陰謀論という言葉があります。これは一部の人々や組織が裏で密かに計画を立て、世界の出来事を操っているという考え方だと定義されています。情報化社会の中で、誰かが陰謀だといえばそこから陰謀論がはじまります。結局、陰謀であろうがなかろうが陰謀論と認知するとき人は陰謀論者になっているということです。
言葉というのはもともとお互いに反対の側面をもっています。正論という言葉には、曲論という言葉があったり、暴論や詭弁などという言い方をします。誰かが正しいといえば、誰かが間違っていると言います。そうやってディベートを楽しんでいればいいですが、権威や権力が乗っかっているとそれが戦争に発展していきます。
最近では、イスラエルとイランがミサイル攻撃をしあっているときにアメリカが突然参戦してバンカーバスターという地下深くを攻撃するミサイルをイランに打ち込みました。それも2週間停戦して交渉している最中にです。アメリカの正論としてはイランに核を使わせないといいましたが実際には核施設をミサイルで壊してしまえば核が流れ出てきてもっと悪い状況になります。自国はたくさん核を持っているのに、これはまた本末転倒な話です。同時に、ウクライナの時はロシアが一方的に攻撃したら西側諸国は国際法違反だと反対したのにイスラエルやアメリカが一方的に攻撃したときは国際法違反していても賛同していました。
自分の都合のよいことを正論といい、都合が悪いことを陰謀論とする。本来は、客観的な事実をよく観察して、実際の事実を確認することで正論も陰暴論もなくなっていきます。つまり、道理に適っていたか、事実かどうかはその後の経過を観察していればわかってくるものです。
例えば、コロナワクチンであれば最近のことなので覚えがあると思います。突然、自宅待機で都市封鎖し、コロナウイルスという凶悪なウイルスが蔓延すると世界で人々を恐れさせました。マスクを強要し、うちの地元ではコロナに感染した人のお店に卵が投げつけられ自殺してしまいました。差別が横行して、コロナに感染したのではないかと疑心暗鬼に見張る人たちが町中に増えました。ワクチンを打とうとしない、打っていない人は陰謀論者だとののしり、非国民であるかのようにワクチンを推奨していきました。学校でも小さな子どもにまで特段コロナで死んでいないし重篤でもないのに全員に一斉に打ちました。
しかしその後、3年、4年と経過を観察していると気が付けばコロナは収束したとマスコミが報道をやめ、たいしたウイルスではなくただの風邪だという扱いにしました。ワクチンも世界のほとんどが効果がなかった、むしろ感染しやすくなるとわかり、今ではコロナに感染したといってもほとんどたいした反応しません。
結局、陰謀論者とののしっていた人たちや正論を押し付けていた人たちは客観的事実が明確になってきたらどうなっているのでしょうか。最初に卵を投げつけた人、非国民だとののしった人たちは何処にいって今、何を思っているのでしょうか。本当なら、その人たちを追いかけてもらいなぜそういったのか、そして今はどう思っているのかを聞いてみてもらいたいと思います。
もちろんコロナワクチンがダメだというわけではありません。このブログの内容を読んですぐに反ワクチンの人と括られてしまうこともあるかもしれません。しかしこれはワクチン、反ワクチンの話をしているのではなく、経過をよく観察して内省し、そこから真実や事実を検証しようとすることの大事さを伝えているだけでもあります。
歴史というのは、決めつけるものではなく本来はどうなんだろうかとみんなでいつまでも考え続けることが大切だと私は思うからです。お互いを尊重しあうというのは、みんなでこんな考えもあるとわかり合おうとすることです。それは対話であり、正論の押し付け合いや議論ではありません。最近は、ディベートというものもありますがこれは客観的な視点を磨くのには効果があります。客観的なものをお互いに出し合う中に、活きた歴史もまたあります。
誰かが正しいのではなく、本当はどうなのかとそれぞれが共に検証することに人類の真の成長や発展もあるように私は感じます。
しかしドラマや映画やゲームでも陰謀が暴かれるシーンはワクワクするものです。陰謀好きが問題というわけでもありませんが、事実や経過の検証の方が本来はもっとワクワクするものかもしれません。
引き続き、世の中の客観的な事実をよく観察検証して子どもたちに必要な情報を遺していきたいと思います。
