経済格差

昨日から北京に来ていますが、街中は人々の活気や躍動を身近に感じます。特に貧富の差というものをまざまざを感じられ、走っている車も超高級車から人力の手押し車まで幅広く、豪華な超高層ビルがあると思えば裏路地に入れば年代ものの小屋のような建物があったり、また別荘地のようなエリアには一戸建ての庭付きの家があったりとお金さえあれば何でも可能かのような印象を受けます。

北京では出稼ぎ労働に来る人たちが都市部に集まってきます。その数は数百万人にも及びますがそのほとんどは家賃の高い地上ではなく家賃が安い地下に居住しているといいます。この中国の貧富の格差が拡大する一方で、約1%の人が全国の1/3の財産を占めているともも言われます。

日本にもアメリカにも資本主義経済によってそのような格差はありますが、目に見えて明らかにこれだけはっきりと差が日常的に明らかになっていると否応なしに気になってしまうようにも思います。非常に急速に近代化、現代化が行われてきて大国になった歪みというものはどうしてもその貧富の差を拡げてしまうように思います。

歴史にも、急速な発展と成長によって農村部や都市部、そして権力が一カ所に集まるのは歴史の事実でもあります。私は日本が戦前戦後の急速な復興や発展を体験したことがありませんが、このように隣国が発展して様子が変わっていくのを垣間見ると経済成長というものの本質を学び直した気もします。

人間とお金というもの、そのバランスが崩れることで貧富の差はますます拡大していきます。何のために働くのか、成熟してきた社會においてはその問いが一部の経営者の間では議論されはじめてきている兆しもあります。

しかし大多数の社會においては比較競争の中で、ますますお金や物を中心に人間の不安な心理の側面が現れてきます。どのようにして人間を成長させ続けることができるか、孔子はどれだけ人類の先を読み、それを論語で語ったのであろうかと思いを馳せます。

引き続き、この国の歴史を省みながら未来の行く末を感じてみたいと思います。

国の価値観

今週後半から久しぶりに北京に訪問しますが、23年前に留学してから急速に発展したことを肌で感じたいと思います。

中国に最初に訪問した時の印象は、個々のパワーが漲っているという感じがしたのを思い出します。訪問したのは上海でしたが、24時間片時も止まらずビルの工事が進められ、街の区画整理なども大胆に行われていました。日本では、なかなか進まないような調整が難しい工事も人数とアイデアと力技であっという間に無理を通してしまいます。

常識的には考えられないような方法で次々に現実を何とかしてしまう、前例に囚われず失敗を恐れず不可能に挑戦する姿に中国のスケールの大きさを感じたものでした。もちろん一長一短ありますから、それが反って問題になることも多々あるものです。しかし時代の急速な変化の中で、地勢的なチャンスを活かし、マイナスをプラスに転じて、プラスをさらにプラスにしていこうとするエネルギーは現在の中国の発展を支えているように思います。

それぞれの国や民族には、それぞれの歴史があります。私たちが中国と一括りに読んでも、その実態はそれぞれの民族や部族の集合体のようなものです。アメリカも他民族の国家ですが、中国もまた他民族の国家だとも言えます。その中で何度も失敗を繰り返し、多くの人たちがいのちを落とし、このような多民族国家の中で何を頼りにすればいいか、何を信じて立ち回ればいいかをそれぞれが磨いてきたとも言えます。

私たちの日本は、ほとんど同一民族で形成されていますから多民族国家のことはなかなか理解し難い部分もあります。また儒教を中心に、私たちが中国から取り入れた文化と今の中国との印象の違いに驚くことも多いと思います。歴史の中で、私たちが明治の頃に西洋の価値観と日本の価値観を入れ替えたように、中国もまた文化大革命の頃にそれまでの価値観を入れ替えるような出来事が発生しています。

