空氣の本質~元氣な暮らし~

人間は空調に慣れてしまうと空気の流れや新鮮さなどを感じなくなりますが、むかしの古民家に住んでみると風が縦に流れているのを感じ澱みのない新鮮な空気の美味しさを味わえるものです。家の中では囲炉裏をはじめ、火鉢などを炭を熾してお茶を飲みますがその空気も床下から天井の屋根へと流れていく空気によって常に浄化されていきます。

以前、新潟のとある古民家宿泊施設に泊まったときそこは空調設備が整い現代のサッシの窓で厳重に閉め切られていたのですが、囲炉裏で火を熾したらすぐに一酸化炭素中毒の症状が出たことがありました。現代の住宅では危ないからと決して閉め切ることがないのですがつい古民家だから大丈夫だろうと安心していたのが原因でした。古い家でも、現代風になっているところは空気が循環していないのだなと改めてむかしの家の智慧を感じる善い体験になりました。

人間は空気を吸っていかなければ生きてはいけません。空気の中から水分を吸収したり、目には観えない様々ないのちのエネルギーを得ています。森林浴なども空気の中に入っている様々なものを吸収して心身ともに癒されていくのです。その空気が環境汚染によって汚れており、都市ではなお空気は汚れますから健康を害しているのは当然とも言えます。

以前、「医師が薦める本物の健康住宅」という記事を読んだことがあります。そこに小児科医の真弓定男院長の記事に「食事と空気を昔に戻せば、子どもはみんな元気になる」というものが書かれていました。

「特に、みなさんが普段何気なく吸っている空気の問題は重要です。何より気をつけないといけないのは、冷暖房で温度調節された空気です。人間は25日間、何も食べなくても水さえあれば生きていけます。その水も5日間程度なら飲まなくても大丈夫。でも、5分間呼吸をしなければあっという間に死んでしまいます。それほど空気は大切なものです。ところが、この空気をおざなりにしている人が非常に多いのです。
町中の空気より、自然な空気のほうが体にいいことは誰でも知っていること。それなのに、冷暖房や加湿器を効かせた室内で、一年中同じ温度、湿度の中にいるのは、あまりにも不自然だとは思いませんか?体には、もともと温度調整機能が備わっています。気温が高ければ自動的に毛穴を開いて汗を出し、逆に気温が低ければ毛穴を閉じて体を震わせ、熱を生み出す。そうやって体温を一定に保っているにもかかわらず、機械によって体の状態を保とうとすれば、体本来の機能が失われていくのは当たり前です。」

現在、東京では総合空調のビルの中で一日を過ごすことがあります。田舎で自然農や古民家で暮らしているなかで都会の生活に戻るとあっという間に皮膚や疲れが溜まっていくのを感じます。もちろん、病院の入院のように病気の時は回復に役立つのですが健康な時にはかえって不健康になるという具合に体温調節の機能などが働かなくなるのを自分の体験からも感じます。

田舎での体の活き活きした強さは、自然の中で五感が働き躍動することで得られる元氣です。都会は体はあまり使わず、頭ばかりを使うので五感よりも脳さえ動けばいいのかもしれません。しかしその脳も、便利すぎる都会の生活の中で空気や電磁波、食事によって働きが減退しているのも感じます。

さらに真弓先生は、「本来、外気と室内の温度差は、5℃以上あってはいけません。できるだけ外と近い空気を吸う。冬でも薄着の習慣をつける。それが子どもの健康を守る大事な秘訣です。」といいます。

自分の体をあまり甘やかさずに、少し厳しくすることで本来備わっている力を発揮させるようにする。健康を守るというのは、今の時代では環境に甘えずに自律して自立する生活習慣を身に着けるということかもしれません。

最後に、「本物の家」についてこう語られています。

「通気性のいい家とは、家の中の風が縦に吹く家のこと。昔はどの家にも必ず縁の下がありましたが、床下の空気が畳を通して1階に上がり、格子状の天井を通して2階へ行き、その空気が瓦屋根を通って外へ行く。昔ながらの木造旅館などがそのいいお手本です。すぐに新しい家を建てることができないという方は、窓を開ける習慣をつけましょう。外の空気となじませるだけでも違います。建物の空気を大事にすれば、健康面だけでなく、心ものびのび育つはずですよ。」

