新しい世界~日本の種火~

昨日、カグヤと臥竜塾生と一緒に合同で新しいプロジェクトのミーティングを行いました。オリンピックへ向けて、日本の文化を見直しそれを発信していくために私たちが誇りにしているものが何か、その原点について語り合いました。

現在は、単にパスポートが日本国だから日本に住んでいるから、遺伝子が日本だからなどが一般的に日本国民だという認識の人が多いといいます。しかし本質として自分は何をもって日本人であるのかと、もう一度深く省みるとき改めて日本ということ、日本民族ということを考え直すように思います。

日本の文化をどれくらい理解し、日本の先祖のことをどれくらい理解し、日本の暮らしを理解し、それを悟りどれくらい本物の日本人であるのか、今の生活をもう一度見つめてみて考え直すと自分自身が日本人としての自覚が薄いことに気づきます。だからこそ世界が一つになるとき、如何に自分たち日本人が偉大かということを自覚し悟れるかが、誇りと自信を持って世界とつながることのように私は思うのです。

そのためにも自分たちがもう一度、日本の文化を掘り起こし再発見しつつ今まで積み重ねて伝承されてきた日本文化を甦生し、体現し、それを世界へと発信していかなければならないように私は思います。

禅(ZEN)を世界に広めた仏教学者の鈴木大拙氏は、西洋と東洋を超えて世界の中での日本を示した先人の一人です。改めて、日本文化を伝え、異文化の融和によって一つになり助け合っていこうとする先人の功績は今も私たちを勇気づけます。鈴木大拙氏が禅を広めようとした動機、つまり初心です。

「西洋の方と比べてみるというと、どうしても、西洋にいいところは、いくらでもあると……いくらでもあって、日本はそいつを取り入れにゃならんが、日本は日本として、或いは東洋は東洋として、西洋に知らせなけりゃならんものがいくらでもあると、殊にそれは哲学・宗教の方面だ と、それをやらないかんというのが、今までのわしを動かした動機ですね」

西洋から学ぶだけではなく、世界の中の日本人として西洋にも伝えなければならないものがあるという信念は深く共感します。そして後を生きる日本人に対してこう言い遺します。

 「日本を世界のうちの1つのもの、としなければいかん。今、日本が、日本がと、やたらに言うようだが、日本というものは世界あっての日本で、日本は世界につつまれておるが、日本もまた世界をつつんでおるということ、これは、スペースや量の考えからは出てこない。そのように考えるためには1つの飛躍が必要とされる。その飛躍が大事なのだ」

この飛躍のことを、英語ではマインドセットといいます。今までにない新しい世界に突如現れる新しい常識、時間でいえばそれをティッピングポイントとも言いますがある時、ガラリと意識が飛躍するような大転換が必要というのです。

そしてこれが新しい世界に入るということです。

私たちは日本人になるには、世界の中の日本であり日本があるから世界があるという境地を体得しなければなりません。そのためにも自国の歴史や文化を学び直し、自分がどう世界の中の日本人として生きるかを決めなければなりません。

自信と誇りもまたそこから生まれ、それを子どもたちが受け継ぎこの先の未来で世界の中で平和をきっと創り出してくれると思います。大和民族とは何か、何をもって和の民と呼ばれたか、今一度、世界が大転換期であるからこそ私たちの役目や役割は大きいと私は信じています。

引き続きこのオリンピックを通して、その日本の種火を世界へと弘げていきたいと思います。

 

 

子どもたちを見守る神様~お天道様~

天神信仰を改めて調べていると菅原道真公の生前の姿が観えてきます。現在では菅原道真公のことを天神様と敬い、学問や誠実、慈悲や正直の神様として崇敬していますが平安時代以後は恐ろしい神様として祀られていたといいます。

歴史を紐解けばわかりますが、天皇に対して国家に対して忠義が篤く、誠実だった人が時の左大臣藤原時平の妬みと嫉妬によって乱暴に追放され酷い目に遭ったことを不誠実なことだと人々が思ったからではないかと私は思います。

正直で誠実だった人物に対して、不正直不誠実であることで如何に天のお怒りに触れるか、つまりは日本古来からある「お天道様がみている」という概念とつながっていたのではないかと思うのです。お天道様が見ているということに対して、やはり不正直や不誠実ではいけないと、死してなお人々に生き方を説いたのが菅原道真公の恩徳であったようにも思います。

