無名の信仰

古民家甦生を通して信仰について深めていると、改めて官位や名がなく実践される尊さについて見直すことばかりです。今では、職業として様々なことが分かれている時代でもあります。

例えば、福祉や宗教、ボランティアや医療など職業によって区分されています。本人の生き方がどうこうではなく、こういう職業の人だと分類わけされて整理されます。なのでなぜこの人は社長なのにこんなことをするのかとか、なぜ農家なのに漁師のようなことをするのかとか、宗教者なのになぜあんなことをするのかと、職業の方ばかりを見てはその人の生き方の方はなおざりになっていることが多いのです。

世の中のニュースをみても、その人の生き方がどうかが語られず、この職業の人がまさかこんなことをというように分類分けされた職業やその人の官位によって分別されてその内容を報道されます。

本来、生き方と働き方は分かれているものではありません。それは職業である前に、生業であります。つまりはその人の生き方が職業になっているのが本来であり、先ほどの信仰の例でいえば宗教が先にあって信仰があったのではなく、信仰そのものがあるとき職業として宗教というものに分別されたということです。

かつての天神信仰や愛宕信仰、山岳信仰など信仰と名のつくものはすべて無名の信心の上に成り立っています。先日の参拝しながらお地蔵さんに榊や水替えをしながらお参りをする清々しかった方のように信心をする人たちの他力によってその信仰はいつまでも守られていくのです。

そしてこれもまた道の一つです。

民藝運動の指導者、柳宗悦氏が無銘の陶器について語った言葉がありますが私はこれもまた信仰の姿の顕れのように感じます。

「無銘品はごく平凡な人たちの仕事であるから、もしそこに美しさがあるとすると、それは個人の力から湧き出たいわゆる自力の美ではなく、大勢の人たちが愛情を通わせ支えてきたといういわば他力の美に他ならない。何か人を超えた力が背後に働いて作品を美しくさせているのである」

・・・大勢の人たちが愛情を通わせて支えてきたという他力の美。

まさに私は信仰にはこれを感じずにはおれません。天神信仰についても、産業革命以前は全国各地で人々の間で土人形がつくられ毎月25日は天神さまをお祀りする日として親しまれてきました。人々の愛情を通させてきたからこそ信仰は育まれたのです。

そして、「何か人を超えた力が背後に働いて作品を美しくさせる」という言葉。

まさにその御蔭様の力によっていつまでもそのものが神々しくいのちを宿らせ輝かせ続けるということです。神社の境内を清掃したり、古民家の手入れを愛情をもって行うなかでそのものが神々しく清々しく光輝く様子を何回も見てきました。

その都度、私は人が真心と愛情をこめて無我に磨いたものにはそこに本来宿っいたものが甦生するという感覚が出てくるのです。このいのちを磨くということは、信仰の原点であり、そこに真心を盡して実践することでさらにその徳が高まっていくのです。

私は無名ですし、何の官位も持っていません。

しかし信仰についての思いは心の中にあり、その御蔭様の偉大さにいつも心は見守られている実感があります。世の中の刷り込みを取り払い、本来の原点、その初心伝承を究めて伝承していきたいと思います。

煤竹の伝承

現在、おくどさんのある厨房の天井に時代ものの煤竹を磨き直して設置しています。最近の家屋ではほとんど見かけなくなりましたが、本来この煤竹は私たちの先祖が編み出した偉大な智慧の一つです。

普通の竹は、そのままにしていればすぐに乾燥して割れて朽ちていきますが煤竹にすると百年から数百年、生き続けて形を維持します。煤竹についてはウィキペディアにはこう紹介されます。

「煤竹(すすだけ)とは、古い藁葺き屋根民家の屋根裏や天井からとれる竹のこと。100年から200年以上という永い年月をかけ、囲炉裏の煙で燻されて自然についた独特の茶褐色や飴色に変色しているのが特徴。煙が直接当たっている部分は色濃く変色しているが、縄などが巻かれて直接煙が当たらなかった部分は変色が薄く、ゆえに1本の竹に濃淡が出て美しい表情をもつ。昨今は煤竹そのものの数が希少傾向にあり、価格は1本で数十万円以上することも普通である。」