むかしの家にすれば、本物の家になるという言葉はまさに本質だと思います。

先人たちは、この土地の風土の中で私たちよりもずっと長い間、暮らしを営んできました。その中で得た住宅や家の智慧は、私たちが健やかに安心して健康に生きていくために創意工夫された努力の結晶とも言えます。

それを外来の異なる風土から入ってきた建物や家に住み、その翳った分を加工して乗り越えるのもそろそろ限界に来ているように思います。環境汚染が進み、気候変動やあらゆる資源が激減する中で、そんな遠くない未来に私たちは便利さや快適さを見直してでも健康で長生きし、安らかに豊かに暮らす方を選択することになると思います。

その時のためにも、先人の智慧を伝承することは今の時代を生きる世代の大切な使命です。引き続き、子ども第一義を実践し「本物」を譲り遺すために自立と自律を実践して継続継承していきたいと思います。

 

野性のチカラ

昨日、熊本で自然を愛する会と共にヒューマンネイチャースクールを主催する方とお会いするご縁がありました。会が立ち上がってから43年間、自然と共に育ち、自然と共に生きる、「共育」・「共生」を願いに、登山やキャンプといったアウトドアをベースに、会員相互の親睦や社会奉仕活動・国際交流事業をはじめ、様々な活動を行っておられました。

お話をお聴きしていると、私たちの観ている子ども観と同様で「子どもはできないのではなく、知らないだけだ」という言葉に改めて環境が変わって得たものと失ったものの存在を再確認することができました。

公式サイトには、「子どもたちの現状とこれから」というところでこう書かれています。

『「生きる力を育む」ということで、教育の現場では様々な取り組みが行なわれているようですが、昔の子どもと今の子どもは何処が違うのでしょうか?食生活が欧米化したことにより体型の変化はあるようですが、本質的な部分は少しも変わっていないように思います。大人が作り出した社会環境の影響をまともに受けているだけで、子ども達は今も昔も子どもらしい部分は何も変っていないように思います。確かに今の子は、昔の子に比べて我慢強くありません。辛抱出来ない子が多いと言われます。しかし、それは大人の都合ではないでしょうか。出来ないのではなく、したことがない、しなくていい、する必要がない、知らないという環境にいるからだと思います。昔の人が創意工夫してきた知恵を含め、私たちが子どもの頃に当たり前のようにやっていたような体験が不足しているだけのようです。体験させ伝えてあげることができれば大丈夫だと思います。』

今の時代は、物に溢れ、環境に恵まれ、自ら何もない中で強烈に「求める」ということも少なくなってきています。現状に満足してこのまま特に大きな辛抱や苦労をしなくても生きていくことができる時代でもあります。そんな状況の中で、最初からやる前にできないと思い込んでいたり、どうせ自分にはできないと決めつけたりして諦めている人も多いように思います。

本当はそれは単に「知らない」だけで、何でもやってみようとすれば人間はなんでもできます。私も幼少期から何もない中で、様々に創意工夫してやってきました。それは今も会社経営をはじめ、現在挑戦しようとしていることも前例に囚われず諦めず「辛抱」して忍耐しながらも子どもたちの未来のためにと日々に新たな挑戦を求め続けています。

最初からできないと思い込んだり、大変なことを避けて苦労を嫌がるのは今の恵まれすぎた環境に対して本来備わっている生きる力が減退しているからかもしれません。農業一つでも、農薬がないとできないとか肥料がないから育たないとか、自然に育つ環境という観点ではなく材料や道具がないからできないと思い込んで最初から諦めていたら共に育つものも育ちません。

人間というものは、なんでも環境を整えて安心安全になってしまうと生きる力がなくなってくる生き物なのです。だからこそ、過保護過干渉にせず信じて見守りその人が育つために敢えて自分から主体的に活動できるような「自然野性環境」が必要になるのです。

この自然野性環境とは、五感を総動員し、ないものねだりはせずにどんなものでもすべて活かそうとする野性のチカラの発揮できる環境のことです。そうすれば元来備わっていた持ち味や活力が引き出されその人にしかできないチカラや魅力が顕現してきます。言い換えるのなら汗と苦労のチカラです。

あまりにも恵まれすぎる環境を与えれば与えるほど、汗も苦労もせず人間はもともと備わっている野性のチカラを消失していきます。そしてそのうち環境がないからできないと何かのせいにしているうちに自分自身も消失していくのかもしれません。