しかし連綿と続いてきた歴史に裏付けされた価値観は多く現在も遺っています。その一つが、「血縁」の強さです。むかしから中国は、血縁者を頼り、子孫を残し、そのつながりによって出世していきました。親族の中で、出世するものがいればそれを頼りそこから大きくしていきます。逆に、権力者や王朝が変われば悉く血の粛清といってその血縁を根絶やしにするほどです。

私たち日本人は血縁よりもムラといった所属する組織や家といったものを重んじる価値観ですが、中国はあくまで血縁中心の価値観が重んじられています。

このように価値観というものは、国家の形成や歴史、地理的環境によって変化しその国のカタチに影響を与えているのです。

引き続き、中国の歴史や文化について改めて見つめ直してみたいと思います。

伝統の価値観

人は体験することではじめて全体で何が起きているのかを理解することができます。いくら頭で知識だけで分かった気になったとしても、それは妄想であり現実の実感は持てないものです。実体験の苦労があってはじめてそのものを直視することができ、そこから直観することができるのです。

例えば、幼い子どもたちにいくら知識でいろいろなことを教えても体験の価値には敵いません。先日の農作業やお米作りでも、自分で田んぼでお米を育ててみてはじめて日ごろから食卓にあがるお米の尊さを自覚するのです。体験には苦労はつきものですが、この若い時の苦労が自分が成長していく過程で先祖から連綿をつながっている伝統の価値観を学ぶことになります。

むかしから自らの実体験によって暮らしを実践し、その暮らしの中から私たちは伝統の智慧を継承してきました。この伝統の智慧は、伝統の価値観を持つことではじめて活かすことができます。伝統の智慧はそのままでは意味がなく、活かすことではじめて意味が出てきますが、その智慧を活かせるようになるには大前提として日本人としての価値観を伝承している必要があるのです。

本来、日本語も同じく伝統の体験を磨いて日本人の価値観を持った人がその言葉を用いればそこに智慧が働きます。自分の価値観は環境や生育によって育まれるものですが、その価値観に先祖から伝来している智慧を習得できるかどうかは世界の中で自分たちのアイデンティティを確立するためにもとても大切なことなのです。

苦労を避けて、楽に便利に汗をかくことをやめた日本人は日本人の価値観を忘れていきます。特に伝統や暮らしが失われ、実践する機会もなければほとんど日本人ではなくなっていくのです。

伝統の価値観は、私たちの「根」であり、根を学ぶことは先祖からの智慧を学び、生き方を伝承し、子孫へと精神を継承していくことです。これは先祖伝来のチカラであり、私たちの先祖が子孫のためにと見守ってきた愛の伝道でもあります。

今の私が此処にあるのは先祖がいのちのリレーをしてくださったからであり、そのバトンを受け継いで走っているのを忘れるのは本末転倒です。

引き続き、子どもたちのために何が遺し譲れるか、本質を見極めながら脚下の実践を積んでいきたいと思います。

本物の暮らし

昨日は、千葉県神崎にある藤崎農場のむかしの田んぼで草取りや伝統衣装の体験をしてきました。日本の民族衣装というものを改めて観てみると、田んぼの景観と相極まってとても色が鮮やかに感じます。今は、洋服で海外からのものばかりを着ていますがそれはその土地のものではありません。

やはり砂漠には砂漠で生まれた民族衣装、北極では北極で生まれた民族衣装、それぞれの地域や文化、生き方や智慧を纏っている衣装を観ると、学ばずして学び、心はその智慧をそのままのカタチで伝承できるようにできているのを知りました。

午後のふり返りの中では、むかしと現代の農業の違いなどについて語り合うことができました。むかしは、農家は生産物として大切に生き物たちの生態系を極力尊重しながら稲を育てていた方が安心し稲の暮らしを守れると信じていました。現代は、農家は工業品として稲を改良し、稲を加工することだけに集中していきます。

