枝垂れ桜の妙

あることから枝垂れ桜のことを深めていたら色々と感じることがありました。もともと桜というのは、600種類以上あるといわれこの枝垂れ桜はその桜の突然変異で誕生したものです。

なぜ枝垂れるのかも仕組みもあまりわかっていないようですが枝が上に向かって伸びるのは枝の先端部でオーキシンという植物ホルモンが伸長成長させジベレリンというホルモンが肥大成長させることで生じます。それが何らかの原因で枝の上側にジベレリンが作用せず、肥大成長できずに枝が重力に抗しきれなくなり枝垂れるということまではわかっています。

この枝垂れ桜は別名をイトザクラ、オオイトザクラと呼ばれています。その歴史はとても古く、今から1200年前の平安時代からあったといわれます。現存する有名なものでは福島県にある「三春滝桜(みはるたきざくら)」です。これは樹齢1000年を超える老木です。

品種を調べてみたら下記のような種類ありました。

八重紅枝垂(ヤエベニシダレ)、紅枝垂(ベニシダレ)、清澄枝垂(キヨスミシダレ)、枝垂彼岸(シダレヒガン)、吉野枝垂(ヨシノシダレ)、菊枝垂(キクシダレ)、雨情枝垂(ウジョウシダレ)、糸枝垂(イトシダレ)です。

今年の春に英彦山の守静坊の前に、美しい枝垂れ桜に出会う機会がありました。

この枝垂れ桜は樹齢約200年、高さ約15m、幅20mあるといいます。その品種は一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)というそうです。これは江戸時代、上京した守静坊の山伏が京都祇園のしだれ桜を英彦山に持ち帰って移植したものだそうです。

神様の依り代として、桜の木を大切に目出てきた日本人の先人たちは枝垂れ桜に何を観たのでしょうか。今でもその当時の美しさは変わることはなく、変わっていく世の中においても神聖で優美なままで存在をひっそりと山で暮らしています。

人はこの枝垂れ桜に優美さに何を思うのか。

これから数年かけてその意味とその価値を深めて鑑照してもらいたいものです。子どもたちのためにも、伝統を守り、古からの真実を伝承していきたいと思います。

私の目的

私はこの「場の道場(BA)」で、日本の伝統的な文化を継承して温故知新しながら最先端の取り組みと融合させています。なぜこのようなことをするのかといえば、目的は明確で子どものためにということです。

この子どものためといっても、単なる一般的な世の中で使う子どものためではありません。もっと広義で子孫のためといった方がいいのかもしれません。子孫たちが安心して世界の中で自分らしく自分を生きていけるように先祖の思いやりをつなごうとしているのです。

私の暮らすこの場には、古いものと新しいものが共存し共生しています。よく言われるのが、ハイブリット型や善いところ取りなどとも評されます。しかしそれは、ちゃんと日本人の精神や魂、生き方を大切にしながら時代の中で創造されてきたものとの調和した暮らしを実践しているだけのことです。

先祖は、私たち子孫のために色々と深く考えてくれて偉大な思いやりを遺してくれています。その先祖の生き様や人生を無駄にしないのが、私たち子孫たちの責務であり使命であるはずです。

今の時代は、そんなことを思わず刹那的に今の自分の人生や世代だけがよければいいという短絡的な生き方が増えています。どれもこれもすべてその原因は、忙しくなることで暮らしを手放したことに起因しています。

暮らしがなくなれば、先祖の思いやりも届かないところにいってしまいます。私たちの先祖は、決して単なる文字や記録で子孫が守れるとは思っていませんでした。なので色々と工夫して知恵を働かせたのです。

その一つが、日本の家屋であり日本の伝統行事であり、まさに衣食住を含むこれらの「暮らし」にその仕組みをを入れたのです。

そしてそれを甦生し続けて温故知新する人物を、道を通して育成してきたのです。私が場の道場を開いた理由、そしてなぜ今、ここに「場」を誕生させようとするのかはその手段の一つであり目的を実現するためです。

子どもの仕事をしてきたからこそ、何をすることがもっとも「子ども=子孫」のためになるのかと四六時中ずっと思い続けてきました。そうすることで先祖とつながり、子孫へ譲り遺していく初心伝承文化に気づいたのです。

これから目的に人を集めるための動画を撮影していきますが、目的を忘れずに丁寧に取り組んでいきたいと思います。

甦生の技術

この世の中には、時間というものがあると信じられています。他にも自分というものがあるとも信じられています。つまり人は何かを信じればそれがあると信じるようにできています。

