自然の造形というものはとても美しいものです。小さな植物一つにおいても、それぞれ固有の造形がありその美しさにはいつも感動します。人間は、都合で益や害を振り分け美醜を決めつけていますが先入観や刷り込みがなくゼロの状態ですべてを眺めればとれも美しいものしかありません。
美しいと感じるのは、徳があるからと昨日のブログでは書きました。この美徳は「美=徳」ということで同義です。
他にも見た目だけではなく音というものがあります。朝目を覚ますと様々な鳥の声や虫の声、風や光の音が聴こえてきます。そのどの音もやはり美しくどの音にも個性があり感動します。これも徳です。
美徳が観えなくなる理由は、人間の刷り込みや価値観、知識によるものです。頭でっかちな生活をして脳ばかりを作用させていくような日常の中では美しさというものも刷り込まれるものです。例えば、金銭が高いもの、あるいは大衆が評価するもの、希少であるもの、手に入らないものを美しいと定義していたりするものです。
しかし真の美しさは真の徳ですから、この世のすべて暮らしの中で出会うものの中に存在しています。
その徳を見倣い、その徳を尊敬するとき、私たちはその美徳を顕現していくことができます。不思議なことですが、波長同通ともいい、波動合一といってもいいかもしれませんが似たものに近づいていくのです。
この尊敬という気持ち、憧れというものは美徳に対して行われてものです。
子ども心に感じた美徳をいつまでも持ち続け、その美徳を磨いて己の自然体に近づいていくことが喜びであり仕合せです。美徳に触れて美徳を磨いていきたいと思います。