上杉謙信や吉田松陰、大義に生きた人たちは死んだのち神社に祀られます。生前の徳が死後にはっきりと観えることで周囲がその人物を神格化するのですが、言い換えるのならそれを神格化する人々の中にその大義を感じる力があるわけで何が忠であり何が義であるかを理解しているから祀るということでもあります。

古来からある大事なものを大事に優先して生きた先人の遺徳に自分たちも同様に生き方を見つめようとしたことでいつまでも篤く崇敬されていきます。全国に天神系神社が1万2千社あるのは、このように誠実や正直、忠義に生きることが大切だと深く信じる生き方をしようとした人々があるという証拠でもあります。

その後、天神様が学問の神様としての信仰が広く浸透していくようになったのは江戸時代に入ってからだといいます。江戸時代の寺小屋の様子を記した文献には、子どもたちが机を並べる教室に必ず天神様が祀られてあったことが記されています。それに寺小屋へ入学する子どもを必ず両親たちが天神様に参拝するという風習もあったといいます。

そうして次第に天神様は学問の神様から「子どもたちを見守る神様」に変化していきます。

また天神様といえば有名な童謡「通りゃんせ」があります。この通りゃんせは江戸時代に創られたもので作詞者は不明になっています。歌詞はこうなっています。

「通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ」

この歌詞の中の「この子の七つのお祝いにお札と納めにまいります」とは当時は今と違って子どもが数え歳7歳まで無病息災で無事に生き残ることが稀だったことに加え、その7つの時期を終えると半人前の大人になると考えられていたため7歳までは神様の内、7歳までは天神様の守護の内ということになっていたからだといいます。

おそるおそるその年まで油断なく子どもを見守った親心や、天神様に大切に守ってもらっているというお天道様への畏れもまたあったのではないかと私は勝手に想像していますが語り継がれる童謡の中には人の生死のどうしてもどうにもならないことの無常さも入っているようで複雑な心境もあります。

しかしこのように天神様が子どもを見守ってくださる神様になり、今でもそのままに子どもたちが無事に学問の道を歩めるようにと祈り願う人たちの信仰によって篤く崇敬されて引き継がれているのは間違いありません。

「7つまでの子どもを見守る」という意味では、私たちの本志本業もまたこの天神信仰の本質と合致しています。保育の時期を見守りの中で過ごした子どもたちが信じる心を持ったまま大人の社會の中で自分らしくあるがままに自然体に生きて助け合い、幸せで平和であるようにと願う思いに保育の道を祈ります。

今年の聴福庵で天神祭が保育道を実践する子どもを見守る先生方と共にお祭りができることに深いご縁と仕合せを感じています。

引き続きいただいている機会を学びのチャンスにして初心伝承に取り組んでいきたいと思います。

 

 

和の甦生~天神祭~

昨年は祭り部ができてから古来からのお祭りを見学したり都内のお祭りで神輿を担いだり、秩父夜祭りに参列させていただいたりと本当にたくさんの学びをいただきました。そこからさらに今年はご縁が深まり、郷里のお祭りの甦生に関わらせていただくことになり自分たちで一つ一つお祭りを復活させていくことになりました。

郷里の神社には、天神祭り、恵比寿祭り、稲荷祭り、祇園祭り、元旦祭りがあります。今までも氏子会を中心に存続されてきたものではありますが現在では人が集まらなくなり神事の後のお祭りは廃止されてきたものです。

日本には、古来より神様を中心に助け合いの文化が根付いていた国でもあります。それを和ともいいますが、この和の実践が失われていくことで地域のつながりもまた失われていきます。

古民家甦生がはじまり、自然発生的に神社甦生につながるのはそこに日本民族としての中心や根幹があるからのように思います。どのようにかつての先祖たちが暮らしてきたか、その智慧の伝承と継承こそが子孫繁栄と発展の鍵なのです。

最初は自分たちがお祭りのことを深め、お祭りの意味や価値、家の中の暮らしから祭りに取り組むことにするため天神祭の甦生からはじめます。

この天神祭とは、天神信仰のことで菅原道真を主祭神とした天満宮のお祭りです。菅原道真の誕生日が6月25日、命日が2月25日で、ともに25日であったことで毎月25日を例祭としているところが多いといいます。新暦に移行した現在でも25日を例祭として信仰しています。

