ドイツのはじまり1

明日から一週間、久しぶりにドイツへ視察研修に訪問します。このドイツ視察研修は4回目になりますが、今までとは違って日本の伝統文化を深めているからか改めてその国の多様性や暮らしについて興味が湧き、新たな発見の予感がありワクワクしています。

せっかくなので訪問前にドイツの歴史について少し深めてみようと思います。

このドイツという国は、ヨーロッパのほぼ中央にありおよそ人口8,108万人、総面積357,121㎢で16の州からなる連邦国家です。もともとローマ帝国時代には、ゲルマニアと呼ばれていました。その後ゲルマニアは次第にローマに溶け込み、800年にローマ皇帝としてのちの神聖ローマ帝国の祖とされるカールが帝冠します。そしてカール大帝はイギリスの神学者アルクィンを宮廷に招き相談役として共に「カロリング・ルネッサンス」と呼ばれる古典古代(ローマ)文化、カトリック、ゲルマン文化の要素を融合した独自のヨーロッパ世界を創り上げました。

その後は、息子たちに遺産相続として領土を分割します。この時に、現在のドイツ、フランス、イタリアの原型ができました。ドイツ王国の初代国王は選挙で選ばれたコンラート1世といいます。三代目に選出されたオットー1世が神聖ローマ帝国という国家理念を樹立しキリスト教理念に基く普遍的な帝国を目指していきます。ここで宗教的な理念の対立が生まれローマからドイツが離れていきます。そして有名なマルティン・ルターが現れ宗教改革が行われます。ルターを擁したドイツが、新約聖書のドイツ語版を完成させます。こうしてカトリックとプロテスタントに分裂しました。その後、30年間に渡りこの両者の勢力によってドイツ国内を中心に戦争が続きました。戦争が終わって衰弱しきった国家にペストなどが流行し人口は激減、神聖ローマ皇帝の地位は名目上のものとなりドイツは300もの領邦に分かれた領邦国家として存在していくことになります。

そして名目だけ存在していた神聖ローマ帝国は、フランスのナポレオン皇帝の台頭により完全に解体されました。そしてナポレオンの衰退と共にドイツはオーストリアを盟主として連邦国家として名乗りを上げます。その後はプロイセンが中心になりドイツ統一国家の道へと繋がっていきます。

このようにもともとゲルマニアのローマの融合からそれぞれの国家間の融合に続き、それぞれの領邦の融合がありました。ドイツという国は、いわば多様性を維持したまま存在する連邦国家であるというのが歴史から見て取れます。

それぞれの地域性や生活文化を大事にして伝統がいつまでも遺り大切にされているのは、それが領邦の暮らしを守るものであったからです。

引き続き、はじまりを深めつつ近代ドイツを深めていきたいと思います。

 

 

 

日本伝統教育の甦生

日本には古来から優秀な教育方法があります。明治時代に教育方法も西洋式のものに移行し、それまでの日本の教育を捨てていきました。150年前にあったものがなくなってしまい、現代の状況を省みると今一度、自国の歴史に学び、日本の伝統的な教育の本質を学び直し温故知新していく必要性を感じます。

以前、深めた教育方法の一つに鹿児島の「郷中教育」というものがあります。もともと島津藩で編み出されたこの教育方法はその後、大勢の偉大な人物を輩出する基礎になりました。最近では西郷隆盛が注目されていますから、同時にその西郷を育てた教育も改めて参考になるように思います。

その郷中教育とは何かと説明すると、現代でいうところの郷中=町内で実施していた教育方法です。薩摩藩は城下町の一定範囲を「郷」で区分していましたこの「郷」を現代で言う所の町内のようなものです。つまり町内会の教育制度のようなものでそれぞれの「郷」で暮らす中で子どもたちは町内で見守られながら教育を施されました。具体的には6、7歳〜10歳までを「小稚児」(こちご)、11歳~14、15歳までを「長稚児」(おせちご)14、5歳〜24、5歳までを「二才」(にせ)、24、5歳以上を「長老」(おせ)と呼び、それぞれがグループになり、読書、剣術などの修行を行いました。

