氣づきの智慧

祖師に帰れという言葉があります。長い歳月をかけて、様々な人たち、変化を経て様々な解釈が生まれ分派していくのが人類の知識です。削られていくよりも、付け足していくことの方が多く、そのうち正しいことも増えていきます。よくあるケースが、そのうち形骸化していき当初は何であったかもわからずただそれを繰り返し伝えていくだけというものになっていきます。

教えのどれも智慧があり、それも正しく、間違えているわけではありません。しかしなぜ祖師に帰れというかは、根源、原初からやり直す中にこそ真の智慧があるということかもしれません。

そもそも人は何から智慧の理解がはじまるのか、それは「氣づき」からです。その氣づきはどこからやってくるのか、それは内省や内観から発生します。その氣づきというのは、智慧の根源です。

根源というのは、はじまりのことです。

このはじまりは何かと考える時、今、何気なく繰り返しているものが消えていきます。つまり學の削除ができます。私は付け足す学びよりも現代に必要なのは学びの削除であろうと思います。病気も同じくサプリなどで足していくのではなく、浄化やデトックスする方がいいと感じています。それだけ日々に添加物や農薬、普段必要のないものをたくさん摂取していますから毒出しや洗浄が必要になっています。

これは知識も同様です。私たちは情報化社会の中で毎日、あらゆるところから便利な知識が入ってきます。しかしその便利な知識を持てば持つほどに原初や根源がわからなくなっていくものです。

知識が増えることが権威になってしまうと、一番偉い人は知識を持っている人になります。それは現代では人間ではなくAIの役目です。そろそろこの一番偉いというのを考え直していかないと人間は学んでいて学んでいないということになる可能性もあります。

氣づきというのは、この知識を膨大に増やすのではなく知識を忘れるところにあります。自分の中にある真の智慧は、知識から入るものではなく自然に氣づくときに顕現します。

氣づきの素晴らしさは、誰にしろもっていること、そして内省や内観によって誰もが磨かれていくことによります。だからこそ、まず氣づこうとすることが大切であろうと私は思います。

何に氣づいたか、ここに人類の悟りの道もまたあるように思います。日々の微細な氣づきを大切に内省を深めていきたいと思います。

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