勧善懲悪の理法

昔から勧善懲悪の考え方というものがあります。

二宮尊徳の報徳仕法もそうですが、他にも孔子や仏陀も様々な聖人がその理法を説いています。如何に敵を持って敵を制すか、水を持って水を制すか、己に打ち克っていくための仕法を生み出しているのです。

人間というものは、頭があります。これは頭でっかちの方の頭のことで、頭は現実に起きることを起きていないうちに考えてどうにかしようか、こうにかしようかと走り回るものです。それと同時に心というものがあります。これは、真心からこうしてあげたいとかこうしようとか具体的な行動により実践していこうとするものです。

これらは昔から学ぶ方法として、王陽明の「知行合一」などでも語られ、知ることと行うことを一致させていくこと、一体の中で行うことこそが学問であることですでに説かれています。

とかく現代人は、起きている現実のことよりも先回りして知識を得るあまり行動の量がついてこない傾向があります。学校でも先に教えられてばかりいると、体験するよりも先に教えてもらったことで分かった気になってしまうと本当に学ぶ機会を逃してしまうものです。

今、来ているものを全て受け取るということは全てを本当に学びにしているかというその心がけが問われてきます。自問自答という言葉も、本来は今というものへの正対の如何によるものですから常に今を大切に心を遣った後に頭を使うように心がけたいものです。

話を戻せば、人は必ずその中に自我や私ともいう欲が存在しています。その欲をどのように制するのかに二宮尊徳は夜話でこう語ります。 「世の中の人はだれでも、聖人というのは無欲だと思っている。しかし実際のところ、聖人は大欲なんだよ。もっともその大は『正大』ということだ。賢人の欲がこれに次いで大きく、君子がこれに次ぐ。しかし、凡人の欲は、小欲のなかでもっとも小さな近欲にすぎんのだよ。学問はこの小欲を正大な欲に導く方法なのさ。 では大欲とは何かといえば、万人の衣食住を充足し、大きな幸福をもたらそうと望むことだ」と。

欲を否定して抑圧するのではなく、その欲によってその欲を制御するという考え方です。つまり私に言わせれば、その欲はやる気にもなり情熱そのものであるのだからそれ以上のことを優先していけばいいというものです。

私が行う理念構築は、二宮尊徳の報徳仕法に習って産み出したものです。これは等しく、自分のことで困窮する時こそ、より理念の方を確かに行うことで自らを常に正大にしていこうとする思想なのです。

人は、大変な時こそ、困窮するときこそ、勤めて理念を行うことではじめて私心から離れ己に克つことができるものです。理念とは、形式的なものではなく道そのものであろうと私には思えます。

礼記に「道(みち)を以(もっ)て欲を制すれば則(すなわ)ち楽しみて乱れず」とあります。

「道が観えるか?」常にその問いは、理念を行っている最中にこそ存在するものです。人はみなこの理念道を尊べはそこに真我との出会いもまたあるように思います。

ちょうど、もう一度今の仕事を整理している中で善悪一体、自他一如、その大自然の勧善懲悪の理法を直観しています。

 

道義

世の中には、筋道というものがあります。それを道義といいます。

例えば、天に照らせば感謝することや人に照らせば恩に報いること、そういう生きていく上で大切なことを学のが道義です。

一般的には、今の時代はあまり誰も叱らなくなったといいます。この叱るというものは何かと言えば、道義に反することをするから叱るわけであって意味もなく叱るのではありません。

昔は、親や先人たちが親身になって自分の将来のことを長い目で観てくれてよく叱ってくれました。私にも人生の岐路や大事な場面は、必ず善い師や先生、友たちが自分を間違った方向へと歩まないように叱り飛ばしてくれたものです。

そして今があるから、その感謝に報いたいと真摯に道義を重んじて生きたいと願うようになったように思います。

叱る方も叱られる方も、どちらもとてもそこに深い信頼関係があることに気づきます。叱られるということは、相手から叱られる自分でなければ叱られることもないからです。

自分がそれだけ叱られる自分をさらけ出して頼り甘えることができているということが一つ。そして甘えないで必ず学びモノにしていこうとする真摯な信じる姿勢があることが一つ。

つまりは、自立ということと自律ということを体現しているからこそ人との間に尊い信頼関係というものを一期一会の人生の中で邂逅していくことができるように思います。

長い目で観た時や経験から感じた時、そして誰よりも相手のことを思う時はその道義を説かなければなりません。しかしそれはとても難しいことであり、自我感情などを超えてその人そのものが自分であったらと思う必要があるからです。