この郷中教育の特徴は、子ども同士で学び合う仕組みです。保育の世界では、異年齢保育などという言い方をしますが、子どもの発達段階に応じて年長者が年中少者を教え導く伝承の仕組みです。つまり長老(おせ)が二才(にせ)を教育し、二才(にせ)が長稚児(おせちご)を教育し、長稚児(おせちご)が小稚児を教育する。このように、年長者が年少者を教育するのです。西郷隆盛が生きた幕末の薩摩藩には、全部で23の郷中があったといいます。この23の町内でそれぞれに見守られながら子ども同士で学んでいました。本来、むかしの日本はほとんど両親は農作業などの日常の暮らしに没頭するため家庭での子どものお世話はお祖母さんが行っていたとも言えます。教育ママなど出てきたのはエリート教育を施し始めた明治頃からであり、それまではほとんどは教育はお寺のお坊さん、武士、儒学者などの一部の人たち、それ以外はすべて子ども同士で行っていたのです。それを地域の大人たちが遠目に見守っていたという具合です。

基本的には子どもはほとんど両親の手伝いで勉強をする時間はありませんでした。実際に暮らしていくことはやることがいっぱいですから、子どもが子どもの世話をするのは当たり前だったのです。戦国時代を経て江戸時代になると藩の教育方法をさらに発展させ、全国各地にできた私塾や寺小屋によって子どもたちは劇的に学ぶ環境が出来上がりましたがそれまでは学校などもなく教育制度は発達していなかったのです。

郷中教育に話を戻します。

それではどのように郷中で子どもたちで学び合っていたのかということです。この仕組みがとてもユニークで、その教育のほとんどが徹底した口述「対話」が重視されたといいます。

具体的にはまず子どもは早朝からひとりで先生の家に行って儒学や書道などの教えを受け、その後は子どもだけ集まって「車座(一円)」になり、今日学んだ内容を持ち寄り口頭で発表しあいます。それを「詮議」といいます。

この「詮議」こそ郷中教育の根本的な教育方法であり、「君ならどうするか?」とお互いに質問し合ってそれぞれの解決方法をみんなで問いあい自分の意見を言いあう訓練をするのです。主体性や自主性、問題意識などを自分の力を使って物事を判断し行動する力を養ったとも言えます。

現代は、自分がどうしたいのわからないといった指示命令型の組織の中で教育された人は主体性が失われ受け身であることすらわからずに自分を見失うことが増えています。そういう幼い頃から、「自分で考える」ということを諦めた人は考えていいのは指示を出された後だけであり本来の「自分はどうするか?」、「君ならどうするか?」という根本問題を考えようとしなくなっていきます。これこそが主体性の欠落になり、自分の人生を自分の足で歩んでいくことができなくなるのです。

そのようなことがないようにここでは、必ず「詮議」をして「自分はどうするか、あなたはどうするか」と訓練をしてお互いの多様性を認め合う人間力や聴く力を高めます。

その後は、内省をして振り返り、どのように改善すればいいかを語り合い学び合いまた日々の修養に努めます。この「対話」という仕組みはまさに人間尊重の教育のあり方であり、私たちが取り組んでいる一円対話や団欒などにも通じています。

教育の根本的な方法は、古来からの日本の伝統教育の仕組みの中に入っています。この智慧を復古創新していくことが人財育成の鍵にもなります。

世界に誇れる日本の文化や教育が単なる輸入品だけというのは寂しいものです、私たちも社業を邁進しながら試行錯誤し日本の教育を甦生させていこうと思います。

 

日本人の教育の原点

日本の民話や昔話には、深い智慧がありそれを読み聞かせることで子どもたちはそこから様々なものを直観するものです。特に終わりがはっきりしていない物語ほど、考えさせられることが多くなぜという意味を感じさせるものばかりです。