今回の煤竹は、富山県のある藁葺きの数百年前の古民家から譲っていただいたものです。この飴色になった煤竹は、囲炉裏を中心に代々の家族が食卓を囲み、そこで様々に暮らす人々の物語の様子を見守りながら生きてきたものです。

私たちよりも数倍以上長く存在する煤竹の光や模様からは、改めて息づいてきた時代を感じさせその煤竹を天井に設えれば不思議な空間を演出してくれます。

この煤竹は、他には工芸品に形を変えて暮らしの道具にもなります。私が常備している煤竹の箸や、聴福庵に置いてある炭斗や花かごなども煤竹が加工されたものです。虫にも食べられず丈夫で、そしてうっとりする美しい光を放ち何よりも長持ちします。

囲炉裏を使い燻し続けた先人の智慧は、とても偉大で高温多湿の厳しい環境下にあった日本の民家はこの「燻す」ことで長持ちするのです。風を通すため隙間の多い日本家屋は、敢えて外と中の境界を創らずに自然のままに建てられます。だから虫が入ってくるし、またカビなども発生しやすいので燻すことをやめればすぐに傷んでしまうのです。

しかしこの煤竹のように囲炉裏の火で燻していけば何年も、また何百年も家が酸化せずにカビの増殖を防ぎ、防虫効果、さらに病原菌からも防護できます。まさに風土に沿った偉大な仕組みがこの煤竹に適応されているのです。

煤竹の甦生は、日本の智慧を甦生することでもあり、時代感のあるこの煤竹がおくどさんの部屋の天井にあることで一気に古民家の風合いがよくなります。長く共に暮らしてきたパートナーがまた新たに私たちの食卓を見守ってくれるという安心感。

子どもたちがいつの日かこのおくどさんで食事をするときもまたこの煤竹が見守ってくれると思うと有難い思いがします。古民家が少なくなってきた現代はこの囲炉裏で燻された時代感のある懐かしい煤竹を見かけることも少なくなりました。

引き続き子どもたちに先祖の智慧が途切れないように、一つ一つ丁寧に復古創新していきたいと思います。

家主の文化

昨日、京都の祇園祭を見学するご縁をいただきました。日本三大祭りの一つといわれるこの祇園祭は京都市東山区の八坂神社のお祭です。京都の夏の風物詩でもあり、7月1日から1か月にわたって行われ中でも「宵山」や32基による「山鉾巡行」「神輿渡御」などが有名です。

今回は、私が古民家甦生や町家主人としての心構えを学んでいる秦家の宵宮にお伺いするために京都に来ました。秦家の前には、とても美しい太子町の山鉾がご鎮座し神々しい雰囲気が醸し出されていました。

秦家のHPにはこう紹介されます。

『7月、鉾の辻を静かに流れる祇園囃子の音色を鉾町に住まう私たちは親しみを込めて「二階囃子」と呼んで山鉾の巨体が通りに現れるのを心待ちにします。太子山町は鉾町では一番西の端に位置している「太子山」という「山」の出るお町内です。ここに住んでいる家々は皆八坂神社の氏子。祭りの期間中は仕事を休んでも祭りに関わることを優先する心意気は今も健在です。』

伝統的な町家でもある秦家の玄関先には、時代感のある朱の提灯と和傘、そして格子戸の隙間からはかつての店先に荘厳な祭壇がしつらえてあり、そのお飾りを多くの観光客の方が行列をつくって見学に来られていました。

この日の秦家の自然体で凛とした品のある風情にいつも以上に私は魂が揺さぶられました。夏のしつらえとしての御庭と御簾、葦戸もまた町家の美点を最大限に引き出されている感じがして日本家屋の魅力に再び気づき直した思いです。

いつもここに来るとその佇まいの凛とする様子に、歴が精神に溶け込んでいく思いがします。時間と空間というもの、これも「間」といいますがこの間には一体何が入っているかということです。

現代はすぐに物事を分解して理解したり、便利な知識で分かった気になりますがこの「間」というものを感じる感性は、丸ごとで味わったり、直観したり、根本や一つであるところで実感するものです。

