心を笑顔(オープン)に

人間関係というものは、心をどれだけオープンにして信頼関係を築いていくかに懸かっているように思います。心が通じ合うことは、安心につながりそのことで関係が善くなるだけでなく仕事も遊びもすべて楽しく豊かになっていきます。

よく心をオープンにというと、自分の感情をさらけ出すことだと思っている人がいますがそれも一つの手段ですが反ってそのことで関係が悪化している人が多いように思います。本当は自然体でその人の真心や本心が出ている姿は、とても善い人なのに周りを気にしたり自信がなかったり自分を過度に守ったりしていると、反って周りに緊張する状況を与えて「あー、またもったいないなぁ」と思うこともあります。なぜなら人間は、自然体になればなるほどその人の本性や本心が出て周りも安心して自分も安心してその人の素の魅力が引き出されていくからです。素から磨くことは、玉を光らせる法理が活かせるからです。評価ばかりを気にして無理に我慢している時よりも、その人のことが全部観えた方がもっとも「その人らしい」し、みんなも本人との信頼が築かれ安心するからです。

例えば、日ごろ何もしゃべらない人に「本心をさらけ出して何かしゃべったら」というと反って黙られるか、ネガティブな感情をぶつけられることがあります。そういう人に「本心を言って」というと、かなりきつい攻撃的な言葉が出てきたりします。それを聞いた周りも衝撃を受け、その人を理解するよりも不信感や疑心暗鬼、またショックから涙したり辛い思いをします。言った方も言わなきゃよかったと思うし、言われた方も聞かなければよかったなどとも思います。こうなるとまた悪循環の連続です。

しかし本来、本心をさらけ出すというのは決して無理をしてそういう時だけ感情をぶつければいいという意味ではありません。普段から自然体で周りの人たちと接することを言うのです。ただここでの自然体は誤解されるのですが、「決して自分勝手に好き放題する」という意味ではありません。いろいろな感情表現を自然に出していたり、自分の思っていることや感じたことをそのままに話せたりできるという自分らしい自然体のことです。決して自然体とは、日ごろ自分の表情を偽り無理をして我慢していることの逆の意味ではないのです。

つまり普段から周囲を信頼し自分の感情としての優しい自分、楽しんでいる自分、明るい自分、我儘な自分、そして時折、悲しい自分、つらい自分、情けない自分、思っていることなどをそのままに表現して周りを信頼できていることがさらけ出している状態だということです。くどいようですが無理をして隠しているものをさらけ出せというさらけ出すではなく、普段から自然体でもいい状態になるようにさらけ出していくということです。さらけ出せば「自然に笑顔」が増えていきます。そして周りも楽しい笑いが増えていきます。そのためには、自分自身がリラックスできるような環境を用意したり、もっと自分が自然体でいられるように周りとの関係を築くために少しずつでも訓練していくしかありません。

もちろん訓練は時間もかかるし、挑戦も必要です。今まで隠して誤魔化して偽ってきたものを出したり怖いことや辛いことを乗り越えるのは、少しずつの勇気です。その勇気は笑顔になっていくという笑顔をさらけ出す勇気です。

最初から上手くいかなくても下手くそでも、笑顔を育てみんなが安心して、そして楽しく笑い合い豊かな社會を創造して自他が仕合せになるために「笑って」なんでも「楽しむ」こと、前向きに「ちょうどいい」と全体善に生きていくこと、笑う門には福が来るといいますがまずは「笑う」訓練からはじめていくといいと思います。

固まってしまった表情を崩すのは、自分の「笑い」の姿です。心をオープンにの定義は、「心を笑顔に」ということなのです。もっと自分の心が笑ったままでいられるように、周りを信頼して周りの笑顔が増えていくような自分の生き方を見つめていきたいと思います。

赤ちゃんや子どもたちの純粋で素直な素敵な笑顔や笑いが世の中から消えていかないように、困難を乗り越えて皆で一緒に心を笑顔(オープン)にする豊かな社會を創造していきたいと思います。

