善意というのは見返りがないということが前提で行われます。日本のボランティアなどは無償でやっているから支払いをしてはいけないとまで思っている人もいるほどです。海外などでは専門知識やスキルをはじめ、ボランティアの専門性や実力に合わせて必要な費用は支払うものとしての認識があるのでボランティアはすべて無償という発想はありません。
しかしこの無償で見返りも求めずというのは、実践する人がそう思っても周囲や他者は本来は関係がないということに気づくものです。そもそも真心で助けようと思った人が、徳を積むために必要がないといってもそれは金銭的以外のものを得ている可能性もあります。例えば、子孫のために何かを譲り遺したいというものであったり、自分を磨いてさらに高い専門性や幸福を味わいたいというものもあるでしょう。実際には、徳を積むのは自分のためであって他人のためではないのですがそれは全部利益を捨てているわけではありません。金銭的なものや物質的なもの、時間などを捨ててもそれ以上に本人に得るものがあるから捨てているともいえます。
この辺は、書き方次第で誤解する人もいるかもしれませんが私たちには本来、本能が具わっていて理由がなくても呼吸をして生きもののいのちを食べて自然と共に循環します。その恩恵たるや偉大なもので、空気がなければ水がなければ、植物がなければ菌がいなければ生きてはいけません。それに対する感謝が充ちている人は、少しでも恩返しをしたいと思うように生きていきます。そうすると、生きているだけで徳を積むということにもなります。しかし、そうではない環境の中にいるのなら意識的に徳を積むという意識で取り組んでいくことで自分が刷り込まれている現実を変えていくことができるようにもなります。
先ほどのボランティアであれば、無償に対して自分も誰かのために無償になること。あるいは敢えて損をするほどの有償を返すというものがあります。
ちょっと対象が異なると思われるかもしれませんが、手塚治虫さんのブラックジャックという漫画があります。あれは主人公の天下の名医が大金をもらって誰もが諦めた病気を治すという漫画です。天下の名医なら無償で治すのが常道なのに、莫大な費用を請求してその金銭と引き換えに治療するのです。世間でいえば悪徳医者です。しかし、病気の原因を突き詰めると、その人の病気が現代の問題になっている金銭や権威や権力などから発生していてそれを治すことが病気を治すこととしていたり、その現代の価値観に流されて依存した人を真に自立するために行っていたりします。そう考えると、人間を目覚めさせるための説法の一つともいえます。結局は、世間に叩かれて救命救急の医師の漫画のようになり、正しいことを描けとクレームがきてやめてしまったともいいます。そもそも漫画というものの定義も、世間の常識と異なっていたのかもしれませんが自由自在に表現することができなくなると世の中は陰湿になっていくものです。
話を戻すと、現代の金銭的なものの使い方、使われ方は人間やモノやいのちをどのように扱っているでしょうか。それをよく観察すると、当たり前と思っている今の常識を疑ってみる必要を感じます。それは支払い方を換えてみたり、自分の使い方、価値の見え方を見直してみたりするのもいいでしょう。
今一度、何が得で損なのか、徳や悪とは何なのか、具体的な体験や事例を通して真実に目覚め、幸福の正体を伝道していきたいと思います。