子どもの頃の野性のチカラを発揮する体験は、大人になってもその人の人生に自信を与えるように思います。自然の中で、創意工夫して生きた力はそのままに自分自身の可能性を拡げていくからです。

私も自然や伝統文化を愛するのは、そこにむかしからの先人の智慧を身近に感じるからです。先人の智慧は今のように何でも環境が整っている中では一つとして生まれてはいません。その智慧はすべていのちを使い切るような自然の叡智の中で創意工夫して実現してきたものです。

子孫たちに、その智慧が伝承していくことが生きる力を伸ばしていくいのちのリレーでありかけがえのないバトンになります。

子どもたちが置かれている現代の風土や環境をもう一度、研究し直し何を得て何を失っているのかを真摯に学び直していきたいと思います。

 

和の一円組織

組織にはいろいろな形があるものです。例えば、ピラミッド型であったりフラット型であったりします。そのどれもに関係するのが「責任」というものです。

一般的にはほとんどの会社はまだピラミッド型の体制をとっています。これは責任がピラミッドの上にいけばいくほど重たくなりトップにすべてが集約されます。それぞれの部署に責任者が設けられ、その部署の責任を負います。部下は上司の指示や命令に従ってその責任の一部を担います。どうしても指示命令型になり、言われたことしかしなかったり、言われていないことはやらないといった性質から同じことを一斉にやったり、機械的に単一なことを繰り返しやっていくような時には向いているように思います。

またフラット型はまだ少ないかもしれませんがシリコンバレーなど、IT企業では増えています。これはそこで働いている個々が自己責任で能力を発揮してそれぞれのプロジェクトを周囲の能力を集約しながら実現させていくという体制です。このフラット型では個々に責任が重たくなる性質があります。指示命令などがありませんから、自分から主体的に考えて周りの仲間を集め能力を発揮してもらい協力してもらいます。変化の激しい市場や多様化したニーズに対応するような時には向いています。

組織のポイントは、責任のカタチです。それぞれがどのように責任を持つのか、どこまで持つのか、与えられる責任か、自ら持つ責任か、など責任について考える必要があるのです。

本来、組織において重要なのはそれぞれが自分が全体に対してどう責任を持っているかということの自覚です。無責任な人は思いやりが欠けていきますから、どうしても組織の中で周囲と協力して楽しく働くことができなくなります。責任があるからこそ、自分から思いやりのある態度で周囲と協力して問題を一緒に解決していくようになります。

一流のビジネスマンや社会人は、思いやりを欠かしません。

私はこれからの組織は、ピラミッドでもなくフラットでもなくサークルになった和の組織の時代になるように思っています。そこは道徳的な組織であり、みんなが全体善のために誠を盡すといった和の精神で働く組織です。

責任は、全体の責任をそれぞれがみんなで一緒に担うという考え方です。

これは社會教育の一つとも言えます。いつも自分の行動や感情、生き方が誰かに影響を与えていることを自覚し、初心を忘れずにみんなの仕合せのために最善を盡していくという責任の持ち方ができる組織です。

誰かに与えられる責任というものは、思いやりが発動しにくいものです。そして指示を待って指示だけをやったり、単に手伝っているだけで一緒にやっていないのではやはり思いやりを発揮しているとは言えません。

「一緒にやる」というのは、全体善のために自分の思いやりを使っていくということなのです。誰か任せの無責任な仕事や、自分のことだけやっていればいいという無責任な態度、こういうものが責任の本質をゆがめていきます。

責任とは本当は思いやりのことだと自覚することで、和の一円組織は醸成されます。子どもたちの憧れる社會の実現のために、自由と自立の自己改革を楽しんでいきたいと思います。

中国のルール

先日から北京入りしていますが、市内の観光地はどこも人であふれあちこちにセキュリティチェックが行われています。行列であっても、割り込む人もいれば立ち止まっている人もいたり、それぞれが自由に動き回っています。

日本では注意されて喧嘩になったり、嫌な顔をしたり不愉快になるものもここではいちいちその程度では不愉快になることはありません。それは車の運転なども同様に、譲り合うことはなくどちらかといえば我先にと突っ込んできます。横断歩道を渡る人がいようが、観光地で人が溢れていようがその中をクラクションを鳴らしながら通過していきます。免許を取るときにどのように指導しているのか、試験ではどうなっているのか気になるほどです。