郷里の天神祭りは、一時期は10万人を超えるほどの参加者があり7つの山車が市内を練り歩き、にわかというお面をつけた人が滑稽な話をしながら一軒一軒をまわり福をまき、たくさんの出店も並びとても賑わっていたそうです。それが次第に人口減と共にお祭りも縮小し、最後はお祭りくじの廃止と共に数年前からお祭りを行うことができなくなったといいます。お祭りが廃止されてからの地元のショックが大きく、それを甦生するというのは本当に難しい状況になっているといいます。

天神さまというのは神格は天降る雷神で雷光と共に天から降りてくると信じられていました。水田耕作に必要な雨と水をもたらす雷神(天神)は稲の実りを授ける神、めぐみの神ですから農民を中心に全国に崇敬されていったとも言います。それに菅原道真の学問に対する偉大な事績やその人柄が偲ばれ、天神信仰は文道の大祖、文学・詩歌・書道・芸能の神、あるいは慈悲の神としても崇敬されました。

その天神信仰はその後、天神講を中心に全国各地に広がり、天神さま、天満宮として建立され「学問の神・誠心の神」として崇拝されています。

天神祭の甦生は、子ども第一義を理念とする私たちにとってもとても大切なお祭りです。そのお祭りの応援に、関係の深い全国各地の先生方が集まっていただけるというご縁もいただき有難い真心に感謝でいっぱいです。

子どもたちの未来のためにも、そしてこれからはじまる大和魂の甦生のためにも真摯に誠実に信仰のままにお祭りの準備を進めていきたいと思います。

 

和の甦生

以前、国際人のことを書きましたが今の時代は国際化の中で自分たちがどのように生きるのかを見つめる時代でもあります。私は若いうちからヨーロッパや中国に留学した経験がありますからその国の文化に触れ、どのようにこれから自分が生きていくかを考えたのを覚えています。

日本は島国だからか自国のことばかりになってしまうことが多く、世界のニュースや世界の動向を意識する人が少ないような気がします。今はこれだけITや流通が発展し、それぞれの国に人が行き来する時代になって国境がなくなり国際化したのだからもっと自分の国の文化に対する意識も高まっていなければならないのに自分の国の文化や歴史に興味を持っている人が圧倒的に少ないように思います。

先日、日本の保育についてメンターと話し合う中で「日本をもう一度見直そう」という話がありました。その中で「異なった文化の人たちが如何に協力するか、世界と和していくことが日本をよくすることだ」と仰っていたのが印象的でした。

現在、一つ一つの伝統を紐解き初心伝承を磨き深めていますがその根底には和の精神というものが根付いています。自然と共生し人々と和する・・その和の精神とは何かといえば、それは「平和」のことです。

大震災や大災害があったとき、日本は世界から尊敬されます。それは見事なほどに他者を思いやり、自制し自律し、他を受け容れ、助け合う姿を見せるからです。私はこれは日本独自の文化と歴史の結晶ではないかと感じます。

協力や協調、調和は私たちが実践する一円対話、そしてコンサルティングの本筋に定めているものですが日本の文化の後押しがあるからこそより大きな効果が現場で発揮されているのです。

明治以降、日本文化の価値が見捨てられ零落しその本当の意味や崇高さが伝統的な暮らしと共に衰退していきました。しかしこれからの子どもたちが国際化の中で如何に国際人として羽ばたいていくかと慮るとき、日本独自の文化が忘れ去られていくのは平和を世界に広げていく精神もまた忘れ去られるということであり、今、ここで何とかしなければという義憤に強くかられます。

私たちは親祖の初心が悠久の歳月を経て文化になったことを決して忘れてはなりません。

改めて日本を見つめ日本を見直し、古来からある日本文化を学び直し、それを転じて甦生し世界へ日本の文化を発信していく必要性を感じています。使命をもって、子どもたちのためにも和の甦生に取り組んでいきたいと思います。