秦家の持つ凛とした佇まいは、単なる家ではなく代々の主人の生き方が顕れている気がして私がここに来るといつも勇気と元気をもらえます。

世界中のどの民族もその歴史の中で、先祖が経験した体験を智慧として子孫へと伝承され見守りの中で私たちは暮らしを営んできました。先祖が命懸けで実体験した実験から得た教訓や学びを教えずして智慧として子孫はその恩恵を受けて見守られ今も生をつないできたともいえます。

その智慧は代々文化として、暮らしを通して伝承されてきました。しかし今では、その先祖との根のつながりが失われ智慧が継承されにくくなってきています。日本は特にこの暮らしの智慧が豊富で、その文化を通して何をやってはならないか、何をしなければならないかを常に教えずにして教えるという仕組みがあったのです。

それを忘れてはならぬと先祖の厳しい回訓がありそれを守ってきたのが代々の一家の主人であったのです。家訓とはそういうものであると私は思います。私がここ秦家で学び直しているのはその家主の魂、家主の智慧、家主の文化そのものなのです。

引き続き、子どもたちのためにも暮らしを学び直して次世代へと先祖の智慧を譲り渡していきたいと思います。

 

 

信仰のかたち

天神祭に向けて菅原道真公のことを深めていますが時代の変遷と伝承を通してその天神信仰のかたちができてきているように感じます。菅原道真公がお亡くなりになってからすぐに天満大自在天神として祀られてから現代にいたるまで約1100年間、天神様として子孫を見守り続けている人物として奉られています。

神社に祀られる切っ掛けになったのは道真公がお亡くなりになった後、平安京で雷、疫病、大火などの天変地異が相次ぎ、清涼殿落雷事件などもあり、雷の神である天神と関連付けて考えられるようになったといいます。そして「天満」の名は、道真公が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、「道真公の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来だといいます。

この道真公の怨霊が雷神になり、それが天に満ちたというとなんだか恐ろしい感じがしますが私はこれは個人としての菅原道真公のことを指してはいないように思います。怨念や怨霊というのは、何かしらの恨みをもって生きているものの念や霊が影響を与えることをいいますが、菅原道真公自身はというと大宰府に左遷されたあとも、無実の罪をきせられ改革がもう少しのところで頓挫するのは無念ではありましたが国家安寧を祈り、苦しい暮らしの中でも平常心を失わず学問を実践し続け修養し続けたといいます。

その証拠に左遷後も優れた漢詩をいくつも残し、この時期に大宰府で詠まれた詩は「菅家後集」三十八首にまとめられているといいます。彼は無実を叫びつつも天皇への忠誠を心の支えとして栄華の日々を懐かしみ、荘子や仏道の教えを学び続けました。流罪になった年の九月十日に一年前の内宴で天皇に詩を献じて御衣を拝領した事を回想し、詠んだ「九月十日」という詩は有名です。

去年今夜侍清涼  去年の今夜 清涼に侍す
秋思詩篇独断腸  秋思の詩篇 独り腸を断つ
恩賜御衣今在此  恩賜の御衣 今ここに在り
捧持毎日拝余香  捧持して毎日 余香を拝す

意訳ですが「昨年の今夜は清涼殿での内宴に侍し、「秋思」の題で詩を賦したが、今はただ一人断腸の思いです。天皇陛下から賜った衣服は今ここにあり、これを捧げ持って日々残り香を仰いでこれを拝んでおります。」と。

無実の罪を着せられ一族郎党みな悲惨な目に遭い、それでもただ一筋に天への忠義に生きるというのは、その後に現れる楠木正成や吉田松陰などにも似ています。そしてその誰もが今では湊川神社、松陰神社になって人々に祀られています。

つまり菅原道真公の怨念や怨霊ではなく、民のために天皇陛下のために国民国家に真心を盡したような素直で立派な人物に罪に着せて酷いことをするということに人々が怨念を持ったのだと思います。人々の政治に対する不信や不満が、その後、厄災があるたびにこの正直ではない出来事が脳裏に浮かび、また心に引っかかり、いつまでもそれが政治不信として世の中の人々の怨嗟を呼んだのかもしれません。