また人の方も負けておらず、横断歩道でなくても3車線の十字路でも構わずに侵入してきます。あまりルールということの意味が伝わっていないか、ルールというものの存在よりも常に自分のやりたいことを優先するという考えではないかとも思います。

日本では、ルールを破るというのはとても悪いことでみんなルールを尊重して生活しています。ルールについてなぜこのようなルールなのかと言い返すこともなく、ルールだから仕方がないと諦めていたりします。しかしここ中国は、ルールに対して納得いかないと言い返したり、都合のよい解釈をして利用したり、対策を立てて対抗したりもしています。

よく観察していると、ルールを覚えるよりも周りの人がどうしているのかと見ているように思います。周りを見て自分よりも得をしている人や、メリットが大きい方を自分も遣るという具合に基準がルールや法が尊重されにくい環境があるように思います。

つまり誰かが前例を作ってそれがルールの抜け穴になったらそれをみんながやっているうちに気が付いたら正当化されているという具合です。自分勝手のように見えますがこれもまたこの土地で生きる仕組みだったのかもしれません。

人々の間に流れる人間の深いところ、孔子は論語でそういうことも見抜き徳を示したのかもしれません。今日から世界園長会議に参加してきますが、この国の幼児教育がどのようなものを吸収しようとしているのか観察していきたいと思います。

文化交流

改めて隣国、中国との関係を紐解くとその関係は古く今から約1800年年前の邪馬台国の時代から始まっていると記録されています。その頃の中国は、三国志の時代であり日本の歴史がまだ草創期であったのに対し、中国はすでに2000年もの有史時代を経ていた頃です。

約1800年の間、交流を持ちお互いの文化を交流し私たちは中国からたくさんのことを学んできました。今、用いている漢字という文字や、食文化、生活文化、音楽などの芸術、その他、思想や宗教に至るまであらゆるものを中国を参考に自国の文化に取り込んできたとも言えます。他にも有名なものに年中行事の五節句、暦も中国のものでした。

今では当たり前に日本文化として樹立され世界へ発信されるものでも、その元は中国から伝来したものを日本人が自分たちの文化として成熟させたものもあります。中国の伝来文化の多様さを知ればまさに今の日本文化は中国文化あってこそではないかとも感じるのです。

そう考えてみると、文化交流というのは時代と共に自国で発展させ成熟させた文化を行き来させることでお互いにその文化を研ぎ澄ませているように思います。切磋琢磨というか、自分たちはこの文化はこのように仕上げたということをお互い時代を経ては認め合いそれを学び合い活かし合っているのが文化交流の歴史のように思います。

地域や気候風土、民族性や精神性の違いを尊重し、お互いに磨き上げた文化を確かめ合うことでお互いの持ち味を活かしていこうとする。人類はこのように文化という道具を使ってお互いの生活を向上させていったのかもしれません。

時代を経て今でも、文化交流が続くことが有難く思います。

私のその一端が担えるように精進し続けていきたいと思います。

中国のスケール

中国という国は、そのロシア、カナダに次いで世界第3位の大きな国土を持っています。歴史の長さも、人口の多さも、山河の雄大さもまたスケールの大きさを感じます。

さらに国土の広さは多様な気候や風土の存在も感じさせます。東側は海に面しており、西側は砂漠と高山地帯、南は亜熱帯性気候で北は極寒の地がありマイナス30度の世界です。この気候風土の変化から、様々な人種や文化、民族が存在しています。

中国というと、私たちの一般的なイメージは山水画だったりテレビで見かけるような海側の都市や北京などの首都の一部の写真が中国だと思い込んだりしますが実際にはあらゆる多様性に富んだ気候風土や人種が集まって存在しているのが中国の本体とも言えます。

日本でも、沖縄と北海道などでは気候風土も異なります。それに東北や九州などでも、地域の伝統文化なども差異があります。しかし中国は、方言を超えてまったく使っている言語も異なり、文化も異なり、肌の色や食べているものも異なっていたりしますからそのスケールが大きいことはすぐにわかります。それは国土が日本の25倍の大きさ人口が10倍であることからも理解できます。

最近は、中国人の観光客が爆買い、爆食、爆待ちなどと「爆」をつけられますがもともと、消費するエネルギーも私たちのスケールを超えているように思います。広大な土地で無数の他民族、多人口、多様な文化に支えられたそのスケールがその新しいものを取り込み取り入れる柔軟性やスピード感を磨いてきたのかもしれません。