風習

人類の歴史を省みると、その土地や風土には伝統的な生活習慣というものがあります。この伝統的な生活習慣は、その風土で培った一つの文化でもあります。自分がどのような暮らしをしているかを遺すことは、その民族がどのような生活習慣をもっているかという証でもあります。

かつて民族は、自分たちの伝統的な生活習慣を確認することで同じ民族であるかどうかを確認したようにも思います。例えば、衣服であったり、道具であったり、儀式であったりと、同じ民族だからこそ持つ風習があります。その風習を持っているからこそお互いに同一の発祥を持つ民族であるという共通理解を持ったのではないかと思うのです。

風習を調べると、「風習とは、土地ごとに存在する社会生活上のならわしやしきたりのこと。風俗習慣。行為伝承のひとつ。地理、歴史、その地域の産業の違いによって顕在化し人々の行動や思考パターンに影響を与える。学術的には歴史学、民俗学の研究対象とされることが多い。」とあります。これを大きくしていくと文化という言い方をしています。

そもそも風土の習わしと書いて、「風習」ですがこれは文化を指します。その風土の中で培われた独特な智慧を、習わしとして伝承していくという仕組みです。その仕組みを維持していくことが、風土の智慧を遺していくことであり独自の文化を守り続けるということになります。

人類が多様な民族に分化していったのは、その土地の風土や環境に適応するための「智慧」を開発していくためでもあります。地球は一つだけの気候や環境ではなく、ありとあらゆる多様な環境が存在します。そこに移動しながらそれぞれにその風土環境に適合した姿になっていくということが、地球と共生していくいのちの使命です。

多様化するからこそ、環境が激変しても種を遺し続けていくことができます。現在は、私たちは自分たちが適合する代わりに、便利に道具を使って自分たちの都合の良い環境をつくることに成功しました。風土の智慧を遺す代わりに、文明を進化させどの風土でも自分たちの過ごしやすい環境にしていくことを可能にしました。

そういう意味では、風習や文化が不必要になってきたとも言えます。長い年代や歴史をかけて築いてきた先祖の智慧は今では役に立たない産物と化したのです。この変化の大きな時代の中で、何を取捨選択するかはどれだけ永い未来を見つめて今を決めるかということに懸かっています。

あなたは何を選択して生きていくか。

私は子どもたちに譲り遺したい未来を創造していきたいと思います。

中国のルール

先日から北京入りしていますが、市内の観光地はどこも人であふれあちこちにセキュリティチェックが行われています。行列であっても、割り込む人もいれば立ち止まっている人もいたり、それぞれが自由に動き回っています。

日本では注意されて喧嘩になったり、嫌な顔をしたり不愉快になるものもここではいちいちその程度では不愉快になることはありません。それは車の運転なども同様に、譲り合うことはなくどちらかといえば我先にと突っ込んできます。横断歩道を渡る人がいようが、観光地で人が溢れていようがその中をクラクションを鳴らしながら通過していきます。免許を取るときにどのように指導しているのか、試験ではどうなっているのか気になるほどです。

また人の方も負けておらず、横断歩道でなくても3車線の十字路でも構わずに侵入してきます。あまりルールということの意味が伝わっていないか、ルールというものの存在よりも常に自分のやりたいことを優先するという考えではないかとも思います。

日本では、ルールを破るというのはとても悪いことでみんなルールを尊重して生活しています。ルールについてなぜこのようなルールなのかと言い返すこともなく、ルールだから仕方がないと諦めていたりします。しかしここ中国は、ルールに対して納得いかないと言い返したり、都合のよい解釈をして利用したり、対策を立てて対抗したりもしています。

よく観察していると、ルールを覚えるよりも周りの人がどうしているのかと見ているように思います。周りを見て自分よりも得をしている人や、メリットが大きい方を自分も遣るという具合に基準がルールや法が尊重されにくい環境があるように思います。

つまり誰かが前例を作ってそれがルールの抜け穴になったらそれをみんながやっているうちに気が付いたら正当化されているという具合です。自分勝手のように見えますがこれもまたこの土地で生きる仕組みだったのかもしれません。

