洗練された伝統の美意識

以前、埼玉県にある小江戸川越を散策したことがあります。この小江戸とは「江戸との関わりの深い町」「江戸の風情を残す古い町並みを残している町」、「江戸のように栄えている」という意味で使われています。

特に印象的だったのは、鏡のように磨かれた黒漆喰が塗られた土蔵造りの古民家の街並みのかっこよい姿です。この小江戸川越で黒漆喰で塗られている壁を「江戸黒」と呼びます。

そもそもなぜ土蔵造りにしたのかというと、それだけ江戸では火事が多かったということです。これは江戸に限らず火事のあった街道筋では土蔵造りの古民家を多く見かけます。私の古民家甦生で手掛けている福岡の長崎街道の飯塚宿幸袋や日田街道の比良松も明治頃の火事によってほとんどが焼失し土蔵造りが多くあります。これもまた火事対策のためです。むかしは放水などがなく、木造住宅が火事になった場合は周りに燃え広がらないように風向きをみて周辺の家を壊すしかなく対策がありませんでした。土蔵にすれば、その家には燃え移ることもないので土蔵造りが増えたのです。蔵の原理と同じで、土は燃えないという理からです。

そしてこの小江戸川越もまた、明治36年の大火でほとんど焼失し今の土蔵のほとんどが明治36年以降に作られたといいます。通常なら白い漆喰で塗られるのですが、なぜ黒漆喰なのか、それは「渋さ」を愛した江戸っ子ならではの粋であったからだとも言います。

しかしこの黒漆喰は、通常の漆喰よりも高価で手間暇が非常にかかるため現代で黒漆喰で壁をやるというのは費用も含めほとんど不可能に近くなっています。この黒漆喰は菜種油を燃やして取った油煙を漆喰に混ぜて漉した「黒ノロ」と呼ばれる塗料をまずつくります。そして表面に塗り込んで仕上げていきます。そしてその漆喰を塗り終えた壁に薄く塗り表面が固まってきたら布で磨くという作業を行います。さらに岩石を粉状にした砥之粉(とのこ)を打ち素手で鏡のようなつやが出るまで徹底して磨くという非常に手間がかかる作業でつくるのです。

今でも輝き続ける江戸黒の美しさは熟練の伝統左官職人の技と時間が惜しみなく注ぎ込まれたものなのです。

この「粋」という言葉は、江戸時代に生じた言葉で江戸の美意識や心意気を指すものです。そこから身なりや振る舞いが洗練されていることを言いました。つまりシンプルに言えば、「洗練されたもの」ということでしょう。そしてそれを「渋い」と尊称したのです。

私もこの日本の黒が持つ、深い渋みや洗練された色合いが大好きで身の回りのほとんどに黒を用います。私が黒を愛する理由は、炭にはじまりましたが夜の闇に火を灯した漆黒の美しさやぬくもりに感動してからです。

今度は、そんなに古くない古民家を手掛けますが温故知新された伝統和モダンの民家を私なりに深めてみようと思います。

 

 

後悔のない働き方

現在、働き方改革などといわれて時間を短縮したり業務をIT化したりと具体的なところばかりがフォーカスされますがそもそも働くとは何かということを議論されていることが少ないように思います。

世界には色々な働き方があり、それと同様に多様な生き方があります。生き方の方を尊重されている社會であれば、自ずから働き方も尊重されるはずですが残念ながら日本ではあまりそれがないように思います。

幼少期から画一的に規格内の平均値を設けられ優劣を相対評価によって集団に埋没するように教育を施されてきていますからなかなか個人でもそれを超えて新しい生き方を優先することはできません。周囲も応援してくれているというよりは、全体的な諦め感というかどうせ無理という声の方が多いように思います。

または自分とは分けて、有名人だからとかお金持ちだからとできない理由を恵まれた環境のせいにしていたり、自分の不憫な環境のためにという言い方もします。

果たして本当にそうでしょうか。

私はよく周りから新しいことに挑戦して日々に濃い人生を送っているといわれることがあります。現に一緒にいる人は、密度が高いから大変といって嫌煙されることもあります。しかし同時に楽しかったや充実しましたと喜ばれることの方が多いように思います。

その理由は、後悔のない人生を送りたいと思っているからです。よく後悔しない生き方をしたいという人がいます。この後悔しないことがつまり生き方であり、日々に後悔しないような仕事の仕方が働き方になるのです。

