しかしこれがもしも後世の人たちや子孫の人たち、先祖への感謝の報恩であればどういう物差しになるでしょうか。

長期的な物差しとは本来、これらの長い時間をかけて持続可能としていた社會の存在を感じて判断していくものなのです。何を計画するにも、その土台や基礎になっている初心や哲学、基本にその思想が入っていなければ決して持続可能の実践にはつながっていかないように私は思います。

二宮尊徳はこうも言います。

「遠くをはかる者は富み近くをはかる者は貧す。それ遠くをはかる者は百年のために杉苗を植う。まして春まきて秋実る物においてをや。ゆえに富有なり。近くをはかる者は春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず。唯眼前の利に迷うてまかずして取りえずして刈り取る事のみ目につく。故に貧窮す」

何が本来の豊かさであるのか、豊かさや富の本質を持続可能の社會ではまったく視座が異なることを私たちは先人の実践から気づく必要があります。

育てるという仕事も本来、長い時間をかけてじっくりと育てるものです。それは土づくり似ていて、何十年もかけて育ててきた土だからこそその中で立派な作物ができてくるのです。人づくりも然り、まちづくりも然りなのです。

自分の代で見返りがなくても、すぐに自分の代で結果がでなくても、本当の意味の子々孫々への思いやりや真心での持続可能に取り組む人たちが未来を変えていくのでしょう。

子どもたちのためにも、周囲の理解が得られなくても覚悟を据えて子どもに必要な伝統や風土、文化を伝承していきたいと思います。

快適な住環境

昨日は、自然農で育てた高菜漬けの漬け換え作業を行いました。8年目になる高菜や杉樽からはまるで熟成されたウィスキーのような薫りがしてきます。手塩にかけて育てて8年、まったく腐敗することなくいつもの姿がいつもの薫りと共に感じられることは仕合せです。

この手塩にかけるというのは、本来は昔の食膳に添えられた少量の塩のことを指しました。もともとは、不浄なものを祓うために添えられたものですが自分の好みに合わせて料理の塩加減を調節するというためにあったそうです。その意味から他人任せにしないで自ら面倒を見ることを「手塩にかける」と言うようになったそうです。

一般的には、「手塩にかけて育てた子」のように手間暇を惜しみなく愛情を注ぎこみ自らで世話をして大切に育てるという使い方をされますがこれは漬物も同じことです。

定期的に塩を入れてあげなければ発酵の乳酸菌が腐敗菌に入れ替わり漬物は私たち人間が食べれないものになってしまいます。これは万物は、消滅するために腐敗する自然の仕組みを発酵という自然の智慧を用いて乳酸菌を育て樽や食べ物を丸ごと住まいにしてしまうという発想からきています。

つまり樽は、乳酸菌の大切な家でありその家の居心地が乳酸菌にとって快適にしてあげればいつまでもそこで乳酸菌は活動を続けてくれます。乳酸菌が住んでいるからそこに腐敗菌は入ってこれないのです。乳酸菌にとって快適な環境は腐敗菌にとっては不快な環境です。腐敗菌にとって快適な環境は当然、乳酸菌とっては不快になります。

このようにどのような住まいを創るかで、私たちは健康を管理してきたのです。この自然の智慧と技術こそが自然の叡智の根本原理でもあります。私が古民家甦生でイヤシロチを創造するのは、この発酵の智慧を活用しています。

人間の住まいにとって快適なものとは本当は何か、それは単に便利かどうかではなく健康を末永く維持できるということです。その健康が維持される住宅だからこそ、私たちは先ほどの乳酸菌のように活動し腐敗菌を寄せ付けません。同時に不健康を寄せ付けなくなるのです。

日本の家屋というものは本来、この乳酸菌の樽のように健康を維持するための快適な環境を用意していたのです。それが不健康になってきたから、病気が増え、感覚が鈍り、居心地が悪くなってきているのです。

漬物も住まいも、他人任せにしてはいけません。自らで手塩にかけて育ててこそ本物の住まい、本物の場が醸成されるのです。

引き続き、場を学び直しながら改めて大切な智慧を子どもたちに伝承していきたいと思います。

勇気の源

人は誰かが成長している姿を見ると勇氣が湧いてくるものです。この湧いてくるものは一体どこからやってくるのか、なぜ自分の中にその勇気が湧き出てくるのか。不思議ですが誰かの勇気を出す行動を観ていると、自分自身も奮い立たせてくれるのは事実です。