実際にないものであっても、自分があると信じればそれがあるのです。

その中には、本当に現実としてあるものと、空想の中であると信じているものがあります。ある種の思い込みといえば、ほとんどすべてはこの世の中は思い込みでできていますが思い込みを超えるような発見があるとき人は真実に気づくように思います。

その時、目から鱗が落ちるような体験、また我に返ったような体験、自分というものを超えた偉大な存在になったような体験などがあるように思うのです。思い込みから解放されるとき、人間は今まで見えなかったものが観えるようになるのです。

例えば、「いのち」というものがあります。

一般的には、動物のように呼吸をして心臓を動かし活動しているものはいのちがあると信じています。その活動が停止したらいのちはなくなったといいます。植物であれば、花を咲かせていたらいのちがあるとし、枯れてしまえばいのちがないとしています。つまり動と静によって、いのちがあることとないことを使い分けているともいえます。

しかし、もしも静であることがいのちがあることで動であることがいのちがないとしたら混乱すると思います。例えば、石であればじっとしていればいのちがあり、壊れていけばいのちがなくなっていくということになります。他にも、静かな湖畔はいのちがあり、蒸発してなくなればいのちがないという具合です。

簡単に動と静で生き死にはすべて語ることはできません。

ここに一つ、「甦生」というものがあります。それは「いのち」そのものを観るために動静そのものとは離れた絶対的に存在する何かを可視化する技術です。私は甦生と浄化の道を究めていくものですから、いのちそのものの存在をどう磨いて徳を引き出し、それを活かすかということを生業にしています。

甦生というのは、時空を超えてあるものを世代を超えても受け継がれた存在を永続的に守り続ける力のことでもあります。甦生させていくことで、私たちは伝統を守り続けることができ、いつまでもいのちを輝かせていくことができるのです。

子どもたちにこのことを伝えていくために、映像を遺してみたいと思います。今、来ているご縁を一つ一つ噛みしめながら自分のやるべきことに専念していきたいと思います。

発明の甦生

私たちは、現在文字を活用して様々なことを記録していくことができています。人類が文字を使い始めたのは紀元前3200年ころの西アジアのシュメール人の都市の絵文字がはじまりだともいわれます。その後は、紀元前3000年ころにメソポタミア文明のくさび型文字、エジプトのヒエログリフが出たそうです。

文字ができたことで私たちは「歴史」というものを持つことができるようになりました。文字ができる前を先史時代といい、文字ができて私たちは歴史時代というようになります。

人類は紀元前500万年~400万年前からいるといわれていますがそうなるとそれまでは文字を使っていなかったということになります。文字という発明があってからまだ5000年くらいしか経っていないのです。文字ができるまでの人類は一体どうしていたのか、それを考えていると改めて原点や原始の姿を想像することができるように思います。

世界の少数民族には、数の概念がなかったり、文字を持たない民族も多くあるといいます。ハワイも、今から200年前には文字を持たなかったといいます。つまり、歴史の中に入っていなかったということになるのです。私たちは歴史というのを当たり前に認識していますが、実際には歴史とは文字の歴史のことです。文字にできるものが歴史といわれるもので、さらには時間という概念ですら人間が勝手に仕立てたものですから人類のみが発明した一つの道具ということになります。

動物の世界や昆虫の世界には、文字はありませんし時間という概念もありません。

そう考えてみると、人間というものは不自然なものを多く発明していくものです。本来、残らないものを残せるようにし、記録できないものを記録するようになったのです。しかしこれが文明を加速させて、今のような歴史時代を築いたということでしょう。

そういう意味では、文字の時代はまだはじまったばかりで終わるのかどうかもわかりません。その前はなかったか、もしくは風化してしまったのか、それもわかりません。ただ一つわかるのは、それは人間が創造した発明だということです。

そして文字が生まれる前に「トークン(TOKEN)」というものがあります。

ウィキペディアには「紀元前8000年頃から紀元前3000年までメソポタミアの地層から出土する直径が1cm前後の粘土で作られたさまざまな形状の物体のこと。物品の商取引や管理に用いられていたと想定される。近年ではフランス人考古学者デニス・シュマント・ベッセラ(英語版)(Denise Schmandt‐Besserat)が世界最古の文字であるウルク古拙文字の発生の起源をトークンに求めた「トークン仮説」で知られるようになった」とあります。