人々の間に流れる人間の深いところ、孔子は論語でそういうことも見抜き徳を示したのかもしれません。今日から世界園長会議に参加してきますが、この国の幼児教育がどのようなものを吸収しようとしているのか観察していきたいと思います。

中国のスケール

中国という国は、そのロシア、カナダに次いで世界第3位の大きな国土を持っています。歴史の長さも、人口の多さも、山河の雄大さもまたスケールの大きさを感じます。

さらに国土の広さは多様な気候や風土の存在も感じさせます。東側は海に面しており、西側は砂漠と高山地帯、南は亜熱帯性気候で北は極寒の地がありマイナス30度の世界です。この気候風土の変化から、様々な人種や文化、民族が存在しています。

中国というと、私たちの一般的なイメージは山水画だったりテレビで見かけるような海側の都市や北京などの首都の一部の写真が中国だと思い込んだりしますが実際にはあらゆる多様性に富んだ気候風土や人種が集まって存在しているのが中国の本体とも言えます。

日本でも、沖縄と北海道などでは気候風土も異なります。それに東北や九州などでも、地域の伝統文化なども差異があります。しかし中国は、方言を超えてまったく使っている言語も異なり、文化も異なり、肌の色や食べているものも異なっていたりしますからそのスケールが大きいことはすぐにわかります。それは国土が日本の25倍の大きさ人口が10倍であることからも理解できます。

最近は、中国人の観光客が爆買い、爆食、爆待ちなどと「爆」をつけられますがもともと、消費するエネルギーも私たちのスケールを超えているように思います。広大な土地で無数の他民族、多人口、多様な文化に支えられたそのスケールがその新しいものを取り込み取り入れる柔軟性やスピード感を磨いてきたのかもしれません。

現在は、経済の成長速度が著しくGDPは更新し続けておりまもなくアメリカを追い越し世界1位に近づいています。特に広大な土地を持つ中国では、地域での発展もまた極端に著しく最近注目されている深圳では、人類史上最速で成長している都市とも言われます。ここに住む若者は65%、老人は2%しか居らずたった30年で1400万人まで膨れ上がった都市です。

この深圳は経済特区に指定されており中国全土から稼ぎたい一攫千金を目指す夢を持って成功したい若者が押し寄せ、この10年で増えた人口は400万人以上、横浜やロサンゼルスまるごとに匹敵する規模で拡大しています。電気のバスや自動車も当たり前に走り、道ばたで果物を売る老人もスマホを手にしていて、決済はすべて電子決済で行われます。また自転車は大半がシェア自転車で、スマホでロックが解除できるほどになっているともいいます。

ITの分野でも過去の色々な経緯を辿らずに、突然に最先端のテクノロジーを使いこなすようになる。この速度においてもスケールの大きさを感じます。

中国のスケールの大きさとは、この人間の極端な柔軟性であり新しいものに対する受け容れる幅のスケールのことではないかと感じました。好奇心旺盛さは、そのエネルギーの源泉です。中国の成長の凄さを垣間見る気がします。引き続き、明日からの訪問でそのスケールを確かめてみたいと思います。

国の価値観

今週後半から久しぶりに北京に訪問しますが、23年前に留学してから急速に発展したことを肌で感じたいと思います。

中国に最初に訪問した時の印象は、個々のパワーが漲っているという感じがしたのを思い出します。訪問したのは上海でしたが、24時間片時も止まらずビルの工事が進められ、街の区画整理なども大胆に行われていました。日本では、なかなか進まないような調整が難しい工事も人数とアイデアと力技であっという間に無理を通してしまいます。

常識的には考えられないような方法で次々に現実を何とかしてしまう、前例に囚われず失敗を恐れず不可能に挑戦する姿に中国のスケールの大きさを感じたものでした。もちろん一長一短ありますから、それが反って問題になることも多々あるものです。しかし時代の急速な変化の中で、地勢的なチャンスを活かし、マイナスをプラスに転じて、プラスをさらにプラスにしていこうとするエネルギーは現在の中国の発展を支えているように思います。