特に、日本の昔話や民話は動物たちや妖怪、幽霊や鬼、また植物などをはじめすべてのものが擬人化されて語られます。八百万の神々といって日本では、どんなものにもいのちが宿っているとして当たり前にそれが民話や昔話で語られます。

つまりは日本人の価値観として、無生物といわれる「物」に至るまでいのちがあると信じているということです。

もともと「物体」とは、「物」の「本性」という意味です。この「体」とは、そのものの本体のことを示します。物体とはいわば、そのものの本性のことを示しそのものの本性は何かということを現わしている言葉です。そして「勿体ない」という言葉は、そのものの本性が消失すること、つまりは本体のハタラキが消えてしまったことを指します。

物の本性は「いのち」ですから、そのいのちが失われてしまうことを勿体ないとむかしの日本人は言いました。すべての物にはいのちが宿っていくからこそ、そのいのちを失わないように大切に使い切っていこうとするのです。

供養があるのは、そのいのちのハタラキが消えたものたちに対しての思いやりと感謝でありむかしは当たり前にそのいのちを観ながらその物を活かしていたとも言えます。

現代は、物にいのちがあるとか言うとすぐに気味が悪いと煙たがられたりまだ使える懐かしいものでもゴミのように簡単にポイ捨てしまう世の中です。むかしの日本人の価値観が失われていくことで、八百万の神々といった価値観や日本人の文化もまた塗り替えられていくように思います。

昔話や民話を大人が子どもに読み聞かせることは、大人も子どもも日本人の価値観を学び直して文化を習熟していく伝承の仕組みです。改めて子どもの頃に読んだ話や聴いた話を思い出しながら子どもに言い聞かせていると自然に子どもの頃に感じていたことや直観したいのちを思い出すことができます。

大人になって知識が増えて、子ども心に当たり前に観えていたものを忘れてしまった頃にもう一度思い出すことは大切なことです。そして子どもから学び直し、子どもと共に先人たちが出会った出来事から学んだ大切な道理をまるで絵本を読むかのように自然に習得していくという教育方法は道理に適います。

これは学校で試験やテストや受験で学ぶ教育とは異なり、好奇心のままに愛情深い真心が水が真綿に沁み込むように自然に智慧が入っていきます。

この智慧の伝承の仕組みこと教育の本質であり、日本人の学び方だったのかもしれません。

色々と現代はテクニックでエリート教育が過熱していきますが、本来の教育とは何のためにあったのか、そしてどのようにしていたのか原点回帰する必要性を感じています。

引き続き、子ども第一義の理念に取り組んでいきたいと思います。

伝承の知恵

むかしのことを調べていると、時代環境によって伝承の仕方が変わってきているのが分かります。現代はむしろ伝承だけが消失している気がして大きな危機感を感じます。

例えば、むかしはお坊さんが説法などで因果応報が原理原則などを怖い物語で語っていたことなどもあります。幼い頃は、鬼が出るや妖怪や幽霊、地獄の話やバチがあたるなどの話を聞くと怖くて身震いしていた記憶があります。

怖いという感覚は、そのまま畏怖になり神様の存在や目には観えないけれどそこには外れてはならない道が存在していたように感じました。日本昔話に出てくるお地蔵さんの話や、各地での伝承の話にはすべてその土地や風土で起きた悍ましい出来事に子孫たちが再び出会わないようにと口伝によって伝承されてきたものもあります。

まさにこの伝承は人類の知恵であり、人類は教えずとももっとも大切なことは何百年、何千年と教わってきたとも言えます。神話なども同様に、恐ろしいものもたくさんありますがこれは怖ろしい物語によってかつて先祖たちが何かしら体験した教訓や回訓を直観して気づくような仕組みになっているのです。