「数」という概念を持ち、それを「記録」するということを思いつきました。そしてその「証拠」を確かめるということをした。最初は粘土と絵文字とコンテナという保存庫でしたがそれが多様に複雑になり文字が誕生していったのです。

それが現在、ブロックチェーンの出現によってさらにその数と記録と証拠があらゆる境界を超えて交換できるようになってきています。

本来、これは何の発明だったのかとよく考えてから取り組むことで歴史を正しく認識することができるように私は思います。引き続き、子どもたちの未来のために人類の幸福のためになる発明の甦生に取り組んでいきたいと思います。

 

丁寧な暮らし

生き物は美しい造形物を作り上げていくものです。私は若い時に拾った一つの貝を持っています。そしてもう一つ、石英の勾玉を持っています。身近に置いておくと心が癒され美意識が高まっていくのを感じます。

自然のもつ造形物はまさに完全無欠であり、どのような状態になってもそのものらしく自然体で驚きと感動を与えてくれるものです。

まずこの貝は巻貝ですが、科学的には炭酸カルシウムとタンパク質を融和させながら成長していきます。最初は小さな姿から大人になっていくにつれて次第に貝も大きくなっていきます。

つまりこの手元にある巻貝は、この貝の一生を生きた証ともいえるものです。美しい海の中で仕合せに生きたこの貝の姿を眺めていたり触っていると私はいつも心が癒されその美しい貝の姿から海の中でどのように過ごして何を貝は感じて生きたのかというものが伝わってきます。一つ一つの曲線の美しさ、そして肌触り、手に収まるくらいの大きさ、そのどれもが飽きることもなく何度みてもうっとりするのです。

出会いは宮崎の日南の海で、仕事中に走っていたら海の中に光っているものがみえ、車を止めて石やサンゴがゴツゴツとした中での出会いでしたが発見した時の感動は今でも忘れることはできません。

もう一つの石英の勾玉もまた不思議な出会いでした。ある森の中の美しい水が流れている近くで微睡んでいた時に土の中に光るものを感じて掘り起こしてみたらそこにあったのです。ドロドロで真っ黒でしたが、水洗いしたら見たことのない緑色の美しい姿になり透明な光が出てきました。

これは数億年という単位で、水が薄く流れる鍾乳洞のような場所で少しずつカルシウムと水が融和してできたものです。水晶などは1㎜成長するのに少なくても100年かかります。数万年単位で水に溶けたシリカなどが固まって石になるのです。

つまりこの手元の石には億年単位の石の生涯があり、その美しさがあらゆる模様や姿形に出てくるのです。私はこの石に触れるたびに、その歴史やドラマ、地球内部での暮らしを感じて悠久の時を思い出します。

いつかは死に別れることもありますが、私の身体もまた自然物の一つで造形されたものですから違うものになっていくのでしょうがいのちの本体がなくなることはありません。

私たちが美しいと感じるものは、このいのちの本体に触れているからです。

私は芸術のことや専門のことはわかりませんが、美しいものは何かということは本能で感じます。人はみんな自然物ですから真の美しさがわかるはずです。自然物に触れて、一期一会に出会いつつづけることで美しい人生はさらに彩られていくものです。

日々の出会いを大切に、美しいものを見逃さないように丁寧に暮らしていきたいと思います。

自然に学ぶ心

先日、あることから久しぶりに星野道夫さんの文章を読み返す機会がありました。美しい写真を撮るだけではなく、美しい生き方に憧れよく自然から人間を観察された文章は心に響くものがあります。

その中で、ちょうど今の時期に相応しい星野道夫さんの言葉を見つけました。

「人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。」

人の心は深くて、そして同時に不思議なほどに浅いというものに共感します。

人間には心とは別に感情があります。感情は常に鋭敏に自然の変化の真っただ中にありながら常に感応を已みません。小さな変化、生きている実感ともいえる感動を感得し続けているのです。つい目先のことに囚われて我執や固執してしまうのもまた、この感情が動いているからでもあります。

しかし同時に心は、深い海の底のさらにその奥のような深淵の世界が広がっています。海の上で風に揺れる波とは異なり、海底の深いところの海は静かで闇く穏やかなままです。

心は常に落ち着いていて丁寧です。人間はそう考えてみるといつも同時に2つの目を通してこの世を観ていることになります。感情の目と心の目です。浅い目と深い目とも言ってもいいかもしれません。