そもそも何のために働くのか、それは何のために生きるのかです。

だからこそ働き方改革とは、後悔のない働き方を選択していけば自ずから改革は進んでいくのです。残念ながら後悔する働き方をしているのが日本の大多数の現状なのかもしれません。では何が後悔するのか、一度、それを検証してみる必要を感じます。

目的がはっきりすればするほどに、人生は濃く充実していくものです。

働き方を子どもたちに伝承していけるように後悔のない仕事を楽しんでいきたいと思います。

 

本質を愛する人間~何のために生きるのか~

私は、こだわりが強いと色々な方に言われることがあります。この「こだわる」という語は、もともとは「ものごとがどとこおる」「つっかえる」など執着を表す言葉でした。国語辞典の大言海では、少しという意の「こ」に差し支える、支障があるという意味の「さわる(障る)」が転じた「たわる」という言葉だともいわれています。

つまり「こだわりが強い」とは、執着が強いと訳されるのです。しかし、よく料理人のこだわりや、職人のこだわりなど、妥協も一切なく本質を徹底するために削れるものはすべて削り落とすほどの熱意や情熱を傾けたものもまたこだわりが強いといわれます。

そのほかにも、オタク気質や誰にも評価されなくても自分の道を貫き通す人にもこだわりが強いといわれます。

このこだわりという言葉は、決してマイナスなイメージだけではなくプラスのイメージもまたあるのです。特に私は、本気の仕事に携わるとき本気の人と一緒に働くことに喜びと幸せを感じます。それはこだわりがある人たちだからであり、本質を愛する人たちだからです。

だからこそ私にとっての「こだわり」とは何かと定義すると、「本質かどうか」にこだわっている人ということです。つまりこだわりが強いという言葉の同定義は「本質的である」ということです。

限りなく本質に近い人、本質そのものが観えて本質のままに仕事を遂行する人はみんなこだわりが強くなっていきます。何にこだわっているのか、それは本質にこだわっているのです。

例えば、何かの物事があったときそもそもの目的から必ず考えます。その上で、何がもっとも目的に適ったものか、そしてどのようにその目的とプロセスを合致させていくかと目的から離れることはありません。

一般的には、すぐに他人の評価や、世間の物差し、業界の常識や過去の経験則、もしくは保身や楽を選ぶことから本質から離れていきこだわりも薄くなっていくものです。しかしそんなことをしていたら目的を見失い、結局は無難なものを選ぶことがもっとも最良という判断を持ってしまうものです。

それでは何のためにやるのかというこだわりを捨てなくてはなりません。私は何のためにやるのかさえ失わなければ、特にこだわっているものはありません。周りがこだわりが強いという反面、私自身はこれだけはというものや優先順位の高いものだけは決して妥協しませんが、それ以外は特にこだわっていることはほとんどありません。

こだわりが強いのは本質や目的だけで、あとはこだわりは薄いのです。

今更ながら、このブログを書きながらも私は目的にしか興味がないことに気づいていますからやっぱりこだわりが強い=本質を愛する人間なのかもしれません。

引き続き子どもたちのために、この日々のブログも精進していきたいと思います。

自由自立

人間に限らずすべての生き物たちには感情があります。さらに突き詰めれば、自然物は感情を持っているとも言えます。それは例えば、無機質といわれる生物ではないと一般的に言われるものであったとしても感情を持つのです。

こんなことを言うと頭がおかしいと思われるかもしれませんが、一つ一つの道具でも磨いてあげて綺麗にしてあげると輝き始めます。特に自然物に近いもの、木や布などは天気の状況や置かれた環境で影響をすぐに受けてしまいます。たとえそれが限りなく自然物でない人工的なものであったとしても粗末にすれば機嫌を悪くしますし壊れます。身近であればパソコン一つ、扱い方が悪ければ壊れますし携帯一つでも雑にすればすぐにダメになります。

この感情というものは、動物であれば天気のよい清々しい朝は鳥の鳴き声や虫たちが活き活きと活動しています。もしも天気が荒れている暴風雪や暴風雨などの日は、みんなおとなしくじっとしています。天気のように感情や機嫌も波状のように起伏しますからそれが感情がある証とも言えます。

この感情というものは、私たちが地球の一部である証でもあります。天気気候が万物普遍的に変化するのに対し、私たちの感情もまた同時に普遍的に変化します。それがある意味では生きている証であり、私たちのいのちが何を感受して感得して生きている実感を感じているかを味わう一つの感覚になっているのです。