今では文字や映像など記憶媒体が進化していますが、すぐに忘れ去られることが多く短期記憶になってしまいます。先ほどの畏怖は、一生忘れないような長期記憶であり大事な場面で私たちの判断基準に大きな影響を与えます。

特に勧善懲悪の話や、因果律の話、さらに道理や原理原則など昔の伝承の中にはその智慧がふんだんに詰まっています。それを幼い頃から知識ではなく智慧で持つことは、その後の人生の歩む道中の叡智となってその人を助け見守るのです。

学校で教えるような教科書的な知識でテストのために暗記するようなものではなく、その恐れを直観する人や道理に精通した人物たち、経験者や年配の覚者たち、むかしでいえばそれがお坊さんや長老、神官、儒学を学んだ武家、修身修養した人物たちによってそれは子どもたちに語り継がれてきたのかもしれません。

子どもたちを育てていたのは一体誰だったか、どのような環境だったか、時代が変わっても変わってはならない本質というものがありそれが文化や伝統の中に存在しています。

引き続き、子どもたちにとって温故知新する必要がある時代の保育環境を見つめ直していきたいと思います。

和魂の継承

明治の頃、欧化政策というものが新政府によって実施され文明開化というスローガンをもとに西洋の文明を積極的に取り入れていきました。本来ならじっくりと今までの日本の文化の価値観で取り入れていくはずのものが、急場しのぎのために西洋の文化を西洋の価値観そのままに日本を否定し入れ替えるというやり方で行われました。

この時の欧化政策や文明開化というものは、単に価値観の入れ替えであり違う国の子民と文化になろうとしたとも言えます。今、私たちが履いている靴や洋服といった洋装文化もまたこの明治から入れ代わりました。今では町中でほとんど下駄や和装をする人たちを国内で見かけることはなく、京都では外国人の観光客たちが面白がってレンタルしたものを着ている光景を見かけるくらいです。

その後、日本は西洋の文化にしてむかしから大切にしてきた和魂というものを捨てていきました。例えば、和魂の代名詞ともしていて侍の刀、そしてそれまで大事にしてきた日本の価値観としての道徳観や宗教観、暮らしなど一つ一つすべて手放していきました。今ではそんなことを言えば、国粋主義者ではないかなど評されますが明治の頃などは植民地政策が行われていたこともあり排他的になるのは仕方がないことです。

かつて聖徳太子が、神道と仏教と儒教を和合させていきました。その時、和を優先しようとしたのが日本の和魂の原点であり、そこから私たちの国は神話に習い排他するのではなく全体調和して和合することを重んじてきました。明治にはそれも廃仏毀釈によって神仏分離し、宗教の自由として日本の価値観を変えました。また菅原道真が中国から入ってきた文化を和魂で調和して和魂漢才といってその当時の様々なルールや仕組みを日本人の価値観に合うように道理を引き直しました。それも明治に入り、洋才を使って洋魂にしていきました。

本来、歴史の中で日本文化を使って日本人の和魂で調理する方法はその後の日本を創造し世界屈指の文化と文明を江戸時代に開花させたのですがそれも明治によって捨て去ってしまいました。明治に欧米の植民地化から日本を守るためにとった政策がここまで今の日本を変えてしまうとはその頃の先祖たちは果たして観通していたのかなと最近ではよく感じます。一時的に、その場は仕方がないと手放して捨てたものがちゃんと今それが修正され拾われて元に戻されているのだろうかと。

歴史は途切れることはなく、つながりの延長線上に積みあがって今があります。むかしの仕組みや智慧や伝統や暮らしは、日本人が長い年月をかけて醸成し形作ってきたものとも言えます。そういうものに守られながら私たち子孫はこの風土と一体になって今まで生き永らえ世界に貢献していく力を蓄えてきました。

