菖蒲の力

先日から湯屋を深めている中で東大寺再建に要する材木調達に従事した人々の保養のために重源上人が創始した石風呂が日本的サウナの起源に近いように感じています。

この石風呂は、石積みや岩窟の空洞を利用したサウナのような熱気浴施設です。その石を薪などで温めてその上に薬草を敷いてむしろを置き、中に入り湯気によって身体を癒します。

材木調達では怪我や事故が多かったため、施浴として開発されたものです。東大寺再建を苦しみではなく、人々の仕合せを願い行う聖武天皇の理念を重源上人は実践したことになります。

その中の薬草の一つに、菖蒲があります。

この菖蒲は、端午の節句などでも菖蒲湯にして今でも風呂につかる文化が残っています。菖蒲湯はその香りによって悪疫を退散させ、菖蒲湯は薬草を入れた温水浴としての民間療法となりこれが年中行事に結びついたとされます。同様の例として冬至の日のゆず湯があります。

薬効としては、ウィキペディアにはこうあります。

「菖蒲にはアサロンやオイゲノールという精油成分が多く含まれている。腰痛や神経痛を和らげる効果が期待できる。店頭で売られている菖蒲は葉の部分が多いが、血行促進や保湿効果の薬効がある精油成分は根の部分にあるので、それを望む場合は漢方薬局で相談するとよいまた、菖蒲には独特の香りがある。菖蒲湯にはアロマセラピー効果もあり、心身ともリラックスすることを期待できる」

この菖蒲を、むしろの下に敷くことで体調を整えたのがわかります。特にこの初夏や梅雨の時期は、季節の急激な変化で気温差や雨にうたれることから体調を崩します。その時に、菖蒲の力を借りて身体を回復させより免疫を高めて仕事に取り組むことで元氣を蓄えていたのでしょう。

遠赤外線や間接的な穏やかなぬくもりとこの薬効によって心身を癒すことが、善い仕事、善い暮らし、善い思想を場に創造したのでしょう。

子どもたちのためにもむかしの智慧を復古起新して伝承の価値を実践していきたいと思います。

徳の場づくり

先日から湯屋のことを深めていると、東大寺大勧進職として源平の争乱で焼失した東大寺の復興を果たした重源上人に何度も出会います。この方は平安時代から鎌倉時代にかけての日本の僧侶であり俊乗坊といいました。

この人物のすごさはその東大寺大勧進職を引き受けたのが当時で61歳の時、さらには東大寺の再建には財政的・技術的に多大な困難があったのをすべて寄付などによって自ら工事の陣頭指揮を執り復興を果たしたことです。

この人物は、浄土宗の開祖法然に師事し中国の宋へ3回も渡航し数々の知識や智慧を習得して帰国されました。造営と信仰を融合し、場によって人々の心を癒し安らげる仕組みで数々の功績を遺しています。

今回、改めて重源上人を知ったのは周防国の阿弥陀寺の湯屋の施浴でしたがこの人物が如何に徳を積み、徳を弘めたのかが伝わってきます。勧進帳にはこう記されています。

「東大寺勧進上人重源敬って白す。

特に十方檀那の助成を蒙り、絲綸の旨に任せ、土木の功を終へ、仏像を修補し、堂宇を営作せんと請う状

右当伽藍は風雨を天半に軼べ、棟甍の竦櫂を有ち、仏法恢弘の精舎、神明保護の霊地なり。原夫れ聖武天皇作治の叡願を発し、行基菩薩知識の懇誠を表す。加之、天照大神両国の黄金を出し、之を採りて尊像に塗り奉る。菩提僧正万里の滄海を渡り、これを崛して仏眼を開かしむ。彼の北天竺八十尺弥勒菩薩は光明を毎月の斎日に現じ、此の東大寺の十六丈盧舎那仏は利益を数代の聖朝に施す。彼を以って此に比するに、此猶卓然たり。是を以って代々の国王尊崇他無し。蠢々たる土俗帰敬懈るに匪ず。然る間、去年窮冬下旬八日、図らざるに火あり。延て此寺に及び、堂宇灰と成り、仏像煙と化し、跋提河の春の浪哀声再び聞え、沙羅林の朝の雲憂色重て聳え、眼を戴いて天を迎げば、則ち白霧胸に塞りて散せず。首を傾けて地に俯すれば、亦紅塵面に満ちて忽ち昏く、天下誰か之を歔欷せざらん。海内誰か之を悲歎せざらん。底露を摧かんより、成風を企つるに若かず。玆に因って、遠く貞観延喜の奮規を訪び、近く今上宣下の勅命に任せ、須らく都鄙をして、以って営作を遂げしむ可し、伏して乞う、十方一切同心合力、家々の清虚を謂ふこと莫れ、只力の能ふ所に任す可し。尺布寸鉄と雖も一木半銭と雖も、必ず勧進の詞に答え、各奉加の志を抽んでよ。然らば、即ち与善の輩結縁の人、現世には松柏の樹を指して比算し、当来に芙蕖の華に坐して結跏せん。其福無量得て記す加からざるもの乎。敬うて白す。