この感情というものを向き合うことは、いのちと向き合うことに似ています。逆に感情を押し殺して無感情になろうとするといのちを避けていることになっていきます。

大切なのはいのちを丸ごと味わうことであり、感情を受け容れることで自然一体になっていくことがこの世で生きる仕合せにつながっているように思います。

色々ないのちと一緒に生きていく中に自分のいのちがある安心感はかけがえのないもので、どんなに感情を避けても自分の中のいのちや魂のようなものはどんな今も味わおうと積極的に生きています。それは身体が自分を生かそうとするように、自律神経が目覚めて活動しようとするように自然に湧き上がってくるものです。

自分に正直に生きていくということは、自分の感情を素直に味わい受け止めるということでもあります。自分のままでいい、素のままの自分が許されていることに気づくことが感情を愛することになるかもしれません。

一歩一歩大人になっていく中で、自分との出会いや付き合いは次第に深まっていくものです。自分というものを知り、自分というものを許し、自分というものを尊重し、自分のままであることに誇りを持つようになること。

自立とは、いのちの歓びでありこの人生への感謝です。

歴史に学び、先人たちの真の教えに触れ、一度きりの人生を生き子どもたちにその自由な背中を譲り遺していきたいと思います。

家の寿命

先日から木造中古住宅の甦生をはじめていますが、すでに間取りの問題などが出てきています。もともと建てる時に考えた住宅設計と現代に活用しようとするときの住宅状況では間取りが異なります。むかしの日本家屋のように、襖や障子で間仕切りされているのであればまだしもその後のリフォームなどで個々の部屋に分かれドアがつけられてしまうと使い道が急激に狭まってしまうものです。その場しのぎの住宅のツケがそのまま子孫に渡されていくのは家もまた同じです。

家を直すとき私がまず間取りの解体から入るのは、そもそもの家の暮らしから設計されておらず不便さの中にある「家の寿命」のこともよくよく考えてあげる必要があるからです。つまり家に住む人間だけではなく、家にもいのちがある存在として認め、家が長生きできるようにしてあげることが自分たちがそこに住む期間を安心して永くできるコツであると私は考えています。

平成19年の国土交通省白書で家のじみょうのい平均築後年数の国際比較が調査されています。そこには日本では30年、アメリカは55年、イギリス77年と書かれています。残念ながら日本の家の寿命の短さは先進国の中でもトップです。

ヨーロッパでは、むかしから昔ながらの家のままに親から子へ、そして孫へと受け継がれていくようになっています。パリの街はナポレオン三世が150年前に作った街並みと住宅がそのまま現在に至る基盤となり、そのままの形で残存しています。パリの家の平均築年数は150年です。日本でも、長崎街道をはじめ街道筋にある木造の古民家は築150年以上のものがたくさん建っています。しかし現在、お年寄りも施設に入りあまり住んでいるところがなく空き家になって廃墟と化しているところが増えています。本来の棟梁の魂の籠った立派な木造建築が、手入れされずにそのまま廃墟になっていくのは見ていて深い悲しみを覚えます。

日本の家の寿命が短い理由は、一つは戦後大量に建てられた大量生産大量消費の住宅の質がよくなかったことと、国の法定耐用年数が決められており、木造住宅なら20~22年で資産価値がなくなると判断されるため古くなると壊してまた新しく建てようと考える傾向があったこと。他にも、個人主義の歪んだ価値観が入ってきて、日本の家で暮らす価値観が変化してきたこと。便利で快適な生活を求めて都会に出てマンションやアパート暮らしをはじめて元に戻れなくなったもの。

もっとも大きな理由は、使い捨ての文化が当たり前になり欧米のように「家を長持ちさせよう」という意識が失われたことかもしれません。

しかし結論から言えば、日本の住宅の寿命は欧米に比べ短くなっており住居費の負担が増えるばかりです。そうなれば、子どもたちに譲り渡していく家がなくなればそれだけ住居費はかさみ、若いころの生活が厳しくなります。子どもができ育てていけば自ずから学費や生活費などの出費もかさみますから家は寿命が長い方が本来は価値が向上していくのです。

家の価値を高めるためには、暮らしの充実と家の修繕を続けていく必要があります。いつも綺麗に保つ工夫や、物が増えすぎない工夫、そのどれもむかしの人たちが実践てきた和の家の文化に残っています。