心田を耕す

二宮尊徳の教えに「心田を耕す」というものがあります。そもそも人間のあらゆる荒廃はすべて心の荒蕪から起こると説きました。荒蕪とは、草が生い茂って雑草が生えほうだいで土地が手入れされずに荒れていることをいいます。荒廃は家屋などでいえば、荒れ果ててすさみ潤いがなくなっていくことをいいます。

この荒廃は心の荒蕪が問題であり、それを解決するには心田を耕すしかないといいました。私は自然農や古民家甦生を通して感じたものは、暮らしが失われることでこの心田もまた失われ荒廃していくということです。

本来、田であれ家であれ人が手入れを怠ればあっという間に荒んでいきます。なぜ荒むかといえば日々の暮らしを怠り忙しさにかまけて心の手入れをすることを忘れてしまうからです。

都会に住めば、忙しい日々を送る中で暮らしは消失していきます。特になんでも簡単便利に頭で考えたようにできる世の中になってくると、本来は有難かったことも当たり前になり、自分の都合よくいかなければ不平不満などが出てきます。それに拍車をかけてお金でなんでも解決しようとするあまり、さらに心を用いる苦労の方や、心を慮り丹誠を籠めるようなことがなくなっていきます。

古民家を一つ丁寧に建て直し、手入れをし甦生させていくともう十数年も置き去りになって雨漏りがして屋根が崩れ荒れ放題になっている隣家が気になってきます。一つ家を直せば、町並みは美しくなり隣の家が気になってくる。田んぼも一つ美しく手入れすれば荒廃された隣の田も気になってくる。こうやって一つ一つのことを手入れしながら、一つ一つ荒蕪を開墾して耕して手入れしていく以外に人々の心を直す方法はないのです。

二宮尊徳のいた時代は、大飢饉が続き食べ物がなくなり農民たちは重税で苦しんでいました。その中で村々は荒廃し人々の心もすさんでいたといいます。今は時代は変わり食べ物は豊富にありますが、都市一極集中で地方は少子高齢化が進み田畑や古民家は荒廃が進んできています。人々も重税がかかり、格差は広がりますます時代背景が似てきています。

一人一人が覚悟を決めて、暮らしを立て直し心田を耕すことによって荒廃を転じて幸福に目覚めていく必要があると私は感じます。

何をもって心田を耕すのかは、もう一度本物の暮らしとは何かと見つめ直すことからではないかと私は思います。本物の暮らしは、日々の心を耕します。かつての伝統的な日本の暮らしは感謝に包まれ謙虚に自然と一体になって日本人の心と共に慎まやかに継承されてきました。

文明が進んでも、生き方までは変わらず時代の進化は正常に行われてきたものが明治頃からそれまでの道から離れ戦後に様々な影響を受けて今に至ります。今一度、原点回帰し日本人としての生き方、つまり日本的な暮らしを甦生させ、本来の日本人としての心を耕していく文化を再興する必要を感じます。

そのためにも一人一人が目覚め、まず独り荒れた田に入りそれを開墾し、荒んだ家に入りそれを甦生させる、その真心を磨いて人々の心に潤いを与えていけるような実践を積み重ねていくしかないと思っています。

先人の尊さには頭が下がります、二宮尊徳の積小為大を実践をしつつ子どもたちのためにも暮らしを甦生し心田を耕し続けていきたいと思います。

天道地理義理人情の法理

朝起きて鉄瓶に水を入れて炭を熾してお湯を沸かします。この時、私は火を熾すために火吹き竹で息を吹きかけていますが火は自然の力によって燃焼していきます。次に、私は鉄瓶を用意して水を入れて火鉢に置きますがそれをお湯にするのは自然の力です。さらに、そのお湯を湯呑に入れ茶葉をとおしてお茶にして呑むのは私ですがそれを体に吸収していくのは自然です。

人と自然。

私たちは自然に寄り添い、自然の力を借りて日常生活を続けることができます。空気を吸うのは自分ですが、空気は自然の力で存在します。水を飲むのは自分ですが、水は自然の力で存在します。太陽を浴びるのも自分ですが、太陽は自然の力です。そう考えるとすべては自然の力を借りなければできないものばかりで、そこに自分が何をするかを決めて行動することで自然の力をお借りしているということになります。