現在は、経済の成長速度が著しくGDPは更新し続けておりまもなくアメリカを追い越し世界1位に近づいています。特に広大な土地を持つ中国では、地域での発展もまた極端に著しく最近注目されている深圳では、人類史上最速で成長している都市とも言われます。ここに住む若者は65%、老人は2%しか居らずたった30年で1400万人まで膨れ上がった都市です。

この深圳は経済特区に指定されており中国全土から稼ぎたい一攫千金を目指す夢を持って成功したい若者が押し寄せ、この10年で増えた人口は400万人以上、横浜やロサンゼルスまるごとに匹敵する規模で拡大しています。電気のバスや自動車も当たり前に走り、道ばたで果物を売る老人もスマホを手にしていて、決済はすべて電子決済で行われます。また自転車は大半がシェア自転車で、スマホでロックが解除できるほどになっているともいいます。

ITの分野でも過去の色々な経緯を辿らずに、突然に最先端のテクノロジーを使いこなすようになる。この速度においてもスケールの大きさを感じます。

中国のスケールの大きさとは、この人間の極端な柔軟性であり新しいものに対する受け容れる幅のスケールのことではないかと感じました。好奇心旺盛さは、そのエネルギーの源泉です。中国の成長の凄さを垣間見る気がします。引き続き、明日からの訪問でそのスケールを確かめてみたいと思います。

国の価値観

今週後半から久しぶりに北京に訪問しますが、23年前に留学してから急速に発展したことを肌で感じたいと思います。

中国に最初に訪問した時の印象は、個々のパワーが漲っているという感じがしたのを思い出します。訪問したのは上海でしたが、24時間片時も止まらずビルの工事が進められ、街の区画整理なども大胆に行われていました。日本では、なかなか進まないような調整が難しい工事も人数とアイデアと力技であっという間に無理を通してしまいます。

常識的には考えられないような方法で次々に現実を何とかしてしまう、前例に囚われず失敗を恐れず不可能に挑戦する姿に中国のスケールの大きさを感じたものでした。もちろん一長一短ありますから、それが反って問題になることも多々あるものです。しかし時代の急速な変化の中で、地勢的なチャンスを活かし、マイナスをプラスに転じて、プラスをさらにプラスにしていこうとするエネルギーは現在の中国の発展を支えているように思います。

それぞれの国や民族には、それぞれの歴史があります。私たちが中国と一括りに読んでも、その実態はそれぞれの民族や部族の集合体のようなものです。アメリカも他民族の国家ですが、中国もまた他民族の国家だとも言えます。その中で何度も失敗を繰り返し、多くの人たちがいのちを落とし、このような多民族国家の中で何を頼りにすればいいか、何を信じて立ち回ればいいかをそれぞれが磨いてきたとも言えます。

私たちの日本は、ほとんど同一民族で形成されていますから多民族国家のことはなかなか理解し難い部分もあります。また儒教を中心に、私たちが中国から取り入れた文化と今の中国との印象の違いに驚くことも多いと思います。歴史の中で、私たちが明治の頃に西洋の価値観と日本の価値観を入れ替えたように、中国もまた文化大革命の頃にそれまでの価値観を入れ替えるような出来事が発生しています。

しかし連綿と続いてきた歴史に裏付けされた価値観は多く現在も遺っています。その一つが、「血縁」の強さです。むかしから中国は、血縁者を頼り、子孫を残し、そのつながりによって出世していきました。親族の中で、出世するものがいればそれを頼りそこから大きくしていきます。逆に、権力者や王朝が変われば悉く血の粛清といってその血縁を根絶やしにするほどです。

私たち日本人は血縁よりもムラといった所属する組織や家といったものを重んじる価値観ですが、中国はあくまで血縁中心の価値観が重んじられています。

このように価値観というものは、国家の形成や歴史、地理的環境によって変化しその国のカタチに影響を与えているのです。

引き続き、中国の歴史や文化について改めて見つめ直してみたいと思います。

伝統の価値観

人は体験することではじめて全体で何が起きているのかを理解することができます。いくら頭で知識だけで分かった気になったとしても、それは妄想であり現実の実感は持てないものです。実体験の苦労があってはじめてそのものを直視することができ、そこから直観することができるのです。