もしも自分がその人だったらと思うなら、気持ちは分かるけれどならぬものはならぬとその筋道を正しく伝える技術もいるからです。

いくらコンサルティングをして経験を積んだとしても、その一つ一つの正対というものは常に真剣勝負ですから試行錯誤、錬磨研鑽していくしかありません。

自分が今、学ぶ必要があるのは何か、筋道に従って全て実践により掴んでいこうと思います。

たくさんの愛をいただいて育ててくださった方々のことを心に刻みその恩義に感謝と実践で報いていきたいと思います。

求法の旅4

慈覚大師円仁の「入唐求法巡礼行記」を読み終えました。

全4巻が織り成す様々な物語を読み進めていると、改めてその旅路の凄まじさが伝わってきます。特に、武宗の行った仏教弾圧は厳しいもので廃仏をはじめ僧侶たちが突如として様々な迫害を受けました。

それを逃れつつ、多くの方々に援けられ見守られ仏法を学びそれを日本へ持ち帰るといった偉業を為しているのです。

後半の部分には、行間に苦しかったことが書かれています。あまり日記全般の中には、そういう感情が入っている部分は少ないのですがこの後半の旅が如何に厳しかったかを物語ります。

例えば、(五月二十四日。朝早く出発した。夜十二時前後、淮水の注ぐ海に着いて停泊した。逆風と猛り立つ高波のため淮河の中に入っていくことができない。持っていた食糧が全くなくなってしまって窮迫、非常な不安と疲労におののいた。)

(七月二十日。出発して山や野を行く。草木は高く深く繁り人にもめったに逢わない。一日中、山にのぼったかと思うと今度は谷にくだって入って行き、泥水の道を踏み歩いてつらく苦しいことはこれ以上ないと思うほどである。)

(八月二十四日。文登県に着く。円仁たちは山を越え野を渡って衣服はぼろぼろに破れ使い果たした。県の役所に行き県令に会い、「当県の東端にある勾当新羅所に行って、食べ物を求め乞うてただ命を延べつなぎ、その間に自ら舟を求めて日本国に帰らしてほしい」と請願した。)

他にも、次々に厳しい勅が降りて仏教弾圧の最中を駆け抜けていくところや食事がろくにできない状態のまま休憩もさせてもらえずに厳しい扱いをうける所なども多くある。

また同時にその中で仏弟子に出逢い、丁重に大切にしてくださった人たちもあり、一期一会に感動する場面もあります。この日記には、その円仁の生き方そのものが詰まっており、これが与えた影響は本当に大きいのではないかと思うのです。

ここから空也、法然、親鸞が顕われてくるのです。特に法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったと言います。これらの実践の様子は、常に仏の教えの鑑となって法を求めることの価値を後世の人達へ与え続けています。

人の業績というものは、何をやったかというものもあります。しかしそのプロセスとしてどうあったかということはあまり論じられることはありません。師の果たせなかった夢を受け継ぎ、謙虚にその真理の実現のために尽くした至誠の人、この慈覚大師円仁にどうしても深い魅力を覚えてなりません。

これはまるで異種ですが私には、源義経、高杉晋作、直江兼続、松尾芭蕉など義に共通するところが見え隠れするのです。

人はどのようなものを信じて生きたかということは、最期には遺るように思います。何を信じてその人が生きたかというものは結果を見なくても、そこに何か映し出されてくるものがあるからです。

人が生きるということは何に生きるかということです、そして人が死ぬのは何に死ぬかということです。

法を求めて旅をして、その法の求める中に掛け替えのない間人の絆があったということ。日本人らしく生き切った円仁という一個の人に心から敬愛と尊敬の念が込み上げてきます。

今回いただいた機縁と「入唐求法巡礼行記」との出会いは、私にとっての勇気になりました。

有難うございます。

求法の旅3

自覚大師円仁のことを深めていくと、その生は大義のために生きたことを実感します。

日記を読み進めていると円仁は、最澄の志を受け継ぎその教えを自らが成し遂げるために求法した生涯であったように思います。

夢枕に最澄が何度も立ち、円仁のことを思いやる言葉を遺しています。そこには師弟の絆があり、その御恩への感謝へ報いるために仁義を尽くしたのではないかと私は思うのです。