このように私たちは様々な自然のお陰様やお力をお借りして、そこに人として働きかけることで自然と共に生きています。この当たり前の事実をどれだけ感じて生きているか、そこに人道と天道、人と自然の道理の理解があります。

自然とつく仕組みはここ数年、あれこれと発酵やら養鶏やら農やら最近では古民家甦生で学び直してきましたが畢竟、そのどの仕組みも自然の恩恵を引き出すために自分が人として何をやるかということに尽きるように思います。

これは仕事でも同じで、自分がやっているのは人としてのところ。あとはどれだけ自然の力が借りれるように真心を尽くしていくかということになります。真心や感謝は人の道であり、それを実践することで自然のお力をお借りすることができます。有難いと謙虚に正直に誠実に信じて取り組む人は、人として理に叶ったことをやっていることになります。そういう人はいつも自然のお力をお借りして事を成就させていくように思います。

先ほどの火鉢で火を熾すことと同じく、何回も修練を積んでいくことでその息の吹きかけ方や丹誠が磨かれていくように思います。仕事も同じく、人としての道を何回も修練を積んでいくことでその実力が磨かれていくように思います。

人間は自然の仕組みを離れて人間の力だけで火も熾し水を操作し、光を作れると錯覚していますがそんなものは妄想で火も水も光も何一つ人間だけでは作れません。すべて自然の力を借りていて、その自然の力が偉大なのであって人間が偉大ということはないということでしょう。

自然の力をどうお借りするか、それは天道を究めていくことですが同時に人道も究めていくことです。この天道地理義理人情の法理に叶うかどうか、それは日々の内省と改善によって磨いていくしかありません。しかしまだまだ私は思いやりを優先でき徳を発揮するまでには至らず反省ばかりです。自然のような誠、その誠を引き出せる人物に近づけるようになりたいと祈る日々です。

引き続き、自然の摂理を学び直しながら自然のお力をお借りできるように感性を磨き、人として何を実践していくかを真摯に振り返り、子どもたちに大人としてその後姿を見せられるように精進していきたいと思います。

自律と自由と自分次第

昨日、自由の森学園の体育祭を見学する機会がありました。子どもたちがのびのびと自由に自分たちの体育祭を楽しんでいる様子にほのぼのとした雰囲気がありました。いろいろなことを外から強制せずに自分たちで物事を主体的に取り組むようになるには、自分自身と向き合う必要が出てきます。

自分自身と向き合う中で、どのようなルールを自らで設定するか。ここに自律を学ぶ意味があるように思います。

私の会社も自由にしていますが、その自由の意味が最初はわからず周りから与えられたルールに従ってきた人たちは困惑して最初は何もできなくなるものです。しかし周りを見渡して、誰かから与えられたルールではなく自分自身が決めたルールに従うことで得られる自由に気づきます。

それでも与えられた自由のことが忘れられず、誰かに決めてもらおうとしたり、責任者に自分の管理を押し付けたり、会社のせいにしたりトップのせいにしたり、もしくは権利ばかりを主張してきたりするものです。

本来、自由というのは自分で決められる自由です。それを最初からできないものだと決めつけて自分で決めようとはせず、誰かによって決められたものでそれは決して自分では決めてはいけないものだと考えるほど不自由なことはありません。

無理をして限界がくれば会社を辞めればいいと努力している人もいますが、こんなのは誰かの決めたルールに従って無理に働いているだけで自分から成長を楽しんで働いているのではありません。

自分で決める自由というのは、誰かがそれを決めていたとしても自分が納得していればそれは自由です。それが主体性を発揮しているともいえます。例えば、私も疲れた時や大変な苦労の時に、なぜこんなことをと思う時もありますがよく考えてみると自分で選んだ道ではないかと思い直せばその柵から自由になり前向きに明るく取り組むことができています。

これも先ほどの自律と自由の話の一つで、自分が決めたことを自分でやりきることほどの自由はなく、誰かにやらされて仕方なくやる不自由とは異なるものです。自分で選択したことに責任を持つというのは、決してつらいことではなく、よく覚悟を決めることは大変なことだと勘違いされていますが本来の覚悟を決めることは自由になることを意味するのです。

自由というのは、自分の人生に自分が責任を持つということです。決して誰かのせいにするのではなく、すべての人生は自分が主体的に創造する主人公であるのだとこの自分が創造する世界の全責任を自分が持つということです。