それぞれの国や民族には、それぞれの歴史があります。私たちが中国と一括りに読んでも、その実態はそれぞれの民族や部族の集合体のようなものです。アメリカも他民族の国家ですが、中国もまた他民族の国家だとも言えます。その中で何度も失敗を繰り返し、多くの人たちがいのちを落とし、このような多民族国家の中で何を頼りにすればいいか、何を信じて立ち回ればいいかをそれぞれが磨いてきたとも言えます。

私たちの日本は、ほとんど同一民族で形成されていますから多民族国家のことはなかなか理解し難い部分もあります。また儒教を中心に、私たちが中国から取り入れた文化と今の中国との印象の違いに驚くことも多いと思います。歴史の中で、私たちが明治の頃に西洋の価値観と日本の価値観を入れ替えたように、中国もまた文化大革命の頃にそれまでの価値観を入れ替えるような出来事が発生しています。

しかし連綿と続いてきた歴史に裏付けされた価値観は多く現在も遺っています。その一つが、「血縁」の強さです。むかしから中国は、血縁者を頼り、子孫を残し、そのつながりによって出世していきました。親族の中で、出世するものがいればそれを頼りそこから大きくしていきます。逆に、権力者や王朝が変われば悉く血の粛清といってその血縁を根絶やしにするほどです。

私たち日本人は血縁よりもムラといった所属する組織や家といったものを重んじる価値観ですが、中国はあくまで血縁中心の価値観が重んじられています。

このように価値観というものは、国家の形成や歴史、地理的環境によって変化しその国のカタチに影響を与えているのです。

引き続き、中国の歴史や文化について改めて見つめ直してみたいと思います。

伝統の価値観

人は体験することではじめて全体で何が起きているのかを理解することができます。いくら頭で知識だけで分かった気になったとしても、それは妄想であり現実の実感は持てないものです。実体験の苦労があってはじめてそのものを直視することができ、そこから直観することができるのです。

例えば、幼い子どもたちにいくら知識でいろいろなことを教えても体験の価値には敵いません。先日の農作業やお米作りでも、自分で田んぼでお米を育ててみてはじめて日ごろから食卓にあがるお米の尊さを自覚するのです。体験には苦労はつきものですが、この若い時の苦労が自分が成長していく過程で先祖から連綿をつながっている伝統の価値観を学ぶことになります。

むかしから自らの実体験によって暮らしを実践し、その暮らしの中から私たちは伝統の智慧を継承してきました。この伝統の智慧は、伝統の価値観を持つことではじめて活かすことができます。伝統の智慧はそのままでは意味がなく、活かすことではじめて意味が出てきますが、その智慧を活かせるようになるには大前提として日本人としての価値観を伝承している必要があるのです。

本来、日本語も同じく伝統の体験を磨いて日本人の価値観を持った人がその言葉を用いればそこに智慧が働きます。自分の価値観は環境や生育によって育まれるものですが、その価値観に先祖から伝来している智慧を習得できるかどうかは世界の中で自分たちのアイデンティティを確立するためにもとても大切なことなのです。

苦労を避けて、楽に便利に汗をかくことをやめた日本人は日本人の価値観を忘れていきます。特に伝統や暮らしが失われ、実践する機会もなければほとんど日本人ではなくなっていくのです。

伝統の価値観は、私たちの「根」であり、根を学ぶことは先祖からの智慧を学び、生き方を伝承し、子孫へと精神を継承していくことです。これは先祖伝来のチカラであり、私たちの先祖が子孫のためにと見守ってきた愛の伝道でもあります。

今の私が此処にあるのは先祖がいのちのリレーをしてくださったからであり、そのバトンを受け継いで走っているのを忘れるのは本末転倒です。

引き続き、子どもたちのために何が遺し譲れるか、本質を見極めながら脚下の実践を積んでいきたいと思います。

本物の暮らし

昨日は、千葉県神崎にある藤崎農場のむかしの田んぼで草取りや伝統衣装の体験をしてきました。日本の民族衣装というものを改めて観てみると、田んぼの景観と相極まってとても色が鮮やかに感じます。今は、洋服で海外からのものばかりを着ていますがそれはその土地のものではありません。