和の家を甦生させることが、現代でもむかしの家を復古起新し対応していくための方法です。引き続き、家を学び直しながら子どもたちに譲り遺していきたいものを甦生させ続けていきたいと思います。

 

 

家の寿命

現代建築の家の寿命は平均約30年くらいだといわれています。この理由は、耐久性を重視せずに建てられているからともいえます。また家主がその家を手入れしてまで直して使おうとしていないからだとも言います。実際に修理したりリフォームをしたりすることはしようとはせずに、すぐに解体して建て直すという常識もあります。

実際に、先日ある家を改築することになり色々と間取りを確認していたら生活スタイルや家族構成の変化に合わせて部屋を増やしたり減らしたりと改造されていました。途中からその時々に改造し、家を出ていきますから内部はだいぶ傷んでいますし使いにくくなっているものです。

それを次の活用に合わせてどうリデザインしてリメイクするかは、その家に住む人の判断次第です。ただしかつて100年も200年も長生きしている古民家を改修するのと現代住宅を改修するのとは異なり、メンテナンスの回数や時期も変わってきます。

例えば、土壁の漆喰や古民家のむかしの畳は床下から天井までの風通しがいいため長年傷むこともありません。しかし密封建築で風通しが悪いと、自然物を使ったものが呼吸ができずにカビが生えたりひび割れたりと痛みが早くなります。だから耐久性の低い人工物、例えばプラスチックの畳風のものを入れたり科学的に塗装した土壁風のものを入れることになります。

もともとそれらの人工物は寿命が短いことと、自然物ではないため人体にもあまりいい影響がありませんから劣化が早くメンテナンスの回数も増えていくのです。しかしそれらは流行ものですから、その時はあっても人気がなくなればすぐに廃版になったりしますから交換することも難しくなります。

こうやって痛む家というのは、全体的に見た目も悪くなるため解体して建て直した方が安くていいという話になるのです。また30年で建て替えることで、新しい仕事も発生しますし、家族構成が変わり流行もありますから建て直そうという家主のニーズとも合致するのです。

古民家であっても、何度か時代に合わせてリフォームして内部がぐちゃぐちゃになっているものもたくさん見かけました。そうなると子どもや孫の寒いし使いにくいし汚いし要らないという声にがっかりしている家主さんも嘆き節もありました。

しかしそもそもその直し方や手入れの仕方が、問題だったのであり家が問題だったわけではありません。そこに気づかないから、手が付けられないほどのコストがかさみ、本来の家の価値が失われていくのです。

家そのものの直し方を知るということが、家を本当の意味で長持ちし長生きさせていくということになるのです。空き家問題も抱え、建築バブルも崩壊し、新しい建物を建てにくくなってくる近未来において直し方の学習や研修などの必要性を感じます。

引き続き、子どもたちが安心して喜んで活用できるような長く愛される家を残していきたいと思います。

長崎街道3

昨日は、嬉野宿から塚崎宿、北方宿、小田宿、牛津宿、佐賀宿まで来ることができました。ここから数日は雨が続く予定で今回はここで一度、休憩をし次回また続きを行う予定です。

現在までで約120キロ、残りは約100キロを残すところですが実際に長崎街道を通ってみるとそのほどんどは開発され古い家がほんの少し残るばかりでほとんど面影がありません。長崎街道を半分まで来て振り返ってみると、その当時のままに残っているのは神社仏閣や石仏たちでした。

伊能忠敬が残したむかしの地図を見ていたら、今とはまったく風景が異なります。具体的に異なっているのは、西洋建築や近代住宅、また大型のチェーン店、舗装されつくした道路です。特に道路は、長崎街道の狭い道はところどころが閉鎖され隣に作られた国道を通るようにできています。国道に面した住宅は、人通りもない歩道があるだけで車の大きな騒音が響き迷惑を感じていることと思います。

かつては、長崎街道の細い路地を毎朝毎夕たくさんの人たちが往来して賑わっていたのがわかります。ほんの少しですが、閉店した店店の様子からそこで野菜や果物、また魚や肉などを軒先で販売していたのを感じます。近隣の農家や漁師、そのほかの職工や武士などが宿場町で買い物をしたのを想像したりできます。

明治頃まで街道には、庄屋や酒屋、廻船問屋や米問屋など大きな商家が並びその界隈はたくさんの人たちが盛んに行き来したのです。今ではその気配がかすかに建物の大きさから感じるくらいです。