物事をどのように感じるのかもその人次第ですし、出来事や機会に対してどのように接するかもその人次第、時間の使い方も人生の使い道もまたその人次第。どんな境遇にあったとしても、それをどう活かすかはすべてその人の責任、その人の自由なのです。

そうしてみると、子どもたちがこの自分で決める自由を学び社會に出ていくというのはとても大切なことのように思います。不自由の中で一生を終える人と、不自由は自分自身が決めているのだと悟り、自分が主体的に世界の責任を持つと決めて自分ルールを持ち自由に生きていくのではその社會の未来も変わっていきます。

引き続き、子どもたちの可能性を感じつつも子どもの憧れる会社を目指しているのだから社會と自分自身と向き合い、どのようなすばらしい社會にしていくかを掘り下げ、世界のモデルケースを研究し、どんどん楽しいルールを会社で創り自律を高め、新しい自由を社業を通して世の中に広めていきたいと思います。

伸びる感性を持ち続ける

物事にはすべてに調和、バランスがあります。対立したものが調和して物事は一体になっていきます。それは光と闇、火と水のように相反する性質のものがちょうど中間で折り合いをつけてバランスを取りちょうどいい具合に変化していくのに似ています。

この相反する性質のものを活かすには、どちらにも固執しないようなしなやかでやわらかな感性が必要になるように思います。古語にはそのバランスがあるものを中庸ともいいますが、この中庸は頭で理解できるものではなく心魂を磨き徳を備え、万物の調和の感覚を得ている自然と同様な生き方をできる柔軟性を持つ人たちが得ているように思います。

それはなんでも好いことに転じて活かす感性です。物事や事物を消極的に捉えるのではなく、それを楽観的に前向きに明るく捉えて味わい挑戦していく能力とも言えます。

自分のやりたいようにもっていこうとしたり、自分の思っている方へと向けようとしたり、自分を手放さなかったり、自分のできないことを避けようとしたり、自分に固執すればするほどにその柔軟性は失われて頑固になっていきます。

この時の頑固さとは周りが変化しているのに自分だけが変化しないでいようとすること、そして自分が変化しなければならないのにいつまでも周りにばかり求めようとすることです。

この頑固さを手放し、周りの変化に合わせて自分の方をさらりと変えていくのが自然の姿であり柔軟性を持ったということです。そのためには変わることを悪いこととは思わず、新しくはじまることを好いことだと信じ、常に挑戦していくのを楽しもう、どんな未来になっていくのかをワクワクしてやってみようと好奇心を発動させていくことで柔軟性はさらに磨かれていくものです。

この柔軟性がなくなってきて固くなれば死に近づいていきます。あの新芽の若い新緑の木々たちのような柔らかな姿、新しい環境に自らが喜んで周りと一緒に成長していこうとする豊かな姿。成功や結果よりも、「成長する喜び」に生きようとするものはすべてにおいて柔軟性を発揮していくように私は思います。

マジメニチャントヤロウとするよりは、成長していこうと機会をチャンスととらえてその機会を活かすような生き方をすることでいつまでも若い瑞々しい柔軟性を磨いていくことが変化そのものになっていくことのように思います。

あの三つ子の魂たちのように、イキイキワクワクと成長していく仕合せと伸びる歓びのままに純粋に生きている子どもたちのような姿こそ柔軟性でその子どもたちのあこがれるような生き方を志すのなら決して忘れてはならないものがこの伸びる感性を持ち続けることなのです。

常に成長を信じてやっているか、常に変化を味わって好奇心で取り組んでいるか、自分の好奇心が枯れて干からびていかないように常に変化の水分を吸収して明るい光をもって伸びていきたいと思います。

失われていく文化

昨日、佐賀県鹿島市にある創業100年以上続く漬物蔵「漬蔵たぞう」に訪問してきました。聴福庵の風呂に使う樽を譲っていただくことになり選定と発送作業を一緒に行いました。

その樽はすでに50年以上経過しており、15年前から使っておらず今では蔵の中の大きなモニュメントとして活躍していたものです。蔵を拝見すると、その空間には発酵蔵として長年生き続けてきた息遣いを感じ発酵場があることを実感します。