高齢でありながら、3回目の渡航でようやく唐へ渡ってからも、9年の歳月をかけて師が求めたものを探し出し、持ち帰り、竟にはその思想や文化、技術を日本の各地へと赴き天台の真理として仏の心を弘げるのです。

その証拠として、全国に円仁が開基、あるいは中興となって寺院が600か所以上になります。(天台宗典編纂所の調査による)昨日も、福岡県田主丸にある最澄と円仁が来て改宗をした寺院に参拝することができましたが、そこに遺志を感じることができました。

師を大切に慕い、その恩恵や感謝を自らの実践とその体現によって顕そうとする真心の人。その人柄が浮かんでくるのです。遺言では、「私の墓には一本の木を植えておけばいい」といい、これは二宮尊徳と同じように謙虚に分を超えずに生き切った人の最期の言葉として深く尊敬します。

また帰国後も、中国でお世話になった人たちへの恩返しを忘れずに来日の際の衣服や住まいなどを提供するようにし、また岐路で大変お世話になった赤山明神を奉るための寺院も遺言によって弟子たちが実現しています。

どの業績をとってもみても、大変な謙虚な姿に感動することばかりです。

表の中には出てこない、陰にあるものの偉大さ。その蔭の働き手の縁の下の力持ちによって今の人達の心にいつまでも生き続ける仏心仏道がある。その仏弟子の鑑のような生き方をされた円仁の義から学び直すことができました。

一代では成し遂げられない夢を実現するには、表裏一体、自他一体、仁義一体、師弟一体の業績があってのことかもしれません。その純真な思いに応えるのもまた真理です。曼荼羅に、胎蔵界と金剛界があるように、宇宙にも陰陽があるように、すべてはバランスの中にある一筋の光の中に真実が存在するのかもしれません。

1200年の時を超えて、成し遂げた偉業を観ればまだまだ学ぶ事ばかりです。

先人の生き方から学び、今の自分を尽くしていきたいと思います。

求法の旅2

慈覚大師円仁の日記を読み進めているとその旅路の難しく厳しかったことを実感します。酷い蚊やアブに悩まされたり、雷雨をはじめ天候に悉く恵まれなかったり、病を得たり、役所の人達の理解が得られなかったり、数えきれないほどの困難と遭遇しています。

その間に記された行間に、その出来事をあるがままに記していることに返って思うことがあるのです。時折、そのシンプルな文章の中に感激したことを坦々と書かれているのですがその文章を読んでいると求法を実践している円仁の人柄が目に浮かびます。

当初は、最澄の意志を継いで天台山を目指していましたがそうではないと言わんばかりに壁が立ちふさがり、諦めかけたころに五台山に換えるという決心をしました。そこからは仏縁に導かれ、様々な人々との邂逅を得て旅が進んでいくのです。

今、ちょうど読み進めて五台山に辿りついて霊仙三蔵との邂逅があっているところです。

この霊仙三蔵は、同じく日本人で最澄・空海とともに唐に渡った僧の一人です。知名度で言えば、最澄と空海が有名ですがその陰にはこの霊仙がいるのです。この三人は共に入唐しましたが、最澄はわずか八ヶ月、空海は三年で帰国しました。霊仙はその後二十三年の長きにわたり在唐して最期まで帰国はできませんでした。

当時の中国の憲宗皇帝の信が厚く、僧としての最高位を示す称号と位を与え日本人でただ一人の三蔵法師、霊仙三蔵となりました。

円仁はそれを五台山で聴き、そのまま長安への旅路の最中で廃寺となっていた七仏教誡院に立ち寄り偶然にもそこに残された言葉に霊仙からのインスピレーションを受け取ります。

それは霊仙三蔵から託されて日本と中国の間を五回も渡航し行き来した僧、貞素の詩を見つけることで得られます。それを書き写して日記に持ち帰るのです。結局は、この円仁はかつて唐に渡った三人の意志を集大成して吸収していくのです。

また余談になりますが空海の弟子の山城国小栗栖の法琳寺の僧、常暁が後日、偶然にもこの霊仙が遺志として託した太元帥法と法具を日本に持ち帰ることになるのです。それが明治になるまで、国難の時に行う秘法として元寇のときや日露戦争などでも用いられていくのです。

志は決して一人では為らないことをこれらの因縁から実感します。一人では成し遂げられない夢を、同じ志を持つ者たちが観えない糸で結ばれ合い、力を合わせて偉業を実現していくという事実があります。