日本はむかしからの生産物としては稲だけではなくイ草、葦、萱なども、大切に暮らしの中に取り入れていました。里山に見られるように、すべての自然と一緒になりながら自分たちの分を分けてもらいながら謙虚に「生産」をしてきました。その「生産」をするなかで、活動することで私たちは生産活動としての生活を営みました。今の生活はむしろ加工するのみのものに変化していますからむかしと現代の違いは「暮らし」があるかどうかということになります。ここでの「暮らし」とは何かということです。

例えば、稲を種から育てて収穫しその八十八のプロセスをしっかり体験してみるとそこにはお米ができるまでの背景を知ることができます。今では簡単にコンビニでお金を出してレンジでチンしたり炊飯ジャーに入れれば勝手にできてしまいます。しかしそれで「いただきます」といっても、なにをいただくのかは分からないはずです。

実際に、農家になってお米を生産しているとその苦労や大変さが身に沁みます。そしてそのお米作りの大変さを知れば知るほどに、やってみればみるほどに自ずから「いただきます」の姿勢や心になっていきます。つまりはこのお米を食べるために、どれだけの方々が働いてくださっているのか、それがどれだけ自然の恩恵を受けたのか、そしてなぜ美味しいのかということを感覚で感じるのです。そんなものを教科書で教えたからわかるはずはなく、自分で汗をかいて苦労するからこそそのいただきますの言葉が本物になっていくのです。

私も自然農をはじめてから、自然が育てるものの凄さ、何もしなくてもびっしりと詰まった味や栄養をもっている自然からいただくものの偉大さを身近に感じるようになりました。

無理に肥料や農薬を与えなくても、野菜そのものの持っている力を引き出してあげれば本当に美味しいものができあがっていくことも知りました。愛情深く、見守り、そのものの育つ力に少しだけ手を貸してあげれば育つように育ちます。しかしそれには、熟すための時間と、熟すために必要な熱量や愛情が必要になります。

生きることの根を育てていくというのは、日々の暮らしを大切に生きていくということです。ここでの暮らしは、単に日常的な生活全般のことを言っているのではなく、自分が活かされていることに感謝しながら生きていく暮らしのことです。

自分中心に自分勝手に、自分がやりたいように人間の思い通りになっていく世の中。まるで偉大な人間様になったかようにふるまい、自然を我がもの顔でやりたい放題していますがここに本来の暮らしは一切存在しません。

子どもたちのためにも生き方を見つめ直して本物の暮らしを今一度、後世のためにも考え直す必要があるように思います。本物の生きる歓び、本当の楽しいや人生の仕合せは、むかしからずっと今まで自然や暮らしの中にあったものです。現代につくられた人間中心の妄想の価値観の延長線上の未来は今の都会そのものように仮想空虚の現実しかありません。

引き続き、子どもに遺していき譲っていきたいものを一つ一つ甦生させながら本志本業に専念していきたいと思います。

楽観の境地

先日、広島で人間幸学研究所の和田芳治さんと奥様にお会いするご縁がありました。逆手塾という塾も開催しており、かねてよりお会いしたいと思っていた方の一人です。お話をお聴きしていると、どのお話も本質的で時代が変わっても大事な本筋を見失ってはならないことを随所に語っておられたのが印象的でした。

和田さんは里山の守り人として、里山から本来の人間として生き方やあり方を発信されておられました。一周遅れのトップランナーを自称され、時代が時代ならまさに最先端の取り組みを行っておられます。

そう考えてみると、世の中の主流は大多数の人間が参加している価値観のことで傍流というのは時代の流行に左右されずに本筋や王道に取り組まれている方のことを言うように思います。言い換えるのなら、それが本流というものでしょうが不易と流行がある中で本来の普遍的なことに取り組んでいくというものこそが人間の原点の追求かもしれません。

人間は多様性がありますからそれぞれいろいろな人がいますが、自分の価値観で理解できないものを最初から批判したり非難することは度量が狭いように思います。確かに大勢の価値観の中に入っていくことは安心かもしれませんが、自分で考えて気づいたことや体験した学びを深めていく中で得られた新しい価値観を貫いていくということはなかなかできないものです。