そしてそれは地球でそれぞれの風土で多様化した文化はまさに人類が生き残るための知恵になるはずのものでした。

もしも西洋一辺倒で塗り替えてしまえば、地球は西洋文明だけになってしまいます。そうなれば風土が気候などで激変をしてしまったり、環境が今とは異なってしまった際に、私たちは打つ手が西洋文明の知恵だけになってしまいます。短期的にはそれで乗り越えても、何百年という歳月は西洋文明だけでは乗り越えていくことは不可能です。だからこそ私たちは多様な文化を尊重し、それぞれの善いところ、持ち味を活かし合いながら人類を存続していく必要があるように思います。

日本には神話の時代から今まで続く皇の系譜があります。そして私たちはその子孫です。これだけ永く続く文化と文明を維持していく日本には、人類がどうやってそれを維持していけばいいかといった循環の智慧の宝庫でした。

地球はもともと自然環境が多岐にわたり様々な表情を持つ星ですから、その星の中で生きていく私たちはそれぞれの気候風土に姿を変えて生きていく生き物の一つです。

子どもたちが自分たちがどのように今まで育ってきたか、先祖がどのように価値観を磨いてきたか、その風習や暮らしぶり、いわば原風景を知っていることはこの先の未来に自らで判断して行動できる基準になります。

現在の世界の教育のスローガンは、自ら考える力をつけることです。そのためには考える元になる文化をしっかりと再認識する必要があると私は思っています。子どもたちが安心して自分たちを自分たちで切り拓いていけるように、今、できることを自分の脚下で実践していこうと思います。

和の経営

今の時代は道具の使い方も変わってきています。むかしは、道具は適材適所に合わせてその最適な道具を選別して用いていました。例えば包丁などもむかしは、素材に合わせてその素材の持ち味をもっとも活かすような包丁を選択して料理していました。和包丁は種類が大変多いため、使い手の技術が求められます。それぞれの素材にそれぞれに切り方、そして包丁の扱い方が求められます。しかしむかしの人たちはその包丁を通して、素材の特徴や自分の道具の扱い方を学び、人も道具も同時に研鑽を積んでいたのです。現代では、万能包丁をホームセンターで買えばそれ一本でなんでも切って料理します。本来、和包丁には万能包丁など存在しません。

これが人材の分野でも起きています。実際に万能で優秀な人間がいればいいとし、適材適所ではなく同じ能力を持っている人間ばかりを集めて教育しようとします。本来、万能というものは実は便利という意味で万能であっても、それぞれに特徴が秀でているわけでもなく完璧な優秀という意味ではありません。しかし学校の成績のように平均的にすべて高得点であることが優秀だと刷り込まれ、自分の得意不得意を理解しその持ち味を伸ばすようなことよりもなんでもできるようになることを目指して頑張っている人が増えています。

実際には、一人で生きていくのならそれもいいのですが社会はみんなと繋がり合ってみんなの個性や特性、それぞれの持ち味を活かして働くことが豊かで仕合せになりますから先ほどの包丁のように素材に合わせて適材適所に用いた方がお互いに活き活きしていくのです。

それができなくなるのは、万能がいいという刷り込み、また人材を扱う技術も衰えていきそれぞれの持ち味を使い分け適材適所に配置する感性や能力など磨かれていないからです。和包丁ももしも道具も素材も活かそうとするのならば、職人も道具も同時に磨き合い、お互いにそれぞれの技術を高めていく必要があります。そのためには人間は人格を、道具は品格を磨く必要があるのです。そうやってお互いに切磋琢磨することで、全体が調和する和の料理を実現することができます。

チームワークなども同様に、人が調和するには人格と品格をもって人材を適材適所にそれぞれが配置し合い、仕事の扱い方や使い分け、その時々で持ち味を活かした協働や協力をして調和していくことが必要です。

そのために万能であることを求めず、この時はこの人、この時はこの道具、この時はこの技術と、それぞれに人と道具が姿勢を正しお互いが切磋琢磨し合って高め続けていく必要があります。そういう日々の協働や協力の積み重ねで、美しい味わいを引き出す私たちの伝統の和が実現するのです。

