生を全うする

よく暮らしフルネスを体験する人たちが「時が経つのを忘れた」という感想を残していかれます。いつもは時間を気にして生きていますが、この場所に来ると時間を忘れるといいます。これはどういうことでしょうか。

私も元々時間を忘れて何かに集中しよく没頭するタイプです。気が付いたらこんな時間という日々の繰り返し。いつも夜になってもう夜かと思い、早く朝が来ないかと準備します。

別に楽しいことばかりではありません。時には楽しくないことも辛いことも多々あります。しかしいつも時を忘れるのです。これは時間を気にしていない、スケジュールを入れないということでありません。今に集中しているということであり、ご縁や流れ、繋がっている物語の中で意味を深め続けているともいえます。別の言い方では、一期一会に学び続けるといってもいいかもしれません。

私にとってこの毎朝のブログもその日その日にあった気づきや洞察、直観を振り返ることに活かしています。他にも日記を書いて、一行詩も書きます。初心を忘れないように何度も思い返し、自分の特性で道で注意することを反省するチェック項目もチェックしています。それが終われば、お蕎麦を食べお茶を点てて仲間とあいさつして暮らしのはじまりです。

そもそもかつての人たちはどのような暮らしをしてきたか。

現代のように秒単位で時間管理をしていたかというとそうではありません。一刻二刻と時を丁寧に刻むように暮らしに集中していました。自然の変化と共に、少し早めに自分の変化の準備をする。丁寧に暮らしていくために様々な年中行事に支えられました。そしてそのどれもが頭ではなく心で暮らすのです。

時が経つのを忘れるというのは、脳が忘れたということかもしれません。脳を少し休め、心の時間をゆったりと過ごす。心が豊かなになる時を刻む喜びは、まさに今に集中できる仕合せです。

畢竟、人生というものはどのような今を刻むかということです。

心が感得する懐かしい刻を忘れないで生を全うしていきたいと思います。

喜びの本質

昨日は仲間たちと一緒に柚子胡椒づくりを行いました。大勢で一緒に作業するのは心地よく、あっという間に時間が過ぎましたが心身が深く癒されます。この感覚は一体何かということです。

人類は今までどのようにして生き延びてきたか。

本能というものや潜在意識にその智慧は喜びとして記憶に刻まれているものです。例えば、美味しいという喜び。自然の恵みをいただくと喜びを感じます。また子どもが誕生する喜び、家族ができる喜びなどもあります。

人は喜びの中に、大切にしてきたかけがえのない智慧があります。

また同時に懐かしさというものを感じるものです。この懐かしさは、心が喜んだという記憶です。何度も何度も繰り返して心が喜んだことが記憶で伝承されているのです。助け合いの記憶や、愛に包まれた記憶は心の奥底にいつまでも生き続けているものです。

ご縁も同様です。

何度も生まれ代わり巡り会う、先祖が結ばれた人たちとまた再会する。

このような喜びもまた、私たちは感覚として直観するものです。繋がっているという喜びや一緒にいる喜び、これもまた私たちが生き延びてきたからこそ得ている感覚です。

喜びというシンプルな感情の中で、私たちは真理と共に歩みます。

子どもたちにも喜びが多い人生を歩んでほしいと願います。徳の喜びが循環する世の中になることを祈り、暮らしフルネスの実践を続けていきたいと思います。

真の発明

この時季は私たちは保存食づくりの豊かさを味わっています。お漬物をはじめ、干し柿や柚子胡椒など目白押しです。乾燥野菜などもそろそろはじまります。今では、冷蔵庫があり缶詰めもあり冷凍できますから保存食など必要ないと思われるかもしれません。しかしかつては、保存食がある御蔭で様々な困難を乗り越えてきました。いつの時代も、智慧を失わないように今も生きることは子孫のためにも大切です。

保存食の美味しさというものがあります。

これは通常の旬で食べるものとは異なり、また別の味わいがあります。例えば、この時季は柿が旬でとても美味しいです。しかし間もなく熟れすぎてしまい食べることができなくなります。それを干し柿にすれば春頃まで食べれます。発酵して甘さも格別です。健康にもよく、必要な時に食べることができます。

自然の中で保存する仕組みを発明した人類こそ、真の発明者ではないかと思います。比べるものではありませんが、ガソリンや原子力をつかった発明よりも私はとても共感できます。