そこには時空を超えて場所を越えて、必ずインスピレーションでつながっていくということに大義の持つ美しさも実感します。これは武士であろうが、僧であろうが、または商人であろうが、志は必ず人々の間に生き続けていくということを証明しているのです。

人は、その思いや願いこそが何よりも尊く、その意志により出逢いやご縁が生まれ旅が霊妙に寛美に彩られていくのです。旅はその志があってのものであり、それは須らく自らの脚で初志貫徹に歩む時にこそ出逢うように思います。

その後も円仁は、旅の途中で様々な仏縁に導かれていきます。文殊菩薩の智慧を学び、その智慧を発見していく日記には、どのような旅の辿り方をしたのかを垣間見ることができます。縁を辿っていくのは、自らの人生を旅していくことと同じです。

かつて、日本人の先祖にこのような人がいたことをこの歳になってはじめて知ったのもまた尊い仏縁の御蔭であるように思います。毎年、この夏のお盆の最中には仏縁に恵まれ学びを深めることができています。

引き続き、求法の旅路を香りを味わってみたいと思います。

有難うございます。

 

学志一如~独りでになる~

昨日、不思議なことに自分の人生に大きな影響を与えるお寺に参拝することができました。このお寺は、赤山法華院といい円仁と非常に深い所縁があるお寺です。この円仁は日本人最後の遣唐使と言われていますが、世界でも有名なのはその旅行記です。

この円仁の記した「入唐求法巡礼行記」は、玄奘の「大唐西域記」、マルコ・ポーロの「東方見聞録」とともに、三大旅行記のひとつとされ、唐の国や仏教中心地の様子が鮮明に窺える古代史の第一級資料となっています。

特に他の2つのものは誰かに口述したものを記入させたのに対し、円仁のものは自筆で記したものです。その内容は、9年半の中国での滞在記ですが全てのことが思うようにいかない中で、それでも真理を求めて已まず命を懸けて人々のために学ぼうとする姿勢が感じられ、少し読んだだけでも心が震え魂が揺さぶられる思いがします。

帰国後は、円仁は天台宗の指導者として、比叡山において教えを伝授するだけでなく、当時文化の遅れた東北の人々の苦しみ悲しみを救おうとして、寺院の建立、土地の開発、産業の振興に力を尽くしました。青森県にある恐山菩提寺なども円仁が開基したものです。

訪問した赤山法華院はこの円仁を大切にしてくださった新羅人たちの建立した寺院です。中国で仏教が弾圧され、旅券も発行されず、帰国できない、すべてないもの尽くしの中で円仁にインスピレーションを与え、具体的な方法までを与え、そしてその道を諦めさせないで見守りその求める道を陰ひなたから助けてくださった所縁の場所です。

天啓というものは、いつもピンチの時こそその周囲に必ず有難い見守りがあるものです。すべてのものは一人でなるものではなく、独りでになるものです。その独りでになるものは必ずそれを助け導く周囲の存在があるということです。

同じように円仁もここで仏様に出逢い、その道を示されたのではないかと現地で改めて直観しました。この時の助ける方も助けられる方も、その人間の間にある思いやりや真心が共に天に通じたことを忘れまいと今でもその赤山禅院では大切に語り継がれていました。

この新羅人とは、韓国人の先祖であり言語のルーツを辿ればそこに至ります。その当時からずっと私達日本人と韓国人、中国人が交易をし、共に助け合ってきた歴史に改めに感無量の思いがしました。1200年前のこの三国間の関係と、今回、韓国の友人とのご縁で中国の方に導かれて訪問したこの機縁に不思議な感謝と感動を覚えました。

時代が変わろうとも、私たちが大切にしているものは何かを見失っていけません。

真理を求めて旅をすることも、その旅の中で大切に受け継がれたことも、如何に世界が変わろうとも変わらないものがあるのです。その変わらないものを大切に暮らしていくことが、真理を体現することになり、その脈々と受け継がれた血縁と記憶をこの時代にも復興させていくことが私達子孫の使命の一つではないかと思うのです。

今回の仏縁は本当に意義深いものになりました。

東北の巡礼から、縁を辿り、気が付けば赤山での教えに至りました。帰国後もまた辿りたいところが大いに増えました。まだまだ所縁を楽しんで、直観の赴くままに学び続けていこうと思います。