その怨嗟を鎮めるために、菅原道真公の罪を赦し、さらには神格を与えて祀ることで民衆の怨嗟を和らげようとしたのではないかと私は思います。つまり菅原道真公の怨霊ではなく、民衆の怨嗟が怨念や怨霊になったということです。

その後、その怨嗟が消えてからは慈悲の神、正直の神、冤罪を晴らす神、和歌・連歌など芸能の神、現世の長寿と来世の極楽往生に導く神、子どもを見守る神、そして現代では学問の神として崇め奉られています。

日本人はこのように素晴らしい人物や、大義に生きる人の伝説を語り継ぐことによって政治として何が大切かということを教えずにして教えていきます。伝承というのは、信仰をつなぐ役割があり、私たちの生き方として何のために学問をするのか、何のために生きるのかということの本質を導くものです。

引き続き天神祭に向けて、ご縁と直観を感じながら信仰のかたちを見極めていきたいと思います。

 

時の旅人

古いもの、いにしえのものに触れていると心が懐かしく感じるものです。フランス語でノスタルジーといういい方もしますが、これは「故郷や過ぎ去った時代を懐かしむ気持ち」という意味です。 日本語では「望郷(ぼうきょう)」や「郷愁(きょうしゅう)」といいます。

この時代を懐かしむというのは、歴史を感じる心です。

私たちははじまりの親祖から今にいたるまで、長い年月の歴史を生き継いで受け継いでここまで来ました。長い年月、どのように暮らしてきたか、また古代からの仕合せ、自然と親しみ平和な日々を歩んだことをいつまでも心に覚えているものです。

幼少期の記憶は、人類の初心のころの記憶であり純粋無垢に生きてきたころのことを懐かしく感じるように私は思います。

今の時代は、IT化も落ち着いてきてそろそろAI化といって人工知能との共存が急速に発展していく時代です。もう10年もすれば、世の中はほとんどAIによって塗り替えられてしまっているでしょう。どんどん古いものが失われ、新しいものばかりが出てくる世の中ですが私たちの心や魂が時代に追いついていくにはもう少し時間が必要のように思います。

私たちが懐かしいと感じるとき、私たちは時を旅します。

古民家甦生を通して、様々な時代のものに触れていますがその道具を一つ一つ手入れをして磨いていると時が甦ってきます。そのものの持つ時代が懐かしく感じられるとき、わたしたちは時の旅人になっているのです。

歴史は知識で学ぶものではありません、歴史は時を旅して学ぶものです。その旅を共にすることにより、懐かしさを感じるとき人は魂が揺さぶられます。そして魂が故郷に帰るのです。

時代の過渡期、この潮目がまた変化する節目だからこそ改めて子どもたちのために何を譲り遺していけばいいのかを思います。引き続き、初心を守り初志を貫徹していきたいと思います。

 

一休み

先日、久しぶりにアニメの漫画の一休さんを見る機会がありました。私の幼いころのアニメとしては馴染み深く、頓智を使って次々に難問を解決していく一休さんに憧れたこともありました。

その一休さんの代表的なコピーに、「慌てない慌てない、一休み一休み」というものがあります。これも今でも心に残っていて、今思えばとても深い教えを幼いころの意識に触れていたように思います。

この「慌」てるという字は、心が荒れると書きます。意味は、落ち着きを失う、驚きうろたえる、平常心でいられないという意味です。心は日ごろは穏やかですが、何かに囚われて執着すると心が穏やかでいられなくなり落ち着かなくなります。こういう時は、判断能力を見失い感情に呑まれたりして、平素の本来の自分でいることができなくなるものです。

一休さんが、慌てない慌てない、一休み一休みという文言は、焦らずに穏やかにいつもの通りに冷静に一呼吸置いて取り組むという姿勢を自分自身で言い聞かせていたように思います。

心がざわつくのは、何か自分の中で妄想が膨らんだり、将来の不安を感じたり、過去の嫌な体験を思い出したり、トラウマや劣等感など、様々な感情が沸き立ってくるからです。ネガティブな感情が沸けば慌ててしまい、焦ったり、急いだり、結果ばかりが気になるものです。

