言い方、伝え方

人は言い方、伝え方で好感を持たれる人と、嫌われる人がいるものです。相手のことをよく配慮し思いやっている言葉は、相手を心地よくします。その逆に自分の主張や相手を変えようとするような言葉は嫌悪感を抱かれます。

哲学者のニーチェは「人が意見に反対するときはだいたいその伝え方が気に食わないときである」とも。つまりは、言い方や伝え方でその結果が全く変わるということです。

それはなぜなのか、それは相手は自分の立場や自分のことばかりを考えているからです。人間は計算したり考えているうちに頭ばかりを働かせては自分の思い通りにしたいと思っています。そうしているうちに、思いやりが欠如しています。本来、相手に寄り添い、全体がよくなることを包み込むように配慮している人にはやさしさがあります。

忙しくなったり、自分が不利になっているとそれが失われるものです。特に困っていたりするとなおさらそのようになります。

孔子は、その弟子とのやり取りの中で弟子のひとりの仲弓が、仁とはどういうことかと質問したとき、孔子は「家の外で他人に逢うときは、その人を自分にとって何よりも大事なお客のように扱わなければならない。人民を公役に使うときには、祭りを執り行うときのように慎み深くしなければならない。自分が他人からしてもらいたくないことは、他人にもしてはならない。そうすれば国の中枢にいても人に恨まれることはなく、家庭にあっても人に恨まれることはない。」と諭しています。

相手を自分だと思って考慮すること、つまりは配慮していくことで思いやりが出るといいます。思いやりと向けられた人は、その人に感謝して礼を盡します。相手がもしも自分だったらと考える人同士であれば、争いが起きません。

それが人間関係の真髄ということなのでしょう。観音経の実践をすると、全ての人たちが観音様に観えるといいます。

自分はとてもまだまだで苦労することばかりですが、精進していきたいと思います。