志という文字があります。これは色々な使われ方をします。たとえば、同志であったり立志であったり、意志であったりします。
この漢字は、古代中国では「志をもって生きる人」であったり「学び、使命を担う者」を表していて単なる身分のことをいうのではなく使命、つまりは自らの在り方を自覚した人を意味したといいます。
吉田松陰が「志をもって立ててもって万事の源となす」という言葉を遺しています。これは志こそ、すべての根源であると言い切っているものです。
その理由はなぜか。
それは志とは継続される生き方だからです。志というのは、自分のいのちを何に使うかということを覚悟するということです。それは日々にいのちをどう使うかを続けるということです。それは片時も離れず、いのちあるがままに自分の行き方を追求していくという実践を意味します。
つまり、どう生きたか、それが志なのです。
日々はどう生きるか、どう生きたかの実践道場です。
毎日、刻々と時は刻みます。その一瞬一瞬、今、心はどうあるか、自分の覚悟はどう決まっているかを内省し反省し只管に真心、つまり至誠を盡すのです。
これらの生き方こそ、魂が研ぎ澄まされた状態でありいのちを燃やし尽くしていく全身全霊の生き方です。そこに正解もなく、良し悪しもなく、ただ生き切ったという事実だけが残ります。
そうやっていのちを循環させていくことに仕合せを感じるのは、この世で生きる至高の喜びだと私は思います。
色々なことをいっても、誰の人生もその人のもので使命があります。今日もそういう一期一会で真剣な一日を過ごしていきたいと思います。

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