養和元年八月 日 勧進上人重源 敬白 別当法務大僧正大和尚(在判)」

どんなに少ない鉄くずでもいいし、どんなに短い布切れでもいい、みんなでこの東大寺を復興するために協力してほしいと依頼していくのです。これは東大寺建立の初心でもある聖武天皇の『大仏造立の詔』にある「万代の福業を修して動植咸く栄えんことを欲す、もし更に人の、一枝の草、一把の土を持ちて像を助け造らんと情願する者有らば、、」というところを伝承して記されています。

復興を祈願するのに、そのはじまりの目的を甦生させそれを実現させるこの重源上人に深い尊敬の念を感じます。私が現在、取り組んでいる徳の甦生もまたまったくこの人物の取り組んできたことと同じです。古い民家や、日本の民族伝承、それらを復活復興させるために私も建築技術や教育などのコンサルティング、場づくりなどによってその徳を顕現させるように努めています。

私が今度、取り組もうとする湯屋にもこの重源上人の技術を参考にしようと決めました。また各地で取り組み始めた古民家甦生もまたこの東大寺の勧進に倣い、志を立てていきたいと思います。

先人の生き方は、私たちに未来をどうあるべきかを告げてくれます。引き続き、子どもたちのためにも徳のご縁を結び合う場を創造していきたいと思います。

風呂の起源2

昨日からお風呂の起源を書いていますが今度、挑戦し復古創新する「伝統の湯屋」は地下水を使う予定にしています。これは炭でお茶を飲む人はわかると思いますが、同じ水でも炭で沸かした水の細かさと柔らかさ、その湯気の美しさは格別です。そして水道水と地下水では当然、味もまったく変わってきます。

私たちは水蒸気になった空気を、呼吸を通して、また皮膚を通して全身から吸収していくものです。自然の加湿や除湿によって私たちは自律神経を整いますから、湯屋に入ることでそのような神経の乱れを調和させていたのです。

本来の湯屋のはじまりの仏教的な沐浴の意味は、ます「沐」は水を頭から浴びること、「浴」は水に身体を浸けることですがそれ以外にも煙・火・香料などによりけがれを落とすことも沐浴といわれていました。

私たちは清めることと整えること、癒すことなどをすべてこの「水」の不思議な作用を活用していたということです。サウナがここにきて流行ってきているのは、自律神経を整え精神を安らぎ癒すために大きな効果を発揮するからということでしょう。IT化が進み、より脳の一部を非常に酷使する生活の中でどうしても自律神経や交感神経、副交感神経はバランスをとりづらくなります。それをサウナを用いることで脳を癒そうとすることには私もとても共感しています。

さて昨日のブログの続きになりますが、江戸時代の銭湯は上下の別なく、裸の付き合いができる庶民のいこいの場所だったといいます。あれだけの人口で衛生面を維持するためにもお風呂は江戸の要ではなかったかと思います。高温多湿の日本で密集人口の中でいるというのは極めて蒸し暑さを感じるものです。お風呂からあがり団扇でゆっくりと風に涼んでいる様子が脳裏に浮かんできます。

江戸時代は男女の混浴が当たり前でしたが、風紀が乱れるからと幕府から何度も禁止令が出ています。禁止令を何度も繰り返すうちに、次第に男女別や時間帯別などになり、明治に入ってからは完全に男女別のお風呂になったといいます。