他の人と異なることを信じていく生き方は、正解を求める生き方ではなく仕合せを求める生き方です。正解に安心する世の中か、仕合せに安心する世の中か。本来、人間が尊重されている世の中とはどういうものか、人間が物のようになっていないか、色々と思い当たる話ばかりをしていただきました。

特に印象に残ったものは、「面白がる」というお話です。

今の時代はマジメな人が多すぎて、楽しさを選ぶよりも単に合わせる人の方が増えているといいます。和田さんはなんでも遊び半分だといいます。遊んでいるだけではダメだという人がいますが、本気で遊んでいる人は楽しんでいる。楽しんでいるだけで学んでいないという人もいるけれど、楽しいだけで学んでいるとも言います。

やらされてやるのは楽しくないからこそ、なんでも自ら「面白がる」ことが主体性になっていくともいいます。

これは私の体験からも同様で、なんでも面白がっている人は仕事も生活もすべて楽しくなっていきます。その逆に面白くしない人は、なんでも義務になりなんでもしなければならないというように執着ばかりが増えていきます。

和田さんは、自分が楽しいからこそ周りを楽しくすることができる、自分が我慢して周りを楽しくさせてもそれでは楽しさをわけてあげることができないともいいます。自分がうんと楽しんでいるからこそ、その楽しんだ分を人に与えることができるからともいいます。

まさに、自他一体の楽観の境地です。

和田さんの逆手塾はそんな生き方を学ぶ場所であり私たちのこれからの変化にも欠かせない大切なご縁になりました。これからも引き続き、楽しく学び直していきたいと思います。

 

 

 

美しい言葉

先日、お会いしたある方から永六輔さんとの思い出話をお聴きする機会がありました。永六輔さんは放送作家、エッセイスト、作詞家、随筆家などいろいろと肩書がりますが、実際には「言葉の偉人」だったのではないかと私は感じました。

美しい言葉を記し、そして使える人はその生き方も美しい人です。そして美しさは本質的であったり、自分らしくあったり、深い愛によってさらに磨かれていくように思います。

この私たちが使う「言葉」は何によって磨かれていくかということですが、それは人生体験の質量であることはわかります。自分の実体験を深く掘り下げて、自分が体験から学んだことが使う言葉に顕現してくるからです。

例えば、傷ついたり辛い思いをしたり苦労をした人が似たような境遇にある人に共感して語る「言葉」はその人を救い導く含蓄があります。それは本人が人生で真摯に向き合って心を痛めたからこそその痛みが分かる人になるのです。

純粋な心を持っている人は、その純粋な心がむき出しになっていますからその分、無造作に傷つき痛むものです。しかしその心の傷や痛みを持ったまま前に歩んでいく人はその純粋性が磨かれてその人の深い魅力が輝いていくものです。

人間はどれだけ自分のこととしすべての物事を捉え、体験していくかで他人事ではなくなります。そうやって体験したことを一つの言葉にしていく、言葉に籠めていくことではじめて心が言葉になります。音楽にある詩や歌には、その「言葉」を伝える力があるようにも思います。

その言葉は、その人が大事にしてきたもの、大切だと思っていることが入っています。だからこそ、何が大切か、何が大事かといつも自分から発する言葉を大切に遣っていくことが重要なのかもしれません。

永六輔さんの遺した詩や言葉は、今でもたくさんの人たちの心支えになっているように思いました。

最後にいくつかその言葉を紹介します。

「自分が傷つかないで、怒ったり、叱ったりする人がいるけど、自分も傷ついて説得力がつくんです。」

「目を見つめて、一緒に笑い、一緒に泣く気持ちがないなら、他人の話を聞かないで」

「生きているということは、誰かに借りをつくること。 生きていくということは、その借りを返してゆくこと。 誰かに借りたら誰かに返そう。 誰かにそうして貰ったように、誰かにそうしてあげよう。」