自然の仕組みの中でも、自然への負荷がほとんどなくそのもののいのちをより活かすという智慧と技術。これは自然への畏敬や、自然と共生し感覚を感受できる喜びを知っているからこそ発明できるものです。ここに偉大な人格を感じてしまいます。

この世は徳の世です。

徳が謳歌し、徳が活かしあいいのちは百花繚乱に耀きます。光が充ちて何も不必要なものはなく、ゴミがでるなどということもありません。必要不可欠なもの同士が、絶妙に結び合って生きる喜びはかけがえのないものです。

保存食の発明は、その中で活かされてきた真心の伝承ともいえます。この価値は美味しさが証明します。自分の手で、丁寧にいのちを別のいのちに転換していく仕合せ。

今日も暮らしフルネスの実践を楽しんでいきたいと思います。

老いの道

加齢とともに脳の情報処理速度は衰えていくといわれます。これは脳だけではなく、身体のあらゆるものは衰えていきます。若い頃は、筋肉増強で筋トレすればすぐに筋肉はつきましたが年を取ってくると筋肉を衰退させないための筋トレになっています。すべての生き物は、変化して死に向かいます。その過程を体験することはとても大きな学びがあります。

身近な存在だと祖父母や両親です。ずっと一緒に暮らしてきても、ある時にふと年をとったと感じます。できていたことができなくなったり、耳が遠くなったりと不便なところに遭遇します。今までできていたことができなくなるというのは、下降していく感覚です。若い時は、何でも新しくできるようになるという喜びの方が多く、高齢になればできなくなる辛さというものもあるのでしょう。しかしよくよく観察すると、できなくなったことを他の方法でやったり、コツを使うんで最小限の力でできるように創意工夫していることもあります。

つまり知的好奇心というものや学びという感覚は死ぬまで衰えることはないということでしょう。肉体や感覚が衰えても、それはあくまで借り物の道具が弱っていくだけで精神や心は変わらずに成長を已まないということです。

常に心を若く、好奇心をもって学び続けている人は老害にもなりません。謙虚に素直に今、起きていることからご縁を悟り、人の話に耳を傾けてできることや使命を全うしていくのです。

また徳を積み続けていれば、周囲がその徳を見守りさらにみんなで助け合い仕合せな暮らしを創造していくこともできます。

つまり生き方というのは、衰えることがないということかもしれません。

つまり道に衰退なしということでしょう。そうすれば、老いたる馬は道を忘れずといううように仙人のような風格を保つ存在になるのかもしれません。

道は無窮、丁寧に老いの道を拓いていきたいと思います。

柚子の恩恵

いよいよ今週から英彦山の守静坊の柚子を使って柚子胡椒づくりがはじまります。一説に由れば、柚子胡椒の発祥は英彦山だといわれます。代々、山伏たちが薬用として柚子を用いていたことが起因するようにも思います。

元々柚子の発祥は、中国の揚子江上流生まれであり、飛鳥、奈良時代に朝鮮を経由して日本に入ってきたと言われています。現在では、柚子は自宅のお庭などにも植えて栽培しているところも増えています。英彦山の宿坊にある柚子は、老木で高木です。凛とした佇まいと清々しい佇まいに柚子の気品を感じます。

柚子の科学的な効能としてはビタミンCが豊富で、免疫力を高め、風邪予防や美肌効果が期待できること。ペクチンが含まれており、整腸作用や糖尿病、動脈硬化の予防に役立つこと。リモネンが血流を改善し、消化吸収を助けること。抗酸化作用により、肌のハリを保ち、シミを予防する効果があること。クエン酸が食欲を増進させることなどが有名です。

もうすぐ冬至にゆず湯などに入りますが、これも理由があってゆずの皮に含まれるヘスペリジンが毛細血管を広げて血流を促し、体を温めるはたらきがあるといわれます。これはリモネンやヘスペリジンが血流をよくするので、体を温める効能があるのです。

またゆず湯に入ると風邪をひかないといわれるのは、冬至を「湯治」に合わせ、柚子を「融通」にかけた語呂合わせの縁起担ぎともいいます。柚子の香りは邪気を払う効果があるとされ、陰極まって陽になる冬至には最適なのです。