街道を通りはっきりと主役が変わったのは人から車になったことです。旧街道は人が優先ですから車は危険ですからゆっくりしか走れず路地も狭くみんなで協力して車を通すしかありません。しかし国道の大きな道は、車優先ですから人は車の邪魔にならないように歩道を歩き、横断歩道も信号を待ってからでなければ進めません。

街道が廃れたもっとも大きな原因はこの何を優先するかが変わったことです。ここから将来は、人間の優先順位がますます下がり、人工知能やロボット優先となればさらに道は変化していくでしょう。

政治や経済が変われば道が変わります。道が変われば往来の速度や規模もスピードも変わっていきますが、人間の暮らしや生活もその道に大きな影響を受けてしまいます。地域を語るとき、この道の廃れているものが何かを見極めるのは大切なことです。

引き続き、長崎街道を辿りながら温故知新の智慧を子どもたちに伝えていきたいと思います。

自然の生き方

昨日は、自然農の田んぼで田植えを行いました。もうこの田んぼでの田植えは、8年目になりますが毎年楽しく豊かな時間を過ごせています。もちろん、昨年はイノシシに収穫前に入られて未収穫という大変な目にも遭いましたが懲りずに続けて8年も経つと経験が血肉になり様々なことを自然に感じ取れるようになっています。

自然というものはとても面白く、自然に近づいていけばいくほどに自然の仕組みが感得できるようになります。いつの時機にどの場所に何があるのか、そして何が組み合わさり、どう混ざれば何が生まれるのか、またその土地や風土の循環の癖や相性、さらには全体のバランスや心の機微にいたるまですべて手に取るように感得できます。

おかしな話ですが、達人の域に入るほどです。それくらい自然と一体になると、先々のことを今見通すかのような感覚になるのです。もちろん、自然ですから思い通りにはなりませんから謙虚さを磨かれます。しかし同時に、絶対的な安心感も同時に得られます。

それは様々な命と共に共生していくなかで、互いに活かし合いつながり合い存在し合うということの安心を感じることができるからです。

草をかけた土の中には大量の菌たちやミミズらが暮らしを営み、その上には虫たちや水生生物たちが暮らします。その循環のなかで稲はすくすくと育ち、光や風を浴びて鳥の声を聴き、山の恵みをうけ、人の見守りと愛情を感じながら立派な稲穂になり実をつけていきます。

この一つの循環の中に自分がいるという安心感は何物にも代えがたいものです。それを大切な仲間や家族と一緒に育んでいくという仕合せ。

私たちがもっとも遺し譲っていきたいものは何か、それはこの自然農の稲作の中にすべて生き方として籠っているのです。自然の生き方とは、自分もそのいのちと一緒に共生し合いながら育っていく生き方です。

如何に全体の一部となって自分を活かすかは、自然が観えているかという境地の会得が必要です。そのためには何度も田に入り、自分の手と目と感覚で自然のありように近づいていくしかありません。

大事にしたい子どもたちへの生き方を示していきたいと思います。

等価交換できない存在~徳循環~

この世の中は、なんでも等価交換できるわけではありません。価値に見合ったそれ相応のものと交換するというのは、あくまで人間の狭い視野で行われるものです。例えば、この自然界でいのちを活かしているあらゆるものと同等のものを用意することはできません。

人間が水や空気、太陽の恵みや大地とどう等価交換するのか。いくらお金があっても、それをお金とは交換できません。人間が作り上げた価値と交換はできても、自然や宇宙などのすべては本来交換することができないものです。

何でも価値や価格でばかりにそのものを測ろうとし、損をしたとか得をしたとかいうのはとても料簡の狭いものです。そのものの価値は、そのものの本当の価値を見出せる人にはわかります。それはお金では測れず、世の中の常識でも量れません。

むかしからそのものの価値を知る人たちは、善を行い徳を積みました。それは等価交換できないことを知り、少しでもその恩恵に報いようと感謝を循環させていったからです。

この世の理として、私たちは自然の大きな恩徳によって生きることができそれが失われればこの世を去るしかありません。さも人間が自然を牛耳っているように錯覚したとしても一度の災害ですべてを失う可能性もあるのが自然の猛威です。