「叱ってくれる人がいなくなったら、探してでも見つけなさい 」

「他人のことが気になるのは、自分が一生懸命にやっていないから」

「人の死は二度ある。 最初の死は、肉体の死。 でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。 最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。 そう僕は思っています。」

私も言葉を大切にして、永六輔さんのように生きる体験を真摯に味わい、人々の心の痛みがわかる自分らしい言葉で記憶に遺るような生き方を目指していきたいと思います。

椽の下の舞~縁の下の力持ち~

諺に「縁の下の力持ち」というものがあります。これは語源の由来を調べると、聖徳太子が建立した大阪の四天王寺の経供養で披露された「椽(えん)の下の舞」だといいます。

この「椽(えん)の下の舞」は昭和40年代になるまでずっと非公開で行われてきた秘事です。観客が一切見ていないにも関わらず、舞い手は努力して舞の練習をし舞い続けたのです。ここから陰で努力することや苦労することを指す言葉になったといいます。 その後は、時代の流れで言葉の意味を分かりやすくするために、「椽の下」を同じ発音の「縁の下」となり「舞」は「力持ち」に変化したとあります。

この「椽の下」の「椽」とは何か、これは訓読みで「たるき」と読め、屋根板を支えて棟から軒に渡す部材「垂木」のことを指しています。この垂木は最近、聴福庵の「離れ」の瓦葺きのときに屋根瓦を支えるために大事な役目を果たしていた印象深かったものです。この椽の下は、単に庭先にある縁側の下を支える木ではなく屋根や重い瓦を支える重要な「垂木」なのです。「えん」という字を椽から縁にしたことで、庭先に出ている縁側のイメージがついてしまいますが本来は家の屋根を守る垂木だと思うとその意味が違って感じられます。また「舞」のことを力持ちとされていますが、本来の伝統的な舞は「祈りや供養」のことを指していました。

「椽の下の舞」は、つまりは「人々のために人知れず祈り見守り続けていた存在」を知ったということかもしれません。

私たちは自分を中心に物事を考えて、自分の都合で目に見えるものを中心に解釈していくものです。しかしその自分を支えてくださっている存在に目を向けてみると、本当に多くの偉大な御蔭様によって見守られていることに気づきます。

私たちが雨や風や天災、災害から守ってくれているのは屋根です。その屋根があるから安心して私たちはその中で暮らしを営んでいくことができます。屋根がある安心感、屋根のある暮らしは、その屋根を支えてくれる「椽(えん)のチカラ」の御蔭様なのです。

いつまでもその屋根が家の中の人たちを守り続けるようにと祈り、むかしの大工たちが屋根の上には神様がいるとして屋根神様や七福神や鍾馗様、鬼瓦などで様々ないのりを祀ってきました。

四天王寺は聖徳太子が建立していますが、聖徳太子は民間信仰では大工の祖とされます。国家という家を形成するうえで、何が最も大切なのかということを理念として永らく密かに「椽(えん)の下の舞」を執り行われてきたのです。聖徳太子の「屋根を支えよ、そして祈りつづけよ」という初心を忘れてはならないという伝承を感じます。

「縁の下の力持ち」は、現代ではいろいろな使い方をされますがその本質を忘れはならないように思います。屋根がない家は家ではなく、屋根の存在を忘れて人は安心することはないということです。家の中心に屋根があること、安心して民が暮らしていける存在になることを祈り続けたのかもしれません。心を大切に守り祈り続けてきた大和の先人たちの智慧や真心に感謝の気持ちがこみあげてきます。

私も初心を忘れず、「椽の下の舞」を実践していきたいと思います。

全体こそ自分

今の時代は、経済効率優先の世の中で古いものは捨ててしまい新しいものばかりを購入していくことが当たり前になっています。古いものの価値はほとんど失われ、ただ古くて不便で非効率であるとして無価値のように裁かれています。