学志一如、実践を貫いていきたいと思います。

発展経過の体験

久しぶりに以前見たものを思い出し、その差を実感するのに「発展」というものがあります。この発展の「展」という字は伸びるや開くという意味があり、以前にも増して広がっていき高まっていくという言葉です。

例えば、中国の訪問でも気づくのですが以前私が留学していた18年前と比べてその量が変わったことはすぐに分かりますがその質も高まっています。それは建物だけではなく、文化、人間性、全てにおいて成長しているのです。

以前と比べて建物が建設ラッシュで創りつづけているのは同じです、しかしその質を観れば明らかに技術は進歩し、センスも高まっています。他にも、洋服から生活、文化、思想にいたるまで質が高まっていくのです。

この場合の質とは、洗練されていくというもので発展するということは同時に全てのことが磨かれてより高度なものを生み出していくという意味です。

人間の成長というものは、より質を高めていこうとするところに発展があるように思います。発展しているかどうかを観察するのは、量の方ではなく質を視るということです。

質が高まるというのは、どれだけ洗練されたか、どれだけ高尚になったか、時代の中でその人が磨かれ技術が磨かれ心が磨かれるというように確かな変化になった証なのです。

成長とは何回も同じことをしているようでも、以前よりもどれだけ質を高めたか、それは揉まれて練られて洗われるように一つ一つを開いていくことに似ています。

発達を実践するのに私たちもよく「DOSEEPLAN」でと言いますが、この発達の本質とは一つ一つの物事をよく観てそれをどう発展させたかということに尽きるように思います。そしてそれを促すには、「遣り切ったこと(DO)をよく反省(SEE)し改善(PLAN)する」ということで実現できるように思います。

何でもあの当時は無理だと思っていたことが、この国に来て実現しているのを観てやはり遣り切った後に確認することが大切であることを改めて実感しました。常に発達は「今は無理「と思えることが後で「実現可能」になっていることの連続なのです。今だけを見てすぐに諦めるというのは、発達を自ら先に否定してしまうということになるのです。如何に自分を信じ切るか、今が不可能でも今を念じて質を高めていこうとするのが、発達をし続けていく根本姿勢なのでしょう。

来ているものをどのような道に開いていくか、そしてそれをどう展じていくかは常に質を高める創意工夫こそによるように思います。量を与えてもらえる機会に感謝し、その全てを質に転じて生長を楽しんで見守っていこうと思います。

戦略~我を省く~

先日、戦略というものを考え直す善い機会に恵まれました。
今年は我を省くが師と共有したテーマだったので、是に出逢えたことに改めて感謝します。

そもそも戦略がなぜ必要かと言えば、世間は同じようなことを目標にし似たようなことを目的にする人たちが沢山います。世界で実現したいことがあったとしても、それは皆同じように思うものですから力も均衡してきます。

すると同じようなところに大勢の人たちがいるのですがどうしてもそのエリアで競争をしてしまうことになるのです。そういうものをしないでも善い方法、つまりは戦いを省略するという意味で独自性を発揮していこうとするのが本質ではないかと思います。

この戦略ということの本質を考える前に、戦略を実行しようとすること自体が大いなる刷り込みの中にいることに気づくのです。やはりどんなことでもそうですが、その元が何かを掴むまではそのものを真に活かすことはできないということを学べました。

戦略を活かすには、大変な勇気が要ります。

今まで身に着けてきたもの、持っていたいものを捨てる必要があるからです。例えば常識というものもそうです。そういうものを持つと、どうしても戦略が理解できないのは戦略とは何かを捨てて何かを優先する、つまり選択と集中が必要になるからです。

選択しないで集中しないというのは、かつて身に着けた自分の力をいつまでも頼ることに似ています。例えば、今までの会社経営でもそうですが最初にはじめた事業から今は大きく発展しています。それは一つのことをやっていたからではなく、どんどん事業が変化してきて前の事業を手放していくのです。

これはいい加減にやっているのではなく、より本質へ、より面白い方へと変化させていく必要があるからです。

どうしてもかつての成功が手放せないと事業を転換することはできません。それにどうしてもかつて認められた自分や会社をいつまでも手放せないと戦略は実行することはできません。戦略とは、持っているものを捨てる勇気。全部持ったままという発想ではなく、今は何を選択し、何に集中することが価値であるかということを自分の常識を捨て去って取り組むことになるからです。