やはり砂漠には砂漠で生まれた民族衣装、北極では北極で生まれた民族衣装、それぞれの地域や文化、生き方や智慧を纏っている衣装を観ると、学ばずして学び、心はその智慧をそのままのカタチで伝承できるようにできているのを知りました。

午後のふり返りの中では、むかしと現代の農業の違いなどについて語り合うことができました。むかしは、農家は生産物として大切に生き物たちの生態系を極力尊重しながら稲を育てていた方が安心し稲の暮らしを守れると信じていました。現代は、農家は工業品として稲を改良し、稲を加工することだけに集中していきます。

日本はむかしからの生産物としては稲だけではなくイ草、葦、萱なども、大切に暮らしの中に取り入れていました。里山に見られるように、すべての自然と一緒になりながら自分たちの分を分けてもらいながら謙虚に「生産」をしてきました。その「生産」をするなかで、活動することで私たちは生産活動としての生活を営みました。今の生活はむしろ加工するのみのものに変化していますからむかしと現代の違いは「暮らし」があるかどうかということになります。ここでの「暮らし」とは何かということです。

例えば、稲を種から育てて収穫しその八十八のプロセスをしっかり体験してみるとそこにはお米ができるまでの背景を知ることができます。今では簡単にコンビニでお金を出してレンジでチンしたり炊飯ジャーに入れれば勝手にできてしまいます。しかしそれで「いただきます」といっても、なにをいただくのかは分からないはずです。

実際に、農家になってお米を生産しているとその苦労や大変さが身に沁みます。そしてそのお米作りの大変さを知れば知るほどに、やってみればみるほどに自ずから「いただきます」の姿勢や心になっていきます。つまりはこのお米を食べるために、どれだけの方々が働いてくださっているのか、それがどれだけ自然の恩恵を受けたのか、そしてなぜ美味しいのかということを感覚で感じるのです。そんなものを教科書で教えたからわかるはずはなく、自分で汗をかいて苦労するからこそそのいただきますの言葉が本物になっていくのです。

私も自然農をはじめてから、自然が育てるものの凄さ、何もしなくてもびっしりと詰まった味や栄養をもっている自然からいただくものの偉大さを身近に感じるようになりました。

無理に肥料や農薬を与えなくても、野菜そのものの持っている力を引き出してあげれば本当に美味しいものができあがっていくことも知りました。愛情深く、見守り、そのものの育つ力に少しだけ手を貸してあげれば育つように育ちます。しかしそれには、熟すための時間と、熟すために必要な熱量や愛情が必要になります。

生きることの根を育てていくというのは、日々の暮らしを大切に生きていくということです。ここでの暮らしは、単に日常的な生活全般のことを言っているのではなく、自分が活かされていることに感謝しながら生きていく暮らしのことです。

自分中心に自分勝手に、自分がやりたいように人間の思い通りになっていく世の中。まるで偉大な人間様になったかようにふるまい、自然を我がもの顔でやりたい放題していますがここに本来の暮らしは一切存在しません。

子どもたちのためにも生き方を見つめ直して本物の暮らしを今一度、後世のためにも考え直す必要があるように思います。本物の生きる歓び、本当の楽しいや人生の仕合せは、むかしからずっと今まで自然や暮らしの中にあったものです。現代につくられた人間中心の妄想の価値観の延長線上の未来は今の都会そのものように仮想空虚の現実しかありません。

引き続き、子どもに遺していき譲っていきたいものを一つ一つ甦生させながら本志本業に専念していきたいと思います。

楽観の境地

先日、広島で人間幸学研究所の和田芳治さんと奥様にお会いするご縁がありました。逆手塾という塾も開催しており、かねてよりお会いしたいと思っていた方の一人です。お話をお聴きしていると、どのお話も本質的で時代が変わっても大事な本筋を見失ってはならないことを随所に語っておられたのが印象的でした。

和田さんは里山の守り人として、里山から本来の人間として生き方やあり方を発信されておられました。一周遅れのトップランナーを自称され、時代が時代ならまさに最先端の取り組みを行っておられます。