そういうときこそ、この「一休み」の価値があるように思います。

私たちが取り組んでいる活動の一つに致知出版社が広めている木鶏会というものがあります。この木鶏というのは、荘子(達生篇)に収められている故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態をさします。つまりは不動の境地を持った状態ということです。

何かあればすぐに心を動かされるというのは日々の鍛錬が足りないように思います。そういう時にはいつもこの慌てない慌てない一休み一休みと、心を無にして何事にも執着せずにお気楽にポジティブに過ごしていくことです。

禍転じて福にする、人間万事塞翁が馬と、物事の善い方へと転じていこうとする実践が一休み一休みということかもしれません。物事は自分にとって大変なことのように思えても、自分の思ってもいないところで偉大な運命が働いていたりするものです。

天を丸ごと信じて歩んでいく心が、この不動心を育むように思います。

引き続き、木鶏を目指して日々に一休みしながら実践していきたいと思います。

先祖に生きること

子ども第一義の理念で、子どもの仕事をしているのになぜ自然農や古民家甦生などをやるのかと聞かれることがあります。子どもという言葉の定義も、大人と子どもという時の子どもという意味で使っているのではなく、子どもを童心といった赤心のままや初心という意味で私は用いています。

その時、子どもをことを深めていけばいくほどに祖先や祖霊、先祖とつながるのは自明の理であるのです。今の私たちがこうやって暮らしているのは、先祖があったからに他なりません。その先祖が一人でも欠ければ自分はなく、その時代時代に先祖の生き方が私たちの長所や短所になって今の私を形成しています。

つまり自分は自分であって自分ではなく、先祖の一部でありその一部は子孫の一部になるということです。だからこそ自分のことだけを考えるのではなく、子どもたちに譲られていくものが自分のいのちだからこそ修養や修身をもって子孫のために今この時を精進していかなければならないと思います。

「星の王子様」を記したサン・テグジュペリに「地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ。」という言葉があります。またネイティブ・アメリカンの格言に「土地は先祖からの授かりものではなく、子どもたちからの預かりもの。」という言葉もあります。

私たちが先祖のことを思うとき、この今のことを振り返ります。するとこの今は、まさに子どもたちの未来になるのだから子どもたちからこの世代を預かっているだけなのです。この預かったもの、借りたものを利子を増やして返却するのならまだしも借金を続けたうえに全てを消費し浪費してしまったら返せるものもありません。

今の私たちが裕福に豊かに暮らせるのは、すべてご先祖の皆様の丹精によるものです。その利子を少しずつ貯めたものを私たちは切り崩して暮らしているのです。それを自分のことしか考えず目先の欲のみに囚われ使い切るばかりで、それを貯めようと遺そうとしなければ必ず未来の子どもたちがそのツケを払わなくてはならなくなります。

幸田露伴に、「分福」「惜福」「植福」とありますが、この幸福の三福を先祖が代々続けてくださったからこそ今の自分がここで生きているということです。

つまりは子どもの仕事をするということは先祖の偉業を偲び、その祖先や祖霊を省み先祖から学び、先祖として子どものために生きるということなのです。子どもたちの仕事の本質は畢竟、先祖の生き方を伝承し、改善すべきは改善し、少しでも子どもたちのために福を増やしていこうとする一生に生きることです。そして子ども第一義の理念は、「古を愛する心」と共にあります。

引き続き、子どもたちのためにも先祖への恩恵を忘れず今あることに感謝し、初心伝承を積み重ねていきたいと思います。

梅の徳1 ~天神祭に向けて~

郷里にある天満宮の天神祭の甦生に向けて、菅原道真公をお祀りするために準備をしていると梅があちこちで出てきます。この梅は、菅原道真公が愛した木であり天神信仰にも深くつながっているといいます。

この梅の木は、日本のものではなく奈良時代に中国から渡来してきたものです。梅は別名「好文木」と呼ばれます。出典は『東見記』といい、晋の武帝が学問に励むと梅の花は咲き、学問をやめると開かなかったという故事からこの呼び名が付いたという言い伝えです。学問と梅の木は、菅原道真公そのものを顕しているともいえます。