人は戦略的に生きようとしていても、どうしても柵や刷り込みに縛られてしまって身動きできなくなっているものです。そこでこれは戦略であるのだと自覚し、敢えて強みだったものを弱みだと定義し、思い切って弱みを強みに換えるような勇気を持つといいように思います。

戦略を理解するというのは、我を省くことがあってはじめて成り立つものです。その我とは自信のない自分を、そのままでいいと思う事であったり、励まされたりした言葉を実はそれは自分が励まされたのではなく「戦略」であったと気づく時に出会うものです。

常に人はあるがままの自然、自然を味方について克己するのなら常に省くものは何かということを考えていなければならないのかもしれません。

少し距離をとってみると、面白いようにまた本質に出会います。
やはり、今回も躊躇いはありましたが思い切った「戦略」に向かうところ敵なしです。

戦略を私自身が最も楽しむために、勇気を持って異常なことを増やしていこうと思います。

選ばない意味~人生の仕事~

選ばないということの考え方がどういうものなのかを書いてみます。

人はみんな自分勝手で自分が受け取りたいものとそうではないものを選り好みするものです。その時々の気分や状態で目の前にある出来事を裁いたり仕分けたりしてしまうものです。そうすると、本来、大切な意味があった出来事を自分の捉えた小さな範囲や自分の視ている世界にしてしまえば本質的に学ぶことが少なくなるのです。

カグヤでは理念ブックの最初の1ページ目に、こう書いています。

「浅き河も深く渡れ、低き山も高く登れ、本質を深め、独立自尊せよ」

これはカグヤの信条としてもっとも大切な徳目で、これがなければ学べないから何よりも尊ぶようにという戒めの意味を籠めて記されています。

学ぶということは、そもそも自分のレベルや自分の範囲で知ったことを言うのではなく、その学びとは何かということを実践の中に気づき自らをより高めて常に変化刷新していくことを言います。それは来ているものを選ばずにどれだけ謙虚に受け止めてその全てを感謝に転じたかという実践をすることになっているのです。

そもそも受け止めるというのは、来たものをあるがままの意味で捉えるということです。それは自分がどうかではなく、来たものは全部自分に必要なことが起きているとその全ての出来事や物事、そのご縁に深く感謝して自然のままに有難くお受けしていくことが本来の姿です。

例えば、病気になったとしてもそこに何かの意味がある。嫌な出来事が続いてもそこに何かの意味がある。そう思う人は、どんな出来事からも学びその教えが入ったことに感謝し、素直に成長し、正直に受け止めてその機縁を活かしていくことができるのです。一期一会の境地も同じく、人生の中で二度とない一度きり一瞬だけの掛け替えのない出会いだからこそ、自分の全てを出し切って清々しくしていこうというものも似たようなものです。

一昔前は実践が追い付いておらず、意味を感じきれずに色々と悩んでは選り好みしていたものです。しかし、選ばないという選択をしてからは日々に来たものを受け止めて自問自答し取捨選択して削り取っていくことで最期に残ったものが何かというものを待つ心境に入っています。

それは全てをチャンスだと思えるか、ピンチをチャンスに換えているか、自分が丸ごと信じているかを優先しているかが問われるからです。実は選ばないというのは、傲慢なのではなく選ばないほどに全てのことを意味があるとして素直に受け取ったのかと自問自答をすることで自らを玉にしていこうという覚悟のことです。

これには実は大変な積極的な力が必要になります。

なぜなら全てを直視し、その全てに手を抜かない、自分を出し切ったかということがモノサシになるからです。できそうなことをやるのではなく、常に一歩先、届かないところまで高めようと精進したか、日々挑戦したかと自分に問い続ける、そして自分が答え続けた結果をチェックしていく必要があるからです。

しかしそうやって人は自分を自分で育てていかなければ、独立自尊していくことはありません。それは環境に左右されるのではなく、自らが環境に流されずに言い訳を断ち続けて自らを磨き続けるということに他なりません。それはどんな日々も流さないようにしていくこと、言い換えればどんな出来事も先生であるということ、つまりは自然の先生が教えてくださったご縁を活かそうとする積極的な姿勢が自らの道を切り開き常に本筋から離れまいと自らに打ち克ち続ける真剣勝負をすることなのです。