この湧くの同義語には、・込み上げる・芽生える・湧き立つ・あふれ出る・湧き起こるなどがあります。やはり成長には、何か不思議な力がありその力は多くのいのちに多大な影響を与えているように思います。

私はたんぽぽがとても好きなのですが、道端でたんぽぽが咲いている姿に真摯さを感じて勇気づけられることもあります。一生懸命にいのちを輝かせて活きている姿はそれだけで他のいのちを感動させるのです。

ではこの湧いてくるものは、一体どこから出てくるのかということです。これは自分を信じることで湧いて出てきます。自分を信じるというのは、何を信じるのか。それは私の直観では今までこの世に生きてきた永遠の連鎖、そしていのちの深い生命の源を感じているのではないかと感じます。

人はいのちの源泉というものを持っており、その源泉に触れることでいのちの泉が湧いて出てくるものです。それは地中から水や溶岩が湧いて出てくるように源泉にはいのちそのものの元氣が満ち溢れています。

日ごろはそこに触れることもありませんが、何かしらのいのちの源泉を身近に感じるとき私たちは汗が出てくるようにそのいのちの元氣が湧いて出てくるのです。これが勇気の源ではないかと私は感じます。

自分の勇気が誰かの元氣になり、自分の勇気ある行動が誰かの勇気を引き出すことになる。そう思えるだけで人は、元氣を周囲のいのちに分け合い共生し貢献し合うつながりや絆を享受し合えるのです。まさにこの世が楽園になっていく道理は、このいのちの元氣の連鎖で起こります。

勇気の源は、みんなの元氣の源です。

自分の勇気をさらに発揮して、子どもたちのためにも挑戦を続けていきたいと思います。

場数の価値

「場数」を踏むというものがあります。これはその場の経験を体験し積み重ねることを言います。この場数というものは、生き物が産み出した偉大な智慧の一つであり人間が発達し成長するための最大の糧になります。

先日から、農業関連の方や建築関係の方、そしてまちづくりや教育の方とお話する機会がありましたが以前には考えられなかったほどに様々なことを理解できそれを実現できる力が自分に備わっていることに気づきました。

なぜだろうと思い返すと農業においては19年の自然農の経験が活き、建築では古民家再生での経験が活き、まちづくりでは見守る保育の経験が活きています。それは知識を単に持っているからではなく、自分のこれまで積んできた場数の実体験がある一定量を超えて質に転換されていることに気づいたのです。

人間は最初からなんでも一流のようにできる人はほとんどいません。特に、職人の仕事をはじめ一定以上のプロの業を会得するにはそれなりの時間がかかります。

その時間とは、何回も何回も場数を体験することでありその場数の中で量を積み重ねているうちにある時突然に質に転換されていくのです。

これは以前、行った「貝磨きの体験」に似ています。

貝を磨き続けていると、ある時ふと突然に貝が光りはじめます。最初はざらざらで、光らなかった貝が紙やすりにを何度も往復させていくことでパッと光り輝くのです。まさにこれが量が質に転換された瞬間なのです。この貝磨きの体験の素晴らしさはこの「場数を踏む」ことの大切さを子どもたちに体験させていることです。

最近は、あまり経験することを尊ばず経験しなくても簡単にできる便利な方法ばかりを選択する若い人が増えているといわれます。便利なものを知ってしまうと、自分を磨いたり、場数を踏んだりすることを嫌がる傾向があるといいます。努力の価値や、精進の素晴らしさを体験する機会が少なくそのために質もまた低下しているというのです。

この質の低下は、「積み重ねる」ということの価値が下がっていることをものがたります。そして「磨き上げる」という努力の評価が下がってきていることも意味しています。

しかし「技術を自分のものにする」というのはつまり「自分を磨き上げる」ということに他なりません。努力を積み重ねて挑戦し続けて体験を智慧まで高め、如何に熟練の粋に達していくかが場数の価値なのです。

場数を馬鹿にすることなかれ、場数こそ本物になる要なのです。

そしてその場数の質を劇的に高める方法が、初心を忘れないことなのです。人間は初心という物差しで振り返り続けていけば必ず自らの高みに達することができるからです。大切なのは、何のために生まれてきたのか、人生とは何か、その意味もまたこの場数を踏むことによって得られると私は思います。場数の価値とは、いのちの価値です。

引き続き、自ら時間を惜しんで何回も挑戦する機会を楽しみ、場数を踏んで自分自身の質を高めていきたいと思います。