例えば、幼い子どもたちにいくら知識でいろいろなことを教えても体験の価値には敵いません。先日の農作業やお米作りでも、自分で田んぼでお米を育ててみてはじめて日ごろから食卓にあがるお米の尊さを自覚するのです。体験には苦労はつきものですが、この若い時の苦労が自分が成長していく過程で先祖から連綿をつながっている伝統の価値観を学ぶことになります。

むかしから自らの実体験によって暮らしを実践し、その暮らしの中から私たちは伝統の智慧を継承してきました。この伝統の智慧は、伝統の価値観を持つことではじめて活かすことができます。伝統の智慧はそのままでは意味がなく、活かすことではじめて意味が出てきますが、その智慧を活かせるようになるには大前提として日本人としての価値観を伝承している必要があるのです。

本来、日本語も同じく伝統の体験を磨いて日本人の価値観を持った人がその言葉を用いればそこに智慧が働きます。自分の価値観は環境や生育によって育まれるものですが、その価値観に先祖から伝来している智慧を習得できるかどうかは世界の中で自分たちのアイデンティティを確立するためにもとても大切なことなのです。

苦労を避けて、楽に便利に汗をかくことをやめた日本人は日本人の価値観を忘れていきます。特に伝統や暮らしが失われ、実践する機会もなければほとんど日本人ではなくなっていくのです。

伝統の価値観は、私たちの「根」であり、根を学ぶことは先祖からの智慧を学び、生き方を伝承し、子孫へと精神を継承していくことです。これは先祖伝来のチカラであり、私たちの先祖が子孫のためにと見守ってきた愛の伝道でもあります。

今の私が此処にあるのは先祖がいのちのリレーをしてくださったからであり、そのバトンを受け継いで走っているのを忘れるのは本末転倒です。

引き続き、子どもたちのために何が遺し譲れるか、本質を見極めながら脚下の実践を積んでいきたいと思います。

本物の暮らし

昨日は、千葉県神崎にある藤崎農場のむかしの田んぼで草取りや伝統衣装の体験をしてきました。日本の民族衣装というものを改めて観てみると、田んぼの景観と相極まってとても色が鮮やかに感じます。今は、洋服で海外からのものばかりを着ていますがそれはその土地のものではありません。

やはり砂漠には砂漠で生まれた民族衣装、北極では北極で生まれた民族衣装、それぞれの地域や文化、生き方や智慧を纏っている衣装を観ると、学ばずして学び、心はその智慧をそのままのカタチで伝承できるようにできているのを知りました。

午後のふり返りの中では、むかしと現代の農業の違いなどについて語り合うことができました。むかしは、農家は生産物として大切に生き物たちの生態系を極力尊重しながら稲を育てていた方が安心し稲の暮らしを守れると信じていました。現代は、農家は工業品として稲を改良し、稲を加工することだけに集中していきます。

日本はむかしからの生産物としては稲だけではなくイ草、葦、萱なども、大切に暮らしの中に取り入れていました。里山に見られるように、すべての自然と一緒になりながら自分たちの分を分けてもらいながら謙虚に「生産」をしてきました。その「生産」をするなかで、活動することで私たちは生産活動としての生活を営みました。今の生活はむしろ加工するのみのものに変化していますからむかしと現代の違いは「暮らし」があるかどうかということになります。ここでの「暮らし」とは何かということです。

例えば、稲を種から育てて収穫しその八十八のプロセスをしっかり体験してみるとそこにはお米ができるまでの背景を知ることができます。今では簡単にコンビニでお金を出してレンジでチンしたり炊飯ジャーに入れれば勝手にできてしまいます。しかしそれで「いただきます」といっても、なにをいただくのかは分からないはずです。

実際に、農家になってお米を生産しているとその苦労や大変さが身に沁みます。そしてそのお米作りの大変さを知れば知るほどに、やってみればみるほどに自ずから「いただきます」の姿勢や心になっていきます。つまりはこのお米を食べるために、どれだけの方々が働いてくださっているのか、それがどれだけ自然の恩恵を受けたのか、そしてなぜ美味しいのかということを感覚で感じるのです。そんなものを教科書で教えたからわかるはずはなく、自分で汗をかいて苦労するからこそそのいただきますの言葉が本物になっていくのです。

私も自然農をはじめてから、自然が育てるものの凄さ、何もしなくてもびっしりと詰まった味や栄養をもっている自然からいただくものの偉大さを身近に感じるようになりました。