ところでお風呂のことを今でも「湯船」と呼ぶのは「湯を張った船」があったころの名残です。これは街中にしかないお風呂を、銭湯のない地域や田舎などの遠くの方々に入ってもらうために昔は船でお湯を提供していたからです。またほかにも街の通行人に入浴させた「辻(つじ)風呂」、そして人の多い場所まで風呂桶を担ぎ樹木の影などに置いて人々を入浴させた「荷(にな)い風呂」などもあったといいます。

ここまでしてでもお風呂に入りたいと思った日本の人たちは、穢れを払い心を洗い清める文化と合致して深くこの沐浴という習慣を愛したのでしょう。その後は明治時代には石榴口は取り払われ屋根に湯気抜きが作られたり、浴槽と板流しを平面にしたり、洗い場も変わっていきました。西洋文化が流入する中でお風呂のこれらの変化を「改良風呂」と呼ばれ人々の間でも評判になったといいます。また大正時代には、より近代化されて板張りの洗い場や木造の浴槽がなくなりタイル張りや陶器になりました。昭和に入り浴室のに、湯と水が分かれた水道式のカランが取り付けられ現代のお風呂の形になっていきます。

改めて、お風呂は何のために入っていたのか。そして今でもお風呂が各家庭にあり日本人が大の風呂好きといわれる理由がわかったような気がします。本来の「沐浴」の意味を復古し、この時代の「湯屋」を新しくする。

子どもたちに大切な文化を伝承するために、本物の日本のサウナに挑戦してみたいと思います。

徳経済

21世紀の経済システムは、競争の中で個々の利益(得)を優先して欲望を消費することによって発展してきました。資本主義経済やグローバリズムというものは、この損得というものを基準に如何に得をするかということをそれぞれの国家でしのぎを削ってきたとも言えます。

しかし、現在は米中貿易戦争やEUのバラバラな姿を観ていたらこのそれぞれにお互いの国家の損得だけで競争していたらもう世界は成り立たないことを実感します。一つの地球に住み、みんなで大切に資源を分け合っていた太古の時代を懐かしめば、如何に今の時代がそれぞれの国益を優先し奪い合っているのかがわかります。

日本には古来から「知足」という概念があり、奪い合うのではなくお互いが分け合うことで豊かな発展を続けてきた歴史があります。経済の本質は、損得だけではなく「尊徳」であり、その「徳」そのものを大切にすることでお互いに利益を享受し合う関係を豊かにしていくことができるように私は思います。

この「徳」が循環する仕組みが前提にあるからこそ、通貨や貨幣が人々の心を結び、信頼し合い助け合うための信の道具として活用されてきました。今の時代は、目先の損得ばかりが議論の中心になり長期的な視座における尊徳の方は議論にあがることもありません。

それは競争するということが大前提になっており、その中でその競争から離れて降りていくことはその世界から観れば負けを意味するからです。確かに勝敗の世界での一喜一憂は切磋琢磨していく上では大切なものです。しかしその勝敗に固執するばかりに、人類の幸福や本来の目的まで忘れてしまうというのは本末転倒しています。

協力が大前提になっている世界においては、お互いに大切にしていることが「徳」になりますから一人ひとりがみんなで徳を積んでいこうと行動していくことになります。この徳が、実際に経済を活性化させそのプロセスが人々のご縁や結びつきを強くし、関係し合う絆を強くしていたのです。

徳と経済を分けて考えるのではなく、徳経済という日本の伝統の思想を甦生させ今の時代のシステムを見直すことが未来へ生きる子どもたちへの私たち世代の引継ぎであってほしいと願います。

果たして少し損をすることは貧しいことなのか、本当は少し損をすることをみんなが行うことは何をすることになっていたのか。損をしないことばかりに躍起になるのではなく、みんなが損をしてでも大切なものを守りたいというものの中に本当の徳があるのではないか。

そして今の時代に私たちが住む家や食料や、衣服、様々な伝統や思想や文化があるようにそれを残し譲ってくださった方々がいたからなのは自明の理です。だからこそ、損することは長期的には偉大な得になることを大きな個人(公人)としてみんなが見守り育て譲っていくことが本来の個々人に求められていくように私は感じます。