昨年もゆず湯に入り、祐徳石風呂で蒸され仕合せな時間を過ごしました。

柚子胡椒は冷凍庫の保存もでき、一年中、私の十割手打ち蕎麦の大切な薬味にもなってくれています。身近な自然の恩恵が私たちのいのちを支えてくれます。

自然への感謝、循環の恩徳を忘れずに今週も暮らしフルネスを味わっていきます。

継承と伝承 智慧のバトン

継承と伝承というものがあります。継承は、権利や財産を含め今まであったものを受け継ぐことです。しかし伝承は、受け継ぐだけでなくそれを次に伝えるという使命があります。継承した上で伝承をするというのが本来の姿でしょう。しかしそのまま伝承するというのは簡単ではありません。

時代背景が刻々と変化する中で価値観も新たな発明品も増えて環境が変わります。むかし当たり前だったことが次第に珍しいことになり、便利さや効率さ、金銭的な価値観が入ってくるとかつてのように知恵を時間をかけてじっくりとゆっくりと取り組むこともなくなります。

常に今を温故知新し続けて本質を保つ努力や精進を続けなければ継承も伝承もできなくなります。つまりこれは継続の智慧と仕組みの話なのです。@

例えば、文化的な価値のある建築などを継承するとします。経年変化で建物は必ず壊れ修繕が必要になります。あるいは壊れようにお手入れが必要です。その費用や労力はかなりのものです。そしてその建物に纏わる歴史などを伝承していく必要があります。これは伝承する側の意志や信念が必要です。そうやって代々、次世代へと結びつながれていく中で智慧もまた残ります。

人類はそうやって後世に体験したことの智慧をみんなで残して生き延びてきた歴史があります。それぞれに大切だと思うものを信念で守り続けてきたのです。

東日本大震災のときに、津波が来ない場所に石碑があり避難訓練をする伝統の村がありました。そこは日々の訓練を通して、石碑に祈り津波対策をしていたことで大勢が助かります。もしこの知恵を継承もせず伝承もしなければ、多くの子孫たちが犠牲になるのです。

伝統も伝承も継承も、これを後世へつなぐ必要があってはじまるのです。まさに智慧のバトンです。

時代が変わっても、その大切な志や思いが受け継がれていくように真摯に伝承を続けていきたいと思います。我こそは食の伝承者と思う人はぜひご参加ください。

 

いい社會

会社経営というのはどのような社會にしていきたいかということと直結しています。どのような会社にするのか、これは会社がある数ほど存在します。それぞれに理想像があり、経営者を含め社員たちはその理想を目指して取り組むものです。それは文化や社風などですぐに現れます。色々な会社を見てきましたが、それぞれの社風や考え方があって共感できるものもあればまったくそうでないものもありました。

中国の古典、礼記の大学に「天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。」というものがあります。

これは国や社会をよくするには、家族や自分の行いを修めることだといいます。会社というのは、社會をつくっているものですから善い会社が増えればそれだけ善い社會が増えるということです。もしも悪い会社が増えればそれだけ社会も悪くなる。そう考えてみると、私たち一人ひとりがどのような会社を創造していくかは世の中の平和や安定、安心につながっているということでしょう。

いい会社というものはどういうものか。

以前、「いい会社、いい社會」と私が思う理念経営の会社を訪問し社員みんなで研修をしていたことがあります。清水義晴さんという高徳のメンターとのご縁の御蔭さまで、同じような理念を持つ会社をたくさんおつなぎしていただきました。この方もまた、会社を変えることで社会を変革することに生涯を懸けておられた方です。いい会社が誕生していれば、そこから世の中が変わっていくと信じておられました。

私はその中でも「徳」というものに注目しました。それぞれの持ち味を活かす経営、お互いの徳を尊重していく経営、一人ひとりが徳を磨いていく経営というものを目指し、子どもたちの憧れる社會を目指して今があります。

今は、先人たちの生き方や智慧の有難さに感謝してその徳を一つでも多く伝承していきたいと思うようになりました。懐かしい思いやりのある自然と寄り添い循環しあう心豊かな暮らしをどのように実現するか。

暮らしフルネスという生き方と新しい働き方に挑戦しています。

これからも初心を忘れずに取り組んでいきたいと思います。

老舗の甦生

老舗という言葉があります。これは「仕似す(しにす)」や「為似す(しにす)」という言葉が語源でそこから「家業を継ぐ」「似せて行う」という意味になるともいいます。

先祖代々、同じような商売を継続していくということです。例えば、その土地の資源などを使ってその資源を守り循環する仕事をするのならその資源が続く限りその商売も続いていくものです。現代は、グローバリゼーションで世界各地からお金を使って資源を輸入していますがむかしはその土地やその場所の周辺で資源を活かしあってきました。