だからこそ謙虚に交換できないものの価値を認め、いくらそれが宗教だと揶揄されようと、妄信的だと馬鹿にされようと、そういった交換できない価値のために祈り、その恩恵をいただける存在に感謝しながら生きていくことで私たちは傲慢になるのを抑制しみんなで平和を築いていくのです。

大前提として、等価交換できない偉大な存在をどれだけ身近に感じているか。ただ感謝のみという存在にどれだけ報いているか。ここが何より私たちの社會の在り方や暮らしの根本と深くかかわっていることを忘れてはいけません。

子どもたちは生まれながらに、その価値の偉大さに気づいています。お父さんやお母さんの存在、自然の存在、あらゆるものへ感謝の気持ちで生きています。価値を測ったりすることもせず、ただその偉大な存在に甘え、偉大な存在と共生し、自分もその恩恵に報いるようにすくすくと成長をしていきます。

私たちの身近にいつも寄り添い、見守る存在はすべて「徳」です。この徳に貢献していこうとすることこそが「利子」を増やしていくことであり、その利子によって私たちはまた恩恵の一部に感謝というもので還元されていくことができるのです。

徳の循環の仕組みは、この価値を変換し無価値にし徳に還元することです。

子どもたちのためにも、このプロジェクト、覚悟をもってやり遂げたいと思います。

道徳元年

私たちの会社では、7年くらい前から「讃給」という取り組みをしています。これは給与明細とは別に、そのひと月でみんなで一緒に働く中で感謝を言葉にしてみんなで交換するという取り組みです。

なぜこれを始めたのかと思い返せば、単に給与は仕事との対価としてではなく天から頂いたものであるという認識。そしてそれは多くの方々の感謝の循環によって、自分もその一部の恩恵を受けることができているという事実、単にお金の価値では測れないものをもっと理解していこうとするために取り組んだように思います。

もう何年もやっていると、感謝の声をいただくことで自分が何で役にたっているのかがわかったり、みんながどのようなことを喜んでくれたか、そして自分もみんなにどのような感謝を感じているかが確認できます。

感謝が積みあがっていく安心感というものは、大きなもので人はどのようなつながり方をするのかでそのコミュニティの質も変化するように思います。

例えば、同志というコミュニティであったり、家族というコミュニティ、そして同じ趣味というコミュニティ、理念を共有するコミュニティ、その「つなぎ方」は様々にあります。単にお金を中心にしたつながりだけでは、お金の持っている価値のみのつながりになります。それを感謝というコミュニティを形成することで、新たな絆が生まれていくのです。

人は、それぞれに「何でつながるか」というものを持っています。私もスタートアップの時は、友人と起業したこともあり、お金を中心に給与が発生していくことで本来のつながり方とは別のつながり方で感謝がわからなくなって苦しんだことがあります。

損得や費用対効果などの等価交換の価値基準を持つお金が、どうしても全体の価値観に影響を与えてしまいます。私の場合は、理念や初心を決め目的を定めたことでお金は自分たちを助けてくれる一つの道具になりましたがそれが明確でなかった頃は何度もお金に左右されてしまいました。

お互いに喜び会うことや、お互いに幸せになることなど、人は一緒に暮らしていく中で感謝が中心になればなるほどに利他的な自己と出会います。人間の低次欲求で有名なマズローも自己超越欲求というものがあると言及しています。これは自己実現の過程で感じる「至高体験」という自我超越、自己忘却、無我、利害や二分法では測ることができない「利他」(自他一体の歓び」のようなものを感じることができるというのです。これを私は徳を積むという言い方をします。

理念や初心が確かに自分のものになればなるほどに、生き方だけなく働き方も大きく変化していきます。そして生き方が変わり働き方が変わった人は、徳を積むための仕事に取り組み始めます。

それは費用対効果とかでもなく、損得利害などでもなく、子どもたちのために徳を積もうとするのです。自分がそうされてきて今があるように、自分も子どもたちに同じようにつないでいこうとする真心。

まさに、自分を活かしてくださっているものへの感謝への恩返しをはじめるのです。それは単にお金では片づけることはできず、文化伝承や奉仕、恩の循環を通して行われるのです。

私が3年前から開催した恩袋会というものも、溜まった恩の袋から徳をひろげようとする取り組みの一つです。

時代の変わり目に、新しい経済がはじまります。その新しい経済はいいかえれば、新しい道徳のはじまりです。そういう意味で、令和元年は道徳元年でもあります。引き続き、自分の使命を全うしていきたいと思います。