韓国の智異山にある実相寺に訪問し、メンターの方々から場の実践を教わり対話をするお時間をいただきました。この実相寺は、9世紀の新羅時代からある古い禅寺ではありますが歴史や伝統を守るだけでなく、色々と現代文明が抱える社会問題の解決のために様々な実験を通して試行錯誤している新しいお寺です。
公式サイトには、1998年に実相寺所有地3万坪を提供して帰農学校を設立したこと、2001年以降に「生命平和・民族和解・地理山千日祈祷」を進めたこと、さらにその流れから生命平和托鉢巡礼や地理山トゥレ道(巡回路)構想につながったことが記され農、地域、教育、環境、共同体、平和をつなぐ生態仏教の場とあります。
その取り組みの切っ掛けとなったお話をお聴きすると、1983年の咸陽ダム建設計画で実相寺が水没の危機にさらされたことだったといいます。計画自体は撤回されましたがそこで国家や開発論理がどれほど簡単に生態や文化遺産を犠牲にするかを体験したといいます。その後、実相寺では「一坪買い運動」によって寺の周囲の土地を買い戻し、古い寺域を復元していきました。「場や空間を守る」ことは、「暮らし方と価値観を守る」ことと定義して自然破壊中心の近代開発に対する別の文明観を実践していました。
実相寺で行われる具体的な実践としての農も共同体学校も巡礼も、テンプルステイも土地を守る運動も「どうすれば人間が自然と切れず、他者と切れず、自分の内面とも切れずに真に豊かに生きられるか」という場づくりを行っています。
また仏教の教えも、単に個人が悟る為の仏教ではなく生き方を通して社会そのものを変えるために活かしていました。具体的には、「縁起」といってすべては相互に関係し合って存在するという基本姿勢を保ち、人間・自然・社会を切り離さず一体のものとして捉え、その調和的な関係の中で生きることを目指しています。そこには人間中心の生き方や過度な欲望を見直し、すべての生命とのつながりを自覚しながら、持続可能で共生的な社会と生活を築こうとする思想の実践です。
本来、よく考えてみると仏陀そのものの人物は仏教ではありませんでした。自然の偉大な観察者であり、自然そのものの徳を生きた人間の実践者でもありました。原点に立ち返れば、自然と一体になり調和した真の人としてのロールモデルのような方です。その方がどのような生き方をし、どのような場を創造したか。まさに原点回帰すれば、今の文明の中でどう試行錯誤すればいいかが観えてきます。
今を生きる私たちは、教えの前に「どのように暮らすか」を問い直す必要を感じます。
この先、全人類はどのような地球文明の未来へ向かいどう生きるかということを問われています。その時、共同体として一緒に生きるいのちとしての在り方の暮らし、また今居る場所をどのような空間にしていくかという暮らし、そしてみんなが幸福になる暮らしとは何かを文明そのものを創造する人間としての真の暮らしを見つめ直す時機に来ているように思えます
私も約10年間ほど暮らしフルネスの道を歩んできましたが、世界では同じように自分の居る場を真摯に調えて実験する仲間がいることに氣づきます。歴史のある霊峰の麓にあるからこそ、この場は人類にとって偉大な智慧を与えてくれます。
日本にも霊峰がありますが、お山から真の暮らしを観直し、場を易えていきたいと思います。
ご縁に感謝しています。