和とは決して包丁に限らず、私たちの先祖代々の生き方や姿勢ですから日ごろからそういう関係性を築くために学び続け高め続け、切磋琢磨して精神を和に原点回帰していく努力精進を続けていく必要があります。便利さで誰でも簡単にというのはいいのですが、それは本当の意味で自分を活かし道具を活かし、お互いが高め合って調和する豊かで仕合せから離れてしまうことなのです。

この世に存在する人も物も、お互いの持ち味が活かされ引き出されれば存在価値や存在意義を感じて人も物もみんな喜ぶのです。そうやって歓びが連鎖することで社會は豊かになっていくのです。

引き続き、和の経営を続けつつ子どもたちに日本の精神を伝道していきたいと思います。

純粋無垢な真心

先日、ある料理店にいき日ごろの御礼にとみんなに食事をご馳走したことがありました。その後から体調が急変し、何人か感染症のような症状で私も含めて寝込んでしまいました。ひょっとしたら原因はそれだけではなかったかもしれませんが、本来は誰かや自分のせいではないのですがみんなが苦しんでいる姿を見ると申し訳なかった気持ちになってしまうものです。

そのようなことを考えているとふと仏陀の最期の話を思い出しました。

仏陀は、説法の旅の最期には、金属細工師のチェンダという仏陀の信奉者が出したキノコ料理で食中毒になり衰弱してそのまま数日後に亡くなってしまいました。

今までは仏陀の動向にばかり注目していましたが、その仏陀の状況をしったチェンダは一体どんな気持ちだったろうか。そしてどれだけ深く心を痛めただろうかと、どうしても共感してしまいます。大切な人にもてなしたことが、それが原因で相手が苦しんだり死んでしまうということがどれだけ辛いことか、その後はどうなったのだろうと思ったのです。

調べてみるとやはりチェンダは非常に落ち込み自分を責めていたといいます。そしてそのチェンダを思いやり仏陀は弟子のアーナンダを使いにやって責めることが決してないようにと次のような伝言を託けます。

「わたしの一生には忘れることができない供養がある。その一つは悟りを開いた直後のスジャータの出してくれた食物、そしてもう一つはチェンダの供養を受けた食物です。それは、最高の功徳です。」と。

それを聴いたチェンダは、地に額をつけて泣きました。私もそれを知って仏陀の思いやりに心が救われました。

知らず知らずに大切なものを傷つけてしまったとき、本当に苦しくそれはどうしても責めるところは自分しかないときもあるものです。自分が間違って怪我をさせてしまったり、不用意な言動で相手の心を傷つけてしまったり、特に幼少期や未熟さゆえにそれが発生し本当に悲しく自分を責めたことが何回もありました。

この仏陀の供養というのは、スジャータとチェンダの純粋な真心のことであり、そのことで私は悟ることができたという仏陀の大切な気づきです。仏陀にとっての忘れることができない供養とは、純粋無垢な仏陀への真心そのものだったのかもしれません。真心からの純粋な行動がどのような結果になったにせよ、その現象の結果ではなく常にその真心の方であると、仏陀の供養を思い大切にして生きていきたいものです。

人にはそれぞれに因縁があり宿命があります。

そこには無数無限の不可思議なつながりがあり、人生はどのようになるのかは誰にもわかりません。だからこそ人としての道を自らの真理で習得し、その智慧によって生きていくしかありません。

仏陀の歩んだ足跡には、その生き方や生き様という智慧が詰まっています。子どもたちの純粋な真心や優しい気持ちを見守っていけるよう智慧や真理を学び続けていきたいとおもいます。

誓願

御縁あって、郷里のお地蔵様のお世話を御手伝いすることになりました。ここは私が生まれて間もなくから今まで、ずっと人生の大切な節目に見守ってくださっていたお地蔵様です。