個人個人と自分自分と、我が我がといがみ合うのではなく、みんなで一緒に生きていくことの仕合せや喜び、感謝や共感、共鳴や恩徳を味わい笑い合う世界を自分のできるところから発信していきたいと思います。

持続可能の基礎

物事には短期的なものと長期的なものがあります。現在の世の中はスピード重視、便利さ重視、結果重視で個人重視ですからどうしても短期的なものが増えていきます。すぐにリターンがあったり、すぐに成果につながらないものは効果がないとみなされたり失敗だとも評価されます。

しかし遠くにいこうとすればするほどに身近な失敗は成功の糧にもなります。また成長しようとするのなら、数々の失敗や挑戦を繰り返さなければ長期的に見てそれは成功ではないように思います。

むかしは、7代先を観て物事に取り組んでいくという視点があったといいます。常に300年先を見据えて何をすべきかということを話し合いそれぞれが実践に努めたのです。

持続可能な社會を掲げていてもそれが一向に進まないのは、それは短期的なもので持続可能を観ているからです。本来、持続可能や循環型、そういったものは長い歳月と一人一人の真摯な努力によってはじめて実現するものです。

二宮尊徳にこういう言葉が残っています。

「樹木を植うるや、三十年を経ざれば、則ち材を成さず。宜しく後世のためにこれを植うべし。今日用うるところの材木は則ち前人の植うる所。然らばなんぞ後人のために之を植えざると得ん。」

樹木を植えても三十年は待たないと材量にはならない。だからこそ後で使う人のために今、樹木を植えるのです。今、用いている材料はすべて先人たちが私たちのことを慮り植えてくれたから私たちはそれを使うことができています。その恩恵に感謝する心があるのならなぜ子孫のために植えようとしないのかという解釈です。

私たちは自分のメリットや今さえよければいいと、物事の判断を自分軸のみの物差しで計算して行動しています。しかしこれがもしも後世の人たちや子孫の人たち、先祖への感謝の報恩であればどういう物差しになるでしょうか。

長期的な物差しとは本来、これらの長い時間をかけて持続可能としていた社會の存在を感じて判断していくものなのです。何を計画するにも、その土台や基礎になっている初心や哲学、基本にその思想が入っていなければ決して持続可能の実践にはつながっていかないように私は思います。

二宮尊徳はこうも言います。

「遠くをはかる者は富み近くをはかる者は貧す。それ遠くをはかる者は百年のために杉苗を植う。まして春まきて秋実る物においてをや。ゆえに富有なり。近くをはかる者は春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず。唯眼前の利に迷うてまかずして取りえずして刈り取る事のみ目につく。故に貧窮す」

何が本来の豊かさであるのか、豊かさや富の本質を持続可能の社會ではまったく視座が異なることを私たちは先人の実践から気づく必要があります。

育てるという仕事も本来、長い時間をかけてじっくりと育てるものです。それは土づくり似ていて、何十年もかけて育ててきた土だからこそその中で立派な作物ができてくるのです。人づくりも然り、まちづくりも然りなのです。

自分の代で見返りがなくても、すぐに自分の代で結果がでなくても、本当の意味の子々孫々への思いやりや真心での持続可能に取り組む人たちが未来を変えていくのでしょう。

子どもたちのためにも、周囲の理解が得られなくても覚悟を据えて子どもに必要な伝統や風土、文化を伝承していきたいと思います。

快適な住環境

昨日は、自然農で育てた高菜漬けの漬け換え作業を行いました。8年目になる高菜や杉樽からはまるで熟成されたウィスキーのような薫りがしてきます。手塩にかけて育てて8年、まったく腐敗することなくいつもの姿がいつもの薫りと共に感じられることは仕合せです。

この手塩にかけるというのは、本来は昔の食膳に添えられた少量の塩のことを指しました。もともとは、不浄なものを祓うために添えられたものですが自分の好みに合わせて料理の塩加減を調節するというためにあったそうです。その意味から他人任せにしないで自ら面倒を見ることを「手塩にかける」と言うようになったそうです。