そう考えてみると、世の中の主流は大多数の人間が参加している価値観のことで傍流というのは時代の流行に左右されずに本筋や王道に取り組まれている方のことを言うように思います。言い換えるのなら、それが本流というものでしょうが不易と流行がある中で本来の普遍的なことに取り組んでいくというものこそが人間の原点の追求かもしれません。

人間は多様性がありますからそれぞれいろいろな人がいますが、自分の価値観で理解できないものを最初から批判したり非難することは度量が狭いように思います。確かに大勢の価値観の中に入っていくことは安心かもしれませんが、自分で考えて気づいたことや体験した学びを深めていく中で得られた新しい価値観を貫いていくということはなかなかできないものです。

他の人と異なることを信じていく生き方は、正解を求める生き方ではなく仕合せを求める生き方です。正解に安心する世の中か、仕合せに安心する世の中か。本来、人間が尊重されている世の中とはどういうものか、人間が物のようになっていないか、色々と思い当たる話ばかりをしていただきました。

特に印象に残ったものは、「面白がる」というお話です。

今の時代はマジメな人が多すぎて、楽しさを選ぶよりも単に合わせる人の方が増えているといいます。和田さんはなんでも遊び半分だといいます。遊んでいるだけではダメだという人がいますが、本気で遊んでいる人は楽しんでいる。楽しんでいるだけで学んでいないという人もいるけれど、楽しいだけで学んでいるとも言います。

やらされてやるのは楽しくないからこそ、なんでも自ら「面白がる」ことが主体性になっていくともいいます。

これは私の体験からも同様で、なんでも面白がっている人は仕事も生活もすべて楽しくなっていきます。その逆に面白くしない人は、なんでも義務になりなんでもしなければならないというように執着ばかりが増えていきます。

和田さんは、自分が楽しいからこそ周りを楽しくすることができる、自分が我慢して周りを楽しくさせてもそれでは楽しさをわけてあげることができないともいいます。自分がうんと楽しんでいるからこそ、その楽しんだ分を人に与えることができるからともいいます。

まさに、自他一体の楽観の境地です。

和田さんの逆手塾はそんな生き方を学ぶ場所であり私たちのこれからの変化にも欠かせない大切なご縁になりました。これからも引き続き、楽しく学び直していきたいと思います。

 

 

 

美しい言葉

先日、お会いしたある方から永六輔さんとの思い出話をお聴きする機会がありました。永六輔さんは放送作家、エッセイスト、作詞家、随筆家などいろいろと肩書がりますが、実際には「言葉の偉人」だったのではないかと私は感じました。

美しい言葉を記し、そして使える人はその生き方も美しい人です。そして美しさは本質的であったり、自分らしくあったり、深い愛によってさらに磨かれていくように思います。

この私たちが使う「言葉」は何によって磨かれていくかということですが、それは人生体験の質量であることはわかります。自分の実体験を深く掘り下げて、自分が体験から学んだことが使う言葉に顕現してくるからです。

例えば、傷ついたり辛い思いをしたり苦労をした人が似たような境遇にある人に共感して語る「言葉」はその人を救い導く含蓄があります。それは本人が人生で真摯に向き合って心を痛めたからこそその痛みが分かる人になるのです。

純粋な心を持っている人は、その純粋な心がむき出しになっていますからその分、無造作に傷つき痛むものです。しかしその心の傷や痛みを持ったまま前に歩んでいく人はその純粋性が磨かれてその人の深い魅力が輝いていくものです。

人間はどれだけ自分のこととしすべての物事を捉え、体験していくかで他人事ではなくなります。そうやって体験したことを一つの言葉にしていく、言葉に籠めていくことではじめて心が言葉になります。音楽にある詩や歌には、その「言葉」を伝える力があるようにも思います。

その言葉は、その人が大事にしてきたもの、大切だと思っていることが入っています。だからこそ、何が大切か、何が大事かといつも自分から発する言葉を大切に遣っていくことが重要なのかもしれません。