そこには自分からしか見えない狭い自己中心的な視野と全体や宇宙のような広大無辺の無の視野があります。まさに一物一心全体の自他一体の境地です。

日々に感情は波打っても、心はとても落ち着いて静かです。心の静けさに感情を合わせていくことで人は驚くこと豊かになれるのです。

私の言う暮らしフルネス™には、この暮らし方の意義もあります。日々の忙しさに追われてしまう仕組みが走っている現代社会において、如何に真の豊かさを持てるかは人類の課題になってきています。人工知能が発達すればするほどに、人はなんのために生まれてきたのかという課題に正面から向き合うことになります。

その時、人はどちらを選ぶか。

私は心の世界を大切にしている人が、感情だけではなく自他一体の境地で選択していってほしいと願っています。子どもたちに大切な人類の節目に、本来の自然からの英知と受け継がれてきた智慧を伝承していきたいと思います。

産業革命の進化と人間の真価

産業革命という言葉があります。ウィキペディアには、「産業革命(さんぎょうかくめい、英: Industrial Revolution)は、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革と石炭利用によるエネルギー革命、それにともなう社会構造の変革のことである。 産業革命において特に重要な変革とみなされるものには、綿織物の生産過程におけるさまざまな技術革新、製鉄業の成長、そしてなによりも蒸気機関の開発による動力源の刷新が挙げられる」と記されます。

この産業革命という視点から歴史をみると、世界ではこれまでに4度の産業革命が起きているといわれます。その始まりは18世紀後半です。少し整理すると、第1次産業革命は紡績機の発明と蒸気機関の改良です。これはイギリスが植民地から輸入した綿花を綿織物に加工して海外へ輸出するときに紡績機により大量かつ効率的に綿織物をつくるようになりました。それに蒸気機関によって鉄道や蒸気船が開発され、輸出も簡単にできるようになります。そして世界の覇権国家となって世界を席巻するのです。この産業革命はイギリスからヨーロッパ全体に広がり世界を飲み込みました。

そして第2次産業革命は重工業の機械化が実現し、主要エネルギーは石炭から電力・石油になります。同時に自動車や航空機、船舶の大量生産がはじまりマーケットの獲得競争が激化します。そのために必要な原料や労働力、マーケットの拡大が切っ掛けになり帝国主義がはじまります。

次が第3次産業革です。ここでコンピューターが登場します。運搬や溶接を行う産業用ロボットをはじめ今まで人間が行っていた単純作業が自動化され、産業構造における労働が激変しました。今では当たり前になっているインターネットの普及も第3次産業革命のうちに入ります。

ここまででもたかだか百数十年くらいなものです。

私たち人類の歴史の中では、まだほんの少し。ついこの間まではまったく異なる世界が動いていました。それが産業革命によって人類の社会構造は激変し、今ではその産業革命によって出来上がった新たな世界、つまり人間社会をつくりあげています。経済がまわるのもこの産業革命によってであり、その相互依存はもはや密接であり切り離すことも不可能です。

そしてこれから第4次産業革命が誕生するといわれています。簡単にいえば第4次産業革命はこれまで人間が担ってきた労働の一部がさらなる自動化が進みます。無人であることは当たり前であり、労働力である人間の削減が進みます。つまり、人間が働かなくてもすべて機械やITで代替えできる世界をつくりあげようとするのです。

ドイツでは第4次産業革命と似た概念の「Industrie 4.0」(英語では「Industry 4.0」)という国家施策がはじまりました。これは製造業の「デジタル化」「コンピュータ化」を進める(サイバーフィジカルシステム化)ことで、国全体を1つの工場化するというのです。

そして第4次産業革命においては、「IoT(Internet of Things:モノのインターネット)」「AI(Artificial Intelligence:人工知能)」「RPA(Robotic Process Automation:ロボットによる業務自動化・自律化)」が進みます。

つまり第3次産業革命の自動化から第4次産業革命の自律化に向かっていくということです。自動化は、人間がやっていることをプログラミングで自動化しました。しかし、自律化は人工知能をつかって目的に対して自律的に働くようにするのです。つまり、ほぼ人間の状態に近づいていくということでもあります。

目的に対して知恵を出し、目的を達成する。

これは本来、人間が働く中でとても重要なことでロボットであったこととの大きな違いであったものです。しかしロボットに知恵が入り、人間でしかできなかったところにまで機械やITで可能になったということです。