明治12年頃に、信仰深い村の人たちが協力して村内の各地にお地蔵様を建立しようと発願したことがはじまりのようです。この明治12年というのは西暦では1879年、エジソンが白熱電球を発明した年です。この2年前には西南戦争が起き西郷隆盛が亡くなり、大久保利通が暗殺されたりと世の中が大きく動いていた時代です。

お地蔵様の実践する功徳で最も私が感動するのは、「代受苦」(大非代受苦)というものです。

「この世にあるすべてのいのちの悲しみ、苦しみをその人に代わって身替わりとなって受け取り除き守護する」

これは相手に起きる出来事をすべて自分のこととして受け止め、自分が身代わりになってその苦を受け取るということです。人生はそれぞれに運命もあり、時として自然災害や不慮の事故などで理不尽な死を遂げる人たちがいます。どうにもならない業をもって苦しみますが、せめてその苦しみだけでも自分が引き受けたいという真心の功徳です。

私は幼い頃から、知ってか知らずかお地蔵様に寄り添って見守ってもらうことでこの功徳のことを学びました。これは「自他一体」といって、自分がもしも相手だったらと相手に置き換えたり、もしも目の前の人たちが自分の運命を引き受けてくださっていたらと思うととても他人事には思えません。

それに自分に相談していただいたことや自分にご縁があったことで同じ苦しみをもってきた人のことも他人事とは思えず、その人たちのために自分が同じように苦を引き受けてその人の苦しみを何とかしてあげたいと一緒に祈り願うようにしています。

もともとお地蔵様は、本来はこの世の業を十分尽くして天国で平和で約束された未来を捨ててこの世に石になってでも留まり続け、生きている人たちの苦しみに永遠に寄り添って見守りたいという願いがカタチになったものという言い伝えもあります。

また地の蔵と書くように、地球そのものが顕れてすべての生き物たちのいのちを見守り苦しみを引き受けて祈り続けている慈愛と慈悲の母なる地球の姿を示しているとも言われます。

自分の代わりに知らず知らずのうちに苦を受けてくださっている誰かを他人と思うのか、それとも自分そのものだと思うのか。人の運命は何かしらの因縁因果によって定まっていたとしても、その苦しみだけは誰かが寄り添ってくれることによって心は安らぎ楽になることができる。

決して運命は変わらなく、業は消えなくても苦しみだけは分かち合うことで取り払うことができる。その苦しみを真正面から一緒に引き受けてくれる有難い存在に私たちは心を救われていくのではないかと思うのです。

傾聴、共感、受容、感謝といった私が実践する一円対話の基本も、そのモデルはお地蔵様の功徳の体験から会得し学んだことです。その人生そのものの先生であるお地蔵様のお世話をこの年齢からさせていただけるご縁をいただき、私の本業が何か、そしてなぜ子どもたちを見守る仕事をするのかの本当の意味を改めて直観した気がしました。

地球はいつも地球で暮らす子どもたちのことを愛し見守ってくれています。すべてのいのちがイキイキと仕合せに生きていけるようにと、時に厳しく時に優しく思いやりをもって見守ってくれています。

「親心を守ることは、子ども心を守ること。」

生涯をかけて、子ども第一義、見守ることを貫徹していきたいと改めて誓願しました。

感謝満拝

 

戦争と平和~人の道~

現在の歴史を紐解く中で、表には出てこない陰に隠れた歴史があります。その歴史を省みながら人は時間と共に何が原因で今、こうなったのかという結果を尋ねていきます。その繰り返しによって、改善されさらに未来をよりよくしていくことができます。

その時は、最善だと思えたことでも時間が経てば最悪の結末を迎えるものもあればその時は最悪だと思っていても最良の結果になることもある。短絡的に部分だけをみて判断するのではなく、長期的に全体をみてどうあるべきかを考えていくなかで物事を如何に見通していくかは歴史を学ぶことにより磨かれていくものです。