永六輔さんの遺した詩や言葉は、今でもたくさんの人たちの心支えになっているように思いました。

最後にいくつかその言葉を紹介します。

「自分が傷つかないで、怒ったり、叱ったりする人がいるけど、自分も傷ついて説得力がつくんです。」

「目を見つめて、一緒に笑い、一緒に泣く気持ちがないなら、他人の話を聞かないで」

「生きているということは、誰かに借りをつくること。 生きていくということは、その借りを返してゆくこと。 誰かに借りたら誰かに返そう。 誰かにそうして貰ったように、誰かにそうしてあげよう。」

「叱ってくれる人がいなくなったら、探してでも見つけなさい 」

「他人のことが気になるのは、自分が一生懸命にやっていないから」

「人の死は二度ある。 最初の死は、肉体の死。 でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。 最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。 そう僕は思っています。」

私も言葉を大切にして、永六輔さんのように生きる体験を真摯に味わい、人々の心の痛みがわかる自分らしい言葉で記憶に遺るような生き方を目指していきたいと思います。

椽の下の舞~縁の下の力持ち~

諺に「縁の下の力持ち」というものがあります。これは語源の由来を調べると、聖徳太子が建立した大阪の四天王寺の経供養で披露された「椽(えん)の下の舞」だといいます。

この「椽(えん)の下の舞」は昭和40年代になるまでずっと非公開で行われてきた秘事です。観客が一切見ていないにも関わらず、舞い手は努力して舞の練習をし舞い続けたのです。ここから陰で努力することや苦労することを指す言葉になったといいます。 その後は、時代の流れで言葉の意味を分かりやすくするために、「椽の下」を同じ発音の「縁の下」となり「舞」は「力持ち」に変化したとあります。

この「椽の下」の「椽」とは何か、これは訓読みで「たるき」と読め、屋根板を支えて棟から軒に渡す部材「垂木」のことを指しています。この垂木は最近、聴福庵の「離れ」の瓦葺きのときに屋根瓦を支えるために大事な役目を果たしていた印象深かったものです。この椽の下は、単に庭先にある縁側の下を支える木ではなく屋根や重い瓦を支える重要な「垂木」なのです。「えん」という字を椽から縁にしたことで、庭先に出ている縁側のイメージがついてしまいますが本来は家の屋根を守る垂木だと思うとその意味が違って感じられます。また「舞」のことを力持ちとされていますが、本来の伝統的な舞は「祈りや供養」のことを指していました。

「椽の下の舞」は、つまりは「人々のために人知れず祈り見守り続けていた存在」を知ったということかもしれません。

私たちは自分を中心に物事を考えて、自分の都合で目に見えるものを中心に解釈していくものです。しかしその自分を支えてくださっている存在に目を向けてみると、本当に多くの偉大な御蔭様によって見守られていることに気づきます。

私たちが雨や風や天災、災害から守ってくれているのは屋根です。その屋根があるから安心して私たちはその中で暮らしを営んでいくことができます。屋根がある安心感、屋根のある暮らしは、その屋根を支えてくれる「椽(えん)のチカラ」の御蔭様なのです。

いつまでもその屋根が家の中の人たちを守り続けるようにと祈り、むかしの大工たちが屋根の上には神様がいるとして屋根神様や七福神や鍾馗様、鬼瓦などで様々ないのりを祀ってきました。

四天王寺は聖徳太子が建立していますが、聖徳太子は民間信仰では大工の祖とされます。国家という家を形成するうえで、何が最も大切なのかということを理念として永らく密かに「椽(えん)の下の舞」を執り行われてきたのです。聖徳太子の「屋根を支えよ、そして祈りつづけよ」という初心を忘れてはならないという伝承を感じます。

「縁の下の力持ち」は、現代ではいろいろな使い方をされますがその本質を忘れはならないように思います。屋根がない家は家ではなく、屋根の存在を忘れて人は安心することはないということです。家の中心に屋根があること、安心して民が暮らしていける存在になることを祈り続けたのかもしれません。心を大切に守り祈り続けてきた大和の先人たちの智慧や真心に感謝の気持ちがこみあげてきます。

私も初心を忘れず、「椽の下の舞」を実践していきたいと思います。