一般的には、「手塩にかけて育てた子」のように手間暇を惜しみなく愛情を注ぎこみ自らで世話をして大切に育てるという使い方をされますがこれは漬物も同じことです。

定期的に塩を入れてあげなければ発酵の乳酸菌が腐敗菌に入れ替わり漬物は私たち人間が食べれないものになってしまいます。これは万物は、消滅するために腐敗する自然の仕組みを発酵という自然の智慧を用いて乳酸菌を育て樽や食べ物を丸ごと住まいにしてしまうという発想からきています。

つまり樽は、乳酸菌の大切な家でありその家の居心地が乳酸菌にとって快適にしてあげればいつまでもそこで乳酸菌は活動を続けてくれます。乳酸菌が住んでいるからそこに腐敗菌は入ってこれないのです。乳酸菌にとって快適な環境は腐敗菌にとっては不快な環境です。腐敗菌にとって快適な環境は当然、乳酸菌とっては不快になります。

このようにどのような住まいを創るかで、私たちは健康を管理してきたのです。この自然の智慧と技術こそが自然の叡智の根本原理でもあります。私が古民家甦生でイヤシロチを創造するのは、この発酵の智慧を活用しています。

人間の住まいにとって快適なものとは本当は何か、それは単に便利かどうかではなく健康を末永く維持できるということです。その健康が維持される住宅だからこそ、私たちは先ほどの乳酸菌のように活動し腐敗菌を寄せ付けません。同時に不健康を寄せ付けなくなるのです。

日本の家屋というものは本来、この乳酸菌の樽のように健康を維持するための快適な環境を用意していたのです。それが不健康になってきたから、病気が増え、感覚が鈍り、居心地が悪くなってきているのです。

漬物も住まいも、他人任せにしてはいけません。自らで手塩にかけて育ててこそ本物の住まい、本物の場が醸成されるのです。

引き続き、場を学び直しながら改めて大切な智慧を子どもたちに伝承していきたいと思います。

地域の宝

先日から地域の宝を守るためにどうすべきかというテーマをいただき深め続けています。ここでの地域とは何か、それは中央か地方かといった地域ではなく、故郷としての地域です。

そして故郷とは何か、それは心の原点のことです。心の原点を愛する人たちによって、故郷は生き続け、それが失われることによって故郷は消失します。

残念ながら画一的になってしまった現代社会の中で、本来多種多様であった故郷の形状は破壊され、ほとんどの地域から故郷が消失しているように思います。地域の宝を残したいという声も次第に失われ、経済効果や生産人口の増加ばかりに地域政策が奪われ本来の大切なことを忘れてしまっているようにも思います。

私たちとっては、子どもというのは社會の宝です。社會とは何か、それは人間が共存共栄していく自然の智慧のことです。その社會の宝とは何か、それは子どもであることはいちいち説明する必要はありません。

子どもが消失すれば社會もまた消失します。子どもたちが創りだす社會が、未来の社會であり、それを見守るのが本来の大人の役割です。そういった原点、つまり宝を受け継ぎ引き継ぎ、つなぎ守ることが未来へ地域や故郷を遺す唯一の方法だと私は思います。

地域の宝を守るというのは、故郷を愛する人たちを守るということです。そして故郷を愛する人たちを増やすことで故郷は甦生していきます。故郷を愛するというのは、故郷の歴史を守るということです。

その時代時代の人たちが愛してきた記憶、そして暮らしてきた営み、つまり歴史を遺していくということです。もし歴史がなくなればその地域の故郷もまた失われます。まったく歴史を無視して、新しいものに入れ替えたなら歴史がなくなり人も心も消えていきます。

そうやって国土や風土がまるで他国のように入れ替わっていくのはすべてこの歴史を奪い故郷を消失させていくから実現しているのです。故郷とは歴史のシンボルなのです。そのシンボルを守ることこそ、地域の宝を守ることなのでしょう。

日本もまた戦後の政策によって地域が次第に消失していきました。地域再生などに取り組む人たちは、何をもって地域再生というのかをもう一度、よくよく考えてみてほしいと願います。