現在、日本の各地に出てくる空き家の問題も高齢化と少子化、若者の都市集中など、このままではいずれボロボロの街並みばかりを見かけるようになると思います。

先日、訪問したドイツの街は日本の街との景観や雰囲気がまるで異なります。これは単に文化が違うからという意味ではなく、日本のようにそれぞれが好き勝手に自分の好きな建物でバラバラの景観になっているのではなく、自国の文化風土にあったものをみんなで調和させるように建っていました。

特に西洋では、自分の家のことだけを考えるのではなく周囲の景観や全体がどうなっているかというところからそれぞれに皆で自律し合って街並みを保全しています。

日本人の現在は、自分さえよければいいという個々がバラバラになり全体快適や全体善のことなどを考える人が少なくなってきているように思います。これは単に家だけではなく、仕事においても自分のことさえしていればいいとし全体があって自分があることに気づかない人も増えています。

本来、社會というものがあってその中に自分が入っているから自分が守られ生活を維持していくことができます。道徳においても、なぜ自分がゴミを拾うのかを考えてみれば、それが全体にとって必要なことにつながっているからです。自分一人くらいと、自分が他人に迷惑をかけても問題ないという発想はそもそもの社會に対して自分から参画していないということです。

視野の狭さというのは、言い換えれば歪んだ個人主義の生んだ利己的な悪習慣の一つであり学問というものはその視野を広げるために必要なものです。人間は比較競争評価の環境下では自我や保身から利己的に傾くのです。その利己的な視野を広くするというのは、自分が存在することができている社會全体そのものを守ること、さらには自分が所属する世界を守ることに生きることで抜け出せます。自然界もそうやって循環しながらみんなで活かし合うのです。

話を戻せば古いものを大切にしなければ、世の中は新しいものと古いものが無造作に増えてしまいます。新しいものもそのうち必ず古くなりますから、それを壊し捨て続けることが果たしてどこまでできるのかと真摯に現実と向き合ってみれば現在の政策や経済原理が如何に大きな矛盾と限界とツケを子孫へと払うものであるのかは火を見るよりも明らかです。

だからといって、皆が進んでいる方と逆に歩めば周りからは奇人変人扱いされて理解されることもありません。人は自分で考えず周りに合わせて思考を停止して生きていく方が楽だからかもしれません。私も別にだからといってマイナス思考になって悲観すればいいと思っているわけではなく、現実を直視しそれを半分は世間様のため半分は自分のためだと全体にとっては善いことだろうと気楽に楽しめばいいと思っています。心は義憤もありますが、実際は有難い一期一会の体験をさせていただけているのだから感謝で人生を歩んでいきたいと思うのです。

つまり長い目で観ることも全体観であり、利他に生きることも全体善、そしてみんなが喜んでいる働き方も全体快適、この「全体」があっての自分であるということを決して忘れないように、自分をどのようにマネージメントし続けるか、どのような自助習慣を持ち続けるかが重要な生き延びるための知恵になると私は思います。

組織も国家も、世界にも、生き延びるための知恵とそれを活かすための勇気とそれを維持していく習慣が必要なのです。

引き続き、今と未来の子どもたちのためにも社業を通して子ども第一義の全体善の仕組みを現場で伝承していきたいと思います。

刻の記憶

昨日は、聴福庵の銅雨樋の設置を無事に終えることができました。壊れていたところからの水漏れや水はねが激しく、家が傷んでしまいそうだったのでなんとかこの梅雨の合間の晴れ間の時に交換ができて一安心です。

本来は、古い雨樋を修理して復古創新して甦生させたかったのですがどうしてもむかしの銅の雨樋が探し出せず現在の壊れた雨樋を新しいものへと交換するしかありませんでした。

今は、まだ古民家に銅雨樋が馴染まず光沢が出てピカピカに輝いていて違和感がありますが経年変化をして赤褐色、褐色、暗褐色、黒褐色、そして緑青色に変わっていく様子を年々楽しめる豊かさがあります。この変化の過程は数か月で赤褐色、数年で褐色、その後は数十年が暗、黒褐色、そして竟には緑青色になるという具合です。あと何年、生きられるかわかりませんが自分の次の代になるまで楽しめる銅の変化を継承し体験できることは有難いことです。