出来事全てを自然の大先生からの有難いご指導だと受け取るならば、それにいちいち歯向かったり無関心でいることはあまりにも勿体ないように思います。自分に必要な学びは必ず自分に必要なものを全部今、この瞬間に足元に用意されているというのが私の持論です。

人生は自分のことを信じる事から、そして自分を信じるとは選択した今までを疑わないことから、そして自分の覚悟とはかつて決心したことの集積であることを自覚し最期まで諦めないことを言うように思います。信念とは最期まで守り切ったか、失くさなかったかというものだからです。

まとめると今を遣り切る、今に生き切ることこそが、選ばないということの大切な意味でしょう。日々、学ぶことだらけであること、日々、有難い教えを沢山いただくこと、その来ているご縁に心から感謝して、全身全霊で真心で取り組むことが御蔭様を有難うに換える大和魂です。

須らく、善き人生とは仕合った質のことを言うように思います。生まれてきて今日で13642日目です。残された人生も手を合わせて姿勢を正して、真剣に自分との仕合をしていきたいと思います。

そういう毎日こそが人生の仕事そのものであり、子どもたちに譲り見せられるような背中なると信じています。せめてもの感謝の現れとしての「選ばない」を今後も持続できる自分を育てていこうと思います。

芯の強さ~ミマモリングの芯~

人は逆境をたくさん体験することで強くなっていきます。この強くなるというのは、優しくなるということです。真の優しさというのは強くなければ発揮されないからです。

男の生きざまとして、強い男に憧れるものです。その憧れは強さへの憧れですが、単に喧嘩に強いとか権力があるとかが決して強いと定義しているのではありません。ここでの強さとは、どんな時でも優しくいれる強さ、相手のことを思いやれる強さのことを言うのです。

ラグビーの伏見工業の教育者で有名な山口良治さんの「信は力なり~可能性の限界に挑む」(旬報社)にこういう一文があります。

「『もう嫌だ。好きなことして、好きなこと言って、何もかもどうでもいい』そんな風に思う時というのは、自分のことしか思っていない。人間というのは、自分ひとりだけのことしか見えず、自分の外への回路を閉ざしてしまうと小さな弱い存在になってしまう。他人のことを自分のことと同じように考えられる、そういう優しさが人間を成長させ、困難な局面に立ったときにそれを乗り越えられる強さになるのだ。」

自他一体にいるというのは、その人のことを自分のことと同じように考えられるかどうかによります。つい人は自他を分けて、自分のことばかりに囚われてしまいます。私も忙しくなる時こそ、大変な時こそ、自分の身の上のことばかりを心配して初心や大義を見失いそうになってしまうものです。

そういう心のブレを芯の強さに換えるには思いやりや優しさで抜けるしかありません。

また信じるということは、言葉で書くほどに簡単ではなく意味を感じる力に比例しますから内省し自らを高めていき日々の道場で鍛えていくのみです。どんなに高望みしても、その日一日の真剣勝負の中で強く優しくありたいと実践していくしかないからです。しかしその有難い日々の機会に感謝しながら自学自習することや、前進できることが生きている歓びにもつながっているように思います。

山口良治さんの指導者としての姿勢は、本当に学ぶことばかりです。私達の掲げたミマモリングにも通じているもので、このようになりたいと思うばかりです。さらに本ではこう続きます。

「99%信じても、1%の不安があったらその通りになる。100%信じる事が大切」

丸ごと信じるということに生きざまを懸ける、そこに感動を共にする自他一体があるように思います。

通称「泣き虫先生」と呼ばれ、いつも感動しながら生徒と共に泣いて笑って感激していくことで強さも優しさもまた味わい深いものにしていくことが大切だと教えてくださっているようです。

「僕は涙というのは素晴らしいと思うんです。 みんな子供達に「負」をつける前に、涙が込み上げてくるぐらいの気持ちを出してやることによって、自分の思いが涙に変わっていくくらいの気持ちになってくれれば、もっと違ったものが生まれてくるんじゃないかな、伝わって来るんじゃないかと思うんです。  僕に涙がたくさんあって良かったなと思います。」

耐えて信じるものだけが持つ美しい涙を私も学び直したいと思います。自分の刷り込みに気づいたなら、迷わずに自分の方を変えるチャンスだと感謝を信に換えて心の芯を強くしていきたいと思います。

芯の強さこそが優しさであることを忘れないようにいたいと思います。
子どもたちを見守る信を育てていくのが私たちカグヤの強さの源にしていこうと思います。