これにより産業構造は激変することは間違いないことです。

ここまでで百数十年、ということはこのさき十数年でこの世界は変わっているということも意味します。その時、私たちは何のために生きるのかという問いと向き合うことになると私は思います。

私の取り組む暮らしフルネス™は、まさにこの第4次産業革命時代にこそ必要な生き方になると確信しています。

引き続き、未来を見据えて子どもたちにとって最善な生き方と在り方を深めていきたいと思います。

野生の直観

ここ数日、藁ぶき古民家のことで野生動物のことしか考えていませんが何か懐かしいものを感じています。幼いころ、夕暮れ時の神社の境内や、深い森の向こうに野生動物の気配を感じていました。

どこか自分とは異なる世界にいるものとして、敬意を払いいつも適切な距離を保っていました。野生動物たちは怖さもありながらどこか純粋無垢の愛らしさもあり、ついこちらが近づきすぎるとハッとさせられることがありました。

野生に触れる懐かしさは、そこに何か捨ててきたものを感じるからかもしれません。

おかしな話ですが、今も時折、野生だったことを思い出していると懐かしさがあります。自然と一体になり、自然と同じリズムで呼吸をする。そして生きるために、いのちの差し引きをする。これは生きていくうえで、お互いに仕方がないこととして本能と語り合うのです。

今ではその必要ないほどに人間社会は食べ物が溢れ、安心安全が保障されてきました。野生の世界を垣間見ることはなく、ほとんどが野生動物とも触れない日々です。

私は衛星放送の動物番組が好きで、ずっと長い時間でも観続けることができます。東京に住んでいたころは、週末になると動物のチャンネルをつけ一日中ずっと眺めていました。特に野生動物の生きる姿を撮っているものには、感動と感激が多く言葉にならない共感がありました。

写真家の星野道夫さんのアラスカでの写真や、その文章にも同様の懐かしさを覚えています。動物と人がまだ一体になって暮らしていた時代、自然の中で分け合って尊重しあって助け合っていた時代、その境界のような世界を感じるのです。

本能的に私たちは野生の直観を持っています。

最適ないのちの距離を保ちつつ、これからの野生動物との距離感やかかわり方を子どもたちに伝承していきたいと思います。

畏怖の念~自然との境界~

藁ぶき古民家のアライグマの駆除について色々と調べてみると、大変なことがわかってきます。特に、これらの野生動物は特定外来生物に含まれるため、傷つけたりした場合は鳥獣保護法で罰せられることもあります。もしも違反した場合は100万円以下の罰金もしくは1年以下の懲役を科されてしまいます。 なので基本的には「追い出す」ことや「近づけない」ことしかできません。

しかもその野生動物に赤ちゃんがいた場合、家から追い出してしまうと赤ちゃんだけでは生きていけないので死んでしまうと違反したことになり先ほどの罰則がきます。大人になるまで待ってから追い出す必要があります。しかしその間も、人間に害のある状態(例えば、糞による病原菌やマダニ、回虫、また襲われる等々)の不安が付きまといます。時としては人間が襲われて死ぬにも関わらず、個人としてはどうしようもありません。また追い出したとしても、その追い出したアライグマは一体どこに移動するのか。もしかすると別の民家に移動してまたそこで害になるかもしれません。まさに、動物名が異なりますがいたちごっごで埒があきません。

なぜそもそもこんなことになってしまっているのか。近年は、ますます動物たちの害が増えていき農作物は荒らされ、都市部にもあらゆる野生動物が住み着いてきて荒らしています。人間界にどんどん入ってきては、人間もコントロールすることもできなくなっています。これは動物に限らず、ウイルスをはじめあらゆる病原体が人間を脅かすようになってきました。

これは少し考えてみると感じるのですが、かつては人間と自然との境界線を緩やかにもうけていてお互いを尊重し合って共生関係を結んできたものが崩れているからであろうと感じます。

例えば、山と里の間、昼と夜の間、また食物循環などが機能していたころはお互いをあまり邪魔しないように距離を保っていました。生活圏にゾーンがあり、そのゾーンはお互いに確保しあうという具合です。しかし、人間が一方的にその相手のゾーンに踏み込みそれを浸食すればその生き物たちはこちら側になだれ込んできます。