また子どもを見守るという意味でも、梅という字は梅の字の「毎」は、髷を結った母を描いた文字でできています。母のように多くの実をつくり、安産を助ける木と言う意味も顕したといいます。

寒さが最も厳しい頃にどの花よりもさきがけて香り高く咲き誇ることから、歳寒三友の松竹梅の一つでおめでたい木とされています。梅の徳はどんな厳しい状況で苦しい環境下でも笑顔を絶やさずに明るくいるという意味でもあります。また高潔な美しさを君子の姿にたとえた「四君子(しくんし)」(梅・菊・蘭・竹)として、 清楚な美しさの画材とされる「三清(さんせい)」(梅・竹・水仙)などの呼称もあります。

つまり梅は、その梅が持つ気高さや清らかさが菅原道真公の御姿そのものであったように感じたからこそ今でも梅と一緒に祀られているのではないかと私は思います。

花も実もある梅の木は、その上品で気高い高貴な生き方として私たち人間の道を示します。

また日本古典文学の研究の権威でアメリカ人のアイヴァン・モリスが「高貴なる敗北」の前書きでこう述べます。

「日本では、人が気高い理由のため、正しきことのため、事をなすのなら、たとえそれが失敗に終わっても、人は尊敬されるべきだと考えられている」

真心や誠を尽くす人は、たとえそれが不遇であったとしても天が見ているとしてその後も私たちの子孫を見守ってくださっていると感じたのではないかと私は思います。大義に生きる人や、忠義に生きる人は、自分の保身などを考えておらず身を捨てて人々のために誠を尽くしていきます。

その生き方は高貴であり、気高く、気品に満ちたものです。この生き方としての美しさの象徴である梅の木は、人々が苦労の中でどのように生きていけばいいか、苦難の中でもどう美しく生きればいいかという姿勢として長く親しまれてきたのかもしれません。

引き続き、天神祭に向けて様々なことを学び直し深め続けて甦生させていきたいと思います。

磨き合い~徳を積む~

人は磨き合うことで、お互いを活かしあうことができます。現代は競争社会といわれますが、それを他人との比較の中で優劣を決めて平均を割り出し誰かを裁くような競争ではなくそれぞれが自分自身を見つめ心を高め、徳を磨くような競争であれば世の中はより安心した豊かなものになっていくように思います。

「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し」というのは切磋琢磨の意味ですが、常に心の磨き合いより徳を高めるような日々の錬磨はその人の人格を研ぎ澄ませていきます。

常岡一郎さんにこういう言葉が遺っています。

「いつまでも消えない希望、それはひとりひとりの人間が自分を正しく知ることである。自分をみがくことである。鍛えることである。向上させることである。徳高く、人格清く、心豊かな人になりたい。この願いは一切の苦難をたのしく超えさせる力となる。苦しみも磨きの恩師と思える。自分はつねに自分と共にいる。夜中でもよい。自分ひとりで本が読める。早朝に起きる。これもたのしめる。お互いに自らのみがき合いを競争する。勉学に、修養に、健康の道に、こんな希望の集団をつくる。それが美しい社会の基本となる。」

すべてのことを磨く機会にするという考え方はまさに切磋琢磨であろうと思います。苦難があればそれを磨く機会にし、歓びもまた、仕合せもまた、すべてを磨くためにあるとする。

体験そのものが自分を形成していきますから、どんなことをもって自分を磨こうかと常に機会を砥石にして内省していればすべてのご縁によって磨きがかかってきます。そしてそれを行う人たちが増えていけば、自ずから磨き合いができるようになってきます。

人によりここで磨き方も異なりますし、磨かれ方も異なります。その人たちと触れ合うことで自分の磨き方を修正し、さらに磨き方が見事な人の真似をし高めていくことができます。尊敬し合う関係の中で、人はより一層磨きがかかります。

どんな磨き方にせよ、磨くことが尊いという境地。

磨き合いというのは、その境地の中に存在しているように私は思います。この世に生まれてきた以上、磨き合うことは生きる意味でもあります。その生きる意味を学び、日々に心魂を磨いていけば一期一会の日々を暮らしていくことができます。