子どもたちが安心して心の原点を持ち、世界で活躍していけるように地域の宝を守っていきたいと思います。

摩滅と甦生~一期一会~

この世にあるすべてのものは滅しないものはありません。いくら永遠のように感じているものでも必ず滅するときが来るのです。それはこの地球も、そして太陽もまたいつの日かは必ず滅します。

そしてこの滅するという法理は、この世のすべてのものに適応されていきます。

例えば、私たちはたくさんの道具を用います。その道具は、時代に合わせてこの世を生きていく道具として私たちは様々なものを創り出していきましたがそのどれもが使っているうちに摩耗し摩滅して最後は滅します。どれだけ長く持たせるか、どれだけ手入れをして摩耗を甦生させていくかという観点からもったいなくいのちを使い切っていこうという発想が生まれます。

これを寿命とも言いますが、有難くいただいたものを最期まで感謝のままに大切に使おうという発想もまたこの滅することから生まれたように思います。

その滅するものの道具の一つに、「言葉」というものがあります。

言葉もまた、私たちの道具の一つです。私たちはその言葉という道具を使い、様々な用途に活かしていきます。その時代に必要な言葉を当てはめ、その人の哲学や使い手の価値観の中で言葉を使い時代を創ります。

その言葉は、次第に磨かれて研ぎ澄まされていきますが最後は滅します。そうやって時代時代に使っていた言葉も、滅して失われたり、もしくは書き残されたものがありますが読めないもの、意味が不明なものが出てきます。その道具が役目を終えている証拠なのです。

その役目を、新たに甦生するのはその道具を別の使い道にして新たにする人の解釈の力だとも言えます。普遍的な道具であればあるほど、摩耗して磨かれても研ぎ澄まされたまましっかりと生き残っているものがいまだにたくさんあります。いざとなった時のためにと先人が摩滅する前に遺してくださっているものもこの世にはまだたくさんあります。それを初心というのです。

その初心の価値に気づいた人たちが、かつての道具を甦えさせ現代の人々の困難を救っています。言葉も同様に、今の時代にとって必要なものを解釈し直し、それを伝道し、現代の人々の心を救っています。まさにこれが私の言う初心伝承なのです。

磨くことと滅すること、この二つはいのちの有り様そのものを表現しています。子どもたちのためにも一期一会を磨き、一期一会に帰するまで日々の有難いご縁を楽しんでいきたいと思います。

徳の再構築~時代を創る~

人間はそれぞれの時代を生きてきました。その時代時代に時代の特徴というものがあり、それは歴史を学べばその時代の背景や様子を観察することができるように思います。

人間は社會を形成する生きものですからどのような社會を形成したかでその時代を洞察することができるように思うのです。そしてその時代背景の中でどのように生を全うした人がいたかを私たちは学び、時には感動し、時には絶望し、その人々に共感するのです。

生まれた時代、そして場所が異なるだけで人生は多種多様な生き方がありそれを体験することで私たちは生まれてきた意味を知ります。改めて社會を変えていく仕事というもの、そして世直し業というものの本質を感じるのです。

現代という今を生きる私たちはどのような時代を生きているのでしょうか。

急速なスピード社會、大量生産大量消費の中で暮らしは消失して忙しく日々に追われるように生きています。個々のつながりは次第に断絶され、バラバラになってきているとも言えます。確かに便利になってなんでも思い通りになることが増えてきましたが、その分、心の満足感や充足感は感じにくい環境になってきているように思います。

時代というものは、その時代を象徴するような出来事があります。それが例えば、戦争であったり、天変地異であったり、人災があったりと様々です。どのような政治を行ったか、そして民衆は何を大切に暮らしを維持したか。その時代の価値観ともいうものもその時代時代に醸成されました。

明治の時代の価値観は、今の私たちでは理解できないものがあったり、もしくは江戸時代、鎌倉時代、はたまた縄文時代の価値観は今の社會では受け入れられないものばかりかもしれません。

しかしその時代は、その価値観で生きた人たちによって社會を形成したのです。

私たちは時代に学ぶ必要を感じます。

その時代時代に体験したことで得た智慧を如何に子孫たちに伝承していくか、それは時代を生きた世代の大きな使命であろうと思います。このような時代があり、みんなはどう生きたかという歴史の伝承は、未来を生きる子どもたちへの生きる問になっていきます。