無理に肥料や農薬を与えなくても、野菜そのものの持っている力を引き出してあげれば本当に美味しいものができあがっていくことも知りました。愛情深く、見守り、そのものの育つ力に少しだけ手を貸してあげれば育つように育ちます。しかしそれには、熟すための時間と、熟すために必要な熱量や愛情が必要になります。

生きることの根を育てていくというのは、日々の暮らしを大切に生きていくということです。ここでの暮らしは、単に日常的な生活全般のことを言っているのではなく、自分が活かされていることに感謝しながら生きていく暮らしのことです。

自分中心に自分勝手に、自分がやりたいように人間の思い通りになっていく世の中。まるで偉大な人間様になったかようにふるまい、自然を我がもの顔でやりたい放題していますがここに本来の暮らしは一切存在しません。

子どもたちのためにも生き方を見つめ直して本物の暮らしを今一度、後世のためにも考え直す必要があるように思います。本物の生きる歓び、本当の楽しいや人生の仕合せは、むかしからずっと今まで自然や暮らしの中にあったものです。現代につくられた人間中心の妄想の価値観の延長線上の未来は今の都会そのものように仮想空虚の現実しかありません。

引き続き、子どもに遺していき譲っていきたいものを一つ一つ甦生させながら本志本業に専念していきたいと思います。

椽の下の舞~縁の下の力持ち~

諺に「縁の下の力持ち」というものがあります。これは語源の由来を調べると、聖徳太子が建立した大阪の四天王寺の経供養で披露された「椽(えん)の下の舞」だといいます。

この「椽(えん)の下の舞」は昭和40年代になるまでずっと非公開で行われてきた秘事です。観客が一切見ていないにも関わらず、舞い手は努力して舞の練習をし舞い続けたのです。ここから陰で努力することや苦労することを指す言葉になったといいます。 その後は、時代の流れで言葉の意味を分かりやすくするために、「椽の下」を同じ発音の「縁の下」となり「舞」は「力持ち」に変化したとあります。

この「椽の下」の「椽」とは何か、これは訓読みで「たるき」と読め、屋根板を支えて棟から軒に渡す部材「垂木」のことを指しています。この垂木は最近、聴福庵の「離れ」の瓦葺きのときに屋根瓦を支えるために大事な役目を果たしていた印象深かったものです。この椽の下は、単に庭先にある縁側の下を支える木ではなく屋根や重い瓦を支える重要な「垂木」なのです。「えん」という字を椽から縁にしたことで、庭先に出ている縁側のイメージがついてしまいますが本来は家の屋根を守る垂木だと思うとその意味が違って感じられます。また「舞」のことを力持ちとされていますが、本来の伝統的な舞は「祈りや供養」のことを指していました。

「椽の下の舞」は、つまりは「人々のために人知れず祈り見守り続けていた存在」を知ったということかもしれません。

私たちは自分を中心に物事を考えて、自分の都合で目に見えるものを中心に解釈していくものです。しかしその自分を支えてくださっている存在に目を向けてみると、本当に多くの偉大な御蔭様によって見守られていることに気づきます。

私たちが雨や風や天災、災害から守ってくれているのは屋根です。その屋根があるから安心して私たちはその中で暮らしを営んでいくことができます。屋根がある安心感、屋根のある暮らしは、その屋根を支えてくれる「椽(えん)のチカラ」の御蔭様なのです。

いつまでもその屋根が家の中の人たちを守り続けるようにと祈り、むかしの大工たちが屋根の上には神様がいるとして屋根神様や七福神や鍾馗様、鬼瓦などで様々ないのりを祀ってきました。

四天王寺は聖徳太子が建立していますが、聖徳太子は民間信仰では大工の祖とされます。国家という家を形成するうえで、何が最も大切なのかということを理念として永らく密かに「椽(えん)の下の舞」を執り行われてきたのです。聖徳太子の「屋根を支えよ、そして祈りつづけよ」という初心を忘れてはならないという伝承を感じます。

「縁の下の力持ち」は、現代ではいろいろな使い方をされますがその本質を忘れはならないように思います。屋根がない家は家ではなく、屋根の存在を忘れて人は安心することはないということです。家の中心に屋根があること、安心して民が暮らしていける存在になることを祈り続けたのかもしれません。心を大切に守り祈り続けてきた大和の先人たちの智慧や真心に感謝の気持ちがこみあげてきます。

私も初心を忘れず、「椽の下の舞」を実践していきたいと思います。