常岡さんが言う、「自分を正しく知る=自分を磨くことである」はまさに箴言です。もっとも一番身近にいる自分のことがわからないのが人間ですから、自分の心と向き合って自分を知りながら己に克っていければ自己を調和し、周囲とも調和していけるように思います。

引き続き、磨き合い徳を積めるように精進していきたいと思います。

 

 

馬鹿になる生き方~正直者~

正直者が馬鹿を見るという諺があります。これは辞書では「悪賢い者がずるく立ち回って得をするのに反し、正直な者はかえってひどい目にあう。世の中が乱れて、正しい事がなかなか通らないことをいう。正直者が損をする。 」(大辞林)と書いています。

しかしこの正直とは、損得でみてもどれくらい長いスパンで物事を観るかでその質も変わってくるように思います。例えば、短期的にみれば正直でいたことがいつも損のように思えるものでも長期的に見れば正直でいることの方が得をしていたりします。また損得だけをみれば人生で正直者は損をしているように見えていても、正直な人は周りから慕われ晩年には多くの人たちから親切にされて大事にされることもあります。結局、損か得かを基準にしたときの正直だといえば、損をする人を正直者といいたいのでしょう。つまり世の中が乱れ不徳の時代に出てくる諺ということです。

本来の正直さというのは、昔はお天道様に恥じない生き方のことをいいました。これを誠とも書き、日本人の生き方の美徳として大事にされてきました。「お天道様が見ている」と幼少期には祖父母から素直であれと叱られ、自分に嘘をつかないように、他人に嘘をつかないようにと自分を大切にすることを教わりました。ここでは嘘をつくかつかないかというよりは、一生を通して天に恥じないように自分を修め、磨き続けることに価値があると言ったのです。

例えば正直を磨くというのは、掃除に似ています。日々に汚れたり、日々にけがれたり、怠け心が出てきては日々に塵や埃が溜まってきます。それをそのままにせず、毎日丁寧に掃除をして祓い清めて洗い流して磨いて綺麗にしていく。そういうことを続けていくことが、正直にやっていくということです。これを怠り、その場しのぎで誤魔化しても塵も埃もたまっていきますからそれをいつかは片付けなければなりません。そうなって全部、散らかしっぱなしてどうしようもないと放り投げて他所にいく生き方をすれば周囲に大きな迷惑をかけてしまいます。自分で蒔いた種は自分に戻ってきますから、日々にどんな種を蒔いているのかを自覚するのもまた正直さの実践のようにも思います。

正直という嘘をつかないという実践は、単に誰かに対して嘘がなければいいのではなく日々に自分の心を手入れして誠に恥じないか、真心を尽くしたかと、内省し綺麗に掃除を続けていくことに似ているのです。そういう正直な暮らしを行う人が馬鹿をみることはなく、丹誠を籠めた真心の暮らしによって人生が磨かれ豊かになります。自分を高めて人格を磨いていくことは馬鹿なことではなく尊いことだと感じます。

まるで太陽のように清々しくそのお天道様のような心で生きていこうとするのは、自分を活かし、周囲のいのちを育み見守ってくださっている御蔭様の存在を忘れず常に感謝で生きる存在になるということです。これは人間として傲慢になるのではなく、自然のいのちと同様に謙虚に太陽の元、周りを活かし共生しながら真摯に自分の生を生き切るということでもあります。

時代が個人の損得ばかりを優先し正直さの意味もその言葉の定義も変わってしまった現代社會においては、正直さというのはあまり良いことではないと思われてしまっているものもありますが古来からある正直さは私たちの先祖が大切にしてきた真心の生き方です。自分を中心に損か得ばかりを計算して保身ばかりに走るのではなく、自分の日々の怠け心に喝を入れて自分の我に打ち克ち損得度外視で真心を尽くす実践で自分を修め磨き続けていく正直者になっていくことは敢えて馬鹿になる生き方を選ぶということかもしれません。

引き続き、日々に馬鹿になって愚直に心の手入れを怠らずに歩んでいきたいと思います。