そして今を生きる世代は、どのような背中を見せていくか。どのような社會を創ろうとするか、その姿勢が問われるのです。令和に時代は入りましたが、令和元年に生まれた子どもたちは22世紀まで生きていきます。

私などはどう頑張っても2100年を越えて生きることは不可能です。今世紀中には必ずいなくなるのです。だからこそ自分たちが創りたかった本当の社會、自分たちが学び、こうあってほしいと祈り願った社會の実現に向けてできることをやり切りたいと思うのです。

それぞれの時代で醸成された時代は、個の徳と社會の徳は合致していました。もう一度、徳の再構築を行い、この時代の徳を磨いていきたいと思います。

原風景と風土の徳

昨日、千葉県神崎にあるむかしの田んぼで田植えをしてきました。みんなで協力し、田植えをしお昼には昨年の新米で手巻き寿司をつくりみんなで和気あいあいと語り合いました。天気もよく、食材も地元神崎の発酵したものばかりを食べ、この田んぼで作られた酒米や甘酒などを飲み心も体も仕合せな時間を過ごすことができました。

「和」とは何かということを頭で考えて勉強をする人もいますが、本来の和とは「和」という言葉が先に生まれたのではなく和があって言葉ができたのです。その和を体験するためには、むかしからの原風景の中で原体験を得るしかありません。今の人たちはすぐに頭で考えて先に答えを出して、その中で価値があるものやメリットがあるものだけを取捨選択しようとする傾向があります。

体験することの価値が失われていることが残念で、本来は体験の中でこそその意味や言葉の価値を知るのが真実です。映画館の中で外から眺める人生ではなく、中に入って一緒に味わっていく人生の価値というものは和の醍醐味の一つです。

話を戻しますが、世界人口の約半数の人たちが食べるお米は地球上ではとても重要な役割を果たしています。特にアジアは米食文化で、様々な伝統行事や神聖な祈りなどもお米を中心に行われます。元号が変わる今年は、新嘗祭といって今までの稲の種を次の代へと引き継がれる大切な行事が行われます。

それだけ私たちにとって稲作というものは、この日本の風土の原風景であり、先ほどの田植えは日本人の原体験であるのです。

この原風景とは何か、辞書には「人の心の奥にある原初(一番最初)の風景。原体験から生じるさまざまなイメージのうち、風景の形をとっているもの。今はなくなってしまった、子供の頃の記憶のような風景。様変わりした現実の風景に対して、本来そうであっただろう、懐かしさを覚える風景。」と書かれます。またほかの辞書には「原体験におけるイメージで風景のかたちをとっているもの。」と書かれます。

私にとっての原風景の定義とは、「本来の風土の景色」ということです。もともとはじまりがどうであったか、この風土にしてこの景色ありということです。それは東南アジアの風土であればこの風景、北欧のこの風土であればこの風景、アフリカの風土であればこの風景というように、その土地が自然そのままあるがままの風景になったものということです。

現在は、風土に合わない様々な異文化が価値観のコントロールによってそれぞれの場所で展開されています。すると、原風景から遠く離れた光景が現れます。例えば、アフリカの真ん中に巨大なピラミッドがあったり、北欧にバンブーハウスがあったり、日本でアフリカの服装をしていたらすぐに原風景ではないことは気づくはずです。

つまり風土の中に人間も一体になり調和するとき、私たちはそれを懐かしいと感じ、原初の魂に触れているのです。こうやって風土に学び風土となることは、私たちの人生に大きな影響を与えていきます。

それを「懐かしい」という感覚で表現しますが、これは心に原風景を持ったということです。それを別の言い方では故郷を持つとも言います。風土が故郷になり、私たちはそこから出て故郷の価値を再認識し、どのように故郷と調和を続けるかを自覚します。そうやって自分の体や心を創ってきたもの、自分というものを育てて形成したものへの感謝や尊敬が自分の自信や幸福感を満たしていくのです。

当たり前すぎて語られることも少なくなりましたが、この風土という絶対的な価値に気づいている人は少ないように思います。

子どもたちもまた風土の化身であり、風土の景色です。

その風土の恩恵や徳を譲り遺していくためにも、私は子どもたちのために人生を使っていきたいと思います。