冷蔵庫もなく、物流もそんなに発達していなかった頃は地産地消は当たり前でした。石油資源を通して現代は生活を形成しています。石油が止まったらどうなるか、ほとんど経済は機能しなくなります。遠くからもってきた資源で生活するというのは本来はかなり無理があることです。

身近な畑や田んぼから野菜やお米を収穫するのではなく世界各地の野菜がスーパーに揃います。それを支えているのもまた石油です。

老舗が失われていくのは、これに似ています。身近な資源、身土不二が失われれば老舗もまた失われていくのでしょう。その土地、その場所、その人々というのは風土の景色です。

懐かしい風土がいつまでも存在するのは、心の原風景がいつまでも残っていることでもあります。老舗は心の原風景を保った存在なのかもしれません。

引き続き、老舗を甦生しながら歩みを強めていきたいと思います。

温故知新の伝承

古いものを新しくするというのは、ただ新品に替えることではありません。古いものの本質や智慧を、今でも活き活きと徳が発揮できるように創意工夫して磨き上げることです。

古いものは決して古くなったのではなく、古くしてしまったということです。これはマンネリ化をはじめ、磨くことをやめたことで経年劣化していくものです。本来は、経年変化といって丁寧に変化に合わせて磨いていけば味のある飴色のようなうっとりするものに変化します。この状態になっていると経営であれば老舗と呼ばれ、文化であれば伝統とも呼ばれます。

この老舗や伝統というものは、温故知新し続けているものという定義もあります。常に新しくなっていく中で、大切な理念や文化、智慧が現代も生きているということ。本質を保つために、本質であり続ける努力や精進を欠かさないということです。

例えば、老舗であれば目的や理念というものを定めて開業します。それを1000年後も同じことをするというのは、環境も価値観も人も背景も変わりますからその都度、定めたものが変わらないようにあらゆるものを変えていく必要があります。そこで働いている人たちも代々変わりますから、その都度変化し挑戦し続けてバトンを後者に渡していく必要があるものです。これはとても大変なことですが、温故知新というのは古い何を観て、何を知り新たにするかという挑戦です。

創業者が何を観て、何をしようとしたか。それを何代も後の人が継承するのですが、その都度、初代になっているというものです。初代というのは、常に創業しているということ。つまり創り続けているということです。創らなくなってしまえばそこでお仕舞です。だからこそ、守り続け、変え続けるということでしょう。修繕などもよくよく観察すると、温故知新していかなければできないことです。

この温故知新には、思いやりや真心が必要です。

引き続き、伝承を学びつつ、自分のお役目を果たしていきたいと思います。

原理と先生

長い歳月、修練を積んでいると肩の力が抜けていくものです。無理をせずに、少しだけの力の入れ方でコツがわかるという具合です。まるでむかしの大工工具のくぎ抜きのようなものに似ています。この釘抜きは「座金」と「梃」の2つの道具を合わせて使うものです。

くぎ抜きと言えば、私の家の代々の家紋は丸にくぎ抜き紋です。このくぎ抜き紋の由来は、クギヌキの音が「九城を抜く」に通じて、縁起が良いことによるといいます。そして武将達はこの紋にあやかって武功を立て立身出世し家を繁栄させようと願うことからともあります。「釘を打つ」という言葉に「敵を討つ」を重ねたということもあるそうです。また門の閂(かんぬき)や墓地を囲う柵を釘貫ともいい、邪を退ける結界の意味もったといいます。

くぎ抜きの仕組みは、てこの原理を使います。これも大工の智慧の一つで力学の王道です。具体的には重い物を「小さな力で動かす」ことができる法則のことをいいます。支点から作用点までの「距離」と作用点の「重さ」を掛けた値が支点から力点までの「距離」と力点に作用する「重さ」を掛けた値が等しいということ。

身近でも、栓抜きやシーソー、あるいはスコップなど私たちはこのてこの原理を使って重いものや力がいるものを上手に扱っています。

特別な力がなくても、このてこの原理のようにコツを掴めば簡単に問題を解決することができます。若い時や力が有り余っているときはこのてこの原理など使わなくても、力業で乗り切っていましたが経験を通して余計なことをしないでも楽に力を発揮することを學ぶのです。その方が、無駄な力や無理がなく、スマートに美しく力を発揮できます。

これは力だけではなく、仕事や生き方などでも反映されていくものです。

くぎ抜きもまた、その原理を学ぶ先生でもあります。我が家の家紋に恥じないように、引き続き力を磨いていきたいと思います。