私は戦後生まれですから戦争を知りません。しかし戦争の歴史から学ぶことが本当に多く、私たちは一時的な平和に怠けて大変なことを忘れないようにしなければなりません。それが御先祖様の体験を子孫が活かすことになるからです。

例えば戦争と平和を考えた歴史の言葉もたくさん残っています。

「戦争は戦争のために戦われるのでありまして、平和のための戦争などとはかつて一度もあったことはありません」(内村鑑三)

「いかに必要であろうと、いかに正当化できようとも、戦争が犯罪だということを忘れてはいけない。」(ベンジャミンフランクリン)

「平和というものは、人間の世界には存在しない。しいて平和と呼ばれているのは、戦争の終わった直後、またはまだ戦争の始まらない時をいうにすぎない。」(魯迅)

戦争はどんな理由があったにせよ、戦争のために行われます。だからこそ戦争をしないためにどうするかを考えなければなりません。

戦争の反対に平和を持つのではなく、絶対的な平和をどう築けるか。その平和は人としての道であるように私は思います。人道を究めることこそが平和を築くことであり、徳を盡すことこそ和を保つ秘訣であるようにも思います。

最後にマハトマガンジーの言葉です。

「平和への道はない。平和こそが道なのだ。」

一人ひとりが人としての道を修めていくことで平和の存在を確かめることができます。そういう社會になるために、人の道を弘めていく必要があります。先祖の暮らしの智慧にはそれがたくさん詰まっています。

引き続き伝統と暮らしの甦生を続けながら道を深めていきたいと思います。

道理

世の中には道理に精通している人という人物がいます。その道に通じている人は、道理に長けている人です。道理に長けている人にアドバイスをいただきながら歩むのは、一つの道しるべをいただくことでありその導きによって安心して道理を辿っていくことができます。

この道理というものは、物事の筋道のことでその筋道が違っていたら将来にその影響が大きく出てきます。そもそも道は続いており、自分の日々の小さな判断の連続が未来を創造しているとも言えます。

その日々の道筋を筋道に沿って歩んでいく人は、正道を歩んでいき自然の理に適った素直で正直な人生が拓けていきます。その逆に、道理を学ぼうとしなければいつも道理に反したことをして道に躓いてしまいます。

この道理は、誰しもが同じ道を通るのにその人がそれをどのように抜けてきたか、その人がどのように向き合ってきたかという姿勢を語ります。その姿勢を学ぶことこそが道理を知ることであり、自分の取り組む姿勢や歩む姿勢が歪んでないか、道理に反していないかを常に謙虚に反省しながら歩んでいくことで道を正しく歩んでいきます。

成功するか失敗するかという物差しではなく、自分は本当に道理に適って正しく歩んでいるか、自分の歩き方は周りを思いやりながら人類の仕合せになっているかと、自他一体に自他を仕合せにする自分であるかを確かめていくのです。

その生き方の道理に精通している人が、佛陀であり孔子であり老子でありとその道理を後に歩くものたちへと指針を与えてくださっているのです。

道理を歪めるものは一体何か、それは道理を知ろうとしないことです。

相手のアドバイスを聞くときに、自分の都合のよいところだけを聞いて自分勝手にやろうとするか。それともよくよく道理を学び直して、自分の何が歪んでいるか姿勢を正し、すぐに自分から歩き方を改善するか。

その日々の一歩一歩が10年たち、30年経ち、60年経ち、未来の自分を創り上げていきます。将来どのような自分でありたいか、未来にどのような自分を育てていくか、それは今の自分の道理を見つめてみるといいかもしれません。

そういう意味で、道理を見せてくださる恩師やメンター、そして先達者や歴史上の先祖は、偉大な先生です。そういう先生の声に耳を傾ける謙虚で素直な人は、道理に反することはありません。

私もいただいた道理をもっと多くの方々に譲り渡していけるように感謝のままで自分を使っていきたいと思います。