それをいくら駆除しても、もはや手遅れでコントロールすることすらできません。それが現代の問題になっているように思うのです。うまくお互いを尊重し合うというのは、自然への畏敬であったり、自然界への畏怖であった、お互いに循環を担う一員としての責任のようなものです。それが失われたことが、今の問題を引き起こしているんであり問題を先送りしてもそれはまったく問題解決にはならないのです。

この法律の問題も同様に、いくら法律で罰則をつくりその場しのぎで対処したとしても本質的な問題は何も解決していません。それでみんなが困っていくのです。部分最適のその場の対処法はかえって問題を広げていくことを証明しているのです。

自然のバランスを壊すということがどのような問題を引き起こしていくのか、科学でなんでも征服できると勘違いしてしまうと大きなしっぺ返しがやってきます。自然はそれだけ畏れおおい存在です。むかしの日本人は神様として畏怖の念を忘れませんでした。

これからの時代、自然現象が大きく私たち人類にメッセージを発信してきます。いち早く気づいた人たちで、如何に自然と調和し共生する智慧に原点回帰していくか。まさに今は試練の時なのでしょう。

人間のルールの問題もありますが、今回のアライグマのことも真摯に対応していきたいと思います。

人間と向き合う

昨日、ちょうど藁ぶき古民家の甦生で塗装をしている最中に天井にアライグマが出没しました。たぬきは昔から日本にいたということは、昔話などでも知っていましたがアライグマはどうしているのだろうかと調べてみたら最近入ってきた北米からの外来種であることを知りました。

海外からの動物が日本で野生化してさらに困っているという事例は、奄美大島のハブを退治するために輸入したマングースがかえって奄美の黒兎を襲い困っているという話を思い出しました。

アライグマも人間のエゴで輸入が始まり今では害獣として駆除対象になっています。この辺の歴史のことを少し調べたものを書いてみます。

原因は、1970年代にアライグマはその当時のアニメのキャラクターにアライグマがいたことで人気になり海外から大量に輸入されたことが起因になっているといいます。幼少期は人によくなつくそうですが、もともと気性が荒いアライグマは成熟して狂暴化したりするのでペットには向いておらず飼育できない飼い主が森に逃がしたといわれます。またそのアニメの主人公が物語の中で森に放つ姿をみて真似したともいわれています。

どちらにしても飼育ができなくなった家庭がアライグマを自然に放してしまったことで、野生化した原因であるといわれます。動物園から脱走して野生化したという話もあります。そして1980年代から徐々に生息域を拡大し続けた野生のアライグマは1990年代には日本各地で発見されるようになり、2000年代に入るとアライグマによる農作物被害は非常に深刻なものになっていきました。

そのため2005年に制定された外来生物法でアライグマの無断の輸入や販売だけでなく飼育などが禁止され、今ではアライグマは害獣と区分されていますがもう繁殖の拡大に対して捕獲も追いつかず次第に増えていく一方ということになります。

以前、私も家で飼育していた鶏がアライグマに襲われたことがあります。夜に見かけると牙をむいて激しい形相でこちらに襲い掛かってくるかのような凶暴さでした。

本来、天敵であったオオカミがいれば生態系を維持してバランスを守ってくれていましたが現在はオオカミはすべて駆除されほぼ絶滅したため山の中の野生動物は繁殖をコントロールすることができず荒れ放題です。

人間の都合で生態系を乱したつけは、子孫たちの暮らしにとても甚大な影響を与えます。本人たちは安易にその時代に、その時の消費願望や欲求を満たして行動していますがそのツケを子孫たちがどう払っていくのか。すでにこのアライグマにおいては、日本全国に大量に広がって繁殖していますからもはや元通りになることはありません。

こうやって特定外来生物になっていくように、グローバル社会の中で私たちは本来はその風土になかったものを持ち込み、生態系を著しく破壊しています。そのことからかえってお金を大量に消費しながら対策を立てるというメリットもあったのでしょう。しかし現代のように、資源が失われ資金が潰えてきたらもはやデメリットでしかないのは明白です。

どうやってこれらの野生の動物とこれから共生していくか。これはコロナの状況にとても似ていると思っています。海外から持ち込まれて駆除もできない、どうやって共存するか。今、私たちは自然や野生との付き合い方、つながり方について真剣に向き合う時が来ているということでしょう。つまり人間と向き合うということです。

新しい時代、人間がどうあることがもっとも自然にとって最善なのか。人類はそこに向かって対話していくと思います。子どもたちが安心して暮らしていけるように、私たちなりの答えを生きてみたいと思います。