むかしから銅は永久と呼ばれるくらい耐久力が高く、日本では重宝されてきた素材です。屋根や雨樋に使われる理由は、銅の表面にできる保護被膜が腐食の進行を防ぐことによります。次第に酸化してできた緑青は雨水や酸素が触れる面にしか発生しないので、銅の内部まで錆びることはほぼありません。これが永久と呼ばれる理由です。またこの緑青はかつては猛毒などという誤認も昭和59年に厚労省が勘違いであることがはっきりしています。

銅のはじまりは銅は青銅器時代(紀元前3,500~1,200年)からで、日本では安土桃山や江戸時代によく用いられるようになりました。今では、家の内外だけではなく銅は電気製品など含めあらゆるところで活躍しています。リサイクルもしやすく、加工もしやすく、貴重な素材としてあらゆるところに重宝されています。

今では暮らしのあちこちに銅は使われ、経年変化した銅を観ているとどれもうっとりします。特に調理器具周りの銅製品は、木や竹の道具と相極まって調和して日本の価値観を醸し出します。経年変化とは、長い年月の付き合いによって深い味わいを出していくのです。この深い味わいが出てくるのを楽しめるのが心の余裕であり、その変化の中に刻の記憶がしっかりと詰まっているからこそそのものに深い味が顕現するのです。

時の変化は、単に過ぎているわけではなくどのようにその時を過ごしたかという時の味わいがあります。時の味わいを楽しめるのは、いのちの存在を身近に感じるからです。

変化を楽しみながら、変化をつくり出しながら、変化を味わい、かけがえのない刻の記憶を生きていきたいと思います。

 

日本の子ども観

日本にはむかしから大切にされてきた「子ども観」がありました。日本の諺にも、千の倉より子は宝、金宝より子宝、子に勝る宝なし、子宝千両、貧乏人に子は宝、子は第一の宝、子は人生最上の宝、年とれば金より子、我が子に替える宝無し、など沢山のものがあります。

子どもは決して大人にとって自分に都合のよい「宝」ではなく、生まれながらに宝の存在であるという子ども観があるということです。この宝は金銀や紙幣などの富のことを指しているのではないことはすぐにわかります。では何を宝というのかということです。

もともと人間は、生まれながらにして徳というものが備わっています。この徳は、道心とも言い、現代ならば道徳心とも言います。生まれながらにして思いやる心や優しい心があるということです。赤ちゃんを見て誰もがほほ笑むのはその赤ちゃんの赤心に触れるからです。

時折、野生の動物たちや昆虫たちも小さな存在である赤ちゃんに対しては種族を超えて守り育てようとします。それは赤ちゃんという存在に、自然に特別な何かを感じているからです。

この宝という言葉を私がもっとも理解するのに印象深かったものは天台宗の宗祖の最澄の遺した下記の言葉です。

『照千一隅、此則国宝』(一隅を照らす、これ則ち国の宝なり)

この一隅とは、自分の今いる場所を指します。意訳ですが、その場その場で一人ひとりが道徳を実践することこそが国の宝になるといになるという意味です。

そしてこう続きます。

「国宝とは何ものぞ、宝とは道心なり」と。

最澄は宝を道心と定義しました。むかしブログで紹介したこの道心とは、私の言葉では「初心」のことです。この初心は、その人がそもそも備わっている真心、もしくは大和魂や純粋な精神などと言ってもいいかもしれません。一人ひとりがはじめから持っているその初心を、それぞれが人生の中で大切に守ることができるのならそれが天下の国宝になるということです。

むかしの親祖や御先祖さまたちは本来、人間というものをどう捉えていたか。そこから受け継いできた本物の子ども観を見つめ直せば、日本の子ども観の真実が観えてくるものです。

引き続き、初心伝承を通してその初心によって一人でも多くの人たちの仕合せが引き出されていくように子ども第一義の実践を追求していきたいと思います。