私も自宅裏の森の発酵場で伝統の高菜漬けを種から育てて漬けていますが発酵場独特の空気感や酵母の醸す香りや佇まいには癒される思いがします。この蔵の中に置いてあった樽には、100年間漬物一筋に手作りで手掛けてきた人との思いや、その中で共に暮らしてきた菌たちも樽に住み着いているように思います。

その樽を使わなくなった理由をお聞きすると、桶職人さんがいなくなったことが一番大きいと仰っていました。これだけの巨大な樽のたがをしめることができる桶職人がこの地域からいなくなりメンテナンスができなくなったそうです。

この地域は、肥前浜宿といって長崎街道の脇街道として酒造を中心に栄えた宿場町です。本来は酒を醸造するために大きな樽がたくさんあったものですが、その樽も次第になくなり桶職人さんもいなくなって今に至ります。

本来、伝統文化というのは職人さんがいてこそ成り立つものでそのつながりの中で様々な伝統が維持できていきます。大工、左官そして鍛冶師と研師が一体であるように、この樽や桶と酒、漬物、味噌、醤油などの発酵師たちもまた一体なのです。

意味があってあった職業が今では西洋のものと挿げ替えられ、伝統のものを修繕したり修理する技術も失われていきます。消えていく文化というものは、連綿と続いてきた先祖の知恵が消えていくということです。

先祖の知恵によって数千年も生き続けてきた私たちはこの風土の中で生き残るために真摯に改良を重ね今も存在できていますが海外から入ってきた風土にそぐわない技術に安易に便利だからと飛びつけば取り返しのつかないことを未来に残してしまいます。

たとえ小さな種火であったとしても、その種火が遺るのならその種火からまた火を大きくしていくことができます。私が取り組んでいる伝統の高菜も種があるから続けられ漬け続けるから子孫へと継承していくことができます。

こんな時代だからこそ忍耐力が求められますが、何をもって成功というのか何をもって成長というのか、失われていく文化と向き合いながら子どもたちのためにもあらゆるものを甦生させ活かしていくために発明に挑戦していきたいと思います。

ご縁いただいたこの樽は、これから福岡県八女市の松延さまの手によって聴福庵のお風呂として甦生します。このお風呂の一つの物語が子どもたちに伝承され、末永く心に残っていく風景を醸し出すようにと祈り見守りたいと思います。

・・・義を見てせざるは勇無きなり。

たとえ目のくらむような巨大な壁に怯みそうになっても、失われていく文化を前に今、自分にできることから実践していきたいと思います。

生きる道~生き方と生き様~

一般的には人は職業によってやっていることが異なるものです。職業の違いで立場や役割を分けたりしては、その立場を守りその役割を果たそうとします。しかし現代に入り、ますます多様化した社会と合わせてAIなど人工知能の出現でこれからの職業は大きく変わっていくように思います。

そもそも職業から私たちは先入観でこういう仕事だと思い込みますが、職業がそうだからとそこから生き方まではわからないものです。医者をはじめ教師、もしくはなんらかの職人であってもその人の生き方次第では同じ職業であったとしても全く異なることがあるからです。

私たちが本来、大事にしないといけないのはどのような生き方をするかを決めるのであってどのような職業に就くかというのではないと私は思います。職業に就いたからそうなったのではなく、どのような生き方をするかと覚悟を決めたからこそ人は為るからです。

人物というのは、世界のどの場所にも存在していてそれは職業で分かれているのではなくやはり生き方で存在します。どんな生き方をしているかを観て、そこに自分が共感し、その生き方を尊敬して自分の生き方に反映させていくということ。

これが生きる道であり、どんなにAIや人工知能、また社会が多様化して時代が変化してもこの生きる道は変わることはありません。

生きる道とは生き方のことです。

「あなたはいったいどんな生き方をしますか?」

この問いは、一日の時間の中でどんな生き様をするかということ。自分の決めた生き方が生き様になりますから、どんな生き方をするかがその人の人生そのものになっていきます。

職業の別や方法論に入る前に、自分の生き方に出会うことが自分の生きる道を見出すということです。後ろから歩んでくる子どもたちのためにも誰が何と言おうと勘違いされようと、自分の生き方は自分で決めて自分で貫くような人生を歩んでいきたいと思います。